コーヒーが映す後退戦

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年07月02日 05時00分]
今2017年も半夏生を迎えた。感興のおもむくままに私の雑念を述べて、「暑中見舞」に代える。例えば、臼井隆一郎は《戦争が総力戦の段階に入った歴史的時点で、戦時と平時が明快な区別線をもたなくなった》と言い、内田樹は《日本はこれから長期にわたる「後退戦」を戦わなければならない》と言う。
 
 《戦争が総力戦の段階に入った歴史的時点で、戦時と平時が明快な区別
  線をもたなくなった。コーヒーを飲みたいという個人的な欲求が国民的
  欲求となり、それが国民的欲動となって植民地獲得の動きと化し、つい
  には世界総力戦に入り込む。そうなれば、一杯のコーヒーさえ飲めれ
  ば世界などどうなっても構わぬと考えていた人間が、どのような世界に
  入り込んで苦しむことになるかの典型例をドイツ史が示していると思わ
  れるのである。そして、そのドイツを見続けていると、その回りにアラビ
  アやアフリカの国々が蝟集し、ついにはユーラシア大陸を貫いて極東ア
  ジアや日本をコーヒー色に染め上げる筈である。》 (臼井隆一郎 『アウ
  シュヴィッツのコーヒー コーヒーが映す総力戦の世界』/石風社:刊
  2016年)
 コーヒーが映す後退戦 (1)
 《日本ははっきり末期的局面にある。これから急激な人口減を迎え、生産
  年齢人口が激減し、経済活動は活気を失い、国際社会におけるプレゼ
  ンスも衰える。日本はこれから長期にわたる「後退戦」を戦わなければ
  ならない。後退戦の要諦は、ひとりも脱落させず、仲間を守り、手持ち
  の有限の資源をできるだけ温存して、次世代に手渡すことにある。(略)
  後退戦の戦い方を私たちは知らない。経験がないからだ。けれども、困
  難な状況を生き延び、手持ちの資源を少しでも損なうことなく次世代の
  日本人に伝えるという仕事について私たちは好き嫌いを言える立場に
  はない。》 (内田樹 「まず米「属国」直視から」/『神奈川新聞』 憲法特
  集 2017年5月3日)
 
日本に限らず人類社会全体が《はっきり末期的局面にある》、と私は思う。人類は《これから長期にわたる「後退戦」を戦わなければならない》のだろうか? 人類社会が「後退戦」の段階に入った歴史的時点で、一杯のコーヒーさえ飲めれば世界などどうなっても構わぬと考える人間は、どのような世界に入り込んで苦しむことになるのか? 半夏生の前日、《なぜこんなに人を引きつけるのか。そこから何が見えるのか》を問う「一杯のコーヒーから始まる話」(『中日新聞』・『東京新聞』 考える広場 2017年7月1日)に臼井隆一郎の言説が載った。
 コーヒーが映す後退戦 (2)
 《そういったさまざまなエネルギーが生まれて、その機能がコーヒーハウス
  から飛び出し、国家組織化されて近代市民社会は形成されていきます。
  しかし、日本の喫茶店にはそういったエネルギーは感じないですね。隣
  の人に話し掛けたり、いきなり演説したりしたら、変なヤツに思われちゃ
  う。そもそも、日本の近代化自体が外国のものを取り入れて成り立って
  いますから、エネルギーが生まれる余地はなかったかもしれません。
  (略) 欧州とイスラム世界は今、敵対するような格好をとっています。そ
  もそも、欧州のルネサンス自体がイスラムの古代知識によっています
  から、近代的な欧州とアラビア世界は、私は一つの文化帯のはずだと
  思っています。シリア難民でもめているのも、非常に皮肉な時代です。
  そういう時代だからこそ、私たちはコーヒーとカフェの歴史をあらためて、
  最初から見直す必要もあると思うのです。》 (臼井隆一郎 「欧州、イス
  ラムの共作」/聞き手:秋田佐和子)
 
「一杯のコーヒーから始まる話」は、《そこから何が見えるのか》? 人間の根本的な‘アヤシサ’を問い続ける臼井隆一郎は、《近代的な欧州とアラビア世界は、私は一つの文化帯のはず》と言う。それは、《欧州のルネサンス自体がイスラムの古代知識によっています》に加えて、いわゆる‘総力戦’の時代へ下っても示されよう。アラビア世界で嗜好がコーヒーから紅茶へと遷移したこと自体が、近代的な欧州の帝国主義によっているのだから。コーヒーの歴史において先行したイスラムは、コーヒー飲用の「後退戦」においても先行している。そうした《非常に皮肉な時代》においてコーヒーも《はっきり末期的局面にある》、と私は思う。コーヒーの世界は《これから長期にわたる「後退戦」を戦わなければならない》のだろう。コーヒーの世界でも《後退戦の戦い方を私たちは知らない》。そう、《私たちはコーヒーとカフェの歴史をあらためて、最初から見直す必要もある》のだ。 けれども、人類社会が「後退戦」の段階に入った歴史的時点においても、手持ちのコーヒーを少しでも損なうことなく次世代の人類に伝えることについて、私は好き嫌いを言える立場でありたい。一杯のコーヒーさえ飲めれば世界などどうなっても構わぬと考える人間は、どのような世界に入り込んで苦しむことになるのか?
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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