センス・オブ・ワンダー

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2016 [2016年02月21日 01時00分]
「科学をあなたのポケットに」という謳い通りに、小学生から中学生の頃の私は講談社「ブルーバックス」の愛読者だった。育った田舎の小さな書店で『不確定性原理』(都筑卓司:著/B155/1970年)の取り寄せを頼んだ時には、顔見知りの店員に「まぁ、不確定な性原理なんてイヤラシイ本も読むの?ませてるわね」などと誤解されて閉口したが、それらの「ブルーバックス」が放つ‘センス・オブ・ワンダー’にエロ本以上の興奮を感じていた。高校生の頃には「ブルーバックス」から離れてしまい、その後は『チョコレートの科学』(蜂屋巖:著/B940/1992年)しか読んでいなかったが…刊行順で約千冊ぶりに必読の「ブルーバックス」が2016年2月19日に出た。コーヒー本が「ブルーバックス」で…もうそれだけで感涙!
 科学から見たコーヒーの世界 (1)
 
『コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか』 (旦部幸博:著/B1956/講談社:刊)
 
 科学から見たコーヒーの世界 (2)
『コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか』は、《…自然科学のさまざまな専門分野の最新論文に基づく知見を踏まえて、いろんな角度から「科学の視点で見たコーヒー」とその魅力》(第1章 p.15)の本である。大東亜戦争後の約70年間、日本におけるコーヒー研究の本は、井上誠氏(1898-1985)と伊藤博氏(1930-2004)の著作を焼き直したようなものばかりであり、両氏の著作を超える内容のコーヒー本は僅かであった。例えば、この「井上&伊藤」時代の呪縛を解いた存在として、『田口護の珈琲大全』(NHK出版:刊/2003年)を著した田口護氏や『コーヒー「こつ」の科学 コーヒーを正しく知るために』(柴田書店:刊/2008年)を著した石脇智広氏らを挙げられるが、彼らの芯はその立ち位置通りにコーヒー業界内にある。他方で、コーヒー業界外の日本人の著述としては、人文科学の分野で臼井隆一郎氏が『コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液』(中央公論社:刊/1992年)を著しているが、この新書判の名著に比肩しうる《科学の視点で見たコーヒー》の本、それも自然科学の知見を呑み込んでコーヒー全般を概括した本は誰も書いていなかった。いや、それは旦部幸博氏にしかできない快事であった、と言ってよいだろう。《科学の視点で見たコーヒー》研究の本はどこで生まれるのかを考えた時、《「旦部君はブルーバックスで一冊書くべきだ」》(おわりに p.308)という嶋中労氏の勧説は実に当を得たものである。日本におけるコーヒー研究の本として、そして国内外を問わず類を見ないコーヒー全般の概説として、『コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか』は史上に画期をなすものである。
 
 科学から見たコーヒーの世界 (3)
さて、《あなたにとってコーヒーとはなんですか?》(第1章 p.14/おわりに p.307)という旦部さんの問いかけに加えて、私は「あなたにとって『コーヒーの科学』という本はなんですか?」と問うてみよう。「この本がコーヒー探究のはじまり」「コーヒー愛好のお供」という答えから、「僕にとってはバイブルです」と答える信奉者、「私にはちょっと難しすぎて……」という及び腰な人。中には「科学者の本はそれ以外の何物でもない」という何だか僻んだような回答まで、じつにいろんな答えが想像できる。旦部さんには気の毒で失礼な物言いになるが、「私の最も好きなコーヒーの本です」という声は(意外にも?)少ないかもしれないが、「私にとって『コーヒーの科学』は最も有益で有用なコーヒーの本です」とは捉えてほしい、と私は思う。
 
 《人間の意志を支配する不確定要素は未だに解かれていないものであるが、
  謎は謎のまま包合するとしても、ものごとの推移は人間だけがもつ特徴的
  な要素によって選択的におこなわれているとするならば……新しいものが、
  ただ新しいということのほかにどんな価値をもつものか、その検討は粗雑
  であってはなるまい。》 (都筑卓司 『不確定性原理 運命への挑戦』)
 
「ブルーバックス」から「ブルーバックス」へ、この都筑さんが遺した跋語を旦部さんの『コーヒーの科学』に照合すると、旦部さんの『コーヒーの科学』に何が足りないのか、いや、(おそらくは、あえて、まだ)何を書かなかったのか、が見えてくる。《それは「コーヒーとはなんだろう」という根本的な、そして考えるほどに判らなくなる哲学的な疑問》(おわりに p.307)に対する旦部さん自身の回答である。かつて旦部さんは、《焙煎についても「大統一理論」的に説明可能な基礎理論を組み立てていく》という目標を掲げていたが、焙煎に限らず「コーヒーとはなんだろう」という根本的な疑問への模索の取り掛かりを宣言した段階が、今般に上梓した『コーヒーの科学』であろう。それは、《科学から見たコーヒーの世界》(おわりに p.307)の‘大統一理論’(GUT)へとつながり、さらにその先で「コーヒーとはなんだろう」という存在論を包合したコーヒーの‘超大統一理論’(SUT)に挑む宣言であろう、と私は捉えたい。そのコーヒー探究の推移は、旦部さんという人間だけがもつ特徴的な要素によって選択的におこなわれているとするならば、私たちも、コーヒーが、ただコーヒーであるということのほかにどんな価値をもつものか、その検討は粗雑であってはなるまい。コーヒーの世界を潜れば潜るほど、コーヒーの「おいしさ」は‘センス・オブ・ワンダー’として増していくだろう。
 
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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