珈琲を好きということ

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年06月26日 05時00分]
「珈琲を好き」ということは、どういうことなのだろう? コクウ珈琲(岐阜県美濃加茂市)で開かれる催展の前日、会場へ準備で向かう途に寄り道、アジサイを観賞しながら考える。
 珈琲を好きということ (1) 珈琲を好きということ (2) 珈琲を好きということ (3)
まず、江南花卉園芸公園(フラワーパーク江南:愛知県江南市)で、次に、琴聲山音楽寺(愛知県江南市)で、さらに、伊木の森(岐阜県各務原市)で、アジサイを観巡り遊ぶ。
 珈琲を好きということ (4) 珈琲を好きということ (5) 珈琲を好きということ (6)
雨は2日ほど降っていないが、曇天に吹く風は湿っていて、揺れるアジサイの花に雨の香りを感じる。「珈琲を好き」ということは、アジサイが花を装い季を飾り雨を匂わせるようなものなのだろうか?
「雨の香(か)を 映して揺れる 四葩(よひら)かな」 (帰山人)
 
2017年6月25日
「コーヒーを好きということ」 オープニングイベント
  
コクウ珈琲を拠点とするStudio Riverbed(田原由紀子&小川友美)による企画催事も連年3回目、2015年は「コクウ珈琲と映画」、2016年は「コーヒーのことを語ろう」、そして今般は「コーヒーを好きということ」。コーヒーの「秘宝館」のようなフレーバーコーヒー(愛知県西尾市)、その店主である中川正志氏の発明品を並べ飾る8日間の催展である。初日のオープニングイベントは、中川正志氏と篠田康雄氏(コクウ珈琲)と私との3人で共演。
 珈琲を好きということ (7) 珈琲を好きということ (8) 珈琲を好きということ (9)
第一部。まずは、三者三様に焼いたグァテマラコーヒーを淹れる(私はネルドリップの半返し)。これを、参加者へ配って飲み比べていただく(Patisserie PÊCHEの焼き菓子付き)。そして、鼎談。主として中川さんと私が各々の観点で言いたい放題、その後の質疑応答では参加していた松下和義氏(松屋コーヒー本店)からの鋭いツッコミもあって、楽しく過ごす。
 珈琲を好きということ (10) 珈琲を好きということ (11) 珈琲を好きということ (12)
第二部。中川正志氏によるコーヒー抽出の実演。準備段階から喋りまくる中川さんを制しながら、通常の松屋式や「アポロくん」による減圧抽出などを進めてもらい、参加者へ配って飲み比べていただく(使った豆はフレーバーコーヒーのキリマンジャロ)。その後に松下さんも乱入(?)してパナマ・エスメラルダ・ゲイシャを皆に大盤振る舞い。盛況のうちに散会。
 珈琲を好きということ (13) 珈琲を好きということ (14) 珈琲を好きということ (15)
居残った参加者と歓談を続けた後、イベント仕様の店内を片付けながら、差し入れの菓子を食べてコーヒーブレイク。「《アートとして匂い立つ姿を問いかけたもの》になるハズだったが結局はコーヒー遊びに終始したかな」などと反省しながら帰途につく。だが、今般もやりたい放題のインチキ臭くて面白いイベントであったし、そこは味噌を上げておこう。
 
 珈琲を好きということ (16)
「珈琲を好き」ということは、どういうことなのだろう? 今般の催展における主役、フレーバーコーヒーの中川さんには中川さんなりの「コーヒーを好きということ」があり、コクウ珈琲の篠田さんには篠田さんなりの「コーヒーを好きということ」がある。中川さんは常に「コーヒー屋が好きなこと」しか語らないし、「工作を好きということ」という評が相応しいかもしれない。私は(鼎談中にも発言したが)「コーヒー屋が好きで語るコーヒー」を「珈琲を好き」の主眼と思ったことがない。むしろ、些末な視座だと捉えている。例えば、鉄道ファンには「乗り鉄」も「スジ鉄」も「撮り鉄」も「音鉄」も「葬式鉄」も「収集鉄」もいて、営業する鉄道会社側だけで語り尽くせるハズもない「鉄道を好き」の世界が拡がっている。「コーヒー屋が好きで語るコーヒー」は、コーヒーの世界をコーヒー屋の世界へ歪めてしまう。「コーヒーはコーヒー屋のものじゃない!」…そう吼え続けることが、私にとって「珈琲を好き」ということなのかもしれない。コーヒー業界の一部では発酵で匂わせる乾式精製のコーヒーが持て囃されている…ならば腐したってええぢゃないか、珈琲駄物(コーヒーだもの)。
 
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勢の悦びを知りやがって

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年06月18日 01時00分]
2017年1月、SCAA(Specialty Coffee Association of America:アメリカスペシャルティコーヒー協会)とSCAE(Speciality Coffee Association of Europe:ヨーロッパスペシャリティコーヒー協会)とを統合したSCA(Speciality Coffee Association:スペシャルティコーヒー協会)が発足した。前2016年に統合の賛否を問う投票が行われて、同年5月にSCAE、同年8月にSCAAが賛成過半数の結果をもって合併へと進んだ。実際には、1982年設立のSCAAが1998年設立のSCAEを併吞した統合である。これによって、スペシャ‘リ’ティコーヒーは消えてしまうのだろうか?
 勢の悦びを知りやがって (1)
 
2017年6月、RA(Rainforest Alliance:レインフォレストアライアンス)とUTZ(UTZ Certified:ウッツ認証)が同年中に合併する意思を発表した。前2016年1月にRAの監査部門(RA-Cert)がUTZの認証機関として提携する契約が発表されていたが、その後に全面的な合併へと進んだ。実際には、1987年にニューヨークで設立されたRAが2002年にアムステルダムで設立されたUTZ(当初はUtz Kapeh)を併吞する統合である。これによって、‘Utz’(=good,良い)コーヒーは消えてしまうのだろうか?
 勢の悦びを知りやがって (2)
 
勢(せい)の悦(よろこ)びを知りやがって! お前許さんぞ! 勢の悦びを知りやがってアメリカの団体ばっかし、俺にもさせろよ! グギィィィ! 合体…コノヤロー…許さんぞ…自分ばかりしやがってよ…コノヤロー…許さんぞこういうことは! 人の自由を剥奪しやがって、嗜好の自由を剥奪しやがって、許さんぞ!
そして今度は何だ? CQIを相手にできんのだったら、SCAAと合体しろかよ。バカじゃねえか? SCAAとかCQIってのはいつも言うようにな、生まれた時からグローバリゼーションっていう覇権主義の団体なんだよ。異論を愛せないという、評点主義の病気なんだよ。なんで俺がそんな病気になると思う。俺はコーヒー大好きだよ! 何言ってんだ。あっ血が出てきちゃった…チキショー…そんなに変なもの、飲めるわけないだろう! チッキショー。
近頃はもう認証まで見ないと飲めなくなったじゃないかぁ。病気になったよ完全に。ラベル依存症なんだよ。何かのマークを見ないとどうにかなるんだよ頭が。そんなカエルのな、あんなイラストなんかで、おっさんが満足出来るか。小学生じゃあるまいし、カエルのやつなんかで、チクショウ。何がカエルのマークだよ。バカじゃねえのか。いい歳こいたおっさんがカエルの、そんなマーク見て納得するわけないだろ。馬鹿馬鹿しい。いい加減にしろよ。カエルですって、馬鹿にしてるよ。チッ、くっそぉ。
自分たち、お前たちには当たり前のこと俺はやっとらんのだ! ふざけんなよ。週末にはサードウェイブのコーヒー飲みにバリスタの店に遊びに行くくせに。Weekend Coffee Loverのくせに。冗談じゃないよ! そして、そのCoffee Loverのために色んなことをするんだろ。「ああでもないこうでもない」って。クソ。あんなことこんなこと、ドラえもんみたいにヤっとんだろ。あんなことこんなことヤっとんだろ、お前。「あんなこといいな、こんなこといいな」って言いながらLoversやっとんだろ、Coffee Loverで。んで月曜日のMondayに、そ、そ、そういうのやったから、元気が出るんだろ!
 勢の悦びを知りやがって (3)
 
SCAAやRAが知った悦びは、時勢と多勢で権勢を欲しいままにする「勢の悦び」だろう。SCAEやUTZが味わう哀しみは、退勢と無勢で態勢を失って潰える「勢の哀しみ」だろう。煽動を改良と謳い、圧殺を教育と偽り、「多様性」や「持続性」を唱えておきながら、実は画一した価値観で多勢を制して無勢を併呑し続ける「勢の悦び」。これを知ったコーヒー業界の団体に、スペシャルティやサスティナビリティを語る資格はない。こうした‘勢力’こそ滅して、真のスペシャリティコーヒーや鬱(UTZ)でも良いコーヒーを存続させねばならない。 …「独立せよ!
 
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向夏躁燥JCS 後篇

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年06月06日 05時00分]
1989年に六四天安門事件が生じて28年後の5月35日を東京で迎えた私は、寝坊した宿の部屋でネルドリップで淹れたコーヒーを喫しながら、窓を開けて外を覗った。青く晴れ渡った空から初夏の薫りを感じた。さあ、前日に続いて今日もコーヒーに躁いで燥ぐ日、宿を出て向夏躁燥(そうそう)を続けよう。
 向夏躁燥 (10)
 
【JCS総会当日】 2017年6月4日
 
 向夏躁燥 (11) 向夏躁燥 (12)
「café Bach」(カフェ・バッハ)へ。コーヒーを注文して待てば、「ブランマンジェ、もうすぐ出来ます」と言われて燥ぐ。まったり苦くて美味いペルーを飲んで、《スイカのような存在》のブランマンジェを味わっていると、ママ(田口文子氏)が出てきて少談、多摩美術大学IAA(芸術人類学研究所)の(モンゴルの遊牧民族を着たママを鶴岡真弓所長が撮った写真が載っている)『Art Anthropology』12号を頂戴する。
 
 向夏躁燥 (13)
都バスと電車を乗り継いで西進、水道橋から神保町界隈を散策。古書店を主に覘き遊ぶ。「小諸そば」(神保町店)へ。昼飯に一年前と同じ揚げ茄子おろしそばを食べる。
 
「日本コーヒー文化学会 第24回総会&記念行事」 (学士会館)
 
総会議事の後、記念行事の講演2題。一つ目は後藤裕氏による「コーヒーとつながりの科学 ─対話の場としてのカフェ─」。岡村製作所の「WORK MILL」やら「マヨネーズの瓶と2杯のコーヒー」やらを紹介するのは勝手として、寺田寅彦が「コーヒー哲学序説」で《コーヒーの風味・効果は環境と深く関わる》と述べたなどという真っ赤な嘘は聞くに堪えない。「つながりの科学」などと後藤さんが演題で嘯いても、その牽強付会は科学から程遠く科学には繋がらない。
 向夏躁燥 (14)
コーヒーブレイク(休憩)に出されたのは廣瀬幸雄氏が開発した水素焙煎コーヒーと「サイエンス茶寿 プラ煎」と名付けられた怪しげな生姜煎餅。コーヒーは3年前よりはマシ(?)、かろうじて喉を通ったが煎餅ともども不味い。相変わらず廣瀬さんの独擅場、私には愁嘆場だ。
 向夏躁燥 (15)
講演の二つ目は小澤志朗氏による「コーヒー生豆相場と日本市場」。NYC取引の過去44年間の有事相場の話は、ワタル小澤さんの喜憂や対処策が面白い。もっとゆっくり聴いていたかったが、後半はアイガー北壁を下るがごとくにすっ飛ばし。時間の都合があるとはいえ、「(スペシャルティのインターネット)オークションの説明を」と求める聴者側に日本のコーヒー業界の俗悪にして低劣な知能を感じて独り嘲笑する。
 向夏躁燥 (16)
分科会は毎度の焙煎・抽出委員会で「焙煎と香味 ─分科会の結果をもとにした意見交換」。前回の分科会催事での4チーム8つの焙煎データが配られて、山内秀文委員長を軸にして振り返り。私も遠慮のない論評と意見を述べて躁ぐ。焙煎の実態一般が如何に論理ではなくて恣意によって組み立てられる工程か、それが露骨に判って笑える。集会の合間ごとに喫煙場で成田専蔵氏と談話、その成田さんから『宗谷詰合山崎半蔵日誌』(吉原裕:翻刻・解説)を頂戴して燥いだ。集会の合間ごとに大坊勝次氏とも談話、岩野響氏の焙煎の技量などを訊ねた。散会となったが、山内・大坊・浅野嘉之氏らと地下鉄に乗っても喋って燥ぎっ放し。
 
 向夏躁燥 (17)
「Gentle Belief」(ジェントル・ビリーフ)」へ。浅野さんに強請ったパスタセットを山内さんと食べながら、コーヒーはケニアとカメルーンを飲みながら、談議は続く。散散躁いで、東京駅で山内さんと別れて新幹線に乗る。
 
 向夏躁燥 (18)
帰宅して、「カフェ・バッハ」の焼き菓子と自家焙煎のヤンニハラール・モカを合わせ食べ飲みながら、東京でコーヒーを巡り遊んだ向夏の二日間を想い返す。錚錚(そうそう)たるコーヒー人と淙淙(そうそう)と談じた、向夏躁燥(そうそう)だった。
 
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向夏躁燥JCS 前篇

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年06月05日 05時00分]
1991年に雲仙普賢岳で大火砕流が発生して26年後の6月3日、早朝に高速バスを新宿で降りた私は隅田公園へ向かい、スカイツリーと隅田川と紫陽花を眺めながらネルドリップで淹れたコーヒーを喫する。この島原大変な「いのりの日」(島原市1998年制定)に、私は躁(さわ)いで燥(はしゃ)いで向夏のコーヒーを東京で想う。
 向夏躁燥 (1) 向夏躁燥 (2)
 
【JCS総会前日】 2017年6月3日
 
 向夏躁燥 (3)
「café Bach」(カフェ・バッハ)へ。「ブランマンジェ、(開店直後の時間帯だから)まだだよな? じゃ、チョコケーキとコーヒーおまかせ」と躁ぐ。すっきりしっかり苦くて美味いイタリアンローストを飲みながら、新聞や業界誌を読んで過ごす。隣の宿「ほていや」へ荷を預けてから、トレセンに寄って中川文彦氏と燥いで談議。植木栄造のガラス花器の話が面白い。歩いて北上。
 
 向夏躁燥 (4)
「十一屋」へ。初訪。冷したぬきそばを食す。中川さんが《それなりの下町のそば屋》と評するだけあって味も良いし人も良いので、隣席の客も巻き込んで燥ぎながら食べる。機会があったら山谷の蕎麦屋巡りをやってみたい、などと思う。都バスで南下。銀杏岡八幡(いちょうがおかはちまん)神社の例大祭で躁がしい浅草橋界隈、蔵前神社の例大祭で躁がしい蔵前界隈を散策。1週後に祭礼を迎える鳥越神社の街区も早くも準備で躁がしい。
 
 向夏躁燥 (5) 向夏躁燥 (6) 向夏躁燥 (7)
「蕪木」へ。初訪。(ブレンドを飲むつもりで行ったが、2日前に自分で焼いた豆と同じ銘柄をみつけて)ヤンニハラール・モカのデミタスを飲む。甘さが身上のヤンニハラール、これを見事に引き出していて美味い。次にホットチョコレートの撫子(なでしこ)を飲む。しっかり豊かに精錬された自家製、これも見事。《静思と調息の時間を》と謳うが、去り際に蕪木祐介氏へあれこれ訊ねて燥ぐ。地下鉄で西進して東中野へ。
 
 《太平洋戦争が終結してまもない昭和22年(1947)2月、露店やバラッ
  クの立ち並ぶ新宿の焼け跡の一角に小さな喫茶店が開店した。店の
  名は「青蛾」。マスター・五味敏郎は戦前は会社勤めをし、映画制作
  の仕事に携わっていたが、子供の頃から画家になるのが夢で、終戦
  を期に退職し、絵を描くために自由な時間がとれる仕事として喫茶店
  を始めた。(略) 昭和25年(1950)から新宿駅東口から新宿三丁目
  交差点にかけての地域で区画整理が行われることとなり、30年(19
  55)に青蛾も新宿通りと並行して三越、帝都座裏を通る路地に面し
  た隣接地に移転することになったのである。(略)「喫茶店とは、自然
  のままにくつろいだなかで、ゆっくりとお茶を飲むところ」との考えのも
  とに、外観から内装の仕上げにいたるまで徹底してこだわり、細部に
  まで計算のいきとどいた空間を作り上げたのである。(略) こうした状
  況のなかで、ついに五味は閉店を決意する。「こんなに汚くなった新
  宿の町から逃げだしたくなりました」との言葉を残して、昭和56年(1
  981)7月31日、茶房青蛾閉店。戦後とともに始まった、新宿の喫茶
  店のひとつの時代が終わりを告げた。》 (「茶房青蛾のあゆみと新宿」
  /新宿歴史博物館特別展図録 『琥珀色の記憶 新宿の喫茶店 ~回
  想の“茶房青蛾”とあの頃の新宿と~』 2000年)
 
 向夏躁燥 (8)
「青蛾」へ。初訪。ブレンドを飲む。写真撮りは禁ぜられた(後に、他客が去って許されたが遠慮した)。コーヒーの焙煎と抽出を担う「かうひい堂」の内田牧氏と談議を続け、「青蛾に相応しくないマニアなコーヒー話ばかりでした」と躁ぎを詫びる。とはいえ、この新たな「青蛾」は、「喫茶室 青蛾」(あるいは「純喫茶 青蛾」)から「茶房 青蛾」(あるいは「珈琲 青蛾」)へと《新宿の喫茶店のひとつの時代》を映した店の再開でも復活でもなかった。電車で新宿へ。
 
 向夏躁燥 (9)
「炭火焼鳥 三平」へ。妹と酒少なく食らって談話。アルタ横の「ルノアール」で兄妹談議を続けるも閉店時刻に追われて散会。その後、山谷の宿へ独り戻りながら、コーヒーに躁いで燥いだ一日を想う。然う然う(そうそう)、錚錚(そうそう)たるコーヒーを喫したが淙淙(そうそう)とするには草草(そうそう)、向夏躁燥(そうそう)は続く。
 
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コーヒーは楽しい?

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年05月29日 05時00分]
『コーヒーは楽しい!』(河清美:訳/パイインターナショナル:刊 2017年5月)は、機械工学の教授にしてバリスタのセバスチャン・ラシヌー(Sébastien Racineux)と写真家にしてバリスタのチュング‐レング・トラン(Chung-Leng Tran)が著したコーヒー本。ヤニス・ヴァルツィコス(Yannis Varoutsikos)によるイラストが効いている、フランス発の洒落臭い絵本である。原著の“Le café c'est pas sorcier”(Marabout:刊 2016年9月)は、「コーヒーは難しくない」の意。もっとも、‘C'est pas sorcier’(セ パ ソルスィエ)といえばフランスの若年向け科学教育テレビ番組が有名で、ジャミー・ガーマアッド(Jamy Gourmaud)が説いているコーヒー編もある。そのコーヒー番組の方が私には《楽しい!》のだが…
 コーヒーは楽しい? (1) コーヒーは楽しい? (2) コーヒーは楽しい? (3)
 
私は、「コーヒーは難しくない」が原意なのに『コーヒーは楽しい!』と訳した書名に引っかかりを覚えてモヤモヤしている。私にとってコーヒーは易しくないし、コーヒーの全てが楽しいわけでもない。強いて言えば「難しい」から「楽しい」のであって、「難しくない」を「楽しい」と言い換えたコーヒー本のコーヒーはどう考えても美味そうではない。ま、タイトルだけで突っかかってしまうのは、まるで『コーヒーに憑かれた男たち』(嶋中労:著/中央公論新社:刊)に対する木村衣有子の感想みたいなのだが…
 
 《この本のタイトルをつくづく眺めてみて、女はどこにいるのかな、と思う。
  女だってコーヒーに〈憑かれた〉っていいじゃないか。男の美学を投影
  したコーヒーがあるならば、女のコーヒーだってあって然るべきだ。
  (略)〈コーヒーに憑かれた男たち〉は、コーヒーを男だけのものにして
  おきたいようだが、私は〈コーヒーに憑かれた〉女を探しに出かけてみ
  たい、これから。》 (木村衣有子 『もの食う本』 筑摩書房:刊 2011年)
 
嶋中労の筋肉質で体育会系な措辞を書名にあてつけ皮肉った木村衣有子に対して、後に嶋中労は「Daphne」(ダフニ)店主の桜井美佐子を「コーヒーに憑かれた女たち」というブログ記事で紹介して、《木村さ~ん! ここにあなたのお目当ての女(ひと)がいますよ~》などと釈明した(『嶋中労の「忘憂」日誌』 2014年10月2日)。そうでなくても、「コーヒーに憑かれた女たち」の自叙として、尾形悠利の『一人の珈琲屋がいる』(いなほ書房:刊 2010年)などもある。そもそも、コーヒーを感性で捉える「コーヒー・ババゾネス軍団」(?)に敵(かな)う男など誰もいないのだろう…
 
 コーヒーは楽しい? (4) コーヒーは楽しい? (5) コーヒーは楽しい? (6)
だからといって、『珈琲女子』(旭屋出版:刊 2017年4月)などと題されたムックは、醜悪としか思えない。2年ほど前には「ドリップ男子」とかいう下卑た言葉を全日本コーヒー協会と全日本コーヒー商工組合連合会が流布しようと試みていたが、「ドリップ男子」に「珈琲女子」と続けば噴飯、いや、コーヒーも噴くしかない。私は、そうした恥を知らない業界団体や出版社の拙い措辞に引っかかりを覚えてモヤモヤしている。コーヒーにおける‘SOGI’(Sexual Orientation 性的指向 と Gender Identity 性自認/アクロニムで「ソジ」)を考えようにも、「男子」とか「女子」とか粗陋な措辞が邪魔で楽しくない…
 
くだらないコーヒー本のコーヒーはどう考えても美味そうではないし楽しくもない。私にとってコーヒーは易しくないし、コーヒーの全てが楽しいわけでもない。コーヒーの素地には苦みがあり、措辞にも‘SOGI’にも苦みがあるからこそコーヒーなのだ。
 
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フォースと共に

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年05月20日 01時00分]
コーヒーの「フォースウェイブ」(第4の波)とは何か? コンビニコーヒーハイテクコーヒー? ドリップバッグコーヒー? いや、野風俗なコーヒーかもしれない… ‘The 4th will be with you, always.’(フォースは常に君と共にある)
 
 フォースと共に (1)
 《日本のコーヒーショップ市場では、スターバックスがメジャーになって久
  しいが、そのスターバックス発祥の地、米ワシントン州では最近、別の
  種類のコーヒーショップが大きな注目を集めている。店自体は至って
  普通なのだが、普通ではないのが、店員のユニフォームなのだ。コー
  ヒーショップの名前は「ビキニ・ビーンズ・エスプレッソ」。その名から想
  像するところ、ビキニ姿の若い女性がカフェラテなどのコーヒーを淹れ
  て販売している店かと思いきや、それどころではない。なんと、もはや
  ビキニも脱ぎ捨て、おっぱい丸出しのトップレス・バリスタが、コーヒー
  をサーブしてくれるというのだ。(略) 近年日本では、スターバックスな
  ど“シアトル御三家”に継ぐ「サードウェーブコーヒー」が話題となってい
  るが、「フォースウェーブ」として、ぜひともトップレスコーヒーに上陸し
  てもらいたいものだ。》 (「おっぱい丸出しの美女が接客 「トップレス
  コーヒー」が全米でブームの兆し」/Webサイト「日刊サイゾー」 2017
  年4月5日)
 
私も《ぜひともトップレスコーヒーに上陸してもらいたい》と思ったが、品評会だの競売制だのでむやみやたらに値段が高い「トップ・オブ・トップ」のコーヒーは既に売れ行きが鈍って‘less’(より少なく)になり始めた。捨て置いても直ぐに日本のコーヒー市場は‘トップレス’になるだろう。けれども、コーヒーの「フォースウェイブ」はトップレスコーヒーではなくてカフェインレスコーヒーだ、という説もある… ‘Use the 4th.Feel it.’(フォースを使え、感じるのだ)
 
 《今のコーヒースタイルはサードウェーブの時代といわれていますが、で
  は、その後に来る「第4の波:フォースウェーブ」は、どんな波が来るの
  でしょうか? 流れから予想すると、カフェイン抜きのデカフェの時代が
  来るかも?とも言われています。》 (今井利夫 「次に来るコーヒー第4
  の波?『デカフェ・コーヒー』」/Webサイト「中日新聞プラス」 2017年
  4月22日)
 フォースと共に (2)
 《コンビニ大手のローソンが9日からカフェインレスコーヒーの販売を始
  めた。ローソンが新たに販売するのはカフェインを97%カットしたカ
  フェインレスコーヒー。(略) カフェインレスコーヒーは生豆の輸入量が
  この4年で約2倍に増えるなど市場が拡大している。ミスタードーナツ
  は去年12月から、スターバックスは今年1月から販売を始めていて
  競争が激しくなっている。》 (「日テレNEWS24」 2017年5月9日)
 
私は《カフェイン抜きのデカフェの時代が来る》としても、その流行はフードファディズムでしかないので、極力飲むべきではないと思っている。コーヒーの「フォースウェイブ」は、トップレスコーヒー? カフェインレスコーヒー? いや、ボーダーレスなコーヒーかもしれない… ‘The 4th is strong with this one.’(フォースが強い奴だ)
 
 フォースと共に (3)
 《コーヒー豆生産者への敬意と、彼らとのパートナーシップを表現するた
  めに従来からの「国・農園・品種・生産処理」といった表記のルールで
  はなく、「生産者の名前」を主とした銘柄表記へと順次切り替えてまい
  ります。それぞれの農園に固有の自然環境と、生産者の想いや考え
  方、生産方法で変わるコーヒーの豊かな個性の広がりを、いままで以
  上に味わっていただければ幸いです。》 (「シングルオリジンコーヒー
  の銘柄表記変更のお知らせ」/Webサイト「丸山珈琲」 2017年2月
  1日)
 
コーヒーの《「生産者の名前」を主とした銘柄表記》が盛んになればなるほど、従来からの生産国ごとに括られる共通の風味が鈍って‘less’(より少なく)になると私は思っている。例えば、「国境なき医師団」は《苦境にある人びと、天災、人災、武力紛争の被災者に対し人種、宗教、信条、政治的な関わりを超えて差別することなく援助を提供する》ことを憲章に掲げているが、国境や地方の境界では‘らしさ’を語ることのできないボーダーレスコーヒーは、生産者にも消費者にも人種・宗教・信条・政治的な関わりを超えて持続することができるのだろうか?… ‘I'm one with the 4th. The 4th is with me.’(フォースは我と共にあり、我はフォースと共にあり)
 
 《コーヒーのサードウェーブは米国のコーヒーの歴史における第三の波
  ではありません。なぜならば、そのような意味での第一の波も第二の
  波もないからです。第三の波がないので、第四の波という意味での
  「フォースウェーブ」も当然ありません。》 (伊藤亮太 『常識が変わる
  スペシャルティコーヒー入門』/青春出版社:刊 2016年)
 
コーヒーの「フォースウェイブ」は、トップレスコーヒーでなし、カフェインレスコーヒーでなし、マイクロロットやシングルオリジンなどのボーダーレスコーヒーでもないのだろうか? 《‘波’に本質は無い、空疎である》から、そもそも《「フォースウェーブ」も当然ありません》ということなのか? それでも人間は愚昧にも、‘less’(ほとんど無い)コーヒーの「フォースウェイブ」を求めるだろう… ‘May the 4th be with you.’(フォースと共にあらんことを)
 
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そうだ 京都、嗜好。 3

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年05月14日 23時00分]
デイヴィッド・リス(David Liss)は、《オランダ黄金期の商業と聞いて現代人が思い浮べるのは、まず絵画の取引だろう。絵画は芸術品というより、美的な商品と見なされていた》(歴史解説/『珈琲相場師』 松下祥子:訳 早川書房:刊)と言う。その17世紀のオランダ画壇の中でも特異な存在であったヘラクレス・セーヘルス(Hercules Pieterszoon Seghers/c.1589-c.1638)の回顧展がメトロポリタン美術館で催されている頃、セーヘルスを名乗った作家アンナ・ゼーガース(Anna Seghers/1900-1983)を研究する臼井隆一郎氏の講演を含む催事が京都で開かれるという。セーヘルスはコーヒーがオランダへ本格的に輸入される直前に死んだが、ゼーガースの小説はコーヒーのある日常を臼井さんに語らせるだろう…一昨年昨年に続いて「嗜好品文化フォーラム」へ行ってみよう。そうだ!京都、嗜好。
 そうだ 京都、嗜好。3 (1) そうだ 京都、嗜好。3 (2)
 
2017年5月13日
「第15回 嗜好品文化フォーラム」 (京都新聞文化ホール)
 
ドシャ降りの新名神高速道路を往き、会場から北北西約1kmに駐車。まずは今般も、「café de corazón」(カフェ デ コラソン)へ。毎土曜7時からのモーニングコーヒークラブに参加。コラソンブレンドを飲みながら、社会情勢やら郷土食やらコーヒーやら雑多な話題で楽しく過ごす。散会後、傘をさして三条通の辺りまで散策、雨の京都の街は好い風情。
 
会場へ到着、旦部幸博氏と「やぁ、どうも」。臼井さんと旦部さんを左右に置いた席で、午前の部である嗜好品文化研究会の助成研究口頭発表を聴く。「定住化したケニアの牧畜民による蜂蜜利用の変容」(稲角暢)と、「台湾「哈日族」の嗜好品文化 ──アイドルとアニメグッズをめぐって」(張瑋容)と、「11-13世紀 中国西部少数民族における茶の嗜好品化」(森本創)の3題。前2題は1990年代以降のポコットや哈日の変容の政治的背景を考えながら、3題目は地域間交流と茶の関係をコーヒーの伝播史と対照しながら聴いた。旦部さんと感想を述べあいながら、会場近くの「なか卯」で昼飯。雨は上がったようだ。
 そうだ 京都、嗜好。3 (3)
午後の部は「嗜好品と政治学」をテーマとした講演と討論。記念講演「朝コーヒーを飲める普通の生活の世界政治 ──20世紀ドイツ文学の視座から」(臼井隆一郎)と、基調報告「嗜好品が政治を帯びるところ ──「つながり」と「からだ」」(斎藤光)と、髙田公理・臼井隆一郎・斎藤光・藤本憲一・井野瀬久美惠・速水健朗の6人(敬称略)による総合討論。臼井さんは、演題通りにコーヒーを絡めて、アンナ・ゼーガースから始まり19世紀以来のドイツ史を論じた。話が‘アウシュヴィッツのコーヒー’に及んで演者自ら悲憤に絶句、ヘタクソだが心を打つ講演だった。総合討論でも、臼井さんが人間の根本的な‘アヤシサ’を問うて、「何で定住するようになったか?」という人類史の基底を揺るがす発言が光耀した。髙田さんが『九十歳。何がめでたい』(佐藤愛子:著)に倣って「定住。何がおもろい」と見事に括って催事が終了。
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京都ブライトンホテルへバスで移動して懇親会にも参加。立食ビュッフェの宴の中、疋田正博氏や楠正暢氏や小山伸二氏とも談話。今般の催事では、その前後や休憩でも臼井さんと喫煙しながら喋りっ放し。帰路に車へ同乗してもらった旦部さんとも、会ってから別れるまでの始終で楽しきコーヒー談議が続いた。
 
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移民の排斥、棄民、殺戮、思考と志向と嗜好の制圧…定住化して群れたヒトが国家や政治や社会の在り様に根本的な‘アヤシサ’を現出させているとすれば、《朝コーヒーを飲める普通の生活》にも未来はない。人類史自体が行き場のない‘トランジット’であり、そこに咲いた流転の徒花(あだばな)がコーヒーなのかもしれない。そう私に想わせる「嗜好品文化フォーラム」の一日だった、それも嗜好? そうだ!京都、嗜好。
 
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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