珈琲駄物

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:日本珈琲狂会 [2017年02月06日 01時00分]
日本珈琲狂会(Coffee Lunatic Club of Japan:略称CLCJ)は、2010年の2月6日に生まれた。創設7周年を迎えた今般、改めてコーヒーを想う。
 
 珈琲駄物 (1)
いったいコーヒー屋やコーヒーマニアが「たかがコーヒー」と言ったならば要注意だ。必ず後に「されどコーヒー」と続けるからだ。持ち上げたければ端(はな)から素直に頭上に掲げればよいのに、「コーヒーなんてとるに足りない」と一度地に落としてから「しかしながら」と拾い上げてみせる驕慢。一度や二度聞かされるくらいは我慢するが、濫用されると面白くもなんともない。芸が薄っぺらな連中のコーヒーは、香味も薄っぺらい。日本珈琲狂会はこう言う…「たかがコーヒー、たかがコーヒー」。
 
 珈琲駄物 (2)
いったいコーヒー屋やコーヒーマニアが「ミルクや砂糖はご自由に」と言ったならば要注意だ。必ず後に「良いコーヒーはブラックで味わえ」と続けるからだ。「お好みでどうぞ」と言われても、ミルクや砂糖を入れる者は邪道の辱めを懼(おそ)れ続ける。口では自由を唱えておきながら本意は違う、その余計を重ねる不自由さが実に腹立たしい。舌先と腹の中が異なる連中のコーヒーは、舌が痺れて腹を壊す。日本珈琲狂会はこう言う…「コーヒーをシュガーポットにぶちこんで、ミルクをおかわりしろ」。
 
 珈琲駄物 (3)
いったいコーヒー屋やコーヒーマニアが「美味(おい)しさの7割は生豆で決まる」と言ったならば要注意だ。必ず後に「焙煎や抽出にも手は抜けない」と続けるからだ。「生豆7割・焙煎2割・抽出1割」などと得意気に語る者のコーヒーが不味(まず)かったならば、「この不味さはどの段階が何割で不味いのか?」と訊いてやれ。菅原文太は蕎麦の味の良し悪しを「素材四分に人柄六分」と言っていた(季刊『新そば』97号/『そばと私』 文春文庫に収載)。コーヒーの香味の良し悪しを割や百分率で言い表す者は、人柄が理(わり)無い。日本珈琲狂会はこう言う…「美味しさは素材と技術と人柄を乗法(掛け算)した積で決まる」。
 
 珈琲駄物 (4) 珈琲駄物 (5)
コーヒーは嗜好品である。コーヒーという嗜好品は「世界」を彩る「趣向」の存在で、その実相は駄物である。「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」と相田みつをは書いたが、面白くもなんともない。日本珈琲狂会の主宰である鳥目散帰山人は、創設から8年目を迎えた今般、濃く淹れたコーヒーを混ぜた墨でこう書く…「苦くたってええぢゃないか 珈琲駄物(コーヒーだもの)」。
 
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コメント

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しまなかろう URL [2017年02月10日 08時53分]

帰山人様
さすが〝コーヒー業界の狂犬〟と呼ばれている閣下、つむじ曲がりは相変わらずです。が、理非曲直を明らかにせんとする姿勢には頭が下がります。たしかに、この業界には根拠のないつまらない通説がはびこっているのは事実。そうした通説はある種の免罪符でありオマジナイなんですね。そんな軽忽な輩に対して「利いた風なことを抜かすな!」と狂犬が咬みつく。それもユーモアをもって。「咬みついたっていいぢゃないか、帰山人駄物」

to:しまなかろうさん
帰山人 URL [2017年02月10日 12時06分]

労師、昔日に業界の某氏が私にこんなことを言いました…「帰山人は辛口でもボクを応援してくれているんだよね」と。「あん? そりゃ正しいコトを言っている限りはな。ダメなもんはダメだ」と返したら、逸らした目に怯えた色が見えました。 ‘give a sop to Cerberus’という言葉がありますが、ケルベロス帰山人の咬みつきを黙らせるのは美味しい珈琲だけであります。駄物上等。

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Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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