迷骨スーダラ

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2017年02月20日 05時30分]
展覧会のチラシに曰く、《平成29年は、三重県出身の昭和を代表するスター植木等の生誕90年、没後10年という節目の年にあたります。(略)一流のミュージシャンであり、映画「無責任男」で一世を風靡した喜劇俳優でもあった彼の活躍を回顧するとともに、映画やテレビでは決して見ることのできなかった素顔の植木等にも迫ります》…テナコト言われてその気になって MieMu(みえむ)とよばれる会場へ 音の鳴る詞があるじゃなし 講演録は序の口で インタビュー聴き座り込み 見入ったあげくが ハイそれまでョ フザケヤガッテ フザケヤガッテ フザケヤガッテ コノヤロー!
 迷骨スーダラ (1) 迷骨スーダラ (2)
 
「植木等と昭和の時代」 (三重県立総合博物館)
 
 《植木等だけ、出てこないのである。じりじりしているうちに、ゆっくり、
  客席の入りを眺めながら、階段をおりてくる。色悪というか、遊び人
  というか、そういうタイプで、女から血をしぼりとっている男としか見
  えなかった。容貌も、たいへん通俗的な二枚目である。(略)〈クレー
  ジー・キャッツ〉が本当にスターになるのは、三十六年秋からだが、
  私はすでにこの珍バンドに熱中していた。(略)一杯八十円(だった
  と思う)のコーヒーは、失業保険で生きている男にはつらかったが、
  そんなことも、まあどうでもよかった。(略)のちに、植木等にきくと、
  植木が必ず遅れて現れたのは、舞台のベルが鳴ると手洗いにゆく
  くせがあり、そのために遅れたということで、不敵なウス笑いと見え
  たのは、実はテレていたらしい。だが、そのヤクザっぽいムードは、
  いまの植木等からは想像すべくもなく、のちに〈無責任〉というイメー
  ジができる下地は十分にあった。(略)
  こういった人物の総仕上げが、『ニッポン無責任時代』(三十七年
  七月二十九日封切)であった。(略)それは、一歩ふみ出せば、マッ
  カーサー司令部によって温存された天皇の戦争責任と、天皇が責
  任をとらなかったために始まった、だれにも責任がないフシギな国
  のあり方へのメスとなったかもしれない。(略)
  植木等は実生活では陽気によく笑ったが、苦しんでもいた。もともと
  古風な性格の彼に、ドライな役を演じさせるためには、わるのりを
  納得させる必要があった。いったん納得すると、無類に明るく、やや
  ニヒルな彼の個性はケンランと輝いた。(略)戦中派である彼の心
  情と役柄(ドライ人間)のギャップは一作ごとに大きくなっていった。
  植木等さえ出れば商売は安全、というひどい作り方に、もっとも苦
  しんだのは植木本人だったと思う。(略)昭和四十年七月、東京宝
  塚劇場で上演されたクレージー・キャッツ結成十周年記念公演──
  ここまでが、クレージー全盛時代であったという記憶が私にはある。
  (略) 戦後の混乱から高度成長期にかけて大衆に迎えられたのは、
  悪(ピカロ)を演じた初期の森繁、初期のフランキー堺、初期の植木
  等であった。こつこつやる奴ぁご苦労さん!──と歌いながら、植木
  等が走り抜けて行ったあとに残されたのは、高度成長以後の、飢
  えの感覚を知らず、とはいえ、俄か成金の悲しさで、豊かさの中で
  のたのしみの見つけ方、ハングリーでなくなった時の文化のありよ
  うがわからずに、呆然としている大衆であった。》
  (小林信彦 『日本の喜劇人』 新潮社:刊 1982年/中原弓彦名義
   の原著を増補した定本版にさらに加筆修正)
 
 迷骨スーダラ (3) 迷骨スーダラ (4)
三重県立総合博物館の企画展第14弾「植木等と昭和の時代」は、《其れは去年の事だった 星のきれいな宵だった ウソツケ》と植木等が落書きした「小さな喫茶店」のスコアなど面白い品々が陳列されていたし、植木等を語る稲垣次郎や砂田実や小松政夫のインタビュー映像なども聞き応えがあった。だが、星野源による《実は物静かな、内気で真面目な方だということがわかりました》などというたいへん通俗的な解釈は腹立たしかった…それは寄稿の事だった 星野きれいな酔いだった ウソツケ。
 
 《…この円熟期のポスターが、映画「無責任シリーズ」の頃と大きく異
  なる点は、日本たばこ産業株式会社のポスターに代表されるよう
  に、「無責任」から一転して、植木等が「無責任」を否定し、「責任」
  ある行動を促すという内容になっていることです。これは、ポスター
  を見るユーザー側が、既に植木等が「無責任男」ではないことを
  理解している表れなのではないでしょうか。》
  (「植木等と昭和の時代」 第4章 円熟する新たな魅力 解説)
 
 《高度な科学技術の進歩、物質文明の繁栄は、どんどん自然を破壊
  して居る。地球的規模で環境破壊が進んで居る。此れは矢張り人
  間の精神をどこかで荒廃させて居る。残酷な事件が起きるのは精
  神の荒廃の表れだと思う。》
  (植木等/岡山大学三朝医療センター吸入日課表メモ)
 
この展覧会の訴えが大きく間違っている点は、《既に植木等が「無責任男」ではないこと》が植木等の実相ではなくて、《クレージー全盛時代》以後の《呆然としている大衆》の視点の変節を示している、そこを理解していないことである。《だれにも責任がないフシギな国のあり方》の中で苦しんだ植木等は、その後も真面目に無責任だった。わかっちゃいるけど やめられない…そうした理解を促すという内容になっていない展覧会は、本当に無責任であり《精神の荒廃の表れだと思う》。
 迷骨スーダラ (5) 迷骨スーダラ (6)
「植木等と昭和の時代」は、植木等の父である植木徹誠(俗名:徹之助/1895-1978)の誕辰、生まれて122年後の1月21日に奇しくも始まった。そして、私が訪ねたのは徹誠の祥月命日、死んで40回忌となる2月19日だった。企画展の展示でもっとも好かったのは植木徹誠の書、その揮毫には「迷骨」の落款があった。「人間は骨になっても迷うほど俗なものだということらしい」(藤元康史ブログ 「植木等考 およみでない?」)…人生で大事なことは タイミングにC調に無責任 とかくこの世は無責任 迷骨なる奴ァごくろうさん!
 
 迷骨スーダラ (7)
植木徹誠と植木等、支離滅裂な父子の心情と役柄を探る旅、「迷骨スーダラ」とでも名付けようか? それはまだ始まったばかりだ。帰途に買った蜂蜜まんを食べながら、栗谷の常念寺(聞徳寺/聞得山常念寺)や朝熊の三宝寺などを訪ねたいと思った…そのうちなんとか なァるだァろォ~。
 
コメント (0) /  トラックバック (0)

コメント

この記事にコメントする

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://kisanjin.blog73.fc2.com/tb.php/1004-8bb5cef0
編集

kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

04 ≪│2017/05│≫ 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
Powered by / © Copyright 帰山人の珈琲漫考 all rights reserved. / Template by IkemenHaizin