偽証の衝撃

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2018年01月20日 23時30分]
近代オリンピックのオリンピアード競技大会(夏季五輪)には、かつて1912年の第5回ストックホルム大会から1948年の第14回ロンドン大会まで計7回に、建築・彫刻・絵画・音楽・文学を種目とする「芸術競技」があった。1952年の第15回ヘルシンキ大会からは競技に代えて「芸術展示」が行われ、1992年の第25回バルセロナ大会からはカルチュラル・オリンピアードとしてより多彩な「文化プログラム」が催されている。この間に1964年の第18回東京大会では、「芸術展示」が組織委員会の主催で美術部門(古美術・近代美術・写真・スポーツ郵便切手)と芸能部門(歌舞伎・人形浄瑠璃・雅楽・能楽・古典舞踊邦楽・民俗芸能)の計10種目に規定され、また「現代日本美術展覧会」や「日本古美術展」など約30の催しがオリンピック協賛芸術展示として実施された。
 偽証の衝撃 (1)
 
 《1964年、東京オリンピック開催を機会に、国立近代美術館(東京)、石橋
  美術館(久留米)、国立近代美術館京都分館(京都)、愛知県文化会館
  美術館(名古屋)を巡回して開催された「現代国際陶芸展」では、日本で
  初めて世界各国の陶芸が一堂に集められ、展観されました。そしてそれ
  は当時「日本陶芸の敗北」と評されるほどの衝撃を、日本の陶芸界に与
  えました。(略) 本当に日本陶芸は敗北だったのでしょうか。「現代国際
  陶芸展」の検証とともに、戦後の日本陶芸に拓かれた新たな世界をとら
  えていきたいと思います。》 (「1964 証言 ― 現代国際陶芸展の衝撃」)
 
確かに1964年当時の「現代国際陶芸展」要項には、《この際、国立近代美術館および朝日新聞社では東京オリンピックの年を機会に「現代国際陶芸展」を開催し…》と記された。また、1940年の幻の東京五輪の海外告知ポスターを手掛けて1964年の東京五輪でも組織委員会に属していた原弘(1903-1986)が、「現代国際陶芸展」のポスターをデザインした。だが、この展覧会を主導した小山冨士夫(1900-1975)はその図録へ寄せた挨拶文にさえオリンピックに一語も言及していない。国立近代美術館では1964年10月1日から34日間にオリンピック東京大会芸術展示として「近代日本の名作」展が催されたが、これに先行して同館で同年8月22日から20日間に催された「現代国際陶芸展」はオリンピック協賛芸術展示ですらなかった。「東京2020参画プログラム」(公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会)に名を連ねる岐阜県現代陶芸美術館の企画展「1964 証言 ― 現代国際陶芸展の衝撃」は、「この年、もう一つのオリンピックがあった。」と謳う。これ自体が‘偽証’ではないのか? 観てみよう。
 偽証の衝撃 (2)
 
「1964 証言 ― 現代国際陶芸展の衝撃」 (岐阜県現代陶芸美術館)
 
 《…このたびの展観は世界の国々をまわり、一人一人の作家を訪れて、日
  本人の目で作品を選んだという点である。この点にこんどの展観の特徴
  があると同時に外国から見れば日本的な偏向があるかもしれない。(略)
  しかしこんど世界各国の陶芸家を歴訪して感じたことは果たして日本の
  陶芸が世界で最も優れているかどうかという反省である。》 (小山冨士夫
  /展覧会図録『現代国際陶芸展』 朝日新聞社:刊 1964)
 
 《なんのために、まただれのためにという目的的な創作思考が、お座敷で
  遊んでいる人達の嗜好に左右されているのではないかと、そんなにひど
  い疑いすらもちたくなるのです。》 (柳原義達 「日本陶芸の敗北 ―現代
  国際陶芸展をみて―」/『藝術新潮』178 新潮社:刊 1964)
 
もちろん、例えば柳原義達(1910-2004)が《私にはなんの興味もない》と酷評したルーチョ・フォンタナ(1899-1968)の陶板について、どれほど《大変な失敗》の作品だったのか、私にはそういう興味もある。だが、1963年か1964年に制作された陶芸品を観ること自体が、この企画展の面白味ではない。《世界の国々をまわり、一人一人の作家を訪れて、日本人の目で作品を選んだという点》、つまり勝手な蒐集を「現代国際陶芸展」と嘯いた小山冨士夫の器量が面白いのだ。そういう意味では、陶芸以外の豊富な資料をもっと駆使して《「現代国際陶芸展」の検証》をして欲しかったが、公立の‘陶芸’美術館での‘陶芸展・展’としては無理か?
 偽証の衝撃 (3)
ともあれ、偏向と反省を自認している事象に、その前提を忘れて「日本陶芸の敗北」か否かを論ずるほどバカバカしいことはない。《本当に日本陶芸は敗北だったのでしょうか》という問いかけは《なんのために》されて、「この年、もう一つのオリンピックがあった。」という謳いは《だれのために》あるのか、そう考えると《お座敷で遊んでいる人達の嗜好に左右されているのではないかと、そんなにひどい疑いすらもちたくなる》。1964年の「現代国際陶芸展」の衝撃は、オリンピアード競技大会などではなくて、相撲の興行で外国人力士の活躍に慌てるようなものである。「1964 証言 ― 現代国際陶芸展の衝撃」は、企画の着眼が良いだけにオリンピック云々で煽る‘偽証’の衝撃が愚かしくて惜しい展覧会だった。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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