コーヒーは旅をしない

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年02月25日 01時00分]
コーヒーは旅をするのか? 『旅する缶コーヒー』というコーヒー漫画はあるが、缶コーヒーが旅をするのか、不明だった。《日本のはるか遠く、地球の裏側で元気に育った、小さな赤い実は、おいしいコーヒーになるために、長く険しい旅に出発します》というショートムービー「コーヒー豆の大冒険」(UCC上島珈琲)があるのだから、コーヒーは旅をするのか? いや、「旅をしない」という新たな話が報じられた。
 コーヒーは旅をしない (1)
 
 「コーヒーも旅をしない」 @コンゴ民主共和国・ルブンバシ
 《コンゴ民主共和国(旧ザイール)の南部ルブンバシで、取材中にコー
  ヒーを頂いた。近くで栽培された豆を使っているという。口に含むと、
  オレンジのような香りと、黒糖のようなまろやかさが口全体に広が
  った。かなり重量感のあるコーヒーだった。 アフリカでは、エチオピ
  ア産やタンザニア産の豆が有名だが、高地に位置するコンゴ南部
  でも良質の豆が取れる。「でも、この豆を日本に持って帰っても、こ
  のおいしさは再現できないんだ」と現地在住の日本人は残念がる。
  原因は水だ。日本の水は軟水が多く、お茶をいれたり、だしをとっ
  たりするには適しているが、コーヒーには不向きだとも聞く。「コー
  ヒー豆も生きているから、育った場所の水でいれるのが一番おい
  しい」という。 そういえば、欧州を旅した時、「おいしいワインは旅を
  しない」という言い伝えを聞いた。良質のワインは保存が難しいし、
  地元で全部飲んでしまうから、というのがその理由だった。 おいし
  いコーヒーも「旅をしない」のだろうか。確かめるためには、私たち
  が旅をしてみるしかない。》 (三浦英之 特派員メモ/「朝日新聞」
  2017年2月23日)
 コーヒーは旅をしない (2)
さすが、三浦英之特派員、このルポは、とても好い。日本の水が《コーヒーには不向き》という点は寝耳に水で賛同できないが、そこは水に流そう。コーヒーは《育った場所の水でいれるのが一番おいしい》から、日本では《このおいしさは再現できない》という言、なるほど、水が合う合わないということは、コーヒーにもあるのだろう。たとえ、それがどんな水であっても…
 
 《コルウェジから約290km離れたルブンバシは、コンゴの鉱業のもう
  一つの中心地だ。この地域の研究者たちは、鉱業が住民の健康
  に深刻な悪影響を及ぼしていると主張している。 彼らの調査によ
  れば、採掘人や地元住民が日々の生活で摂取している金属の量
  は、安全基準の数倍に達しているという。 住民の尿を検査したとこ
  ろ、基準と比べてコバルトが43倍、鉛が5倍、カドミウムとウランが
  4倍も含まれていた。子供の場合はさらに数値が高かった。 別の
  調査で、コンゴの鉱業が盛んな地域で獲れた魚には、高濃度の金
  属が含まれていることもわかっている。 さらに別の調査では、ルブ
  ンバシの土壌は「地球上で最も汚染が深刻な10地域の一つに入
  る」という結論が出たという。》 (「事故で、汚染で、次々と倒れるコ
  ンゴの鉱山労働者…彼らを搾取する「巨大企業」の正体とは?」
  Webサイト『クーリエ・ジャポン』 2016年10月/‘The cobalt
  pipeline: Tracing the path from deadly hand-dug
  mines in Congo to consumers' phones and laptops’
  Todd C. Frankel “The Washington Post” 2016.09.30)
 コーヒーは旅をしない (3)
仮に土壌や水が汚染されているからといって、《コーヒー豆も生きているから、育った場所の水でいれるのが一番おいしい》という主張に、水をさすことはできない。仮に土壌や水が汚染されているからといって、そこに人が生きているから住んでいる場所の景色を観るのが一番楽しいという主張に、水をさすことができないように。コーヒーにとっても、人にとっても、水になれるということは、そういうことなのだ。
 
 コーヒーは旅をしない (4) コーヒーは旅をしない (5)
動乱と侵略と内戦と殺戮と疫病と貧困の中にコンゴ民主共和国(RDC)があり、荒廃と汚染と病害の中にRDCのコーヒーがある。キブやカタンガを主にしてRDCのコーヒー産業にも復興の手は差し伸べられているが、2000年代以降の生産量や輸出量に現状でも伸張はみられない。そうした実状も解しないままに、日本をはじめとするコーヒー消費国がコンゴにもスペシャルティコーヒーを求めるのであれば、コーヒーは「旅をしない」方が好い。正に、《私たちが旅をしてみるしかない》のである…コーヒーは旅をしない。
 
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僕はコーヒーがよめない4

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年02月11日 01時00分]
コーヒーが「のめない」のか、それとも「のまない」のか、それが問題だ!…それも問題だが、コーヒー漫画が「よめない」のか、それとも「よまない」のか、それも問題だ! 『週刊ビッグコミック スピリッツ』(小学館:刊)に連載され、ビッグコミックスとして単行本化されてきた『僕はコーヒーがのめない』(福田幸江:作 吉城モカ:画 川島良彰:監修)は、2017年1月30日発売の第7巻で完結、改め一気読み。
 僕はコーヒーがよめない4 (1)
 
[あらすじ] 無類のコーヒーオタクである花山太一には、電機部品の町工場を畳んで「花山焙煎所」を営み超浅煎り焙煎をする花山大吉の息子、飲料メーカー「東京ドリンクカンパニー」(TDC)で女子社員からお地蔵さんと呼ばれている社員、最高級のコーヒーを味わう会員制組織「レッドダイヤモンドクラブ」(RDC)の会員、という3つの顔がある。花山太一の先輩社員である加賀谷俊介は、TDC創立50周年の記念企画としてサードウェイブプロジェクトを立ち上げ、天堂周伍郎が率いるRDCとの「王様コーヒー」対決に勝利して、TDCを辞めてポートランド発祥のストックトンコーヒー陣営へ移った。花山太一はTDCに残り、コロンビアのバスケス農園で「飲んだ人が幸せになれるコーヒー」を目指したコーヒー畑を作った。
 
 僕はコーヒーがよめない4 (2)
「僕はコーヒーがのめない」は、コーヒー漫画として‘王様’であろうか? とんでもない。それは「のめない」話だ。いや、監修がホセ(川島良彰)であるから、コーヒーに造詣を深くする情報源としては使える。だが、‘漫画’としては、出来があまりよろしくない「バリスタ」よりもさらに酷い。何故か? 画がダメだから。作画を担当した霜月かよ子は、連載前にTwitterでこうつぶやいていた。
 僕はコーヒーがよめない4 (3)
 《すでに講談社のKiss編集長ブログに告知されていますが、漫画家の
  こやまゆかり氏がネーム原作の18世紀のフランスが舞台の漫画が
  新雑誌で始まる予定です!》 《あと、それよりも先に別の漫画も連
  載スタート予定です。今までとは全く毛色の違う作品です。掲載日が
  わかり次第改めて告知させていただきます。》 《掲載はまだまだ先
  ですがオリジナル作品も進行中です! 多分年末あたり…になりそ
  うな予感。》 (2014年3月22日 @shi_moon11)
 《私は『吉城モカ』という新名義でやらせていただきます~。霜月かよ子
  とは違って暖かい絵柄に。》 (2014年4月21日 @shi_moon11)
 僕はコーヒーがよめない4 (4)
《漫画家のこやまゆかり氏がネーム原作の18世紀のフランスが舞台の漫画》とは「ポワソン 寵姫ポンパドゥールの生涯」(隔月刊誌『ハツキス』連載:2014年7月号~2016年11月号/講談社:刊)であり、《オリジナル作品》とは「クドラクの晩餐」(月刊誌『ARIA』連載:2014年12月号~2015年11月号/講談社:刊)である。これらに先行した「僕はコーヒーがのめない」は、《今までとは全く毛色の違う作品》であり、だから《『吉城モカ』という新名義で》挑んだのだろうが、これが裏目に出た。霜月かよ子は、決して絵がヘタな漫画家ではない。いや、描線などは上手な方である。但し、線が細いのでやや暗い背景に動きが少ないシリアスな描写が合っている。これを‘吉城モカ’の「僕はコーヒーがのめない」は自ら封じてしまった。描線を省いて背景を抜いたコマを多用した結果、《霜月かよ子とは違って暖かい絵柄に》したハズが、弱弱しい絵柄になってしまった。それも、主人公の花山太一を描いたコマで‘霜月かよ子’を封じたために、必要以上にストーリー全体が弱弱しくなって迫力に欠けた漫画になったのである。
 
さらに踏み込んで評すれば、「僕はコーヒーがのめない」における小学館の編集部の罪は重い。原作を担当させた福田幸江が、いわゆる‘対決もの’よりも登場人物が身を置く場を移していく‘葛藤もの’に技があることは新「味いちもんめ」のシナリオをみればわかりきったことだろうに。作画を担当させた霜月かよ子が、その本領を発揮する画技と意欲の軸足を講談社へ移すことはわかりきったことだろうに。原作と作画の布陣からして欠格であった「僕はコーヒーがのめない」は、コーヒー漫画として‘王様’どころか‘ディフェクト’だらけである。関係者はコーヒー漫画が「よめない」のか、それとも「よまない」のか、いずれにしても問題だ。できることならば、おやまけいこを改作者にして、(吉城モカではない)霜月かよ子を作画者にしたリメイク版「僕はコーヒーがのめない」を私はよみたい。
 僕はコーヒーがよめない4 (5)
 
コーヒー漫画の中にも「のめない」話があるのも仕方がないが…しかし、「のめない」からといって「よまない」ワケにはいかない。但し、コーヒーの世界には先が「よめない」コトもある。
 
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ノアノア気分

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年01月20日 01時00分]
ゴッホとゴーギャン展」(Van Gogh and Gauguin: Reality and Imagination)を観てから、‘ノアノア’気分が抜けない。私の気分は‘ノアノア’だが、ポール・ゴーギャンやフィンセント・ファン・ゴッホが飲んだコーヒーは、‘ノアノア’(芳香)が匂ったのだろうか? ファン・ゴッホのコーヒーを追ってみよう。
 
 
【ファン・ゴッホ ニューネン時代のコーヒー】
 コーヒーノアノア VG (1) コーヒーノアノア VG (2) コーヒーノアノア VG (3)
オランダのニューネンでファン・ゴッホが描いたコーヒー関連の画には、「コーヒー挽き、パイプ入れと水差しのある静物」(1884)や「銅のコーヒーポットと2つの茶碗のある静物」(1885)がある。前者は恋仲になった隣家の女が服毒自殺を図って破局した直後に描かれ、後者は不仲だった実父が急死した翌月に描かれている。弟テオドルスへの手紙では《打ちのめされた》とか《いつものような仕事はできなかった》などと言っているが、ファン・ゴッホは画を描き続けたし、そしてコーヒーも飲み続けたのだろう。同時期の代表作「ジャガイモを食べる人々」(1885)にもコーヒーが登場している。
 
 《実は、貧しい一家にコーヒーはぜいたく品なので、この人々は実はコーヒー
  ではなく、チコリを飲んでいるのだ、という説があるのです。しかし、と私
  は考えます。そこまで、この一家を貧しさの象徴にするのは、可哀そうで
  はないでしょうか。コーヒーくらい、本物を飲ませてあげてもいいじゃない
  ですか。》 (ゴッホ「じゃがいもを食べる人々」 その②/Webサイト『(株)
  アートコーヒーのブログ』 コーヒーと絵画 2015年12月18日)
 
19世紀後半のオランダの貧農は、ジャガイモと(全量もしくは一部を)チコリで代用したコーヒーを、パンとワインの代わりに摂っていた。この蓋然性は充分に高く、アートコーヒーによる感傷の妄想には付き合えない。ファン・ゴッホが「ジャガイモを食べる人々」を描いた後、画のモデルとなった娘スティーン・デ・フロートの妊娠騒ぎが起きた。この騒動によってファン・ゴッホはニューネンを追われたが、《可哀そう》なのはファン・ゴッホの親族やニューネン村の人たちの方だろう。この時空のコーヒーに、‘ノアノア’はない。
 
 
【ファン・ゴッホ パリ時代のコーヒー】
 コーヒーノアノア VG (4) コーヒーノアノア VG (5) コーヒーノアノア VG (6)
ファン・ゴッホは画家になる以前にも、パリにいたことがある。オペラ座(ガルニエ宮)が完成する頃、1874年11月から1876年3月までの間に2度、美術商のグーピル商会の店員としてパリ本店に配属されていたのである。但し、オペラ座で落成式が催された1875年1月5日の3日前にファン・ゴッホは一度ロンドン店へ異動、同年5月にパリ本店へ戻されて翌年に解雇された。それから約10年後の1886年、画家を自称するファン・ゴッホがパリに現れる。この間に、パリのカフェの賑わいは、オペラ座の隣に「カフェ・ド・ラ・ペ」(1862年開業)が位置するグラン・ブルヴァール周辺からモンマルトルの丘(ビュット)界隈へ移っていた。
 
 《結局、「ラ・ペ」はグラン・ブルヴァールの最後のモニュメンタルなカフェに
  なった。一八七〇年、普仏戦争の敗北によって第三共和政に入ると、
  ブルジョワジーの足はイタリア通りから遠のきがちになり、「カフェ=レ
  ストラン」は徐々に衰退していく。 代わって世紀末からパリのカフェ文
  化の中心になったのは、モンマルトルの丘で、ルノワール、セザンヌ、
  ピカソ、ヴェルレーヌなど周辺に住む画家、文学者がたむろした。「ラ
  パン・アジール」「カフェ・ゲルボア」「ヌーヴェル=アテネ」「シャ・ノワー
  ル」。カフェというより、キャバレだが……。》 (山内秀文 「「カフェ・ド・
  ラ・ペ」から覗いたフランスのカフェ史」/『vesta』 第103号 2016夏
  特集:カフェという別世界 公益財団法人味の素食の文化センター:刊)
 
1888年2月19日にパリを去るまでの約2年間、ファン・ゴッホは主としてモンマルトルの界隈で過ごしていた。芸術家を気取ってモンマルトルに集まったクロシャール(浮浪者)やボヘミアン(放浪者)に類するファン・ゴッホは、「モンマルトルからのパリの眺め」(1886)、「モンマルトルのカフェのテラス(ギャンゲット)」(1886)、「アブサンのある静物」(1887)といった作品を描いている。正に、丘からパリの街を眺め、キャバレやガンゲットに出入りして、アブサンを飲んでいた。この時空のコーヒーにも、‘ノアノア’はない。
 
 
【ファン・ゴッホ アルル時代のコーヒー】
 コーヒーノアノア VG (7) コーヒーノアノア VG (8) コーヒーノアノア VG (9)
ファン・ゴッホは、ドガ、モネ、ルノアール、シスレー、ピサロをグラン・ブルヴァール(大通り)の画家と呼び、ベルナール、アンクタン、ロートレック、コーニング、ギヨマン、スーラ、ゴーギャンたちと自分をプチ・ブルヴァール(裏通り)の画家と称した。そして、両者による協同組合の設立をアルルへ移ってからも夢想した。ファン・ゴッホは、《カフェとは人が身を滅ぼし、狂人になり、罪を犯すような場所だ》などと弟テオドルスへの手紙に書いて、「夜のカフェテラス」(1888)を描いた。この後、自らが身を滅ぼして狂人になり罪を犯すのである。
 
 《手紙をありがとう、でも今度はずいぶんやきもきした、木曜日にすっから
  かんになって月曜までは滅法長かった。 その四日間を大体二十三杯の
  コーヒーとパンでつないだ、その分はこれから払わなければならない。》
  (『ゴッホの手紙』 テオドル宛 第五四六信/硲伊之助:訳 岩波文庫)
 
 《『タマネギの皿のある静物』には実に様々なものが力強いタッチで描かれ
  ています。愛用のパイプ、芽を伸ばす玉葱。火の灯ったろうそく、「健康
  年鑑」と記された自然療法の本、弟への手紙、満たされたコーヒーの
  ポット。オランダ人は、それはそれは1日に多くのコーヒーとタバコを嗜
  むと言われています。ゴッホもゴーギャンも当時は高級品であったはず
  のコーヒーを好み、食べ物がなくてもコーヒーを1日10杯くらい飲んだ、
  などと記録に残っているようです。よっぽど好きだったのでしょう。》
  (Webサイト「Soup Stock Tokyo MUSEUM」 音声ガイド6)
 
ゴーギャンとの共同生活を待ちわびながら描いた「青いエナメルコーヒーポット、陶器、および果物の静物」(1888)、その共同生活が破綻した翌月に描いた「タマネギの皿のある静物」(1889)。「耳切り事件」の前だろうが後だろうが、ファン・ゴッホは窮乏にあえぎ続け、弟に金銭や画材をせびり続け、カフェに金を使い続け、《それはそれは1日に多くのコーヒーとタバコを嗜む》生活を続けた。それらをして、《よっぽど好きだったのでしょう》とするスープストックトーキョーの暴論には付き合えない。この時空のコーヒーにもまた、‘ノアノア’はない。
 
 
 コーヒーノアノア VG (10) コーヒーノアノア VG (11)
ファン・ゴッホが飲んだコーヒーからは、‘ノアノア’が匂ってこない。確かにカフェやコーヒーに関連する作品や著述は多く見られるが、そこに芳香を放つ美味しいコーヒーは看取できない。無理に探せば、「コーヒーを挽く女性」(1881)や「シルクハットをかぶりコーヒーを飲む孤児の男」(1882)には、僅かに芳香が嗅ぎ取れる。しかし、19世紀の終盤を迎えてビスマルク体制下にあったヨーロッパに、‘ノアノア’などなかったのである。さて、コーヒーの‘ノアノア’はどこで漂っていたのだろうか?
 
♪ 月がおちるまで 太陽がのぼるまで ふたりノアノア気分 いつもノアノア気分 のんびり恋をする ♪ (「ノアノア気分」 歌:久我直子 詞:阿久悠 曲:三木たかし 編:萩田光雄 1978年)
 
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塩コーヒーでドリカレ

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年01月11日 01時00分]
「ドリカレ」とは何か? 《好きなフレーバーをドリップしてつくるカレーメシ。それが、「ドリカレ」。コーヒーを淹れるように、カレーメシを楽しもう》(ドリップカレーメシWebサイト)…何だ、そりゃ? 日清食品は‘レンチン’(電子レンジ加熱)の商品だった「カレーメシ」を一新して、2016年8月29日発売からレンチン不可の湯かけ調理に変えた。これに批難の声があがる中で、「湯かけ調理の新バージョンだからこそ」を狙ったプロモーションが「ドリカレ」というワケだ。
 塩コーヒーでドリカレ (1) 塩コーヒーでドリカレ (2)
 《いよいよカレーにも“第3の波”が到来! バリスタが淹れるていねいな
  一品 “ドリップカレーメシ” を提供します (略)通常湯かけ調理で召し
  上がっていただく「カレーメシ」を、「DRIP CURRYMESHI TOKYO」
  ではコーヒーやかつお節、ジャスミン茶などを一品ずつ丁寧にドリッ
  プして提供します。》 (日清食品ホールディングス株式会社 プレスリ
  リース/Webサイト『PR TIMES』 2016年11月1日)
 
じゃあ、私も「ドリカレ」に挑もう。だが、《第3の波》っぽくコーヒーに拘るのは、まっぴらごめんだ。もっと面白くて美味しく挑みたい…そうだ! ドリップカレーメシにコーヒーだけでなく塩を使おう。エチオピアではコーヒーに塩を入れて飲む人がいるし、バルザックはもちろん、「定年退食」の主人公もコーヒーに塩を入れて飲んでいた。《コーヒーに塩を加えるカリブ地方の飲み方を再現》と称して「ソルティ アイス カリビアンスタイル」という缶コーヒーもあった。海水で洗ってから焙煎した「北前珈琲」ってのもあるらしい。コーヒーに塩の取り合わせは妙である。やってみよう!
 
 塩コーヒーでドリカレ (3) 塩コーヒーでドリカレ (4) 塩コーヒーでドリカレ (5)
コロンビアのコーヒー生豆を、摂氏約50度の食塩水(濃度3.5%)に浸して3日間放置、その後、半日間の天日干しをしてから3日間の陰干し。かなり塩分が含浸した状態でカラカラに乾いた風合い。これをポップコーンメーカーで熱風焙煎する。約3分15秒経過でサーモスタットが効いて焙煎終了。何故だか焙煎中はキャラメル香が強く匂ったし、焙煎の深度以上に色が濃く仕上がった。…ん? 焙煎した豆の表面にモコモコした腫瘤が多数できている。バケモノだ! バケモノを作っちまった!(笑) どうしてこうなるのか? また解くべき謎が増えた。豆ごとガリリと齧ってみる…しょっぱい。この時点で、もう塩コーヒーだ。
 
 塩コーヒーでドリカレ (6) 塩コーヒーでドリカレ (7) 塩コーヒーでドリカレ (8)
そうだ、コーヒー飯を炊こう! 約2年前に川島明がTwitterで缶コーヒーで炊く「コーヒーご飯」の件をつぶやいた時には仕上げにごま塩をかけていたが、私の焙煎した塩コーヒーで炊けば、きっとそのままイケる。焙煎した塩コーヒーの豆を挽いてペーパードリップで抽出した液を使い、石川県産の「ゆめみづほ」を炊く。炊き上がりの芳ばしさはすぐに消えていくが、うっすらとした塩味がコメの甘みとコーヒーの苦みをつなげていてイイ感じだ。握り飯にしてみる…ゲテモノにしては存外食える。以前に挑んだ「コーヒーと米と生卵」は‘無の味’だったが、もしかすると、このコーヒー飯を使えば…いかんいかん、本来の試行である「ドリカレ」に挑もう。
 
 塩コーヒーでドリカレ (9) 塩コーヒーでドリカレ (10) 塩コーヒーでドリカレ (11)
「ドリカレ」スタート! 《コリアンダーをはじめとしたスパイスに、ココアを隠し味に使用することで、深いコクが感じられるカレーに仕上げました》(日清食品グループWebサイト)という「カレーメシ ビーフ」のカップの上に、クリスタルドリッパーを置いてペーパードリップで抽出。塩コーヒーの豆はさらに粗挽きに、注湯の温度は高めにする。抽出液がドリップするにつれてカレーの臭いが強烈に漂ってきて、コーヒーの「ドリカレ」なのかどうかもわからない。大丈夫か?(笑) 3分近く時間をかけて抽出して、さらに蓋を閉めて3分半ほど待つ。ヨシ、食べよう。コーヒー豆から出た塩分で味は濃くなったが、おぉ、《隠し味》のハズのココアの香りを甘く引き立てながら、辛さにも調和しているコーヒーの香味…ゲテモノにしては存外食える。
 
 塩コーヒーでドリカレ (12) 塩コーヒーでドリカレ (13) 塩コーヒーでドリカレ (14)
「ドリカレ」を食した後、松屋コーヒー本店で買ってきたサンミッシェルのプチブールと自家焙煎したヤンニハラール・モカのカフェオレを味わいながら想う。日清食品がドリップスタンドでコーヒーを抽出して、ネスレ日本が木製ピタゴラ楽器でクリスマス催事をして、東京茶寮が日本茶をカウンターでハンドドリップする時代だよ。そのうち、和菓子屋がドリップスタンドで「コーヒーぜんざい」を作る店を出したり、コーヒーチェリーでジュースバーを開くコーヒー屋が現れたりするだろう。コーヒーを‘そういうもの’でしか捉えられない、不憫な連中だ。私は、存外食えるゲテモノで遊びながら、コーヒーは‘どういうもの’なのかを考え続けてみよう。
 
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珈琲に酊う

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年01月01日 00時00分]
「丁」は火の陰干にして陽気の充溢を表し、「酉」は金の陰支にして成熟の辺際を示す。人為の丁火によりて酉金の香味を醸すこと、コーヒーもまた瑞露の飲料にして、干支の丁と酉を合わせてこれに酊(よ)うべきか?
 
 
【360年(6元)前 丁酉1657年のコーヒー 英国】
 
 《コーヒー最初の新聞広告は、1657年5月、ロンドンの週刊新聞「パブリッ
  ク・アドバイザー」紙に掲載されました。広告文は以下のような内容でし
  た。「旧取引所裏バーソロミュー通り。コーヒーと呼ばれる飲み物(きわめ
  て身体によき天然の飲料、すぐれたる効能多し)。胃の孔を塞ぎ、体内
  の熱を強め、消化を助け、精神の働きを促し、気持ちを快活にする。た
  だれ目、咳、風邪、粘膜の炎症、肺病、頭痛、水腫、風疹、痛風、懐血病
  など多くに効く。午前中および午後3時に売る」》
  (コーヒーの歴史/コーヒー百科 UCC上島珈琲Webサイト)
 珈琲に酊う (1)
 《この新聞の発行者はマーチャモント・ニーダムという男で、コモンウェル
  スの時代、クロムウェルからただひとり新聞出版の許可を得ていた。日
  和見主義者という悪評を王党派からも議会派からも浴びせかけられた
  男で、『メルクリウス・ポリチクス』や『パブリック・インテリジェンサー』な
  どの週刊新聞を出した経験をもっていた。このニーダムが一六五七年
  五月に発刊したものが『パブリック・アドヴァタイザー』で、一六ページす
  べてが広告で埋められ、値段は一ペニーであった。》
  (小林章夫 『コーヒー・ハウス 都市の生活史─18世紀ロンドン』 駸々
   堂出版:刊 1984年)
 
ロンドンのコーヒーハウスの隆盛にはジャーナリズムが深く関与している。だが、オリバー・クロムウェルによる護国卿時代(プロテクトレート)、マーチャモント・ニーダムやヘンリー・マディマンら初期のジャーナリストには悪評がついてまわった。彼らは臨機応変にして因循姑息なタイムサーバー、つまり‘風見鶏’だったのである。
 
 
【240年(4元)前 丁酉1777年のコーヒー 普国】
 
 《大のコーヒー好きだったプロシア(現ドイツ)のフレデリック大王が、突然
  コーヒー禁止令を布告しました。当時、植民地を持っていなかったドイツ
  にとって、コーヒー消費量の増加は、一方的な通貨の海外流出となり、
  国際収支のバランスが悪化するばかり。しかもドイツビールの生産量
  が減り、打撃を受け始めていたのです。そこで大王は自分の好みを押
  さえてビールを飲むように奨励し、コーヒーに重税をかけました。それで
  もコーヒー愛好者が減らなかったため、1781年には、王室以外での
  コーヒーの焙煎を禁止、貴族・司祭・将官といった上流階級のみがコー
  ヒーを独占することとなり、王室は莫大な利益を得ました。》
  (コーヒーの歴史/コーヒー百科 UCC上島珈琲Webサイト)
 珈琲に酊う (2)
 《ドイツは四方八方、いや厳密に言えばそれ以上、実に九つの国と国境
  を接している国なのである。したがって取り締まり対策の要めは、コー
  ヒーを焙煎すると発するコーヒー特有の芳しいアロマ、焙煎の香りを頼
  りに取り締まりを強化することである。町にはこの匂いをくんくん嗅ぎ廻
  る密偵に溢れていた。》
  (臼井隆一郎 『アウシュヴィッツのコーヒー コーヒーが映す総力戦の世
   界』 石風社:刊 2016年)
 
大王フリードリヒ2世は、ホーエンツォレルン家ブランデンブルク選帝侯にしてプロイセンの王であり、1657年に生誕したフリードリヒ1世の孫である。コーヒーにシャンパンを入れて沸かしてマスタードを加えて飲んだ大王、その頭は固くて柔らかい‘石鶏冠’だったのか? 大王は1777年9月13日にコーヒー禁止の声明を発し、その4日前にフライベルクの鉱業を伸長させるべくフリードリヒ・アントン・フォン・ハイニッツを大臣に任命した。フライベルク名産の鉱石は‘鶏冠石’である。
 
 
【60年(1元)前 丁酉1957年のコーヒー 墨国】
 
 《パラナ州の新植農園がいっせいに収穫期を迎えた頃から、世界的に過
  剰生産が問題となり始め、中南米のみならずアフリカ諸国でも、経済的
  政治的に重大な事態が避けられない見とおしとなり、全世界のコーヒー
  生産国としては、価格安定方策を早急に政府間で協議する必要に迫ら
  れた。戦後米国を中心とする米州コーヒー協定は失効していたからだ。
  一九五四年以来非公式に接触を重ねたすえに、一九五七年七月メキ
  シコシティーに中南米七ヵ国が集まり、輸出割当協定に調印した。メキ
  シコクラブと呼ばれたこの結束で、しばらくは相場下支えの効果があっ
  たが、一九五八年の中頃には再び相場が軟化し始めたため、さらに多
  くの生産国に呼びかけて一五ヵ国によるラテン・アメリカ・コーヒー協定
  の調印に漕ぎつけた。》
  (山田早苗 『珈琲入門』 日本食糧新聞社:刊 2005年)
 
ブラジル・コロンビア・コスタリカ・エルサルバドル・グァテマラ・メキシコ・ニカラグアによる‘メキシコクラブ’の企図から成立までは、ヨシフ・スターリンの死去からスプートニク・ショックまでの東西冷戦の雪融け期間に一致する。この1957年の協定はアメリカ合衆国にとって‘鶏肋’でしかなく、反共主義の再燃によって無効化されて、ラテンアメリカ・コーヒー協定へと乗っ取られた。1957年、後に世界遺産「キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観」が登録されるマエストラ山脈で、フィデル・カストロとチェ・ゲバラらはゲリラ活動をしていた。メキシコからキューバへ渡り、‘鶏が鳴く’東の地で巨悪なるアメリカ合衆国を倒す革命が始まっていた。
 珈琲に酊う (3) 珈琲に酊う (4)
 
 
丁酉2017年の鶏旦、苦い歴史の香味を改めて想いながらコーヒーに酊う。酊うて、コーヒーの意、一丁字を識らぬも酉陽雑俎より怪しく語り、コーヒーの趣、鶏の空音の如く薫香を翔ばして八丁を荒さん。
 
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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