おもかさま

ジャンル:ライフ / テーマ:ひとりごと / カテゴリ:あ・論廻 [2018年02月18日 23時30分]
アラビアンモカにアビシニアンモカ、ムニールモカにハラールモカ、保登(ほと)モカに吉城(よしき)モカ…モカにもいろいろあるが、「おもかさま」こと吉田モカ(旧姓:菅原/1875-1953)こそが史上‘最狂’のモカである。その「おもかさま」の孫である「みっちん」こと石牟礼道子は、2018年2月10日に死んだ。
 おもかさま (1)
 
 《石牟礼道子は、幼少時から狂女の祖母と心を通い合わせ、しかもその祖
  母との間で魂が「入れ替わった」血統書付きの狂女である。》 (臼井隆一
  郎 『「苦海浄土」論 同態復讐法の彼方』 藤原書店:刊 2014)
 
 《二〇一五年一月のある日、道子が「ハハハ」と愉快そうに笑った。夕方に
  なると目がかすむ道子のために私は『「苦海浄土」論』を大きな声で読み
  上げていた。本の後半の〈血統書付きの狂女〉という言葉にくすぐられる
  ように道子は反応したのだ。》 (米本浩二 『評伝 石牟礼道子 渚に立つ
  ひと』 新潮社:刊 2017)
 
目には目を、歯には歯を、狂った世間には狂った女を…水俣病闘争の同態復讐で血債の返済を求める狂女となった石牟礼道子は、1927年3月11日に生まれた。
 おもかさま (2)
 
 《世間では何かあるのかとテレビをつけましたら津波の映像。そして津波な
  のに都市が燃えていた。(略) 息もせずに、それをみんなで見つめて、な
  んという日だろうと思っていると、「今日は石牟礼さんの誕生日ですよ」と
  言われた。(略) また水俣のように、人々の潜在意識には残るけれども、
  口には出さない状況になると思いましたね。(略) 「また棄てるのか」と思
  いました。この国は塵芥のように人間を棄てる。》 (石牟礼道子:談 「上
  野千鶴子のニッポンが変わる、女が変える」/『婦人公論』2013年5月
  7日号 中央公論新社:刊)
 
 毒死列島身悶えしつつ野辺の花 (石牟礼道子/季刊『環』vol.46 2011)
 
石牟礼道子は84歳の誕生日に発した東日本大震災を詠じた句を、2013年秋に皇后美智子へ出した手紙の文末に添えた。この後、同年10月27日に美智子は天皇明仁と共に熊本県を訪れて水俣病胎児性患者と対面したが、さて、次代皇后雅子は新たな元号の時代に水俣を訪れるだろうか? それとも、雅子の祖父でありチッソ(旧:日本窒素肥料/現:JNC)の社長だった江頭豊(1908-2006)のように《また棄てるのか》? いずれにしても、昭和の黎明から平成の終焉までの計33,730日のうち33,210日を生きた石牟礼道子が、《塵芥のように人間を棄てる》社会を視ることはもうない。
 おもかさま (3)
 
 《安らかにねむって下さい、などという言葉は、しばしば生者たちの欺瞞の
  ために使われる。》 (石牟礼道子 『苦海浄土 わが水俣病』 講談社:刊
  1969)
 
 《石牟礼道子は水俣病闘争のジャンヌ・ダルクと言われた。しかし、本書は、
  石牟礼道子を海と大地を殺すチッソの「母親殺し」(オレステイア)に呼び
  出されて登場すべく登場する復讐の女神(エリーニュース)と呼びたいの
  である。(略) 近代資本主義社会は日々、母親殺しの殺人現場である。
  ギリシア悲劇に倣えば、復讐の女神エリーニュースが登場してしかるべ
  き時である。》 (臼井隆一郎 前掲書)
 
 《「未来に何かをやりに行くのではなくて、過去に忘れたものを取りに行け」
  ということが石牟礼さんのとても大きなメッセージではないかなというふう
  に思うんです》(若松英輔:談/『100分de名著』58 「苦海浄土」 第3回
  「いのちと歴史」/NHK Eテレ 2016年9月16日放送)
 
 《黒砂糖はこの頃使います。コーヒーに黒砂糖入れたらおいしかったですも
  ん。それ以来です。たんに甘いだけじゃないですね。いろんな栄養が含ま
  れていますから》 (石牟礼道子:談 2016年9月/米本浩二 前掲書)
 
 おもかさま (4)
‘昭和’の石牟礼道子は血統書付きの狂女であり復讐の女神であるが、‘平成’の石牟礼道子は救済の聖女あるいは恩寵の女神へ変化(へんげ)した…そう私には感じられる。少なくとも『苦海浄土』三部作が完結した後の最期まで10年ほどは、《コーヒーに黒砂糖入れたらおいしかったですもん》という村媼となり、やや詰まらないし気に入らない。それでも、《過去に忘れたものを取りに行け》という若松英輔の言葉に同感の思いを強くして、《たんに甘いだけじゃない》黒砂糖入りのモカコーヒーを飲みながら狂った資本主義社会への復讐を私は画策する。「おもかさま」の如く、いつの日かわれ狂うべし。
 
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ウルスラは邁む

ジャンル:ライフ / テーマ:ひとりごと / カテゴリ:あ・論廻 [2018年01月29日 01時30分]
アーシュラ・K・ル=グウィン(Ursula Kroeber Le Guin)が2018年1月22日に死んだ。私にとってル=グウィンは、アースシーではなくてハイニッシュサイクルの人である。
 ウルスラは邁む (1)
 
 《さまざまな幻想的ビジョンを通じて、夢見ることの極限を追求したアーシュ
  ラ・K・ル=グィンのSFは、アメリカの女流SFのなかでも孤絶した存在で
  ある。(略) 彼女の声価を決定的に高めたのは一九六九年に発表され
  た『闇の左手』である。(略) この惑星の住民である両性具有人には男・
  女というもう一組の異文化理解が託されているが、この部分でも作者は
  性急な結論には至らず、ヒューマニズムと非ヒューマニズムの極限で、
  相互理解の可能性を示すだけである。(略) 『所有せざる人々』(一九七
  四年)では、隣り合う二つの惑星に資本主義と社会主義という二つの体
  制が仮託されている。この小説が提起しているのは、単にどちらがよい
  かという社会体制の得失だけではない。むしろそれが目指しているのは
  社会と人間の関わり方そのものの探求である。》 (新戸雅章 「アーシュ
  ラ・K・ル=グィンの孤独」/ 『SFとは何か』 笠井潔:編著/日本放送
  出版協会:刊 1986)
 
だから、《しかし彼女の最も予見的な言葉はその著作ではなく、2014年11月に全米図書賞を受賞した際のスピーチで述べられたものかもしれない》(「追悼、アーシュラ・K・ル=グウィン──困難な世界から「未来」を見通していた作家」/Web 『WIRED』 News 2018年1月25日)などという寝惚けたような評には首肯しかねる。他の新聞各紙などもスタジオジブリ制作のアニメーション映画『ゲド戦記』(2006)に引っ張られてか、ル=グウィンを「ゲド戦記の作者」と説くこと一辺倒で訝しい。どうせジブリ映画を引くならば、アニメ版『魔女の宅急便』(1989)のウルスラ(Ursula)に触れて、原画である〈星空をペガサスと牛が飛んでいく〉(1976)の《さまざまな幻想的ビジョンを通じて》アンシブルでル=グウィン作品と繋げる…くらいの芸当がほしい。
 
西部邁が2018年1月21日に死んだ。私にとって西部邁は、まったくでたらめな、実にいやな男だった。
 ウルスラは邁む (2)
 
 《「まったくでたらめな、実にいやな男だった、死んでもらってほんとに嬉しい」
  という伝わり方もあれば、「いろいろ失敗も錯誤もあったが、まあなかな
  か一生懸命格闘して、いいこともやったり言ったりして死んでってくれた
  男だ」という伝わり方もあって、どっちを選ぶかという選択問題があった
  時に、僕はどう考えても後者を取りたいと思う。ところで今日のこのコー
  ヒー、あなたにご馳走してもらえるんでしょう?(笑) 例えばあなたがおご
  ってくれるコーヒーについて、僕は二つのことが言えるんですよね。「よく
  もまぁ、こんなうまくもねぇこんな店、なんで選んだんですか?」とごねるこ
  ともできる。人様にまともな記憶を残したくないということを選んだとしたら、
  それでいいのかもしれないね。(略) つまり、真善美を求めないような生
  き方が考えられないのならば、それを遺さずに死ぬという死に方もまた
  考えられないのではないかと、やはりこれも「論理的」に、そうなります。
  「死」について言えば、死ぬべき時に死ぬっていうのが一番正しい。》
  (西部邁:談/「「言葉」を持って、矛盾の中へ。」/Web「ブッククラブ回」
  interview)
 
 《今日は核武装の話です。私は核武装の話は怖くていやなんですが、当ゼ
  ミナールの西部先生が「核武装の話のない防衛論は、クリープのないコー
  ヒーどころか、カフェインのない似非(えせ)コーヒーだ」といってききませ
  ん。》 (小林麻子:談/『西部邁ゼミナール』 「核武装論に本気で取り組め
  ─日本が核武装しなければならない理由」/TOKYO MX 2013年3月
  2日放送)
 
だから、《かといって西部がビビットかというとそうでもないんだけど。彼だって立場に固執するだけの話だからさ、伝統がどうしたこうしたとか》(康芳夫:談/竹熊健太郎 『篦棒な人々』 太田出版:刊 1998)などと評されていた通りに、《社会と人間の関わり方そのものの探求》に疲れたのだろう、西部邁は自裁した。「よくもまぁ、こんなうまくもねぇ死に方、なんで選んだんですか?」とごねることもできるが、それが《死ぬべき時に死ぬっていうのが一番正しい》のであれば、どう考えても《死んでもらってほんとに嬉しい》という伝わり方を取りたいと思う。但し、(煙草に対する姿勢と同様に)コーヒーに関しては、カフェインのないものを‘似非’(えせ)と言い切るところがでたらめではなかった。
 
 ウルスラは邁む (3)
アーシュラ・K・ル=グウィンと西部邁、二人の死は1960年代から1970年代までの思想の多様化と停滞が、また一つ遠のいていく現実を象徴している。けれども、《単にどちらがよいかという社会体制の得失だけ》は《いろいろ失敗も錯誤もあった》ままに放置して、〈虹の上をとぶ船〉でウルスラは邁(すす)むのである。
 
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日和見よたび

ジャンル:ライフ / テーマ:ひとりごと / カテゴリ:あ・論廻 [2017年11月04日 01時30分]
「文化の日」に岐阜県各務原市で催される「マーケット日和」、《入場無料で公園隣の大学祭とも合同開催ということもあり、毎年子ども連れのファミリー層や大学生~年配層まで多くの来場者で賑わいを見せている》(Web『LIVERARY』 2017年10月31日)。確かに露店も来場者も増えて、憩う場というよりも燥ぐ場になってきた。
 日和見よたび (1)
2017年11月3日、混雑必至の催事「マーケット日和」を秋の日和に見る私の旅も今回で四度(よたび)…行ってみよう!
 
 日和見よたび (2) 日和見よたび (3) 日和見よたび (4)
会場の周辺道路は大渋滞、予定より1時間近く遅れて中部学院大学に駐車。まずは、「珈琲工房ひぐち」出店ブースへ。今年は樋口周作氏が奥方と出店している。「セピアの宝石」(深煎りブレンド)を買って、歩き飲みしながら学びの森エリアへ。怖ろしいほど多くの出店と人出だが、空いた芝生に座って晴れた空を眺め憩う。「コクウ珈琲」出店ブースを覗けば繁忙…「じゃ、聴いてほしい講演会はオレが聴いてくるわ」(笑)。
 
シティカレッジ特別講演会「「学びの森」から描くまちの未来地図」
 日和見よたび (5)
会場は中部学院大学各務原キャンパス大講義室、定員300人の催事だが聴講したのは50人弱でスカスカ。各務原市役所広報課の廣瀬真一氏とかかみがはら暮らし委員会代表理事の長縄尚史氏によりマーケット日和や夏フェスOFTやKAKAMIGAHARA STANDの話、要はご当地プロモーション。その後、ゲストが登壇。(以下は私的メモ)
 日和見よたび (6)
山田高広(NPO岡崎まち育てセンター・りた/株式会社三河家守舎)
愛知県岡崎市のQURUWA・おとがわプロジェクト・リノベーションまちづくり 便利なのと豊かさとは違う ルールは疑うべき 社会実験で既成事実化する (公園の施設)行政が規制をつくるなら何もつくるな カネは得意な人が担う
 日和見よたび (7)
吉田有里(Minatomachi Art Table, Nagoya/港まちづくり協議会)
名古屋市港区のアッセンブリッジ・ナゴヤ アートなんかあってもまちは変わらない ボートピアの売上の1%がまちづくり協議会に入る 空き家をワークショップ形式で改修 カネは全く違うものを結びつけて使い方を考える
 
山田氏の話も吉田氏の話も具体例が面白かった。もっとも、私には‘まちの未来地図’までは見えてこない。だが、役人だろうが商人だろうが芸人だろうが「まちづくり」はプロモーターが牽引するものであり、ノリと勢いで自惚れる連中がプロモーターとして優秀とみなされることはわかった。何よりも「文化の日」らしい暇つぶしになった良い講演会であった。
 
 日和見よたび (8) 日和見よたび (9) 日和見よたび (10)
学びの森エリアへ戻れば「Accordy」や「手廻しおるがん かごやか」の音が聴こえてきて、そちらへフラフラ。コーヒー屋や雑貨屋の出店ブースを見巡るのもイイが、この「森の音楽隊」を聴いている時間はさらにイイ。さらに市民公園エリアへ。古本市を覘き巡ってから、前回は買い損ねた「コバレレコーヒー」出店ブースへ。「カレンダーラ」(ネパール)を飲みながら小林勝久氏と少談。
 
 日和見よたび (11) 日和見よたび (12) 日和見よたび (13)
出店数と催事内容を増やした市民公園エリアも怖ろしいほど多くの出店と人出だが、空いた芝生に座って晴れた空を眺め憩う。「コクウ珈琲」出店ブースへ戻って、今年も「イタリアンブレンド」を自分で淹れて飲む。篠田康雄氏・小川友美氏・伊藤千帆氏と喋りながらブースの撤収を手伝う(これも遊び)。日暮れてきた会場を後にして、帰途へ。喫して聴いて、秋の日和に四度(よたび)見た「マーケット日和」…面白かった!
 
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トリックとトリート

ジャンル:ライフ / テーマ:ひとりごと / カテゴリ:あ・論廻 [2017年10月30日 23時30分]
ハロウィンにはトリック(trick)がある。新聞記事でハロウィンについて、《ルーツはケルト人の伝統行事。秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す宗教的な行事だったが、現代では民間行事として定着した》と説いていた(「仮装の深層 ハロウィーンを前に」/『中日新聞』・『東京新聞』 考える広場 2017年10月21日)。他にもハロウィンを《秋の収穫》を祝う祭祀とする辞書や事典が散見されるが、私は違和を覚える。
 
 トリックとトリート (1)
 《「ハロウィン(Halloween)」は、一種のコスプレ・イヴェントと誤解されたま
  ま日本でも盛り上がりを見せて久しい。「ハロウィン」はキリスト教の祭日
  で、殉職した聖人の供養と共に全聖人(Hallow)を祀り祝う前夜祭(een)、
  いわゆる「万聖節」であるが、さらにその起源はヨーロッパの古層文明
  「ケルト」の祭暦「サウィン/万霊節(Samhain)」にさかのぼる。 古代・
  中世ケルト社会の伝統では11月1日が「新年」。10月31日の夜には祖
  先や死者たちが蘇り、その霊の力によって、それまでの1年の時間が浄
  化され、世界が新しく生まれ変わると信じられた。(略) なお日本の大晦
  日もケルトの万霊節と同じく、「新年」を迎える前夜、浄化される夜である
  (なお節分は以下に述べるケルトの祭暦の2月1日の前夜から始まる「イ
  ンボルク」に当たるであろう)。》 (鶴岡真弓 「アイルランド「万霊節」の「火
  と陽」の新発見──ハロウィンからサウィンへ」/『Art Anthropology』
  12号 多摩美術大学芸術人類学研究所:刊 2017)
 
日本の「節分」(とその翌日の立春)がケルトのインボルクに当たるのであれば、ケルトのサウィンを基層とするハロウィンは、日本においては「立冬」(とその前夜)に当たる。つまり、二十四節気の中の正節にあたる四立(立春・立夏・立秋・立冬)でいえば、日本は立春からを‘新年’とし、ケルトは立冬からを‘新年’としているのである。ならば、ハロウィンについても《秋の収穫》を祝う祭祀というよりも、四季と暦年の節切りで新年を祝う行事と説くべきではないだろうか。日本の節分祭や節分会を四立の一つ分に前倒しした祭祀がケルトではサウィンに相当し、仮装行事となったハロウィンは豆まきや恵方巻のように節切りの風習が俗化したものである。そこには重ねられたトリック(trick)がある。
 
 トリックとトリート (2)
ハロウィンにはトリート(treat)がある。2017年10月に上梓された2つの新書において、『珈琲の世界史』(講談社:刊)で旦部幸博氏は「カフェ・バッハ」の田口護・文子夫妻へ謝辞を述べていたが、『ケルト 再生の思想 ─ハロウィンからの生命循環』(筑摩書房:刊)で鶴岡真弓氏も「カフェ・バッハ」の田口文子氏へ謝意を表していた。
 
 《10~11世紀になってやっと姿を現したと思ったのも束の間、コーヒーに
  関する記述は、どういうわけか、その後400年以上にわたって文献から
  消えてしまいます。》(p.52) 《さて15世紀になると、いよいよコーヒー
  が表舞台に姿を現します。それがイエメンで広まった「カフワ」という飲み
  物です。》(p.61) 《コーヒーに熱い思いを抱く人がいる限り、きっと何
  十年、何百年後も、地球のどこかで誰かが、その歴史に思いを馳せな
  がら、一杯のコーヒーを飲んでいるに違いありません。 ──そう、今のあ
  なたや私と同じように。》(p.249) (旦部幸博 『珈琲の世界史』)
 
 《新教プロテスタントの勢力が増す十六-十七世紀からは、「ハロウィン」
  は、影を潜めていった。》(p.34) 《スコットランドのナショナリズムに貢
  献するウォルター・スコットは『僧院』(一八二〇年)で、「ハロウィン」の
  夜に誕生する女性の運命を描いた。アメリカでは「首なしの騎士」をフィ
  ーチャーしたワシントン・アーヴィングの「スリーピー・ホロウの伝説」も
  一八二〇年の出版。大西洋の両岸で、「ハロウィン」が復活し始める。》
  (pp.39-40) 《生命の、時の回廊の始まりに、「サウィン/ハロウィン」
  はある。毎年、その最初の夜は必ずやってくる。私たちは、「霊魂のお
  菓子」(ソウル・ケーキ)に込められた「再生のレシピ」を学び、そのわく
  わくする特別の夜を待つことにしよう。そしてその後に続く季節祭を楽
  しみに、次の周期へと出発するのである。》(p.240) (鶴岡真弓 『ケ
  ルト 再生の思想 ─ハロウィンからの生命循環』)
 
コーヒーの世界とケルトの世界は直に接していないし、旦部幸博氏と鶴岡真弓氏の語り口は演出家としても役者としても旅人としても哲人としても対極にある。知力と信力、怜悧と玲瓏、俯瞰と仰望、そうした全く相反する観点、しかし、どこかで反転し融け合う宇宙が、「カフェ・バッハ」では交差するのかもしれない。そこには循環を促すトリート(treat)がある。
 
 トリックとトリート (3)
ハロウィンにはトリック(trick)とトリート(treat)がある。『ケルト 再生の思想』は、冬の祭日サウィンとハロウィンの章でレイ・ブラッドベリやジョナサン・スウィフトを示し、春の祭日インボルクの章でエグザイルやシンデレラに触れている。また、夏の祭日ベルティネの章で「真夏の夜の夢」を語り、秋の祭日ルーナサの章で「ロミオとジュリエット」を説いている。
 
 《夜に巨大な亡霊となって立ち上がる「死」。「人間は死ぬが、私たちの死
  とともに、その死も死ぬ」(ブラッドベリ)。この格言のような言葉は、逆に、
  人間の平穏は、己の死と引き換えにしないかぎり与えられないと告げて
  いる。》(pp.45-46) 《「サウィン/ハロウィン」の夜は、生死の壁が取
  り払われ、「過去・現在・未来」の時空が交じり合い、大交流が始まる。
  生気を失っている私たちの存在など、軽々と吹き飛ばされてしまうだろう。
  「生」にあぐらをかいている現代に、死者たち本領の「蘇り」が始まる。》
  (pp.233-234) (鶴岡真弓 『ケルト 再生の思想 ─ハロウィンからの
  生命循環』)
 
ハロウィンは死から始まる。「死」の闇から始めないかぎり「再生」は与えられない。チュリッカチュリー(trick or treat)などと何回叫んでも人間は死ぬ。生命が循環したり再生したりするものか、私には解らない。だが、ハロウィンは闇と出会い死を発見するものなのだ。そこには再生へ生きるトリック(trick)とトリート(treat)がある。
 
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五輪書

ジャンル:その他 / テーマ:ひとりごと / カテゴリ:あ・論廻 [2017年06月23日 01時30分]
共謀とは何だろう? 東京五輪に関係するのだろうか? そもそも東京五輪は開催されるべきなのだろうか? 近未来を透視しよう。
 
 五輪書 (1)
【地の象】
新国立競技場において夏季オリンピアードのプレ大会として国際陸上競技大会が始まるはずだった弘保2(2020)年1月17日の早朝、首都直下地震が発生した。都心直下を震源とするマグニチュード7.2の地震は首都圏に甚大な被害をもたらして、建物の倒壊や火災旋風などによって2万人超が死んだ。発災から3日後に日本政府は「国家非常事態宣言」を超法規で布告、震災に端を発して続く市民集会の暴徒化に対して2月26日には自衛隊の治安出動によってこれを鎮圧した。
 
 五輪書 (2)
【水の象】
オリンピアード競技大会の東京での開催を危ぶむ声が諸外国から上がる中、3月11日に日本政府は「震災復興の象徴として東京五輪は予定通りに開催する」との声明を出した。オリンピアード競技大会の準備を優先した復興整備が強行されたまま、首都圏は異様に早く5月5日に梅雨入りした。この日から1ミリメートル以上の降雨が43日も続いて、この間の降水量は計1422ミリメートルに達した。この雨で東京都心の大半は水浸しとなり、震災に続いて甚大な被害をもたらした。
 
 五輪書 (3)
【火の象】
梅雨明け翌日の6月17日から首都圏は猛暑に見舞われた。日ごとの最高気温が摂氏35度を超える猛暑日が21日も続いて、最も高い観測値は摂氏40度、半ば廃墟と化した都心の街路では陽に焼かれたままの死体が転がっていた。こうした中で、デング熱の発症者が首都圏を中心10万人超となり、日ごとに続く暴動に拍車をかけた。オリンピアード競技大会の東京での開催を危ぶむ声が諸外国から上がる中、7月1日に日本政府は「世界一安全な都市として東京五輪は予定通りに開催する」との声明を出した。
 
 五輪書 (4)
【風の象】
猛暑の連続が終わった4日後の7月11日深夜に首都圏は台風の直撃を受けて暴風雨に襲われた。翌12日にかけて毎秒30メートルの猛烈な風が吹き荒れ、最大瞬間風速は81メートルに達して震災と水害の傷が癒えない東京タワーが崩落、東京都心部は廃墟と化した。諸外国はオリンピアード競技大会への不参加を表明、国際オリンピック委員会はオリンピアード競技大会の中止を発表したが、7月15日に日本政府は「参加国が日本1ヵ国になっても東京五輪は予定通りに開催する」との声明を出した。
 
 五輪書 (5)
【空の象】
新国立競技場において夏季オリンピアードの皮切りにサッカー競技が始まるはずだった7月20日の夕方、強烈な太陽嵐が発生した。このキャリントンイベントを遥かに超える大きさの太陽フレアによって激しいコロナ質量放出(CME)が2日後に地球へ直撃、日本でも全土で停電を強制して、通信機器は不通となった。都市の機能は麻痺して分断され、恐慌と暴動と内乱の嵐が世界の各地で吹き荒れた。オリンピアード競技大会の行方など、もう誰も考える者はいなかった。
 
 五輪書 (6)
第32回オリンピアード競技大会が始まるはずだった弘保2(2020)年7月24日、新国立競技場に潜伏していた一人の男が何者かによって殺された。男は前年に『その男、共謀につき』という作品を発表して日本政府を非難する言動を表していたことから、テロ等準備罪に問われて追われていた。地震・水害・猛暑・風害・太陽風と続いた災害を理由とした「国家非常事態宣言」の下で、日本政府に抹殺されたのだろう。男が遺した『五輪書』という作品の草稿も消えた。こうして、弘保2(2020)年の暑い夏は終わった。
 
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原発はバクハツだ!

ジャンル:その他 / テーマ:ひとりごと / カテゴリ:あ・論廻 [2017年03月11日 14時46分]
まずですねフクシマについて案ずる向きには、そもそも私からも保証をいたしかねるところでございます。そこで状況はですね状況はいわばアンダーコントロールされておりません。これはこれまでのお約束とは異なる新しい判断であります。例えばですねトウキョウの豊洲市場の敷地〇・四平方キロメートルの汚染水、これですらもまさにアンダーコントロールされておりません。であるならばわれわれはフクシマについてもですねフクシマの原発の対応についてもいわばアウト・オブ・コントロールであるとしてもですね、その中においてオリンピックパラリンピックをしっかりと全力で行なっていかなければならないんだろうと、まさにこのように思うわけでございます。そして同時にテロとの戦いにおいても身命を賭して戦争の炎を燃やし続けてまいります。戦争なくして復興なし。そうした中において戦争へと一歩一歩着実に進めるために全力を挙げてまいります。まさに気分はしっかりともう全力でいわばフル・ティルト・ブギにアウト・オブ・コントロールな戦争をしようと…
 原発はバクハツだ (1)
 
 《ジョン・ウェインが死んだ。しかしアメリカの民主主義が死ぬわけじゃあるま
  いし、とジョン・ガンサーは哄った。朝鮮半島では一人の大統領が射たれ
  て民主主義が謳われ、イランでは一人の首相が辞めて民主主義がやや
  こしくなり、アフガンでは戦車が山を越えて民主主義が山のアナアナにな
  った。忘れてならないのはトルコとマダガスカルだが、ここの民主主義は
  ずいぶん前からてんやわんやだったし、植木等がこれで日本も安心だと
  歌ったので、民主主義はますます恥かしくなった。大友克洋のマンガは
  有名になったが、それで民主主義がどうこうなるというほどのことはなか
  った。好むと好まざるとにかかわらずこれが、1979年12月現在の我々
  の世界だった。大切なのは、人はパンと民主主義のみによって生きるに
  あらずということだ。米だって食うし酒も飲むし、渡哲也以外のたいてい
  の男は女がいないと生きて行けない。流れ者だって生きるには洗面道具
  が要る。 たまには戦争だってしたいんだ、ぼくたちは!》
  (矢作俊彦・大友克洋 『気分はもう戦争』 双葉社:刊 1982年)
 原発はバクハツだ (2)
ドナルド・トランプが勝った。だからアメリカの民主主義が死にそうだとワシントンポストは嘆いた。朝鮮半島では一人の大統領が罷免されて民主主義が謳われ、イギリスでは一人の国会議員が射たれて民主主義がややこしくなり、トルコでは外交官が暗殺されて民主主義が泡踊りした。忘れてならないのはとブラジルとキューバだが、ここの民主主義はずいぶん前からてんやわんやだったし、植木等がこれで日本も安心だと1979年に歌ってから2007年に死んで、民主主義はますます恥かしくなった。片渕須直のアニメは有名になったが、それで民主主義がどうこうなるというほどのことはなかった。好むと好まざるとにかかわらずこれが、2017年3月現在の我々の世界だった。大切なのは、人はパンと民主主義のみによって生きるにあらずということだ。芥子だって食うしコーヒーも飲むし、入江敦彦以外のたいていの男は女がいないと生きて行けない。難民だって生きるには炊事道具が要る。 たまには爆発だってしたいんだ、原発は!
 
 《「面白主義ですか」 
  「そうだよ。明るく。伸坊が右手をバーンと振って、〝いいじゃない、面白
   ければ〟という。そのあとに太いゴチックで〝原発〟と字が出る」 
  「そんなのやったら大変ですよ」 
  「でもここまで反対のムードが立ちこめてきたら、そのくらいバーンと引っ
   くり返すしかないんじゃないの」 
  「じゃあ岡本太郎がいいですよ」 
  「あのビックリ目玉、それは凄い」 
  「両手をバーンと拡げて、〝原発は、バクハツだ!〟」 (略) 
  「まったく凄いですね。でも広瀬隆の『東京に原発を』というのも、本当は
   そうでしょう。〝東京に〟という逆行で光るわけで」 
  「そうだよ。岡本太郎は目玉グリグリでやるところを、広瀬隆はマジメな
  受難者でやっている。それだけの違いで、どんでん返しは同じだな」 
  「あ、東京に原発を、というんで、一村一品という言葉を思い出しました
   よ」 
  「それ……、一村一発!」 (略) 
  「ちょっと皮肉っぽすぎるかな」 
  「そうですね。皮肉じゃつまんないですね」 
  「やはり〝バクハツ〟だな、単純に」》
  (赤瀬川原平 「世界の重みが顔面に作用する」/『ユリイカ』
  1988年9月号/『科学と抒情』 青土社:刊 1989年)
 原発はバクハツだ (3)
原発はバクハツだ! ただ、それが原発であったかコンニャクであったか、原爆か水爆かVXか、知らん、確かめてへんから。だから「あれはコンニャクでした」と言われたら、そうかなと思わざるを得ないな。しかし、現実として爆ぜたんだから何度も、実際に人の手に余っているんだから今でも…これは有事なのか無事なのか? 寛解の途上なのか終焉の最中なのか? あの災厄から6年が経っても大変が続いている。だから食べよう、まだ飲もう、それが日常茶飯だ。そして、顔を上げて目を剥いて手を拡げて共に謀ろう…原発はバクハツだ!
 
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リンド!

ジャンル:その他 / テーマ:ひとりごと / カテゴリ:あ・論廻 [2017年02月13日 05時30分]
谷口ジローが死んだ。「孤独のグルメ」や「『坊っちゃん』の時代」を代表作のように言う訃報だらけだが、首肯しかねる。《…普通の人の日常を描いた大人向けの作品が多い》(「毎日新聞」 2017年2月12日)とまで書かれると、フザケルナと言いたい。信教はローマン・カトリックおそらくジェズイット会員、洗礼名はミゲル…そのミゲル谷口治郎の来歴を以下に記す。
 LINDO! (1)
 《日本人の母親とフィリピン人の父親のあいだに1946年頃ミンダナオ
  島南端のサンボアンガで生まれる。3歳でジェーン台風禍で両親をな
  くし、日本に帰り、瀬戸内海沿岸のカトリック系孤児院で幼少年期を
  送る。孤児院では初等教育を受けながら晩鐘を鳴らす仕事を与えら
  れた。 当時からきわめて闘争的な性格で、また運動能力にも不足は
  なかったため10歳頃から孤児院仲間の思想的支柱または指導的
  存在となり、近隣の町の子供たちとの武闘も指揮していた。勉学の
  方面ではまったく目立たなかったが絵画的才能の片鱗を示し、夏休
  み宿題帳の表紙絵として採用されること再三ならずだった。 1960
  年頃脱走、東京へ向かう。(略) 1960年の安保闘争で左右両方の
  デモ隊におにぎりを売ってかなりの金を摑み、それをシンガポール船
  の船長に握らせて密航をくわだてたが英語の意思疎通が不完全だっ
  たために香港でおろされる。ネイザン・ロードで靴磨きとなって3年を
  過ごし、再び密航に挑戦するが戦時下のサイゴンで放り出される。こ
  こでは空薬きょう拾いと米軍相手の似顔絵描きとして生計をたててい
  た。 1968年頃、知りあった米兵の好意にすがって空母エンタープラ
  イズの艦内メッセンジャーボーイになり、1970年、佐世保に入港し
  た機会に船をおりる。 その後はテキ屋の手伝いをしながら学費をた
  め、1972年早大夜間学部に入学。学生生活にあきたらず、深夜、
  地下鉄工事の労働者として働きながら私立探偵をめざしてアイフル
  探偵学校に入学。ここで関川夏央と出会う。 1976年から「夢と希望
  をもってマンガをつくろう」を合言葉に関川とマンガを制作し、ついに
  自分の天職を発見したと感じる。 1981年に関川が海外逃亡してか
  らはほとんど単独で仕事をつづけている。日曜日には教会に通い、
  夕方にはベランダでシェリーをなめながら冒険に満ちた前半生をふり
  返る毎日であるようだ。》 (谷口ジロー・関川夏央 『暴力街21分署
  〈無防備都市〉』 竹書房:刊 1985年)
 LINDO! (2)
谷口ジローと会った関川夏央は《「夢も希望も捨ててマンガをつくろう」と誓いあって》と食い違った証言をしているので、前記の来歴にも不確かなところがあるのかもしれない。しかし、そんなことはどうでもよい。ミゲル谷口治郎こそ、私が渇仰するピカレスク谷口ジローなのだ。
 
 《デビュー以降、動物ものとハードボイルドに、さらに格闘などのアク
  ションものや冒険ものに卓越した技量を発揮した。正確なフォルム
  は原作者たちを驚嘆させ、動作から動作への移行を緻密に描いて
  同業のマンガ家たちをうならせる。(略) 転機となったのは92年の
  『犬を飼う』。短編で小学館漫画賞をとるのは異例のことで、自信
  になったという。ここから、人間と動物、人と人のきずなを描く90年
  代の中・短編群が継続して生まれた。》 (斎藤宣彦/アエラムック
  AERA COMIC 『ニッポンのマンガ』/朝日新聞社:刊 2006年)
 
小学館漫画賞審査委員特別賞や日本漫画家協会賞優秀賞や手塚治虫文化賞マンガ大賞や文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞やフランス芸術文化勲章(シュヴァリエ)なんて、クソくらえだ。私が驚嘆させられた犬は、「犬を飼う」のタムではなくて「ブランカ」だった。「歩くひと」よりも走る「ルード・ボーイ」の黒米弥太郎に唸った。唸るといえば、「事件屋稼業」を読んでからはトイレで「デル…デロ…デッラ…」と唸るようになった。《人と人のきずなを描く90年代》なんて、クソくらえだ。
 LINDO! (3)
 《忘れもしない1990年11月29日。犬の死からひと月近い、雨の降る、
  寒い日でした。私達は神保町の喫茶店で会いました。暖かな炭火珈
  琲をすすりながら、私はこの犬の話をしてみました。(略) こうして「犬
  を飼う」が生まれ、私の小さな望みが叶えられました。》 (谷口ジロー
  「思い出すこと」/『犬を飼う』 小学館:刊 1992年/2002年文庫化)
 LINDO! (4)
文芸コミック(?)の「犬を飼う」には、《生きるという事、死ぬという事、人の死も犬の死も同じだった》と記されている。飼い犬の死から26年余が過ぎて、2017年2月11日に飼い主の谷口ジローが死んだ。いや、雨の降る寒い日に《暖かな炭火珈琲》をすすっていた時点で、ピカレスク谷口ジローは既に死んでいたのかもしれない。だから、「死ぬには好い日だ」や「可愛い死神」を読み返そう…晴れて暖かい日に《ベランダでシェリーをなめながら》。そして、最後に今は亡き谷口ジローに「LINDO(リンド)!」という言葉を贈る。
 
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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