蕎麦に居るね 28

ジャンル:グルメ / テーマ:うどん・そば / カテゴリ:食の記 [2017年08月07日 05時30分]
「夏の蕎麦は犬さえ食わぬ」とか「夏の蕎麦は継子(ままこ)にやれ」とか言われるが、夏に蕎麦を食してマズイわけではない。夏土用に旬外れの鰻を食うよりはマシだろう。土用に蕎麦、ええじゃないか。
 
2017年7月25日
 蕎麦に居るね28 (1)
「八兵衛」で、「田毎」(冷)を食す。
一の丑、蕎麦屋「八兵衛」(静岡県藤枝市)を久しぶりに訪ねる。冷たい「田毎」を注文し、そういえば‘たごと’は蕎麦屋の屋号にも種物の名にも使われているが先はどちらだろう、などと考えながら待つ。きたきた。…ん? 麵の透明感がさらに増したよう。チュルチュルとした感触と香り立ちも良い噛み応え。卵の黄身・海老天の衣かす・鰹節・海苔などが渾然と絡み合った麵もまた好し、この「田毎」のような種物の時にも押し挽き独特のキレの良さが発揮されるのか、と食べ進める。やいやい、ばかに上出来だっけ。
 
2017年8月4日
 蕎麦に居るね28 (2)
「そば茶寮 秋や」で、「紅おろしぶっかけそば」を食す。
NEXCO中日本が2015年に開いたテラスゲート土岐の地域連携施設「まちゆい」、恵那川上屋のパフェ屋が退店して、岐阜地区で居酒屋を運営する楽が2017年7月21日に蕎麦屋を開業した。その「そば茶寮 秋や」(岐阜県土岐市)を初訪。紅芯大根(?)の色が効いている「紅おろしぶっかけそば」、麵も大根も不味くはないが面白味が薄い。…ん? 海老玉をぶっかけると味わいが良くなった。この蕎麦屋は使えるが、市費の補助が続く限りの施設全体がイマイチ。さて、1年2年の後はどうなっているか?
 
2017年8月6日
 蕎麦に居るね28 (3)
自宅で、「むきそば」(冷)を食す。
二の丑にして節分。立秋前日に節分蕎麦を食べることは‘一般的’ではない。それでも食べるとすれば特殊な蕎麦にしよう。作るしかないな。
 
 《それならば、しかし、さらにサラサラと快い食品として、「剥き蕎麦」という
  ものを挙げなければなるまい。むかし、黒川能というものを見に、山形
  へ行った。酒田のある禅寺のご住職が知り合いで、幾晩か泊めて貰っ
  た。(略) 粒のままの蕎麦を炊いて、炊きたてをすぐに冷水に晒してさ
  まし、上から冷たく冷やした澄まし汁をたっぷりと張る。もみ海苔とワサ
  ビくらいの簡単な彩りをのせて、それででき上がりである。(略) ウム、
  あれが本当のサラサラだな、と今でも喉が覚えているのである。》
  (林望 「さらさら」/『音の晩餐』 徳間書店:刊 1993年)
 
 《そばごめ【蕎麦米】 玄ソバを水から煮て、殻の口が開くころ塩を入れ、
  それから取り出してムシロ干しする。ソバの稜を崩さないように脱穀す
  るが、塩加減(水の量の一%)と干し具合に秘訣があるという。》
  (新島繁 『蕎麦の事典』/柴田書店:刊 1999年)
 
林望氏は《むきそばは、信州では「そば米」という。要するにそばがらを取ったそばの粒である》(前掲書)と記しているが、これでは玄ソバを丸抜きしただけのものが《むきそば》(そば米)のようで説明不足。本来の蕎麦米(むきそば)は、コメでいう本来の糒(干し飯)と同様に加水加熱処理してから脱殻した保存原料である。…とは言ったものの、今般は宮崎県産の玄ソバ丸抜きしか手元にないので、なんちゃって「むきそば」(あるいはなんちゃって「冷し蕎麦雑炊」?)とする。丸抜き実を炊いて冷水で洗いしめ、冷たい出汁をはり、蒸しほぐした鶏ささみとカイワレ大根をのせる。ウム、本来の蕎麦米より甘皮が多く残って蕎麦の風味が濃くなったが、口当たりはこれも《本当のサラサラだな》、ウマい。夏の土用に蕎麦、その遊歴をさらさらと締める。
 
コメント (0) /  トラックバック (0)
編集

もり・かけ・ぼっとり

ジャンル:グルメ / テーマ:うどん・そば / カテゴリ:食の記 [2017年07月30日 01時30分]
森友学園問題と加計学園問題で揺れる政局を蕎麦に譬喩して「もり・かけ」…上手いけれども手繰る蕎麦が不味くなる迷惑な話だ。蕎麦の「もり・かけ」は、形態では「もり」が先んじて「かけ」が後を追ったが、名称では「ぶっかけ」のレトロニムとして「もり」が生じた。学園の「森友・加計」は、学校法人化では「かけ」が先んじて「もり」が後を追ったが、創立と政局では「もり」が先で「かけ」が後だった。
 もり・かけ・ぼっとり (1) もり・かけ・ぼっとり (2)
 
 《もともとそば切りは、汁につけて食べるものだったが、元禄(一六八八~
  一七〇四)のころからか、汁につけずにそばに汁をかけて食べる「ぶっ
  かけ」がはやるにつれて、それまでの汁につけて食べるそばと区別す
  る必要が出てきた。そこで生まれた呼び名が「もり」である。安永二年
  (一七七三)版『俳流器の水』初編に「お二かいハぶっかけ二ツもり一
  ツ」の句が見えるので、すでにこの時代には一般に使われていたよう
  だ。》 《ぶっかけがかけとなったのは寛政(一七八九~一八〇一)にな
  ってからである。》 (新島繁 『蕎麦の事典』/柴田書店:刊 1999年)
 
 もり・かけ・ぼっとり (3) もり・かけ・ぼっとり (4)
句では「お二階は…」と言われているが、二階俊博(自由民主党幹事長)は、作り話「一杯のかけそば」に泣いた金丸信を師と仰いでも、翁長雄志(沖縄県知事)と食べたのは沖縄そばだった(2016年10月6日)。「もり・かけ」問題の当事者である安倍晋三(内閣総理大臣)は、森友学園で昭恵夫人が講演した3日後、加計学園の加計晃太郎理事長と会食する9日前、岩手県北上市の蕎麦屋で地元住民らと食べたのは天ぷら蕎麦だった(2014年12月9日)。ズル玉のようで手繰る蕎麦が不味くなる迷惑な話だ。手繰らない蕎麦、私が未だ見たことも食べたこともない蕎麦へ話を移そう。「蕎麦ぼっとり」とは何か?
 
 《ソバボツトリ 蕎麦粉にて製せる団子にて、蕎麦餅とも言ひ、山の神祀
  りのゴク(供物)の一つなり。山の神祀りには、其他とろゝ汁、御幣餅、
  小豆飯等を総て味無しに作りて備ふるなり。祠の脇に粗末な小屋設
  けあり。年番のもの其処にて仕度をなし、夕方より宵の内迄籠るなり。
  村々にて幾分の異同あり。また春秋にて相違あるらし。而して直会は
  別に頭屋にて行はるるなり。》 (早川孝太郎 「参遠山村手記」/『民
  族』3巻1号 1927年/収載 『日本民俗誌大系』第11巻 未完資料
  2 角川書店:刊 1976年) 
 
 《そばぼっとり【蕎麦ぼっとり】 山の神祭りの供物の一つで、「そばもち」
  ともいう。供物はほかに小豆飯、味噌をつけない御幣餅など、いずれ
  も味をつけないで作る。北設楽郡ではそば団子のこと。(愛知県) 
  静岡県磐田郡水窪町大野区大沢(現・浜松市)では、そば焼き餅をい
  う。》 (新島繁 『蕎麦の事典』/柴田書店:刊 1999年)
 
「蕎麦ぼっとり」は、静岡県北西部の北遠地区(≒天竜区)と愛知県北東部の奥三河地区(≒北設楽郡)に分布する蕎麦食である。秋葉街道(国道152号線)とJR飯田線と天竜川が南北に貫く山間地域で食される「蕎麦ぼっとり」は、早川孝太郎や新島繁の言説によれば山の神への供物である。だが、「蕎麦ぼっとり」は直会(なおらい)をする‘ハレ’の食に限られるとも言いきれないようだ。
 
 《水窪町草木の場合、一日の食事はアサジャ(チャノコ)・アサメシ・ヒル
  メシ・サンバンジャ・ユーメシ・ユーナゴとなっていた。このうち基本的
  な食事はアサメシ・ヒルメシ・ユーメシの三度で、その前後に三度のコ
  バミ(小食み)がある。通常朝と昼の主食はムギ飯で、晩はムギ飯と
  ともにソバキリ・ソバボットリなどを添えて食生活に変化と潤いを与え
  ていた。》 (『静岡県史』資料編25 民俗三 「作物と食体系」 p.411/
  静岡県:刊 1991年)
 
 《こういった山々に囲まれた山里水窪での、大変なご馳走が蕎麦。蕎麦
  の料理は数々あれど、最高は、何といっても「蕎麦ぼっとり」。蕎麦粉
  を、ただ単にお湯で溶いて団子を作り、七輪の炭火で軽く焼いて、表
  面の水分を飛ばせば出来上がり。そのまま食べても美味いが、ちょっ
  と醤油をつけて食べると不思議な美味さ。蕎麦粉一〇〇%はいうまで
  もないが、蕎麦粉とお湯の分量は、作って下さったおばあちゃんの勘
  だけ。お湯の温度も。簡単にみえる料理ほど実は難しいとはよくいわ
  れることだが、この勘は絶妙だ。蕎麦搔きに似ているが、表面を焼く
  ところに違いがある。表面の水分を飛ばすと香ばしさが加わって美味
  さをさらに引きだしている。「ぼっとり」の名前は、形状がぼっとりして
  いるところからか。》 (安田文吉 尾張飲食夜話18「そばぼっとりと秋
  葉さん」/『あじくりげ』647号 2011年10月/収載 『なごや飲食夜
  話 二幕目』 中日新聞社:刊 2014年)
 
『静岡県史』の「作物と食体系」や『あじくりげ』の安田文吉の言説によれば、「蕎麦ぼっとり」が日常食として‘ケ’の食へと変ってきたようにも捉えられる。古くからの狩猟採集を併せて山間の傾斜地を耕作して徐徐に定住化していった時代、焼畑の輪作はソバから始まった。この時代に祭祀儀礼に沿った‘ハレ’の食であった「蕎麦ぼっとり」は、近世・近代と時が下って焼畑が減少するとともに食体系の変化の中で日常‘ケ’の食へと近づいていったのだろうか? いずれにしても、「蕎麦ぼっとり」には「もり・かけ」に代表される「蕎麦切り」の歴史とは異なる背景と由来が観取できて実に興味深い。「蕎麦ぼっとり」とは何か? 今後も追ってみよう。「もり・かけ・ぼっとり」と並べてみれば、蕎麦が美味くなる面白い話だ。
 
コメント (2) /  トラックバック (0)
編集

美食の迷走

ジャンル:グルメ / テーマ:フレンチ / カテゴリ:食の記 [2017年04月21日 05時30分]
コーヒーを愛好し研究するに先覚たる山内秀文(やまうち ひでのり)氏より、氏が訳出した本の新訂版を恵送いただいた。『フランス料理の歴史』(ジャン=ピエール・プーラン エドモン・ネランク:共著/山内秀文:訳・解説/角川ソフィア文庫 KADOKAWA:刊 2017年3月)である。原著の“Histoire de la cuisine et des cuisiniers:Techniques culinaires et pratiques de table, en France, du Moyen-Age à nos jours”(Jean-Pierre Poulain, Edmond Neirinck)は、その1988年初版が『よくわかるフランス料理の歴史』(大阪あべの辻調理師専門学校:監訳 藤井達巳・藤原節/同朋舎出版:刊 1994年)として、2004年第5版が『プロのためのフランス料理の歴史 時代を変えたスーパーシェフと食通の系譜』(辻調理師専門学校 山内秀文:訳/学習研究社:刊 2005年)として、日本語の訳本が刊行されていた。今般に文庫化された新刊は、2005年の訳本を加筆修正、これに訳者自らの補記を加えたものである。
 美食の迷走 (1)
 
 《…この本の最大の特徴、それは終始グランド・キュイジーヌ、オート・キュ
  イジーヌと呼ばれる最高料理の流れに焦点をあてて、フランス料理の
  歴史をたどっているということだ。(略) アナル派の歴史観が台頭して
  からは、大衆的な料理、日常食と高級料理を等価に扱う歴史書が多い。
  もちろんこうした歴史の捉え方も重要だが、ただフランス料理が普遍的
  な料理として世界に君臨している理由を考慮すれば、高級料理に焦点
  をあてた料理史は、ある意味で本道といえるし、日本のプロの料理人、
  料理の愛好家にとっては納得しやすく、かつ実用的なフランス料理史と
  いえよう。》 (山内秀文 「はじめに」/『フランス料理の歴史』 pp.13-14)
 
まず、私なりの半解を述べよう。オート・キュイジーヌ(haute cuisine:高級料理)の歴史書と聞いて気後れする向きもあろうが、本書『フランス料理の歴史』に臆したり怯んだりしてはつまらない。少なくとも、「オレはナイフとフォークの上品ぶった店では食った気がしない、赤提灯で焼き鳥の方がずっと美味い」などと、僻み根性丸出しの経験則で本書を遠ざけて欲しくない。アナール学派の歴史観の良し悪しは別としても、民衆史とか生活史とか民俗学とか名乗るものの中には‘心性’や‘意識’をむやみやたらに反権力や下層擁護へ結びつける愚論や暴論も多い。だが、私に言わせれば、オート・キュイジーヌの歴史は大衆料理の歴史を追うよりも余程にわかりやすい。オート・キュイジーヌの形成と展開は、その変遷が継承であれ反発であれ、概ねでは体系化や合理化への方向性が明瞭である。それが、《フランス料理が普遍的な料理として世界に君臨している》ことや、《ある意味で本道といえる》ことの理由にもなっている。対して、体系や合理を持たない大衆料理の雑駁さは、気楽なようで真に諦観することを難しくする。だから、仮に「赤提灯で焼き鳥を食べながら」でも話題にするべきは、本書『フランス料理の歴史』のような本についてである。
 美食の迷走 (2)
 
 《プーランが本書を書き終えてからの10年で、オート・キュイジーヌの地
  図は激しく塗りかえられた。(略) フランスには今も多彩な才能が現れ
  ているが、彼らはグローバル化したオート・キュイジーヌの世界では、
  世界に散らばる優秀な料理人の一部に過ぎないともいえる。フランス
  は今後も「フランス料理」の中心であることは変わらないにしても、グ
  ローバル化が進む限りは、これまでのようにオート・キュイジーヌの覇
  権を独占する状況に戻ることは難しいだろう。》 (山内秀文 「フランス
  料理の現在〈2005-2016〉 跋文に代えて」/前掲書 pp.420-421)
 
次に、私なりの曲解を述べよう。文庫化された『フランス料理の歴史』の真価は、山内秀文による《跋文に代えて》という追録にある。旧版にあった挿絵などの図版が新訂版で削られてしまったのは残念だが、《プーランが本書を書き終えてからの10年》の新たな動向、テクノ=エモーショネルやネオ・クラシシズムやネオビストロ(ビストロノミー)などの展開を整え述べた補記は見事である。そして、原著ではフェラン・アドリアによって引き起こされた流れを「美食の迷走」と本文の最終節で非難がましく憂いた著者ジャン=ピエール・プーランと異なり、訳者の山内秀文は《オート・キュイジーヌの覇権を独占する状況に戻ることは難しい》と「フランス料理」の衰亡を冷静に捉えている。料理界の中心円として形成されたオート・キュイジーヌ、黄金期と呼ばれて真円が拡張した19世紀、ヌーヴェル・キュイジーヌの登場で焦点が二重化して楕円となった20世紀、そうしたフランス料理の体系化の歴史に軸ブレはなかった。それが現在は円が崩れて不定形化して中心軸から離れて、料理界における「フランス料理」の優越が衰滅した、そう私は解している。だが、明瞭に君臨する世界帝国が現在の地球上にないからといって、過去の帝国の興亡を探る価値がなくなるわけではない。同様に、プーランらが描いた「フランス料理」の歴史的価値が崩れたわけではない。むしろ、山内秀文の補記による真価は、『フランス料理の歴史』全体を読み返す意義を教えている。
 美食の迷走 (3)
 
 《美食の迷走は、美食体験の中で味覚が食べるという行為に優越するよ
  うになる、この瞬間に始まった。食べるということが、食事をする理由で
  あることをやめてしまったのだ。試食の際にも、最も重要な段階は、口
  に入れるその瞬間になった。そして、飲み込んだ後にくる、感覚の融合
  や統合という価値観は、美食の地平からは消え去ってしまった。 こうし
  た傾向は、ワインが先行している。19世紀まで優勢だった、ワインが
  飲み手に及ぼす効果を含み込んだ、ワインと酩酊の文化から、ワイン
  への関心が味覚の次元に集中する感のある、ワインの味の文化へと
  移行してしまった。だから、今日のワイン分野での危機の大部分は、味
  覚の迷走に関わるものだ。》 (ジャン=ピエール・プーラン 「美食の迷
  走」/前掲書 pp.334-335)
 
さらに、私なりの俗解を述べよう。プーランが「危険かつ誤った騒乱」とも「美食の迷走」とも呼ぶ事態は、分子美食学やテクノ=エモーショネルだけに要素や因子を求められない。例えば、「食育」にも‘騒乱’や‘迷走’が見られる。食育の‘迷走’も、《味覚が食べるという行為に優越するようになる、この瞬間に始まった》のであり、その典型が‘Institut du Goût’(味覚研究所)を創設したフランスのJacques Puisais(ジャック・ピュイゼ)による「ピュイゼ・メソッド」である。フランスで味覚教育として始まった「ピュイゼ・メソッド」、その洗礼を受けた初期の児童は既に40歳代に達していて、中には《優秀な料理人》として活躍する者もいる。この《味覚が食べるという行為に優越する》食育は世界各国に広がりをみせて、日本でも(奇しくも2005年頃から)三國清三らによって盛んに喧伝されている。プーランは「美食の迷走」の傾向を《ワインが先行している》と述べているが、ピュイゼがワインの醸造と香味研究の権威であることに鑑みれば、私には何らの不思議もない。そして、ワインに始まった「美食の迷走」は、私に言わせれば、コーヒーの世界にも及んでいる。プーランの言を書き換えてみよう。
 
 「珈琲の迷走は、喫茶体験の中で味覚が喫するという行為に優越するよ
  うになる、この瞬間に始まった。喫するということが、飲用をする理由で
  あることをやめてしまったのだ。試飲の際にも、最も重要な段階は、口
  に入れるその瞬間になった。そして、飲み込んだ後にくる、感覚の融合
  や統合という価値観は、喫茶の地平からは消え去ってしまった。 こうし
  た傾向は、珈琲が後追いしている。20世紀半ばまで優勢だった、珈琲
  が飲み手に及ぼす効果を含み込んだ、珈琲と覚醒の文化から、珈琲
  への関心が味覚の次元に集中する感のある、珈琲の香味の文化へと
  移行してしまった。だから、今日の珈琲分野での危機の大部分は、味
  覚の迷走に関わるものだ。」 (鳥目散帰山人)
 
さて、私なりの半解なり曲解なり俗解なりが確かならば、料理やワインに興味がある者はもとより、コーヒーなども含めた全ての飲食物を愛好する者にとって、角川ソフィア文庫の『フランス料理の歴史』は必読の書であるといえよう。…さあ、山内秀文よ、怜悧聡慧にして遠識兼照なる訳文と解説を、日本中の食魔へ大いに見せつけるがいい!
 
コメント (2) /  トラックバック (0)
編集

蕎麦に居るね 27

ジャンル:グルメ / テーマ:うどん・そば / カテゴリ:食の記 [2016年10月18日 23時30分]
2016年10月16日、郡上八幡へアート催事を観に行ったついでに町を散策、その途中で昼飯を摂る。郡上八幡といえば麺類はうどんか天ぷら中華そばだろうが、そんな本来は抛っておいて蕎麦を三食。
 
「蕎麦正まつい」にて、「ざるそば」を食す。
 蕎麦に居るね27 (1) 蕎麦に居るね27 (2)
一食目。ホテルの支配人だった松井和至氏が「蕎麦正」(高山市荘川町)の三島正氏に師事して2009年9月に開業した「蕎麦正まつい」を初訪。11時開店を待つ客の3組目として並ぶ。蕎麦切りは冷たい蕎麦だけ、ざるとおろしの2種。席に通されて「ざるそば」(1000円)を注文。蕎麦が運ばれてきて、まず美しく輝く麺だけズルズル…ウマい! 馥郁たるソバの香り、芳醇なソバの味。この圧倒される甘さは荘川産ソバを天日干ししているからなのか? 鼻でも口でも喉でも胃でも美味い蕎麦に感涙、コリャ、ウマい! 辛汁は尖ったところのない落ち着いた仕立てで好い。薬味の葱も山葵もスバラシイ芳香だが強すぎるので控えて、麵を食べ終わってから蕎麦湯に浸して味わう。「蕎麦正まつい」、コリャ、2015年7月に開業した犬山店にも行ってみなければ!
 
「俄」にて、「郡上清流あまごそば」を食す。
 蕎麦に居るね27 (3) 蕎麦に居るね27 (4)
二食目。郡上八幡で約270年続く酒蔵に生まれた原保元氏が地元で居酒屋を開いた後に2014年4月に開業した「俄」(にわか)を初訪。黒を基調にしたオサレ居酒屋風の店内に客はちらほら。カウンターに座って「郡上清流あまごそば」(1380円)を注文。冷たいぶっかけの仕立てで美しく盛られた蕎麦が運ばれてきて、郡上産蕎麦粉100%使用の二八を謳う麺をズルズル…う~ん。予想以上に黒っぽい麺はホシが多い蕎麦に特有の味はあるがソバの香りがほとんど捉えられない。あまごはフツーの味で、レモンやハジカミも甘露煮には合うが、蕎麦には合わない。私には苟且の意味でニワカにしか感じられない、それはメニューだけなのか、店そのものか?
 
「泉屋」にて、「天ぷらそば」を食す。
 蕎麦に居るね27 (5) 蕎麦に居るね27 (6)
三食目。町家の造りの古体な店で1930年に開業して3代目が営む「泉屋」を初訪。入口近くのテーブル席に座ると、想像通りに灰皿が積んである(訪店中に煙草は吸わなかったが)。店奥の座敷席には家族客、その頭上ではテレビが「NHKのど自慢」、イイねぇ。「芋かけそば」には早すぎる時季、「天ぷらそば」(850円)を注文。運ばれてきた蕎麦の丼から添えられた散蓮華で取り鉢に天ぷらだけ除けて、まず色の薄い甘汁をズルズル…ウマい! 出汁がしっかりしている。テレビから流れるカンコンという鐘の音を聞きながら麵をズルズル…ソバの香りは薄いが味はしっかり出されて汁に合う。ん? 頭上のサークラインが突然消え、店主が出てきて紐を引っ張り「スイマセン」(笑)。衣フヤフヤの海老天を食べながら思う…「泉屋」は正しい麺類食堂だ、好い!
 
郡上界隈が必ずしもソバ栽培の好適地であると私は思わない。実際にソバが振興作物の一つとされているのは、収益性の薄い米作りからの転作勧奨によるものだからだ。
 《そばの作付けについては、大豆を作付けしたほ場で、翌年に栽培する
  ことで連作障害対策として有効な作物であり、加えて雑草に強いことか
  ら荒廃農地の再生作物として作付けされています。収穫されたそばの
  実については地元加工グループで利用されるなど、比較的地元で利用
  されています。しかし、他の品種同様、鳥獣害被害が深刻であり、さらに、
  電気柵などの資材を設置するほど収益性がないため、獣害を受けるが
  ままといった状況となっています。今後、安価で行える獣害を減少させ
  る施策の研究を行うなど、郡上市内で消費されるそばのすべてが地元
  産を使用し、また安定した供給量が確保できるように栽培を推進します。》
  (「郡上市農業振興ビジョン」 第5章 品目別の振興方向/2010年2月)
郡上市はソバ栽培を、2007年実績に比して栽培面積で2倍弱の34ヘクタール、生産量で3倍弱の17トンを2018年の目標としているが、年々に温暖化も進んでいる中で、果たしてソバの質はどうなのか? Tシャツ1枚になって町を散策した秋日和、「まつい」や「泉屋」のように再訪したくなる蕎麦屋を見つけられて好かったが、郡上八幡を‘蕎麦どころ’と呼ぶに今は難しい。では、将来は? その課題は重い。
 
コメント (0) /  トラックバック (0)
編集

蕎麦に居るね 26

ジャンル:グルメ / テーマ:うどん・そば / カテゴリ:食の記 [2016年10月04日 23時30分]
斑尾高原でのトレラン大会に参加、その前後に蕎麦を食すること、今秋は四演。
 
2016年10月1日
 
「そば処 うえだ」で蕎麦を食す。
 蕎麦に居るね26 (1) 蕎麦に居るね26 (2)
「ざるそば」(850円)
約1年ぶりの訪店。聞けば、朝まで雨が降り晴天になったのは半時間前、どうりで空いているわけだ。今般も望んでテラス席。注文した蕎麦がきた…ん? 箸が無い(というよりも、雨天で箸箱を出してなかった:笑)。箸を取って美しく細打ちされた麺を啜ると、今般は甘みが薄いが香りが引き立って旨い。辛汁は角張った口当たりが減じ、甘味が僅かに強い感じ。一口二口と啜りこむと蕎麦と汁が一体に成れ、次第に箸が止まらなくなる。相変わらず臭みのない蕎麦湯も旨い。黒姫高原から見る野尻湖や斑尾山の明媚のように、やはり「うえだ」の蕎麦は‘野趣’よりも‘洗練’の調和へ研いでいる趣が好い。「ごちそうさま」と店を出る頃、ほぼ満席になっていた。
 
 蕎麦に居るね26 (3) 蕎麦に居るね26 (4)
高原を車で下る途中に「まつき」でブルーベリーソフトクリームをソース付きで食べてから、妙高高原駅の前の蕎麦屋へと向かうもフラれた。ならば、と関川の関所へ車を走らせて「道の歴史館」の駐車場に停め、関川の沿道に下りて約5年前にトレラン大会で走ったことを想い返しながら散策。
 
「そば処 せきがわ」で蕎麦を食す。
 蕎麦に居るね26 (5) 蕎麦に居るね26 (6)
「天ざるそば」(1200円)
関川の関所「道の歴史館」の隣にある蕎麦屋を初訪。ガランとした座敷に客は私1人。「天ざるそば」を注文して待つと、まず瑞々しいキュウリのサービス。次にざるそばと天ぷらが運ばれてきた。麺は二八のようだが香りも味もマズマズ、麺の上の海苔はジャマ、辛汁は市販の麺つゆのような感じ。野菜と茸の天ぷら盛り合わせは好い味。天ぷらのかけらを蕎麦猪口に放り込んで蕎麦湯を加えて飲めば、臭みなくフツー旨い。店の立地や構えから、てっきり背伸びして上品ぶったモノが出てくることを勘繰ったが、好い意味で懼れは外れた。つまり、この一帯に多い食事蕎麦の一つとして、平凡だが合格の味。
 
2016年10月2日
 
「上信越自動車道 小布施パーキングエリア 上り線 スナックコーナー」で蕎麦を食す。
 蕎麦に居るね26 (7) 蕎麦に居るね26 (8)
「二八そば(冷)」(650円)
トレラン大会後の帰途に「道の駅 ふるさと豊田」を覘くも、蕎麦の売り切れでフラれること前年に同様。では、と小布施PAのスナックコーナーに寄って蕎麦を遅い昼飯にすること前年に同様。…ん? 何か変わった? 前年に食べた温かい「たぬき山菜そば」がとても好い味だったので、謳いの‘二八’をさらに味わおうと冷たいざるそばにしたが、やや感動が薄い。いや、他所のSA・PAで食べた蕎麦よりもズッと良いことは前年に同様。だが、蕎麦の麺の風味がやや薄く感じて、駄蕎麦の中で上等といったところか。それでもイイのだが…。
 
「長野自動車道 みどり湖パーキングエリア 上り線 白樺亭」で蕎麦を食す。
 蕎麦に居るね26 (9) 蕎麦に居るね26 (10)
「すんきそば」(600円)
高速道路を進むうちに日暮れて、みどり湖PAのスナックコーナー「白樺亭」に寄って蕎麦を晩飯にすること前年に同様。…ん? 《木曽名物すんき漬と舞茸の天ぷらをトッピング》とは妙な組み合わせだな。ズルズル。舞茸の天ぷらは良いが、どうも無塩乳酸発酵の‘すんき’を穏やかにしようと野沢菜醤油漬けと混ぜているらしい。いや、駄蕎麦の中では上等の味。だが、木曽開田一帯で食べられる正真のすんきそばは厳寒期のモノであり、この蕎麦をキッパリ「すんきそば」と言われるとなぁ。名付けはともかく、また食べてもイイのだが…。
 
【余聞ごと】
 蕎麦に居るね26 (11)
えちごトキめき鉄道に移管された妙高高原駅の前へ約2年ぶりに行ったところ、隣り合う2軒の蕎麦屋、向かって右の「きくや高原そば」は建物が無くなって更地になり、左隣りの「加藤そば屋」は看板が無くなって閉店していた。「加藤」の店前には《満七十三歳 葬儀告別式九月二十九日》の‘忌中札’…故人は店主だろうか。「加藤」について、写真家の北島敬三氏はこう記す。
 
 《私と「加藤」とのつきあいは古い。私が小学生だった頃、妙高高原駅がま
  だ田口駅と呼ばれていた頃からで、四十年近くにもなる。驚くべきことに、
  その頃からメニューも店構えもほとんど変わっていない。入り口がアルミ
  サッシになり、木製の壁掛けメニューの値段のところが上書きされている
  くらいである。壁に掛けられた霊峰妙高の写真や絵は、四十年前から同
  じままである。メニューも、「もりそば、かけそば、天ぷらそば、かけうどん、
  天ぷらうどん、日本酒、ビール、丼もの少々」だけでこれも変わらない。
  (略)「もりそば」は、文字どおりどんぶりに山盛りにされてくる。地粉を使
  った太目の麺で、歯ごたえ、香り、喉ごしともに申し分ない。(略)昼時に
  は、地元の蕎麦好きたちが、仕事の合間にぬる燗一本ともり一杯をうま
  そうにすすっている。私も、「加藤」に行ったらそうする。たぶん、蕎麦通
  に受けないが、蕎麦好きは満足するだろう。いつ頃からだったか、「加藤」
  のすぐ隣に「高原蕎麦」という本格的な店ができた。そちらは混んでいる
  がしかし、くれぐれも間違わないように。》 (北島敬三 「どんぶりもりとぬ
  る燗」/『蕎麦処 山下庵』 山下洋輔:編著 小学館:刊 2009年)
 
「きくや」は昨2015年8月末に、「加藤」は本2016年7月末に、閉業していたことを帰宅後に知った。《くれぐれも間違わないように》と言われても、もう2軒共に店も蕎麦も失われた。たぶん、蕎麦通に響かないが、蕎麦好きは悲しむだろう。残念だ。
 
新ソバの時季にはやや早かったが、爽やかな秋の香りを感じた蕎麦巡り四演。好い蕎麦屋は、蕎麦好きの傍(かたわ)らに存在する。「信州信濃の新ソバよりも あたしゃあなたの傍(そば)がよい」
 
コメント (0) /  トラックバック (0)
編集

蕎麦に居るね 25

ジャンル:グルメ / テーマ:蕎麦 / カテゴリ:食の記 [2016年07月21日 01時30分]
長野県木曽方面のトレラン大会へ出向いて、その前後に蕎麦を食すること、今夏は三演。
 
2016年7月16日
 
「時香忘」で蕎麦を食す。
 蕎麦に居るね25 (1) 蕎麦に居るね25 (2) 蕎麦に居るね25 (3)
「極粗挽き寒ざらし熟成 もり蕎麦」(おお盛り) (1620円)
大会前日の昼食。毎年に一度、7月の訪店も8回目。夜明け蕎麦があるというので少し迷うが、やっぱり毎度のもり蕎麦で。麺だけ啜ると、甘い! 汁に浸けて啜ると、甘い! 熟成度3が効いているのか、甘い! 《調和の円熟を増してきているのかもしれない》前回よりも表面のヌメリ感が減じて、さらに円熟? ハハハハ、素直にウマいとしか言いようがない。だが、勘定ついでの雑談では「もう体力的に厳しくて…」と。2003年の開業から約13年、高田典和氏が《皆さんにね五感でお蕎麦を召し上がっていただきたい。…街のストレスって随分ストレスがあるじゃないですか、そういう方たち来ていただいて、ここでねひと時の時間をのんびり過ごしていただけたらどんなに幸せかなって思いますね》(TV番組「ウドちゃんの旅してゴメン」 初夏の南信州・木曽路を歩く 2006年6月10日放送)と言ってから約10年。「時香忘」にも《随分ストレスがあるじゃないですか》? 身を削った円熟の味なのだろうか? 蕎麦そのものに進化を見ても衰えは感じられない、それが恐ろしくて、また美味しい。
 
2016年7月18日
 
「くるまや 本店」で蕎麦を食す。
 蕎麦に居るね25 (4) 蕎麦に居るね25 (5)
「天ぬき付きざるそば」(2枚) (1590円)
大会翌日の昼食その一。5年ぶり2回目の訪店。開店と同時に暖簾を潜って10組目。直後に満席。…ん? ざるともりが同額になっている(つまり、海苔は無料?笑)。黒い中太の麺は噛み応えがあり、噛めば噛むほどソバの香味が効く。甘味の強い汁のかえし、初めは醤油と砂糖と酒をバラついて感じるが、天ぬきに箸を進めてから蕎麦をどっぷり浸して食べると、もうバラつきが気にならない。「地酒の七笑でもチビチビやりながら天ぬきをつつきたいなぁ」と独り呟きながら、田舎蕎麦として長らくまとまった「くるまや 本店」の風情に安心して食べ進む。
 
「旗挙そば 源氏」で蕎麦を食す。
 蕎麦に居るね25 (6) 蕎麦に居るね25 (7)
「ざるそば」(二段) (1140円)
大会翌日の昼食その二。昨年訪ねた「巴」(「道の駅 日義木曽駒高原 ささりんどう館」)から僅か230mに位置する「旗挙そば 源氏」を初訪。満席に3組待ちだったが、10分弱で案内された。「くるまや 本店」から分立しただけあって、麵や汁の仕立てが似ている(もっとも、それを承知で食べ比べに訪ねたのだが:笑)。だが、細かくは違う。麺はより太くて、渋みも含めてソバの味が濃い。汁の口当たりは硬めで、酒の風味が強い。真っ当な田舎蕎麦としては、下品になるギリギリで踏み止まった感じ、「それはそれで好いじゃないか」と独り呟きつつ完食。
 
[余聞ごと]
蕎麦屋の「くるまや」は、「国道店」も「中津川店」も「旗挙そば 源氏」も下条家の一族が「本店」から分立したようだ。しかし、何故「源氏」だけが「くるまや」を屋号に名乗らないのだろうか? 《くるまや本店は代々、福島関所を治める山村代官の屋敷にお仕えし、製粉・精米業を営んでいた水車小屋でした》(Web「くるまや本店の歴史」)というが、木曽谷の黒川に居た下条家は、甲斐源氏小笠原氏流を仮冒して伊那谷の下條村界隈を戦国時代まで治めた下条氏と関連があるのだろうか? 日義の「源氏」は「木曽名物 旗挙本手打そば」を看板に掲げるが、木曾義仲の挙兵の地は上田の依田城なのか東御の白鳥河原なのか木曽の宮ノ越なのか? …わからないことだらけで、旗挙げどころか私はお手上げ。
 
帰途、木曽谷から権兵衛峠道路で伊那谷へ移り、2011年の開店より5周年を迎えた「Liddell Coffee House」(リデル コーヒーハウス/下伊那郡高森町)を初訪。店主が焙煎したジャワコーヒーを喫し(2杯目は松屋式で注文)、ジャズを聴いて憩い、店主と談話しながら、トレラン大会と滝見物と蕎麦屋巡りに遊んだ時間を想い返した。
 
コメント (0) /  トラックバック (0)
編集

食べネパ!

ジャンル:グルメ / テーマ:カレー / カテゴリ:食の記 [2016年07月05日 01時30分]
ナマステ。ネパールのコーヒーを取り上げる催事に関わることになったら、ネパール料理が食べたくなってきたネパ。「ネパ~ル君」にならネパね。「ねば~る君」じゃないネパよ。ネパールにもキネマ(Kinema)という大豆発酵食品、つまりネパール納豆があるけれども、それはネパールの東寄りで作られているネパ。で、コーヒー栽培が盛んなのは、もっと西の方のシャンジャ郡あたりだから、「ねば~る君」は用無しネパね。どちらにしても、「ネパ~ル君」が食べたいのはダルバート(dal bhat)ネパ。ここ最近は日本各地で「インド・ネパール料理」を掲げている店がやたら増えているけれども、ダルバートを予約なしの定番にしている店はすごく少ないネパよ。でも、近場で探して食べネパ!
 
 食べネパ! (1) 食べネパ! (2)
2016年6月19日、「TARKARI」(タルカリ)で、ダルバート(ランチメニュー)を食す。
名古屋市千種区楠元町(城山八幡宮の一の鳥居の南)。旧サンティプールカフェに昭和区塩付通のタルカリが移って合体した店。カミさんと2人で初訪。100円増しでカレーを骨付きヤギカレーに変えてノンベジのダルバート。バスマティのバート(米飯)にダル(豆)スープもカレーもぶっかけてタルカリもアチャールもチキンティカも混ぜ込んでパパドを割ってふりかけながら手食。
 
 食べネパ! (3) 食べネパ! (4)
2016年6月25日、「BIHANI」(ビハニ)で、ダルバート(ランチメニュー)を食す。
名古屋市昭和区塩付通(名古屋国際中学校・高等学校の南西)。旧タルカリの後に開かれた店。直前に吉岡コーヒーで吉岡知彦氏とカレー談議をした際にビハニにもダルバートがあることを確認して、直後に初訪。サラダをタルカリ(野菜炒めおかず)に替えてもらったダルバート、黄染めのバートはジャポニカ(?)。飯もおかずも指が火傷しそうに熱いがかまわず手食。
 
 食べネパ! (5) 食べネパ! (6)
2016年6月26日、「MACHA PUCHARE」(マチャプチャレ)で、何も食さない。
名古屋市熱田区神宮(名鉄神宮前駅の北)。前日の談議で吉岡氏が「ネパールらしさ」を推していたので、勇んで初訪…ん? 《親愛なる顧客今月オープン行くまで私たちは新たなインド料理の後閉鎖するための非常に申し訳ありませんがあなたに感謝します! Bhanchha Preetika House》という貼り紙。つまり、マチャプチャレは閉店したようだ、残念カナ(khana)。
 
 食べネパ! (7) 食べネパ! (8)
2016年7月4日、「TARKARI」(タルカリ)で、タルカリバート(ランチメニュー)を食す。
コーヒー催事は2日前に終わったが、タルカリで再び昼飯を摂るカナ(khana)。今般は軽くタルカリバート。全部混ぜて手食していると、店主が「前にもお見えになりました?」、「はい。その後に吉岡さんからカトマンドゥで一緒だったって聞きましたが…」と応じて、そこからネパール話にカレー話にコーヒー話など談議が弾む。また来よう。
 
ダルバートは2店で3回食べたけれども、他にもネパール料理はあるカナ(khana:食事)と思うネパ、まだ食べたことのないメニューがあるカジャ(khaja:軽食)といえるネパよ。以前はインド料理と分けて捉えていなかったネパ、まだまだ知らないネパール料理があるネパ、「ネパ~ル君」にならネパね。いろんなネパール料理を食べネパ! ナマステ。
 
コメント (0) /  トラックバック (0)
編集

kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

07 ≪│2017/08│≫ 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
Powered by / © Copyright 帰山人の珈琲漫考 all rights reserved. / Template by IkemenHaizin