私的珈琲論序説~章結

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:私的珈琲論序説 [2009年02月06日 00時09分]
序説の章結として、コーヒーの加工と素材について触れてみたい。

私が珈琲にいれこみはじめた1980年代、業界や愛好家の世界では、
焙煎や抽出に関する技法に重点が置かれていた。
「コーヒーの味は、焙煎8割、抽出2割で決まる」などと言われていた。
他方で当時より、「生豆7割、焙煎2割、抽出1割」であるとか、
「生豆9割、その他1割」であるなどと素材そのものを重視する声もあった。
しかし、この素材重視を唱えた方でも、例えば、
「マンデリンと称されるスマトラ島産の豆の特異な精製処理方法」
を理解していた者はほとんどいない、という状況であった。
手近なところで論ずるのは、「直火vs.熱風」や「布vs.紙」などの
焙煎や抽出に関するものが大半を占めていたように感じる。
 
時を経て2000年代あたりから、コーヒー業界や愛好家の世界は
素材重視の視点に大きく傾いてきた。
豆の種類が、国単位から地方、地域、農園と細分されて語られ、
品種や精製方法が詳細に添えられている情報が求められはじめた。
しかし、こうした素材の品質論に傾いてきた現在では、例えば、
「同一ロットの生豆を、全く違う機体で焙煎し、異なる抽出法で
液体としたコーヒーでも、その過程の差異よりも、品質の良否を
すり合わせる情報交換ばかりが繰りひろげられる」
という珍妙な状況が頻発し、それに疑義をおぼえる者は少ない。
 
この経過を日本人に身近な米飯に例えるならば、
以前は、「どこ産のどんな品種のコメをどれくらい精白するか」を知らずに、
「米の磨ぎ方炊き方」ばかりが唱えられ、
近年は「どこ産でどんな品種をどのような栽培法で作られたコメか」
ばかりが語られ、「味を左右する米の磨ぎ方炊き方」などは
相対的にかなり軽視される、という傾向で説明できよう。
だが、コーヒーも米飯も、昔も今も「ウマい」ものは「ウマい」のである。
私は、「昔のコーヒーの方がウマかった」などと懐古的に思わないが、
「今のコーヒーの方がウマい」などとも断定できない。
 
コーヒーの味に関して、加工技法と素材品質のいずれが影響し、
また重視されるべきか、は結論がでないし、でるはずもない。
そのどちらも、そしてそれ以外の要素も、皆重要であるからだ。
それ以上に大きな課題であるのは、
時代によって論点や視点そのものが偏重し過ぎるにも関わらず、
それに巻き込まれて偏狭な視座でコーヒーを語ってしまうこと、である。
 
新たな知識を得て新たなコーヒーを追求する時の、
何とも形容し難い高揚感は、私が珈琲にいれこむ源泉である。
しかし、自身の論点や視座までが、
時代のはやりすたれに飲まれては、ウマいコーヒーは飲めない、
と考えている。
 
コメント (0) /  トラックバック (0)
編集

私的珈琲論序説~(4)ドリップ派 その2

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:私的珈琲論序説 [2009年02月06日 00時08分]
(承前)
 
世のドリップ派には、「ネルドリップこそが至高」という頑なまでの
姿勢を崩さない自家焙煎の店主なども多数いるようだ。
このネルドリップ至上主義の方々は、概して
「とろみを感じるまでに濃い少量のコーヒーを舐めるように飲む」
ことを信条としている。
私も(自身の朝一杯がそうであるように)こうした珈琲は好みである。
但し、こうした珈琲は原則として「珈琲だけを単品で」楽しむものである。
私は、単品でももう少しあっさりとした液体をガブガブ飲みたいことも、
食事や菓子などと一緒にコーヒーを喫したいこともあるので、
四六時中「ネルドリップ高濃度コーヒー」ばかりを欲しいとは思わない。
 
商売で特定の指向に際立ったものを良しとするのは自由だが、
頑迷固陋なネルドリップ至上主義は、当人の自覚に関わらず、
職人気質を付加価値としているからこそ光る論である。
後発の自家焙煎の店主たちやカフェ世代の方々が、
そうした教条姿勢を嫌い、コーヒーの世界を広角に捉えようと、
ペーパードリップやプレス式に目を向け始めることも理解できる。
 
私はシングルカスクのスコッチウイスキーを味わう時には、
ニート(ストレート)かトゥワイスアップで楽しむことが多いが、
隣の人が同じウイスキーをハイボールで飲もうがカクテルに仕立てようが、
それはその人の自由である、と思っている。
私が珈琲のドリップ派である、ということはその程度の感覚、
すなわち自分には頑迷だが、他人にかまいはしない姿勢である。
 
コメント (0) /  トラックバック (0)
編集

私的珈琲論序説~(4)ドリップ派 その1

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:私的珈琲論序説 [2009年02月06日 00時07分]
(4)ドリップ派
 
抽出方法を尋ねる意味で「使う器具は何?」という、
コーヒー関連の様々な消費者向けアンケートを受ける都度、
私は返答に窮する。
布(ネル)ドリップ、紙(ペーパー)ドリップ、エスプレッソ(電動機械式)、
エスプレッソ(直火式)、ボイル(鍋/ターキッシュ)、プレス、
サイフォン、ベトナム式、水出し(浸漬法)、氷出し(透過法)・・・
状況と好みに応じて変えるので、絞りようが無いのである。
これでは、「正統な」ドリップ派とは言えないのかもしれない。
 
コーヒーの抽出方法を「透過法」と「浸漬法」に大別することも多いが、
抽出過程での水分とコーヒー粉との物理的な状態を考えると、
この両者を完全に区分することは困難である。
例えば、ペーパードリップは「透過法」の代表格といわれるが、
Melitta(メリタ)のドリッパーを使用するメリタ式の本来の抽出法は、
「蒸らし後、一気に全量分の湯を注ぐ」ため、粉が湯に浸る状態であり、
捉え方によっては「浸漬法」とも言える。
これは、金属ドリッパーを使用するベトナム式でも同様の状態となり、
ドリッパーの上から湯を注ぐ技法が「透過法」とは規定できない。
 
また、推奨される使い方に逆らって、Melitta(メリタ)のドリッパーで
点滴抽出のハンドドリップを行なうことも当然に可能である。
つまり、使用する器具が抽出方法を規定することにならないし、
同じ器具を用いても、香りや濃度を含め得るべきコーヒー液の味わいを
変える(変わってしまう)ことは、容易に発生するのである。
 
したがって、抽出方法についても各人の嗜好に合わせて
試行錯誤していけばよいわけで、「こうであるべき」という教条的な
抽出の技法ばかりに囚われることは珈琲の楽しみを減らす、と思う。
 
私自身が珈琲を楽しむ際に、様々な器具と抽出方法を用いることは
前述の通りだが、頻度で言えば布(ネル)ドリップと紙(ドリップ)が多い。
頻度の観点で「ドリップ派」とでもいえばよいのだろう。
(続く)
 
コメント (0) /  トラックバック (0)
編集

私的珈琲論序説~(3)深煎り派 その2

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:私的珈琲論序説 [2009年02月06日 00時06分]
(承前)
 
実際に私がどこまで「深煎り」するのかと言えば、
焙煎度を全て統一している(しようとしている)わけではないし、
豆の種類によって焙煎度を決めているわけでもない。
ストレートだろうがブレンドだろうが、目前の豆をその時々に応じて
焙煎度を決めているので、実質気まぐれといわれても否定できない。
それでも、この10年来位は、おおよそ2種類の焙煎度で焙煎している。
 
まずは、手網(本来は銀杏煎り器である金網)による焙煎の場合。
この時の焙煎度については、私自身が私以外の者に勧めることは無い。
なぜなら、私が毎朝自身一杯に淹れる超濃厚ドリップのマンデリンを
焙煎するためだけの、全く個人的な焙煎度だからである。
2ハゼは軽く越え、3ハゼまで到達する場合もある。
俗にいう焙煎度でいえばイタリアン、スーパーダークロースト、
アグトロン値でいえば30未満は確かだろう、という超深煎りである。
無論、この全くもって身勝手な自分の朝一杯用でなければ、
マンデリンでもここまで深くは焼かないし、
手網を使用することと超深煎りであることに関連は無い。
 
もう一つは、先に触れた手廻し釜(穴あき直火のブタ)による焙煎の場合。
これが私自身も含めて家族や知人と常飲するための珈琲用の焙煎度。
この焙煎度には幅があり、「気まぐれ」なのだが、
概ね2ハゼのピークあたりから2ハゼ終了前まで、
俗にいう焙煎度でいえばフルシティ~フレンチ、ダークローストである。
但し、前述の通り豆色では真の焙煎度は規定できないわけだが、
自身の傾向としては、巷のアグトロン値での判断以上に
「深煎り」の味になる傾向で仕上げている場合が多い、という自覚がある。
 
さて、肝心のナゼ「深煎り」か?という理由について。
端的に言えば、私にとってコーヒーは「にがい」ものだからである。
巷間「にがいだけではおいしいコーヒーとは言えない」という話は多い。
特に昨今ではSCAAを筆頭とする味覚基準では、
「質の良い酸味」や「フルーティな味や香り」を重視する傾向が顕著だ。
一概にそれらの味覚要素を否定するつもりも無いが、
私は「にがい」ことを排除していく評価傾向にはなじめない。
「苦味」にも「良い」「悪い」があるとの話もよく聞くし、それには賛同する。
ならば、「良い苦味」を追求することこそがコーヒーのコーヒーたる身上、
それが私を「深煎り派」と自認させている原点の志向である。
 
コメント (0) /  トラックバック (0)
編集

私的珈琲論序説~(3)深煎り派 その1

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:私的珈琲論序説 [2009年02月06日 00時05分]
(3)深煎り派
 
「深煎り」は、「グリーンビーンズ」や「直火焙煎」を論ずるよりも、
その概念が明確に物理として規定できないだけに、更に厄介な話である。
その上で私が「深煎り派」を自称するのは、
大手ブランドはもとより自家焙煎の喫茶店や豆売店の焙煎豆に比して、
およそ煎りが深い方の類であろう、という推定による。
 
いうまでも無く、コーヒーの生豆は焙煎を深くすればする程、
黄褐色から褐色、茶色、焦茶色とより黒っぽい焦げ色で仕上がる。
そこで、焙煎の深さ(以下、焙煎度という)の客観的な表現として、
巷でほとんどの場合、L値やアグトロン値で示されることが多い。
 
確かに破砕前の豆の表面色や破砕後の粉の色を
焙煎度の尺度とすることは合理的ではあるが、過信は禁物である。
 
私にとって、豆をどの深さまで焼くかという意味での焙煎度は、
どこまで焼くとどんな味や香りになるのかという「味づくり」の為に
腐心し熟慮するわけで、豆を何色にしたいか、が目的ではない。
ところが、この当然とも言える観点で考えると、L値やアグトロン値は
「味づくり」の指標としては極めて曖昧な基準でしかなく、
他人の焼いた豆と比べる場合においてはほぼ意味をなさない。
 
これは、ある焙煎度のコーヒー豆の味や香りを規定する要素が、
豆に加えられた総熱量、そして熱が加えられた過程(時間・順序)、
などによることが大きく、それが豆色の変化とは整合しないからである。
 
自家焙煎をする方で、上記の意味がピンとこないのならば、
以下の実験をされてみるとわかりやすいと思う。
常日頃の焙煎火力よりもはるか桁違いに火力を弱め(強め)て、
どんなに時間が延びようが(縮もうが)、いつもの焙煎度の
豆色(L値やアグトロン値)で焙煎を完了する。
そして、常日頃と同様にコーヒーを淹れる(カップテストする)。
理解している者には当然であるが、いかに豆色が、
「味づくり」の基準に頼りなく過信できない要素かが理解できるハズだ。
 
そして、これは色に限らず、豆のシワや膨張度合などにも当てはまる。
「味づくり」としての焙煎度は、豆の見面(色・シワ・ツヤ・大きさ)の
特定要素に基準を固定し依拠しすぎると、皮肉なことに、
本来の目的から逸脱してしまい、ウマイ珈琲はできなくなるのである。
(続く)
 
コメント (2) /  トラックバック (0)
編集

私的珈琲論序説~(2)直火焙煎派 その2

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:私的珈琲論序説 [2009年02月06日 00時04分]
(承前)
 
さて「直火」対「熱風」という論争は、世で様々な焙煎機が使用される中で、
焙煎する豆のバッチが数百グラムから数十キログラムの場合で、
尚且つ、いわゆる「ドラム式」といわれる焙煎機を使用する場合に語られる。
これが工場用ともいえる数百キログラム超の大型焙煎機を対象に、
論議されたことを私は聞いたことがない。
つまり、私がここで言いたいのは、コーヒー生豆を焙煎する際に、
様々な機器と多様な手法を選択できる中で、
「直火」対「熱風」論争はごく限られた範疇での議論でしかない、
という認識を前提にするべきだ、ということである。
 
「ドラム式」といわれる回転釜による焙煎機に限定して語ると、
俗に「直火式」「半熱風式」「熱風式」と分類するケースが多い。
この分類では、熱源が回転釜の下方に位置されており、
熱源の空間と回転釜の空間がほぼ一体化している構造が「直火式」と「半熱風式」であり、
熱源の空間と回転釜の空間が分離している構造を持つのが「熱風式」である。
日本国内の個人店主規模の自家焙煎珈琲店のほとんどが使用している焙煎機は、
「直火式」か「半熱風式」であり、(ドラム式の)「熱風式」を導入するケースは少ない。
ところで、昔ながらややこしいのは「半熱風式」を「熱風式」と呼ぶケースも多いことである。
そのような呼称の混乱も含めて、こうした概念の背景には、
「半熱風式」は「直火式」と「熱風式」の折衷方式、という位置づけがある。
しかし私は、この「半熱風式」の概念的位置づけに「否」と言いたい。
 
確かに焙煎機の開発において、省空間の観点でも熱源の効率利用の観点でも、
筐体は小さいが焙煎環境が不安定(?)な「直火式」と、
焙煎環境の安定度は高いが筐体が大きくなる「熱風式」との「良いとこ取り」で
「半熱風式」が(特に空間制約が顕著な日本では盛んに)採用されている事実はある。
だが、それは言い換えれば「経済」「商売」を前提にした機種の開発と選択の論であり、
焙煎そのものから見た科学的な分類概念とは、大きな隔たりがある。
 
そもそも焙煎とは、コーヒー生豆に熱を伝達することにある。
一般論でも物体に熱移動・熱伝達がなされる手法は、
伝導(コンダクション)、対流(コンベクション)、輻射(ラディエーション)の3種類である。
この視点で考えると、「熱風式」は対流(コンベクション)主体であるのに対して、
「半熱風式」はより伝導(コンダクション)に比重を置いた熱伝達方式である。
そして「直火式」がやはり対流(コンベクション)主体であることを考えると、
「直火式」は「半熱風式」よりも「熱風式」(に近いの)である。
 
つまり、「直火」対「熱風」論争は、焙煎の熱伝達方式で捉え直すと、
「直火」「熱風」対「半熱風」の論議と考えられる、と私は提起する。
これを簡単に言えば、コンロの上での手振りの焙煎を想定して、
金網を使う(=直火)か、フライパンを使う(=半熱風)かの違いである。
 
面白いことに近年の「半熱風式」ドラム型焙煎機の様々な改良点は、
概してより「熱風」化し、伝導熱よりも対流熱伝達に比重を置く方向が多い。
しかし、これはフライパン焙煎的「半熱風式」の特徴を捨てて、
本来の「熱風式」に憧れて近づいたら、
詰まるところは金網焙煎的「直火式」にも接近している、
という何とも皮肉な捉え方もできるのである。
そして、結局は「直火」である不都合が何も無いことを裏付けている、
というやや強引な解釈を私はしている。
 
以上の意味で、私は「直火焙煎派」を名乗っておきたい。
 
コメント (2) /  トラックバック (0)
編集

私的珈琲論序説~(2)直火焙煎派 その1

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:私的珈琲論序説 [2009年02月06日 00時03分]
(2)直火焙煎派
 
「直火」か「熱風」か、はコーヒーの焙煎を語る上で古くて新しい論争である。両者を比較し良し悪しを語る前に、私自身が恒常行なっている自家焙煎は「直火」である。つまり、実践しているのが直火なのだから、私自身が直火を否定するハズは無いわけで、
その事実のみでも直火焙煎派なわけである。その実践の一端を示すために、以下に、某所で発表した時のレジュメの一部を掲げる。
 
  JCS 15th Annual Meeting,Roasting & Extraction Subcommittee, 2008
 
 ''キッチンロースターの妄言'' 私のコーヒー焙焼
 
  自宅の台所で、手廻し釜と手網を使って焙煎。原則として自家消費用
  (つまりアマチュア)。
 
 1.焙煎機(手廻し釜)
 
  富士珈琲機械製作所の故・寺本氏による特注品。形状は俗に「ブタ」と
  呼ばれるもので、約1kg容量の大きさ(大坊珈琲店さんと同じ)。
  但し、釜部が全てパンチングメタル(一重)であり、
  前後にベアリングがかませてある、完全直火型。
  熱源はガス(市販のコンロを使用)。
  手網よりも「一度に多く」「楽に」焙煎したいが、「手網に限りなく近い」焙煎機、
  がコンセプト。
 
 2.焙煎方法(現在の日常)
 
  コンロに手廻し釜を乗せ、コックで適当に火力調整。
  生豆投入後、約15分から25分間で焙煎。
  焙煎度はフルシティからイタリアン(時にそれ以上)。
  この間、火力は一切変えない。
  温度も測らない(温度計やガス圧計の類、不使用)。
  サシで抜き取りもしない(途中の目視確認無し)。
  豆のハゼ音、豆の擦れ音、煙の量・色・臭い、手に伝わる振動変化、
  等で焙煎終了を判断。直後にザルに空け、扇風機(市販)で送風冷却。
  ハンドピックは生豆で行い、焙煎後は殆どしない。
  ブレンドは殆どの場合、プレミックスで焙煎する。
 
 3.焙煎時の状況(現在の日常)
 
  狭小戸建て住宅の一階台所隅にて、
  昼夜晴雨に拘らず必要に応じて焙煎(週1~2回)。
  排煙は壁抜き型市販の25cm角換気扇のみ。
  煙が立ち込め、家中「燻煙」状態になるので、
  続き間のリビングにいる家人に「今から豆を焼く」
  と宣言するが、避難しない者もいる。
  チャフは部屋中に飛散するが全く気にしない。
  街区端まで臭う(息子報告)が、幸い苦情は来ない。
 
 4.焙煎に関わる留意と特徴
 
  気温や湿度の絶対値よりも(気圧を含めた)焙煎前及び焙煎中の環境変化に
  留意している。
  時季による変化は二十四節気を目安に読み取り検証している
  (近年ズレが酷いが温暖化?)。
  焙煎する豆の品質や特性・傾向は生豆を食べ(齧り潰し)て判断する
  (ブランド志向は希薄?)。
  焙煎(特に深度と均一性)の適正見極めは、
  焙煎豆の胚(胚種)部分の焼け加減で判断する。  
 
 5.焙煎に対する私的前提
 
  手網・手廻しの直火焙煎を続ける理由は、
  「プリミティブな直火こそ味が出せる」からでは無い。
  己が「よりウマいコーヒー」を追求し続け、コーヒーを毎日味わい続ける為には、
  (転居・事故・天変地異を含めて)いかなる状態にあっても焙煎できることを
  旨とする(サバイバルな焙煎姿勢)。
  所在や環境・熱源・動力等の変移・異状を理由に、朝一杯のコーヒーが無くなり、
  質が落ちることは断固として己に許されないから、の選択
  (抽出・喫飲についても同様の姿勢)。
 
以上、発表用の要旨なので、表現はかなり乱暴で誤解を招きかねないところもあるが、内容は全て事実であり、そのまま示した。
(続く)
 
コメント (0) /  トラックバック (0)
編集

kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

01 ≪│2017/02│≫ 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -
Powered by / © Copyright 帰山人の珈琲漫考 all rights reserved. / Template by IkemenHaizin