わたしの人生の物語

ジャンル:映画 / テーマ:映画感想 / カテゴリ:観の記:映面 [2017年05月25日 05時30分]
その映画鑑賞の誘因は、たぶん、わたしの人生で二番目に些細な予告編だった。一番は、もちろん、SF界の窓ぎわのテッド・チャンによる小説が原作ということになるでしょう。その時点では、わたしはせいぜいが年に一度かそこらSF映画を観る程度になってて。それでも、その映画を観るまえ、わたしが最初にするのは「あなたの人生の物語」を読み返すことなんだけど。 わたしは映画を鑑賞したあとに車を走らせ、長い沈黙の道のりをすごすことになる。死体保管場所みたいなアカデミー賞に作曲賞の選考から外された映画は、どこもかしこもマックス・リヒターとヨハン・ヨハンソンでできていて、エピクロスの低いうなりと反戦デモの臭気がしているミニマル音楽が心に浮かぶ。映画は原作と違ってバリン(あるいはアボットまたはフラッパー)とボリン(あるいはコステロまたはラズベリー)を地上すれすれまで降下させて、宇宙船の姿をさらして見せる。宇宙船の姿はどこかしらラトルバックみたいだけど、それがばかうけであることはちゃんとわかる。 「はい、ばかうけです」とわたしは言う。「ベフコのばかうけ」 その時点で、栗山米菓は創業七十周年になっているでしょう。
 わたしの人生の物語 (1) わたしの人生の物語 (2)
 
『メッセージ』(Arrival) 観賞後記
 
 《フランス系カナダ人のヴィルヌーヴ監督は「(アメリカ人脚本家の)エリッ
  ク・ハイセラーこそが、本作のドラマの構造を見つけた人物です。政治
  的・軍事的なコンテクストというのは原作にはありませんでしたから」と
  ハイセラーの仕事ぶりを称賛する。しかし、それによって映画的なダイ
  ナミックさが生まれた一方で「ちょっと行き過ぎてしまった」と感じもした
  といい、原作にある“言語の力”をちゃんと描こうと提案して二人で脚本
  を推敲していったという。》 (市川遥 「宇宙人と言語学者の対話描く『メ
  ッセージ』の美はこうして生まれた…ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が明かす
  裏側」/Webサイト「シネマトゥデイ」 2017年5月19日)
 わたしの人生の物語 (3)
 《活動的なタイプの人間は星への冒険を夢みるのを好み、書斎型の人間
  は他の星からの冒険者がわれわれのすぐ近くに出没しているという想
  像に心ひかれる。(略)彼らの地球訪問の理由はいろいろだが、人間か
  ら見れば理由は何であれ、何者とも知れぬ者に来られるのは不愉快な
  ことだ。(略) それはとにかくとして、これらの物語で駆使された想像力
  に少しでも敬意を払うなら、宇宙にいるのは人類だけではないことは受
  け入れないわけにはいかない。人類が、すべての創造物の頂点である
  か否かをここで論ずる余裕はないが、宇宙では唯一の知的生命体かと
  問われれば、ノーと答えざるをえない。》 (「編者まえがき」/グルフ・コ
  ンクリン選のSFアンソロジー 『地球への侵入者』 朝日ソノラマ:刊 19
  84年)
 わたしの人生の物語 (4)
そう、《理由は何であれ、何者とも知れぬ者に来られるのは不愉快なこと》ではあるが、エリック・ハイセラーのタイプの人間は《人類が、すべての創造物の頂点である》と信じているので、「何しに来やがった、コノヤロー」という文脈をつなげて物語る。映画『メッセージ』は、原作の詩情をかなり損ねているが、それは映像や演技によるものではない。エイリアンの正体がヘプタポッドだろうがテトラポッドだろうが関係ないし、トラルファマドール星人でもメトロン星人でも代替がきく。物理学者イアン・ドネリーを演じたのが「そして殺すおじさん」(ジェレミー・レナー)だから娘の死因が捻じ曲がった、というわけでもない。小器用な監督のドゥニ・ヴィルヌーヴでさえも意に染まなかった《政治的・軍事的なコンテクスト》、それが《ちょっと行き過ぎてしまった》まま‘Arrival’(出生)した映画が『メッセージ』である。それはとにかくとして、原作「あなたの人生の物語」(Story of Your Life)で駆使された想像力に少しでも敬意を払うなら、‘非ゼロ和’(non zero sum)に結束する人類の未来を3000年後まで受け入れるわけにはいかない。
 
 《「もしも我々が幸運であれば、人類はこの水爆のひしめきあう世界のな
  かでも数世紀はながらえていけるだろう」とフリーマン・ダイソンは書い
  ている。「しかし私の信ずるところを言えば、この惑星にへばりついてい
  る以上、人類が一万年も生き残ることはほとんどあるまい。》 (ケネス・
  ブラウワー 『宇宙船とカヌー』 JICC出版局:刊 1984年)
 わたしの人生の物語 (5)
人類が変分原理に則って最短経路で滅びるか否かをここで論ずる余裕はないが、『メッセージ』が知的映像作品かと問われれば、ノーと答えざるをえない。しかし、映画を観たあとに円相のような表義文字(semagram)で「人類滅亡」を描きながら私の信ずるところを言えば、『メッセージ』が時勢に足をすくわれたところを数えても人類が一万年も生き残ることはほとんどあるまい。何本足の生命体であろうが、次元の対蹠点(antipodal point)を見出しても《言語の力》が思考の習性を決することはない…これが、「わたしの人生の物語」だ。
 
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鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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