第一波の大穴

ジャンル:映画 / テーマ:映画感想 / カテゴリ:観の記:映面 [2017年08月26日 23時30分]
ウィリアム・モールトン・マーストンによって1941年に生み出されたダイアナ・プリンスは、従軍看護婦になった後にブティックを経営する傍ら、1967年から1979年までリンダ・ハリソンやキャシー・リー・クロスビーやリンダ・カーターとして映画やTVドラマでワンダーウーマンを演じて、フェミニストSFのセカンドウェイブ(第2波)のアイコンとなった。2010年代にエイドリアンヌ・パリッキやガル・ガドットとして再びワンダーウーマンを演じたダイアナ・プリンスは、2016年10月に国際連合の名誉大使に任命されたが、僅か56日で解任された。フェミニストSFのサードウェイブ(第3波)のアイコンとして認められなかったダイアナ・プリンスは、2017年から時空を超えてフェミニストSFのファーストウェイブ(第1波)を探しに出かけた。それは自らが生み出された時代よりもさらに古い1910年代だった…
 第一波の大穴 (4)
 
 《ここで一つ興味深い映画史的事実を指摘しておこう。それは初期のアメリカ
  映画はそれほどまで女性嫌悪的ではなかったということである。 独立系の
  フィルムメーカーがエジソン社を中心とする東部の映画トラストの支配を逃
  れて大挙して西海岸のハリウッドに移ったのは一九一〇年代のことである
  が、その当時に製作されたアメリカ映画には、後年のハリウッド映画では
  見ることのできない映画形態が存在した。 それは女性主人公による連続
  冒険活劇である。(略) 代表的なのは、パール・ホワイト(Pearl White,
  1889-1938)の『ポーリーンの危機』(The Perils of Pauline,1914)の
  シリーズと、ヘレン・ホームズ(Helen Holmes,1893-1950)の『ヘレン
  の冒険』(The Hazards of Helen,1914)のシリーズである。 パール・
  ホワイトはそのスタントなしの捨て身のアクション(崖から落ち、落馬し、気
  球から飛び降りるなど)で評判を呼んだし、ホームズは「つねに意志が強く、
  独立し、才能豊かなヒロインを演じた。彼女は列車を追いかけ、飛び乗り、
  列車を停車させ、まるで男性の『ヒーロー』のようにまぶしげに眼を細めて
  みせたのである。」 しかしこのような女性主人公の活劇映画は二〇年代
  半ばで終わり、以後ハリウッド映画は西部劇全盛期に突入し、女性主人
  公はほぼ一掃される。》 (内田樹:著 『映画の構造分析 ハリウッド映画で
  学べる現代思想』 晶文社:刊 2003年)
 
第一次世界大戦の末期である1918年、ダイアナ・プリンスは女だけが住むパラダイス・アイランドを後にする。この《つねに意志が強く、独立し、才能豊かなヒロイン》に同道したアメリカ人スティーブ・トレバー(クリス・パイン:演)が《女性主人公による連続冒険活劇》を観ていたのかは不明だが、観ていたならばロンドンや西部戦線で大暴れするダイアナの姿はパール・ホワイトやヘレン・ホームズに重なったであろう。その頃のアメリカでは、ウィリアム・モールトン・マーストンとエリザベス・ホロウェイの夫妻が、夫はハーバード大学で妻はボストン大学で共に法学士を取得していた。幼馴染であった2人は既に3年前の1915年に結婚していたが、その後に嘘発見器の開発を進めた1920年代にはマーガレット・サンガーの姪であるオリーブ・バーンを同居の愛人とした。さらに、エリザベスとオリーブという妻妾をモデルにワンダーウーマンが生み出された1940年代には事務所の運営を担ったマージョリー・ウィルクス・ハントリーが通いの愛人として加わっていた。
 第一波の大穴 (1) 第一波の大穴 (2)
ここで一つ興味深い映画史的空想を指摘しておこう。フェミニストSFのファーストウェイブ(第1波)ともいえる《女性主人公の活劇映画は二〇年代半ばで終わり》、その後にウィリアム・モールトン・マーストンは妻妾同居のパラダイス・アイランド(?)で《それほどまで女性嫌悪的ではなかった》どころか好色で変態の嘘つき心理学者として暮らしたのである。ダイアナ・プリンスは、粘土から作られたのでもないしゼウスとの間に生まれた半神でもなかった。救うに値しない人間ウィリアム・モールトン・マーストンによって生み出された、その悪業から逃れるためにはダイアナ自らがその時代よりもさらに古い1910年代で大暴れするしかなかったのである。
 
 《アメリカの女性嫌悪は、「ニ十世紀アメリカの病」である。その事実から眼を
  そらして、アメリカ史全体に、西欧の歴史全体に、あるいは人類の歴史全
  体に根深くはびこった女性嫌悪に「責任を転嫁する」ことによって、むしろ
  アメリカの現代文化に猖獗する女性嫌悪が分析を免れているということは
  ないのだろうか。》 (内田樹 前掲書)
 
ここでもう一つ興味深い映画史的事実を指摘しておこう。それは主人公によって1910年代が回想された物語が本編にあり、それを挟んだ導入と結末が主人公自身の姿の記録で作られていること、映画『ワンダーウーマン』(2017)は『タイタニック』(1997)と同じ構成を持つということである。『タイタニック』を作ったジェームズ・キャメロンは『ワンダーウーマン』を女性美に偏った偶像化でありハリウッド映画の後退であると酷評し、『ワンダーウーマン』のパティ・ジェンキンス監督はワンダーウーマンが女性にとってどういう存在で何を象徴しているのか男であるキャメロンには理解できないと反論した。これらは、いずれの立場でも《アメリカの現代文化に猖獗する女性嫌悪》を無自覚に表出している。キャメロンの『タイタニック』とジェンキンスの『ワンダーウーマン』、同じ構成をもつ2つの映画が示しているのは、フェミニストSFのサードウェイブ(第3波)の時代から《それほどまで女性嫌悪的ではなかった》ファーストウェイブ(第1波)の時代へと物語を照射し回想することで《分析を免れ》ようとしているということではないだろうか? だが、嘘発見器などで分析するまでもなく、また、真実の投げ縄で告白させるまでもない、その《責任を転嫁する》癖はハリウッド映画の病であり「ニ十世紀アメリカの病」である。
 
『ワンダーウーマン』(Wonder Woman) 観賞後記
 
 第一波の大穴 (3)
第一波(ファーストウェイブ)の‘大穴’スーパーヒロイン「ワンダーウーマン」、かっこいい! アメコミ映画に見るアメリカのセルフイメージは、これでいいのか? アメリカは、これでいいのか? 私は、ガル・ガドットの『ワンダーウーマン』が観られるならば、それでいい。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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