蕎麦に居るね 31

ジャンル:グルメ / テーマ:蕎麦 / カテゴリ:食の記 [2018年07月05日 01時30分]
機械打ちの蕎麦は如何か? 機械打ちの蕎麦は駄蕎麦か? 新島繁は「機械打ち」を《手打ちの対語》とするが、他方で「手打ち」をこう説く。
 《そば切りが江戸で市販されてから、しかも機械打ちのなかった時代に「手
  打そば」という言葉があらわれた。これは当時の「駄そば」(二八そばと
  も)に対抗した言葉で、生粉打ちの上製という意味である。「駄は粗なり」
  の意とされるから、手打ちを看板とした店は、自ら一級店を名乗ったも
  のと察せられる。》 (新島繁 『蕎麦の事典』/柴田書店:刊 1999)
だがなぁ、『誹風柳多留』に「手打そば 下女前だれを かりられる」という川柳があるように、落語の「そばの殿様」みたいな駄蕎麦未満の手打ちがあったのかもしれない…それじゃ‘奇怪’打ちだぜ。では、機械打ちの蕎麦は奇怪な蕎麦か?
 
 
2018年6月2日
 蕎麦に居るね31 (1) 蕎麦に居るね31 (2)
「かめや」(新宿店)で、「元祖冷し天玉そば」を食す。
 《元祖天玉そばは、生玉子ではなく温泉玉子を使っている。(略) 温泉玉子
  が優れた点は、玉子を箸で切ってもつゆが濁らず、食べやすいことだと
  思う。うまいつゆとそばを食べてもらいたいという配慮から生まれたアイ
  デアだろう。》 (坂崎仁紀 『ちょっとそばでも 大衆そば・立ち食いそばの
  系譜』 廣済堂出版:刊 2013)
最中種(もなかだね)屋から甘味喫茶を経て転業した上野池之端の鰻屋(龜屋一睡亭)が、どうしてションベン横丁(新宿西口商店街)で蕎麦屋を始めたのか? 温泉玉子で天玉を‘元祖’にしたのはなぜか? そんな考えても仕方がないことを考えながら、座って食べる立ち食い蕎麦屋のレジェンド(?)を味わう。とびきり美味いわけではないが、何も不味くなくてかなり美味い。
 
2018年6月3日
 蕎麦に居るね31 (3) 蕎麦に居るね31 (4)
「蕎麦 冷麦 嵯峨谷」(神保町店)で、「天もりそば」を食す。
訪店する前に母体の越後屋が投資ファンド(J-STAR)の傘下となった新興チェーン。十割そば系で食餌として使うに適当なのは「そば処 吉野家」と同様だが、「嵯峨谷」の麺は平打ち(正確には平押出し?)で舌触りはソフトだが雑っぽい臭みが強い。麵も汁も味はそれほど悪くないが、店に風情が感じられないところは価値判断が業態と損得勘定しかないからだろうなぁ。
 
2018年6月24日
 蕎麦に居るね31 (5) 蕎麦に居るね31 (6)
「よもだそば」(名古屋うまいもん通り広小路口店)で、「特大かき揚げそば半カレーセット」を食す。
名古屋駅で「みたて」から「晨光庵」そして「千成」へと七転八倒して‘よもだ’な立ち食い系蕎麦屋が、2017年12月より「よもだそば」の3号店となった。約2年前に日本橋店を訪ねて以来の「よもだ」で、カレーセットに初めて挑む。
 《ヱスビーのカレー粉をベースにして、そのバランスを崩すためのスパイス
  を何種類か加えると、インドカレーっぽくなるんです。そして、酸味を前に
  押し出すためにトマトとヨーグルト。》(九十九章之:談/平松洋子 『味な
  メニュー』 幻冬舎:刊 2015)
モチッとした感じの麺にも(かき揚げというよりも)玉葱揚げにも汁にも甘味が薄っすらとあって好い。だが、この蕎麦の調和に《酸味を前に押し出す》カレーが全く合わない、セット失敗。
 
2018年7月1日
 蕎麦に居るね31 (7) 蕎麦に居るね31 (8)
「更科」で、「冷やしたぬき」(W:油アゲ3枚追加)を食す。
久しぶりに岐阜の「更科」、この店は二重に‘オカシイ’。まず屋号に反して(?)御膳粉どころか黒々とした小麦粉7割の麺、さらに揚げ玉(天かす)に加えて油揚げがのった「冷やしたぬき」が名物。東海林さだおならば「それ、いたちそば」とツッコムかもしれない(参照: 東海林さだお 『ナマズの丸かじり』 朝日新聞社:刊 1991)。もっとも、「更科の蕎麦はよけれど高稲荷(たかいなり) 森(もり)を睨んで二度と来ん来ん(コンコン)」の麻布永坂の高稲荷下が江戸蕎麦の‘更科’系譜の源流なのだから、今般に岐阜「更科」で「冷やしたぬき」大盛りに油揚げをさらに3枚増しても‘オカシイ’わけではない。でぇれぇあんめぇ油揚げまるけの「冷やしたぬき」、ワシワシ混ぜてモグモグ食べる大衆蕎麦、美味い。
 
2018年7月2日
 蕎麦に居るね31 (9) 蕎麦に居るね31 (10)
自宅で、「人参とシメジのぶっかけ蕎麦」を食す。
半夏生、桂歌丸(1936-2018)が死んだ。蕎麦屋が登場する落語「おすわどん」は、桂歌丸の得意の演目だった。「おすわどん」は古くに上方噺だったのが江戸へ伝わったのだろう、桂米朝(三代目:1925-2015)がエッセイ「おそばの落語」(季刊『新そば』4号 1961/『そばと私』 文春文庫に収載)で紹介しているように、妻妾同居となった悪妾の‘おすわどん’が本妻をいびり殺すというものだった。これが近来は変わる。柳家喜多八(1949-2016)は妻妾同居でも円満で陰惨な描写を抜いた話で演じていたし、桂歌丸と三遊亭圓楽(五代目:1932-2009)は先妻が病死した後添いとして‘おすわどん’を描いていた。変わらないのは‘おすわどん’を‘おそばうどん’とする地口で、昔はこれで話を落としていたらしい。桂歌丸が口演した「おすわどん」の録音を聴きながら、滝沢食品の十割干しそばを茹でて「人参とシメジのぶっかけ」を夏越しの蕎麦として摂る。落語「おすわどん」は悪因苦果の復讐譚から稀代奇矯の怪異譚へと変わってきたのだなぁ…では、機械打ちの蕎麦は奇怪な蕎麦か? して、これをなんとするのだ? へぇ、手打ちになさいまし。
 
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食の幻想 いつつぶす?

ジャンル:グルメ / テーマ:これは美味い!! / カテゴリ:食の記 [2018年05月22日 01時30分]
「食(メシ)の記号論」という興味深いテーマで日本記号学会第38回大会が名古屋で催され、マンガが描く食も論じられるらしい…面白そうだ。学会員でなくても聴講できるので、行ってみよう。おっと、その前にマンガの中の食について村上知彦が15年ほど前に語っていた、その論考を読み返す。食をテーマにしたマンガとして『美味しんぼ』から始まって『包丁人味平』・『クッキングパパ』・『夏子の酒』などが取り上げられ、マンガが描いた食として『少年児雷也』から「ララミー牧場」や「偏食」などが論じられ、最後はこう締められている。
 食の幻想 いつつぶす? (1)
 
 《“グルメ・料理まんが”は、確かに「食」を主題としたまんがではある。それ
  は日本の食文化が、大衆的なレベルで「食」を趣味や議論の対象とする
  までに成熟したことの証しでもあるのだろう。しかし、まんがが描きだして
  きた「食」の風景は、実はその先にこそあるのだろう。バブル崩壊を経て、
  グローバル化の波にもまれるいま、日本人の「食」をめぐる官能はどの
  ように変化し、何を切実に欲望しているのか。それらを抽出するために
  は、身体の感受性に敏感な少女まんがやエロまんがあたりの、より詳細
  な検討が必要になるだろうというのが、最終的に描かれるべき見取り図
  のいま思い浮かぶ構図である。》 (村上知彦 「まんがの中の〈食〉 “グル
  メ・料理まんが”は何を描いてきたか」/『國文學』7月臨時増刊号 古典
  文学から現代文学まで「食」の文化誌/學燈社:刊 2003)
 
さて、《日本人の「食」をめぐる官能はどのように変化し、何を切実に欲望しているのか》…私は日本記号学会の大会2日目、2018年5月20日の午後の部を覘いてみた。
 
 食の幻想 いつつぶす? (2)
日本記号学会第38回大会 「食(メシ)の記号論」 (2日目)
(名古屋大学 情報学研究科棟1F 第1講義室)
◎第2セッション「マンガが描く食──『目玉焼きの黄身 いつつぶす?』と
 行為としての〈食べること〉」 司会:佐藤守弘
 吉村和真 「マンガは何を食べてきたのか」
 おおひなたごう 「『目玉焼きの黄身 いつつぶす?』をめぐって」
◎第3セッション「全体討論──食は幻想か?」 司会:室井尚
 山口伊生人「「ヘボ追い」ってなに?」
 
以下、備忘語録(順不同:敬称略)。
作る(制作)『クッキングパパ』⇒料理(作品)『美味しんぼ』⇒食べる(受容)「夜行」・『ダンドリくん』。〔佐藤〕/『ロストワールド』:「葉緑素を持った女陰」:食←生→性。『1日外出録ハンチョウ』第19話「混沌」(名古屋編)。最近のグルメ漫画で一番元気がいいのはコンビニ漫画。〔吉村〕/朗読紙芝居(?)。二郎とみふゆは自分と嫁。ギャグよりストーリーと食べ方をどう絡ませるのかが難しい。食マンガはエロマンガに近い(前フリいらないという人多い)。食べるシーンは好きじゃない(単調or恥ずかしい)。〔大日向〕/「ヘボ追い」いつ・どこで・どうやって:創造性をあらゆる部分に伴った文化。ハチの子の位置づけ:都市と付知町(身の回りにいるものあるものを採る)。〔山口〕/食べることと食べないこと(檜垣立哉):自然界の‘食らいあい’から距離をとるために料理する:『ソイレント・グリーン』。「手作り」という幻想(久保明教):食べさせたい・食べなきゃいけない。食の表象:皆根拠がない拘りに確信持っている。〔室井〕
 食の幻想 いつつぶす? (3) 食の幻想 いつつぶす? (4)
 
「マンガが描く食」については、‘食と性’の話題も含めて村上知彦曰くの《最終的に描かれるべき見取り図》が展観されたように思う。「食は幻想か?」については、マンガや‘ヘボ追い’の話題も含めてレヴィ=ストロース曰くの《料理の自然の側に位置する消化と、文化の側に位置する調理法から食卓作法までの広がり》(『神話論理』III 「食卓作法の起源」)が検証されたように思う。そして最好なのは(秋庭史典大会実行委員長はコンビニの値引き弁当を冷たいまま食べ続けている)「アキバ問題」で、《一番自由なのは秋庭さんかもしれない》(室井尚)や《アキバ問題はない。僕たちはみんな秋庭さんだ》(吉岡洋)などに爆笑。なるほど「アキバ問題」もまた、《食卓作法について言えば、それは調理の仕方に上乗せされた摂取の作法であり、ある意味では二乗された文化的加工とも見なすことができる》(「食卓作法の起源」)のである。「食(メシ)の幻想 いつつぶす?」…そう笑いたくなる実に楽しい聴講だった。
 
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蕎麦に居るね 30

ジャンル:グルメ / テーマ:蕎麦 / カテゴリ:食の記 [2018年05月17日 01時30分]
蕎麦屋には、ドトールコーヒーショップのような蕎麦屋もあれば、バッハグループの珈琲屋のような蕎麦屋もあるし、クリソが売りの純喫茶のような蕎麦屋もある。そこには謎があり、また、だからこそ面白い。
 
2018年4月5日
 蕎麦居る30 (2) 蕎麦居る30 (1)
「そば処 吉野家」掛川パーキングエリア上り店で、「かき揚げエビ天重(小)と冷しかけそばセット」を食す。
「青い吉野家」でおなじみ(?)のチェーン店「そば処 吉野家」、当初はBSE問題の対策で多角化の実験展開だった(2007年~)が、それから10年余が経つ。新東名高速道路が一部供用されたと同時に掛川PAでも開店していた(2012年4月)が、このPA店舗には初訪。「そば処 吉野家」は《お店で「打ちたて」「茹でたて」》を謳うが、製麺機で「押出したて」(?)された十割そばは相変わらず雑っぽくも蕎麦臭い安定の味わい。腹塞げの蕎麦を昼飯‘一食’へ増量するかき揚げと海老天の天重、そこに可否はない。可否なく食餌として使うに適当。
 
2018年4月6日
 蕎麦居る30 (4) 蕎麦居る30 (3)
「そばの花」で、「すずしろ天」(ぶっかけ、小海老天5本)を食す。
静岡県島田市にある「そばの花」、我が故郷に「新たな蕎麦屋が出来たな」と思ってから29年が経つ。約15年ぶりの訪店。2017年に商標登録(第5935706号)された「すずしろ天」、その名の通りに大根のケンと小海老天を二八の蕎麦へ盛ったぶっかけ。喉ごしよく強くも清涼にソバが薫る麺、程よくキレのある汁、混ぜ食べて味も口当たりもピッタリな具、思わず「こんなに美味かったっけ?」と見事な調和に笑う。正しく凡庸だが安定して進化する店…以前に「八兵衛」を「カフェ バッハ」と喩えたが、「そばの花」は蕎麦屋版「カフェ デ コラソン」(?)。美味い店の再発見は嬉しい。
 
2018年5月12日
 蕎麦居る30 (6) 蕎麦居る30 (5)
「やっこ」で、「ミニ丼(衣笠丼)とキーシマ」を食す。
京都で「嗜好品文化フォーラム」に参加中の昼飯に、会場近くの蕎麦屋「やっこ」」(中京区冷泉町)を初訪。だが、食べたのは蕎麦ならぬ黄(きぃ)そば「キーシマ」、甘汁(うどん汁)に中華麺が入っている。汁の味は薄めだが予想ほどに甘みはなく、麺もかん水控えめで強い味がなく柔らかな口当たり…京都だなぁ。葱、七味唐辛子、粉山椒の順に薬味を入れて味わう…ふむ、山椒が合う(衣笠丼には七味が合う)。あ、これじゃ「蕎麦に居るね」ではなくて「蕎麦屋で蕎麦の側(そば)に居るね」(?)だ…まぁいいや。
 
〔余考〕 符丁「シマ」の正体。蕎麦? 米?
 蕎麦居る30 (7)
京都の蕎麦屋「やっこ」では、「シマ」を蕎麦の隠語として使用している。「やっこ」の川畑家では《シマはかけそばを指す》と説明することも多いようだが、ハイカラキーシマやカレーキーシマという用法では種物にも使われているのだから、結果として「シマ」は蕎麦を指す符丁といえよう。では、蕎麦を「シマ」と呼ぶのは何故か? 大阪で発した「島」(シマ)が「やっこ」にも伝わったのだろうか?
 《きたづめ【北詰】 そばのこと。かつて大阪堂島橋の北詰で相場が立ったの
  で、相場を「そば」にもじったもの。シマ(島)とも。(大阪)》 (新島繁 『蕎麦
  の事典』 柴田書店:刊 1999)
 蕎麦居る30 (8)
大阪の蕎麦屋「北浜 更科」や「吉祥庵」(中之島)では、「シマ」をごはん(米飯)の隠語として使用している。カモシマといえば鴨なんばとごはんが出てくる「北浜 更科」の池田家は、《戦前の船場の商売人の符丁で、元は堂島の「島」から由来》と説明しているようだ。
 《シマ 米のことをいう隠語。米穀取引所のあった堂島の略である。》 (牧村
  史陽:編 『大阪ことば事典』 講談社:刊 1979)
 蕎麦居る30 (9)
つまり、「シマ=蕎麦」の場合も「シマ=米(ごはん)」の場合も、どちらも堂島の「島」(シマ)に由来するらしい。大坂の堂島米会所は江戸時代中期の1730(享保15)年に開設され、明治維新で一旦廃止されるも1871(明治4)年に復活、その後は1893(明治26)年に「大阪堂島米穀取引所」となって1939(昭和14)年に廃止されるまで続いた。京都の「やっこ」は1930(昭和5)年創業、大阪の「更科」は1928(昭和3)年創業、いずれの当時も堂島に取引所があり、その「島」(シマ)で相場が立ったので「シマ=蕎麦」でも、「島」(シマ)が米の取引をしたので「シマ=米(ごはん)」でも、理屈は通る。だが、蕎麦屋という同じ業態で「シマ」という符丁が異なる品へ与えられて二分したのは何故か? それは謎である。符丁「シマ」の正体は、まだハッキリとは見えない。
 
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蕎麦に居るね 29

ジャンル:グルメ / テーマ:蕎麦 / カテゴリ:食の記 [2017年12月31日 23時30分]
《旧年を回顧し反省する気持ちで大晦日に食べるそば》を「思案蕎麦」というらしい(新島繁 『蕎麦の事典』/柴田書店:刊 1999)。2017年の大晦日、年越し蕎麦を食べながら思案する。トレラン大会へ出向く機会が減って、山間の蕎麦屋も訪ねなかったなぁ。何だか駄蕎麦ばかり食べていたような気がする。だが、駄蕎麦だって蕎麦だ!
 
2017年10月28日
 蕎麦に居るね29 (1)
自宅で、「マルちゃん 緑のたぬき天そば ぶ厚い特製天ぷら入り(東向け)」を食す。
東洋水産曰く、《ボリュームのあるぶ厚い特製天ぷらと、鰹だしの風味際立つこだわりのつゆに、なめらかでのどごしの良いそば。コンビニエンス向けの商品です》と。通常品より4グラム重いだけで‘ぶ厚い’というべきか思案する。こうした即席カップ麺は「和食;日本人の伝統的な食文化-正月を例として-」として無形文化遺産なのかを思い惑い、原産地が中国・アメリカ・カナダ・ロシアのソバ粉を使っても「和食」なのかを思い迷う。
 
2017年11月19日
 蕎麦に居るね29 (2)
「そば処 為治郎」で、「にしんそば」を食す。
江戸時代からの京都の老舗、八ッ橋屋(本家西尾八ッ橋)は前期の元禄年間に、蕎麦屋(松葉)は末期の文久年間に創業。で、後の明治期に松葉が看板メニューを案出して…その「にしんそば」を八ッ橋屋が東京一番街に出した蕎麦店で食べる。こうして順序も中身も場所もズレている店の駅蕎麦だから思案せざるを得ない。遅い昼飯として東京で食べた看板違いの「にしんそば」だが、一緒に出てきた八ッ橋ほどはウマくなかった。
 
2017年11月29日
 蕎麦に居るね29 (3)
「飛水庵」で、「天ざる(大盛)」を食す。
珈琲屋の樋口さんと岐阜市内は徹明町交差点近くの地下にある蕎麦屋で昼飯。この「飛水庵」は、品書きが蕎麦にうどんに丼物に定食まであって全席喫煙可、手打ち蕎麦屋だが大衆食堂でもある。だからといって、駄蕎麦扱いまではさすがにしないが、大盛りのざる蕎麦は海苔も大盛りで邪魔。気取った蕎麦話で思案するよりもひたすらズルズルと蕎麦を食べている方が好いけれど、海苔が邪魔。
 
2017年12月2日
 蕎麦に居るね29 (4)
「そば 居酒屋 かぐらや 秋葉原店」で、「牡蠣南蛮蕎麦」を食す。
東京で柳原通りのバザールを覘いた後に近くの(以前は高田屋だった)蕎麦居酒屋で昼食。師走の週末とあって満席で空き待ち20分。さらに10分待って出てきた「牡蠣南蛮蕎麦」は、甘汁の味は悪くないがヌルい、麺はずる玉を空煮えさせたように表面がネチャネチャ。こんなことなら「岩本町スタンドそば」へ行くべきだったなぁ。アスラポートに統合されたとり鉄の経営を思案しようにも、この蕎麦の仕立てには批難が先だ。
 蕎麦に居るね29 (5)
「そばいち 神田店」で、「落花生入り根菜かき揚げそば」を食す。
珈琲屋巡りの後に電車の乗り換え途中で神田駅構内の蕎麦屋で夕食。NRE(日本レストランエンタプライズ)の展開する駅蕎麦店で食べるのは2016年春の「いろり庵きらく 上野店」以来。NRE曰く、《クイックでありながらも、美味しい食事を楽しみたい、そんな願いを叶える粋でおしゃれなエキ蕎麦です》と。「きらく」では蛸だったが今般の「そばいち」は落花生入り、かき揚げを弄ることだけに思案しているようだけど確かに使える店だ。
 
2017年12月3日
 蕎麦に居るね29 (6)
「小諸そば 神保町店」で、「かき揚げそば(1.5倍)」を食す。
コーヒー催事前の昼飯に寄ること3回目の訪店。店内で催事参加者にバッタリ遇うことも3回目。事業を抱える三ツ和曰く、《小諸そばは、“早くて、安くて、おいしい プラス清潔で良いサービス”という商売の鉄則のもと…》と。そう、「小諸そば」は駄蕎麦の‘鉄則’を満たしているのであって、それ以上でもそれ以下でもない。「かき揚げそば」を食べながら「小諸そば」独自の味は薄いけれども、それでイイのかダメなのかを思案する。
 
2017年12月31日
 蕎麦に居るね29 (7)
自宅で、「日清のどん兵衛 鴨だしそば」を食す。
昼食に自宅で生蕎麦を茹でて「ざる蕎麦」を食べたが、本来の‘元日そば’に相当する年越し蕎麦は日暮れて夜更けてから食べるもの。思案して、即席カップ麺の「10分どん兵衛」を「きつねうどん」ではなくて「鴨だしそば」で挑んで年越し蕎麦とすることに。日清食品曰く、《食感がよく甘みのある下仁田系ネギを搭載し、鴨の脂の旨みがきいたやや甘めの上品なつゆが特長の鴨だしそば》と。「10分どん兵衛」の蕎麦バージョン、麺が汁を吸ったのに意外と食感はしっかりしている。カップ麺独特の臭みはむしろ減じたか。10分の方がイイとは言わないが、10分でもイイ。何だか駄蕎麦ばかり食べていたような気がするが、駄蕎麦だって蕎麦だ!
 
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蕎麦に居るね 28

ジャンル:グルメ / テーマ:うどん・そば / カテゴリ:食の記 [2017年08月07日 05時30分]
「夏の蕎麦は犬さえ食わぬ」とか「夏の蕎麦は継子(ままこ)にやれ」とか言われるが、夏に蕎麦を食してマズイわけではない。夏土用に旬外れの鰻を食うよりはマシだろう。土用に蕎麦、ええじゃないか。
 
2017年7月25日
 蕎麦に居るね28 (1)
「八兵衛」で、「田毎」(冷)を食す。
一の丑、蕎麦屋「八兵衛」(静岡県藤枝市)を久しぶりに訪ねる。冷たい「田毎」を注文し、そういえば‘たごと’は蕎麦屋の屋号にも種物の名にも使われているが先はどちらだろう、などと考えながら待つ。きたきた。…ん? 麵の透明感がさらに増したよう。チュルチュルとした感触と香り立ちも良い噛み応え。卵の黄身・海老天の衣かす・鰹節・海苔などが渾然と絡み合った麵もまた好し、この「田毎」のような種物の時にも押し挽き独特のキレの良さが発揮されるのか、と食べ進める。やいやい、ばかに上出来だっけ。
 
2017年8月4日
 蕎麦に居るね28 (2)
「そば茶寮 秋や」で、「紅おろしぶっかけそば」を食す。
NEXCO中日本が2015年に開いたテラスゲート土岐の地域連携施設「まちゆい」、恵那川上屋のパフェ屋が退店して、岐阜地区で居酒屋を運営する楽が2017年7月21日に蕎麦屋を開業した。その「そば茶寮 秋や」(岐阜県土岐市)を初訪。紅芯大根(?)の色が効いている「紅おろしぶっかけそば」、麵も大根も不味くはないが面白味が薄い。…ん? 海老玉をぶっかけると味わいが良くなった。この蕎麦屋は使えるが、市費の補助が続く限りの施設全体がイマイチ。さて、1年2年の後はどうなっているか?
 
2017年8月6日
 蕎麦に居るね28 (3)
自宅で、「むきそば」(冷)を食す。
二の丑にして節分。立秋前日に節分蕎麦を食べることは‘一般的’ではない。それでも食べるとすれば特殊な蕎麦にしよう。作るしかないな。
 
 《それならば、しかし、さらにサラサラと快い食品として、「剥き蕎麦」という
  ものを挙げなければなるまい。むかし、黒川能というものを見に、山形
  へ行った。酒田のある禅寺のご住職が知り合いで、幾晩か泊めて貰っ
  た。(略) 粒のままの蕎麦を炊いて、炊きたてをすぐに冷水に晒してさ
  まし、上から冷たく冷やした澄まし汁をたっぷりと張る。もみ海苔とワサ
  ビくらいの簡単な彩りをのせて、それででき上がりである。(略) ウム、
  あれが本当のサラサラだな、と今でも喉が覚えているのである。》
  (林望 「さらさら」/『音の晩餐』 徳間書店:刊 1993年)
 
 《そばごめ【蕎麦米】 玄ソバを水から煮て、殻の口が開くころ塩を入れ、
  それから取り出してムシロ干しする。ソバの稜を崩さないように脱穀す
  るが、塩加減(水の量の一%)と干し具合に秘訣があるという。》
  (新島繁 『蕎麦の事典』/柴田書店:刊 1999年)
 
林望氏は《むきそばは、信州では「そば米」という。要するにそばがらを取ったそばの粒である》(前掲書)と記しているが、これでは玄ソバを丸抜きしただけのものが《むきそば》(そば米)のようで説明不足。本来の蕎麦米(むきそば)は、コメでいう本来の糒(干し飯)と同様に加水加熱処理してから脱殻した保存原料である。…とは言ったものの、今般は宮崎県産の玄ソバ丸抜きしか手元にないので、なんちゃって「むきそば」(あるいはなんちゃって「冷し蕎麦雑炊」?)とする。丸抜き実を炊いて冷水で洗いしめ、冷たい出汁をはり、蒸しほぐした鶏ささみとカイワレ大根をのせる。ウム、本来の蕎麦米より甘皮が多く残って蕎麦の風味が濃くなったが、口当たりはこれも《本当のサラサラだな》、ウマい。夏の土用に蕎麦、その遊歴をさらさらと締める。
 
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もり・かけ・ぼっとり

ジャンル:グルメ / テーマ:うどん・そば / カテゴリ:食の記 [2017年07月30日 01時30分]
森友学園問題と加計学園問題で揺れる政局を蕎麦に譬喩して「もり・かけ」…上手いけれども手繰る蕎麦が不味くなる迷惑な話だ。蕎麦の「もり・かけ」は、形態では「もり」が先んじて「かけ」が後を追ったが、名称では「ぶっかけ」のレトロニムとして「もり」が生じた。学園の「森友・加計」は、学校法人化では「かけ」が先んじて「もり」が後を追ったが、創立と政局では「もり」が先で「かけ」が後だった。
 もり・かけ・ぼっとり (1) もり・かけ・ぼっとり (2)
 
 《もともとそば切りは、汁につけて食べるものだったが、元禄(一六八八~
  一七〇四)のころからか、汁につけずにそばに汁をかけて食べる「ぶっ
  かけ」がはやるにつれて、それまでの汁につけて食べるそばと区別す
  る必要が出てきた。そこで生まれた呼び名が「もり」である。安永二年
  (一七七三)版『俳流器の水』初編に「お二かいハぶっかけ二ツもり一
  ツ」の句が見えるので、すでにこの時代には一般に使われていたよう
  だ。》 《ぶっかけがかけとなったのは寛政(一七八九~一八〇一)にな
  ってからである。》 (新島繁 『蕎麦の事典』/柴田書店:刊 1999年)
 
 もり・かけ・ぼっとり (3) もり・かけ・ぼっとり (4)
句では「お二階は…」と言われているが、二階俊博(自由民主党幹事長)は、作り話「一杯のかけそば」に泣いた金丸信を師と仰いでも、翁長雄志(沖縄県知事)と食べたのは沖縄そばだった(2016年10月6日)。「もり・かけ」問題の当事者である安倍晋三(内閣総理大臣)は、森友学園で昭恵夫人が講演した3日後、加計学園の加計晃太郎理事長と会食する9日前、岩手県北上市の蕎麦屋で地元住民らと食べたのは天ぷら蕎麦だった(2014年12月9日)。ズル玉のようで手繰る蕎麦が不味くなる迷惑な話だ。手繰らない蕎麦、私が未だ見たことも食べたこともない蕎麦へ話を移そう。「蕎麦ぼっとり」とは何か?
 
 《ソバボツトリ 蕎麦粉にて製せる団子にて、蕎麦餅とも言ひ、山の神祀
  りのゴク(供物)の一つなり。山の神祀りには、其他とろゝ汁、御幣餅、
  小豆飯等を総て味無しに作りて備ふるなり。祠の脇に粗末な小屋設
  けあり。年番のもの其処にて仕度をなし、夕方より宵の内迄籠るなり。
  村々にて幾分の異同あり。また春秋にて相違あるらし。而して直会は
  別に頭屋にて行はるるなり。》 (早川孝太郎 「参遠山村手記」/『民
  族』3巻1号 1927年/収載 『日本民俗誌大系』第11巻 未完資料
  2 角川書店:刊 1976年) 
 
 《そばぼっとり【蕎麦ぼっとり】 山の神祭りの供物の一つで、「そばもち」
  ともいう。供物はほかに小豆飯、味噌をつけない御幣餅など、いずれ
  も味をつけないで作る。北設楽郡ではそば団子のこと。(愛知県) 
  静岡県磐田郡水窪町大野区大沢(現・浜松市)では、そば焼き餅をい
  う。》 (新島繁 『蕎麦の事典』/柴田書店:刊 1999年)
 
「蕎麦ぼっとり」は、静岡県北西部の北遠地区(≒天竜区)と愛知県北東部の奥三河地区(≒北設楽郡)に分布する蕎麦食である。秋葉街道(国道152号線)とJR飯田線と天竜川が南北に貫く山間地域で食される「蕎麦ぼっとり」は、早川孝太郎や新島繁の言説によれば山の神への供物である。だが、「蕎麦ぼっとり」は直会(なおらい)をする‘ハレ’の食に限られるとも言いきれないようだ。
 
 《水窪町草木の場合、一日の食事はアサジャ(チャノコ)・アサメシ・ヒル
  メシ・サンバンジャ・ユーメシ・ユーナゴとなっていた。このうち基本的
  な食事はアサメシ・ヒルメシ・ユーメシの三度で、その前後に三度のコ
  バミ(小食み)がある。通常朝と昼の主食はムギ飯で、晩はムギ飯と
  ともにソバキリ・ソバボットリなどを添えて食生活に変化と潤いを与え
  ていた。》 (『静岡県史』資料編25 民俗三 「作物と食体系」 p.411/
  静岡県:刊 1991年)
 
 《こういった山々に囲まれた山里水窪での、大変なご馳走が蕎麦。蕎麦
  の料理は数々あれど、最高は、何といっても「蕎麦ぼっとり」。蕎麦粉
  を、ただ単にお湯で溶いて団子を作り、七輪の炭火で軽く焼いて、表
  面の水分を飛ばせば出来上がり。そのまま食べても美味いが、ちょっ
  と醤油をつけて食べると不思議な美味さ。蕎麦粉一〇〇%はいうまで
  もないが、蕎麦粉とお湯の分量は、作って下さったおばあちゃんの勘
  だけ。お湯の温度も。簡単にみえる料理ほど実は難しいとはよくいわ
  れることだが、この勘は絶妙だ。蕎麦搔きに似ているが、表面を焼く
  ところに違いがある。表面の水分を飛ばすと香ばしさが加わって美味
  さをさらに引きだしている。「ぼっとり」の名前は、形状がぼっとりして
  いるところからか。》 (安田文吉 尾張飲食夜話18「そばぼっとりと秋
  葉さん」/『あじくりげ』647号 2011年10月/収載 『なごや飲食夜
  話 二幕目』 中日新聞社:刊 2014年)
 
『静岡県史』の「作物と食体系」や『あじくりげ』の安田文吉の言説によれば、「蕎麦ぼっとり」が日常食として‘ケ’の食へと変ってきたようにも捉えられる。古くからの狩猟採集を併せて山間の傾斜地を耕作して徐徐に定住化していった時代、焼畑の輪作はソバから始まった。この時代に祭祀儀礼に沿った‘ハレ’の食であった「蕎麦ぼっとり」は、近世・近代と時が下って焼畑が減少するとともに食体系の変化の中で日常‘ケ’の食へと近づいていったのだろうか? いずれにしても、「蕎麦ぼっとり」には「もり・かけ」に代表される「蕎麦切り」の歴史とは異なる背景と由来が観取できて実に興味深い。「蕎麦ぼっとり」とは何か? 今後も追ってみよう。「もり・かけ・ぼっとり」と並べてみれば、蕎麦が美味くなる面白い話だ。
 
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美食の迷走

ジャンル:グルメ / テーマ:フレンチ / カテゴリ:食の記 [2017年04月21日 05時30分]
コーヒーを愛好し研究するに先覚たる山内秀文(やまうち ひでのり)氏より、氏が訳出した本の新訂版を恵送いただいた。『フランス料理の歴史』(ジャン=ピエール・プーラン エドモン・ネランク:共著/山内秀文:訳・解説/角川ソフィア文庫 KADOKAWA:刊 2017年3月)である。原著の“Histoire de la cuisine et des cuisiniers:Techniques culinaires et pratiques de table, en France, du Moyen-Age à nos jours”(Jean-Pierre Poulain, Edmond Neirinck)は、その1988年初版が『よくわかるフランス料理の歴史』(大阪あべの辻調理師専門学校:監訳 藤井達巳・藤原節/同朋舎出版:刊 1994年)として、2004年第5版が『プロのためのフランス料理の歴史 時代を変えたスーパーシェフと食通の系譜』(辻調理師専門学校 山内秀文:訳/学習研究社:刊 2005年)として、日本語の訳本が刊行されていた。今般に文庫化された新刊は、2005年の訳本を加筆修正、これに訳者自らの補記を加えたものである。
 美食の迷走 (1)
 
 《…この本の最大の特徴、それは終始グランド・キュイジーヌ、オート・キュ
  イジーヌと呼ばれる最高料理の流れに焦点をあてて、フランス料理の
  歴史をたどっているということだ。(略) アナル派の歴史観が台頭して
  からは、大衆的な料理、日常食と高級料理を等価に扱う歴史書が多い。
  もちろんこうした歴史の捉え方も重要だが、ただフランス料理が普遍的
  な料理として世界に君臨している理由を考慮すれば、高級料理に焦点
  をあてた料理史は、ある意味で本道といえるし、日本のプロの料理人、
  料理の愛好家にとっては納得しやすく、かつ実用的なフランス料理史と
  いえよう。》 (山内秀文 「はじめに」/『フランス料理の歴史』 pp.13-14)
 
まず、私なりの半解を述べよう。オート・キュイジーヌ(haute cuisine:高級料理)の歴史書と聞いて気後れする向きもあろうが、本書『フランス料理の歴史』に臆したり怯んだりしてはつまらない。少なくとも、「オレはナイフとフォークの上品ぶった店では食った気がしない、赤提灯で焼き鳥の方がずっと美味い」などと、僻み根性丸出しの経験則で本書を遠ざけて欲しくない。アナール学派の歴史観の良し悪しは別としても、民衆史とか生活史とか民俗学とか名乗るものの中には‘心性’や‘意識’をむやみやたらに反権力や下層擁護へ結びつける愚論や暴論も多い。だが、私に言わせれば、オート・キュイジーヌの歴史は大衆料理の歴史を追うよりも余程にわかりやすい。オート・キュイジーヌの形成と展開は、その変遷が継承であれ反発であれ、概ねでは体系化や合理化への方向性が明瞭である。それが、《フランス料理が普遍的な料理として世界に君臨している》ことや、《ある意味で本道といえる》ことの理由にもなっている。対して、体系や合理を持たない大衆料理の雑駁さは、気楽なようで真に諦観することを難しくする。だから、仮に「赤提灯で焼き鳥を食べながら」でも話題にするべきは、本書『フランス料理の歴史』のような本についてである。
 美食の迷走 (2)
 
 《プーランが本書を書き終えてからの10年で、オート・キュイジーヌの地
  図は激しく塗りかえられた。(略) フランスには今も多彩な才能が現れ
  ているが、彼らはグローバル化したオート・キュイジーヌの世界では、
  世界に散らばる優秀な料理人の一部に過ぎないともいえる。フランス
  は今後も「フランス料理」の中心であることは変わらないにしても、グ
  ローバル化が進む限りは、これまでのようにオート・キュイジーヌの覇
  権を独占する状況に戻ることは難しいだろう。》 (山内秀文 「フランス
  料理の現在〈2005-2016〉 跋文に代えて」/前掲書 pp.420-421)
 
次に、私なりの曲解を述べよう。文庫化された『フランス料理の歴史』の真価は、山内秀文による《跋文に代えて》という追録にある。旧版にあった挿絵などの図版が新訂版で削られてしまったのは残念だが、《プーランが本書を書き終えてからの10年》の新たな動向、テクノ=エモーショネルやネオ・クラシシズムやネオビストロ(ビストロノミー)などの展開を整え述べた補記は見事である。そして、原著ではフェラン・アドリアによって引き起こされた流れを「美食の迷走」と本文の最終節で非難がましく憂いた著者ジャン=ピエール・プーランと異なり、訳者の山内秀文は《オート・キュイジーヌの覇権を独占する状況に戻ることは難しい》と「フランス料理」の衰亡を冷静に捉えている。料理界の中心円として形成されたオート・キュイジーヌ、黄金期と呼ばれて真円が拡張した19世紀、ヌーヴェル・キュイジーヌの登場で焦点が二重化して楕円となった20世紀、そうしたフランス料理の体系化の歴史に軸ブレはなかった。それが現在は円が崩れて不定形化して中心軸から離れて、料理界における「フランス料理」の優越が衰滅した、そう私は解している。だが、明瞭に君臨する世界帝国が現在の地球上にないからといって、過去の帝国の興亡を探る価値がなくなるわけではない。同様に、プーランらが描いた「フランス料理」の歴史的価値が崩れたわけではない。むしろ、山内秀文の補記による真価は、『フランス料理の歴史』全体を読み返す意義を教えている。
 美食の迷走 (3)
 
 《美食の迷走は、美食体験の中で味覚が食べるという行為に優越するよ
  うになる、この瞬間に始まった。食べるということが、食事をする理由で
  あることをやめてしまったのだ。試食の際にも、最も重要な段階は、口
  に入れるその瞬間になった。そして、飲み込んだ後にくる、感覚の融合
  や統合という価値観は、美食の地平からは消え去ってしまった。 こうし
  た傾向は、ワインが先行している。19世紀まで優勢だった、ワインが
  飲み手に及ぼす効果を含み込んだ、ワインと酩酊の文化から、ワイン
  への関心が味覚の次元に集中する感のある、ワインの味の文化へと
  移行してしまった。だから、今日のワイン分野での危機の大部分は、味
  覚の迷走に関わるものだ。》 (ジャン=ピエール・プーラン 「美食の迷
  走」/前掲書 pp.334-335)
 
さらに、私なりの俗解を述べよう。プーランが「危険かつ誤った騒乱」とも「美食の迷走」とも呼ぶ事態は、分子美食学やテクノ=エモーショネルだけに要素や因子を求められない。例えば、「食育」にも‘騒乱’や‘迷走’が見られる。食育の‘迷走’も、《味覚が食べるという行為に優越するようになる、この瞬間に始まった》のであり、その典型が‘Institut du Goût’(味覚研究所)を創設したフランスのJacques Puisais(ジャック・ピュイゼ)による「ピュイゼ・メソッド」である。フランスで味覚教育として始まった「ピュイゼ・メソッド」、その洗礼を受けた初期の児童は既に40歳代に達していて、中には《優秀な料理人》として活躍する者もいる。この《味覚が食べるという行為に優越する》食育は世界各国に広がりをみせて、日本でも(奇しくも2005年頃から)三國清三らによって盛んに喧伝されている。プーランは「美食の迷走」の傾向を《ワインが先行している》と述べているが、ピュイゼがワインの醸造と香味研究の権威であることに鑑みれば、私には何らの不思議もない。そして、ワインに始まった「美食の迷走」は、私に言わせれば、コーヒーの世界にも及んでいる。プーランの言を書き換えてみよう。
 
 「珈琲の迷走は、喫茶体験の中で味覚が喫するという行為に優越するよ
  うになる、この瞬間に始まった。喫するということが、飲用をする理由で
  あることをやめてしまったのだ。試飲の際にも、最も重要な段階は、口
  に入れるその瞬間になった。そして、飲み込んだ後にくる、感覚の融合
  や統合という価値観は、喫茶の地平からは消え去ってしまった。 こうし
  た傾向は、珈琲が後追いしている。20世紀半ばまで優勢だった、珈琲
  が飲み手に及ぼす効果を含み込んだ、珈琲と覚醒の文化から、珈琲
  への関心が味覚の次元に集中する感のある、珈琲の香味の文化へと
  移行してしまった。だから、今日の珈琲分野での危機の大部分は、味
  覚の迷走に関わるものだ。」 (鳥目散帰山人)
 
さて、私なりの半解なり曲解なり俗解なりが確かならば、料理やワインに興味がある者はもとより、コーヒーなども含めた全ての飲食物を愛好する者にとって、角川ソフィア文庫の『フランス料理の歴史』は必読の書であるといえよう。…さあ、山内秀文よ、怜悧聡慧にして遠識兼照なる訳文と解説を、日本中の食魔へ大いに見せつけるがいい!
 
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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