ほぼブラジル

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年05月03日 01時00分]
2017年4月30日、日本政府が海外における広報拠点と位置づける「ジャパン・ハウス」第一号の開館式がブラジル連邦共和国のサンパウロで催された。その2日前、コーヒー栽培を担った日本人の「ブラジル移民住宅」の保存修理工事竣工記念の式典が「博物館 明治村」で開かれた。
 
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 「ブラジル移民住宅を再生 明治村で修理完了式典」
 《犬山市内山の博物館明治村は二十八日、展示施設「ブラジル移民住
  宅」の修理完了を祝う式典を開いた。 長野県小島田村(現・長野市小
  島田町)から海を渡りコーヒー栽培に打ち込んだ夫妻が、サンパウロ
  州の原始林を開拓して一九一九年に建てた。硬い現地材やスペイン
  瓦を使いブラジルの風土に合わせた開放的な構造だが、入植者の日
  本人大工や左官職人が継ぎ手や壁などに和風建築の技術を発揮し
  ている。 七五年に明治村に移築され、経年劣化したため一昨年末か
  ら初めて大掛かりに修理してきた。瓦をふき替え、壁の一部を取り除
  いて屋根の簡素な構造を見られるようにした。 四月二十八日は、一
  九〇八年に神戸港からブラジルへ最初の移民船が出港した記念日。
  完成式にはアルナウド・カイシェ・ドリベイラ在名古屋ブラジル総領事
  が出席し、「この住宅はブラジルに日本の人々が持ち込んだ称賛に
  値する技術の結晶。移民した先駆者たちが、より良い世界のために
  働くという精神で何を行ったかを知ることができる」と述べた。(三田村
  泰和)》 (「中日新聞」愛知県県内版 2017年4月30日)
 
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2017年5月2日、私は「博物館 明治村」を訪れた。「移民を載せてブラジルへ進航していた明治41(1908)年の笠戸丸に思いを馳せるべきなのか? どうも違うような気がする」と呟きながら、村内4丁目の「ブラジル移民住宅」へ向かう。
 
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まず、1階を見学。相変わらず笠戸丸の模型と説明が幅をきかせている。「明治村」の目的が《明治時代の各種資料を収集保管して、広く一般に展示、公開する》(公益財団法人明治村定款)ことである限りは、大正8(1919)年に建てられた住宅だけでは恰好がつかないのだろう。《1917年 政府により海外興業株式会社設立》というパネル(ブラジルへの移民数の推移)の一言こそが、この「ブラジル移民住宅」に繫がるコンテクスト(脈絡)の要であるが、それは全く説かれていない。
 
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次に、2階を見学。コーヒー農園で使用された用具の展示に加えて、この建物自体の修理にともなって材料や技法が掲げられたことは面白いが、今般の私の関心は別にある。《ブラジルでは木造の本格的な家屋はめずらしく、ノミやカンナなどの大工道具の刃が折れても新しいものが手に入りませんでした》というパネル(寄贈者 久保田夫妻とこの建物について)の一言こそが、この「ブラジル移民住宅」に繫がるコンテクスト(脈絡)の要であるが、それは全く説かれていない。
 
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 《私達は結婚直後の大正六年に、長野県から、このブラジルへ移住して
  参りました。その時の私は二十三才、妻が十七才、そして、この家は
  渡伯三年目に建てられました。レジストロは、サンパウロ市や我々が
  上陸しました移民港サントスから二〇〇粁ほど離れた奥地です。最初
  の一、二年は西も東もわからない外国のことでしたので、食べていくだ
  けでも精一杯でした。その内、長男が生れ、どうやら此の地に根を下し
  て生活出来る見通しがついて来ましたので、この家を建てる決心をし
  ました。》 (「ブラジル移民住宅」内展示パネル「久保田夫妻からのメッ
  セージ」)
 
久保田安雄氏が1919(大正8)年に《この家を建てる決心》をした理由は、もう一つあったと私は臆測する。
1908(明治41)年の笠戸丸によるブラジルへの‘デカセギ’移民は失敗だった。だが、同年にアメリカ合衆国と(日露戦争以後に増加した北米への移民を自粛する)「紳士協定」を結んだ日本政府は、移民政策を南米へと推し進めるしかなかった。1913(大正2)年に‘永住’移民の嚆矢としてサンパウロ州にイグアッペ植民地を開設したが、翌1914(大正3)年にサンパウロ州政府が渡航費補助を中止して移民は中断された。しかし、第一次世界大戦の勃発によってヨーロッパからの移民をコーヒー栽培の担い手として失ったサンパウロ州政府は、1916(大正5)年に渡航費復活を伯剌西爾移民組合と約した。これにより、1917(大正6)年に3隻(若狭丸・河内丸・しゃとる丸)の移民船がサントス港に入り、イグアッペ植民地、中でもレジストロへの直来入植が本格的に始まった。この計521家族2156人の移民の中に久保田夫妻がいた。同年に移民会社を統合して《政府により海外興業株式会社設立》がなされた。1919(大正8)年には海外興業株式会社(海興)が(レジストロへの入植を主導した)伯剌西爾拓植会社を併合して、移民事業を国策企業として独占することになった。既にレジストロへ入植していた久保田夫妻らは、先鞭の永住者としての姿を後続の移民者にみせることが強いられたのではないか? 《ブラジルでは木造の本格的な家屋はめずらしく》ある久保田安雄氏の「ブラジル移民住宅」は、政争と戦争の余波によって、移民事業の営利化・国策化が顕現したからこそ、正に1919(大正8)年に確とレジストロに《この家を建てる決心》をさせられた、そう私は想察する。
「博物館 明治村」が「ブラジル移民住宅」で説くべきは、笠戸丸ではなくて河内丸であり、その経緯を繋げたコンテクスト(脈絡)であろう。少なくとも、《ブラジル移民にとって笠戸丸は忘れられない船であり、移民史の基点として「笠戸丸以来何年」というように、現在でもその名が使われています》などという、稚拙な俗解を掲げ続けるべきではない。レジストロを中核とするイグアッペ植民地は、後年にコーヒーよりも紅茶の栽培が盛んになり、ブラジルのコーヒー史で大きく取り上げられることはない。だが、いや、だからこそレジストロから移設された「ブラジル移民住宅」こそが、日本からの移民によるコーヒー史としての「ジャパン・ハウス」第一号であるべきなのだ。1917(大正6)年にブラジルへの‘永住’移民が始まってから100周年を迎えた今2017年、ここにこそ《ブラジル移民住宅を再生》した意義を感ずる。
 
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「博物館 明治村」からの帰途、ブラジルの食材店に寄った。帰宅後に、ガラナ・アンタルチカを飲みながら煮込んだフェイジョアーダを米飯にぶっかけて食べ、カフェ・ジーニョを喫しながらゴイアバーダとケージョ・ミナスで作ったロミオとジュリエットを楽しんだ…私には、「ほぼブラジル」の日だった。
 
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コメント

No title
嶋中労 URL [2017年05月09日 09時06分]

♬沖を通るは 笠戸丸
 わたしゃ涙で ニシン曇りの 空を見る

ボクの愛唱歌『石狩挽歌』の一節。懐かしい「笠戸丸」
が出てきます。貨客船でもあり漁業でも活躍、最後はソ連の手で爆沈させられた。

♬オンボロロ オンボロボロロ……
ところで、ほぼほぼ・ブラジルじゃないボボ・ブラジルって、女陰(ボボ)ちゃんという名前なんだね。人気があったわけだ(笑)。
 

to:嶋中労さん
帰山人 URL [2017年05月09日 12時52分]

労師、《最後はソ連の手で爆沈させられた》笠戸丸の数奇な船歴については、私とは史観が合わないでしょうなぁ。旅順港で病院船として沈座したロシア海軍船カザンをジュネーブ条約違反ではないと詭弁を弄して日本が強奪したのが笠戸丸。後にスターリンが瀑沈させて「日露戦争の仇をとった」と歓喜したのは当然のこと。笠戸丸の船歴は、戦前の日本国がロスケ同様いかにゴロツキ近代国家だったのかを示しています。
日本人のブラジル移民船に関しても、笠戸丸ばかりよりも「土佐丸事件」に目を向けるべき。その土佐丸に関しても、船歴を遡ると日英通商航海条約の調印前月に日本郵船へ格安で譲られている。こうした政治的な背景あってのコーヒー移民史なのに、コーヒー業界の連中はバカとアキメクラばかりで何も語らない。この辺の話は、先般に臼井隆一郎氏へ講義をしたところです。
 
ちなみにBobo(ボボ)は、ブラジル俗語で愚か(バカ)の意。「ほぼブラジル」は、薄らバカくらい?(笑)

No title
嶋中労 URL [2017年05月09日 14時39分]

帰山人様
へ~え、知らなかった。笠戸丸はロシアの船だったのか。
史観が合わないどころか、ほぼほぼ合いますですよ。
それにしても閣下は物知りですな。ボクなんか足元にも及びませんよ。これからはボボ(ブラジル俗語のほう)・シマナカと呼んでください。

to2:嶋中労さん
帰山人 URL [2017年05月09日 18時11分]

ボボ労師、ブラジルのコーヒーと移民の歴史は面白いです。但し、笠戸丸と水野龍とパウリスタと勝ち組負け組と蒼氓とハルとナツ…これらを全て忌詞にした時に本当の面白さがある。例えば、「ニッケイ新聞」に連載された深沢正雪(現:編集長)の「日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年」とかは素晴らしい記事です。
http://www.nikkeyshimbun.jp/2013/130622-61colonia.html
レジストロから明治村へ移設されている「ブラジル移民住宅」を訪ねる前に、改めて深沢氏の記事100話以上を再読しました。ボボでも学べば物は知れます。

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Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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