気狂いヴェルフリ再考

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2017年03月26日 23時30分]
気狂い(キチガイ)画家の作品展「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」を訪ねた時、私は笠木日南子の言に逆らって《ヴェルフリがどんな人だったか、アール・ブリュットとは何か》を考えながら観た。その後、「中日新聞」は「アールブリュットって何? 名古屋で代表的な作家の作品展」という記事を掲げた。
 気狂いヴェルフリ再考 (1)
 
 《専門的な教育を受けたわけではないのに、何かを作らずにはいられ
  ない。しかも他者からの称賛や報酬などをまるで求めずに─ そんな
  人たちによる創作を総称するのがアールブリュットといえようか。日
  本では「障害者のアート」という位置づけもされるが、リュザルディさ
  んは「まず作品を見てほしい。作家が社会的、身体的にどうであった
  かは興味がない。審美的な価値が第一」と指摘した。 美術批評を手
  がける名古屋芸術大の高橋綾子教授も、ヴェルフリが性犯罪者だっ
  たことなど作家を巡る副次的な情報にはとらわれず、作品自体と向
  き合うことを勧める。》 (三品信/「中日新聞」 2017年3月24日)
 
笠木日南子もマルティーヌ・リュザルディも高橋綾子も、《作家を巡る副次的な情報にはとらわれず、作品自体と向き合うことを勧める》。独り善がりの大きなお世話だ。
 気狂いヴェルフリ再考 (2)
 
 《デュビュッフェの定義する「アール・ブリュット」は、知的でない何か、
  制度的でない何か、という否定的な部分のかたちを既にとっている
  のであり、フーコーが『狂気の歴史』のなかで用いた言葉で言えば、
  理性の「消極性」(ネガティヴィテ)としてのかたちを既に成している。》
  (松井裕美 「狂気がかたちを成すとき ─二〇世紀初頭の芸術と図
  式的実現─」/芸術批評誌『REAR』(リア)38号 特集「障害と創造」
  p.45/リア制作室:刊 2016年11月)
 
 《(1972年)同年、ヴェルフリの作品がヴァルダウからベルン美術館
  に移管され、1975年には美術館内にアドルフ・ヴェルフリ財団が設
  立された。美術という制度の「アウトサイダー」として評価されたヴェ
  ルフリの作品は、その美術という制度の「インサイダー」の側に組み
  入れられたのだ。》 (笠木日南子 「アドルフ・ヴェルフリの作品とその
  受容」/前掲『REAR』38号 p.59)
 
おかしくないか? 笠木日南子もマルティーヌ・リュザルディも高橋綾子も、誰から何を守ろうとしているのだろう? ジャン・デュビュッフェが反知性・非理性の狂気を再発見する意で道具立てにした「アール・ブリュット」、その《消極性》から目を背けよというのか? それは、《美術という制度の「アウトサイダー」として評価されたヴェルフリの作品》を、《美術という制度の「インサイダー」の側に組み入れられた》視座に限らせようというのか? おかしいだろ、これ。
 
 《しかし、アール・ブリュットやアウトサイダー・アートを障がい者の創作
  のことだと考えること(より正確に言えば、政策的ミッションのために
  意図的に誤読すること)は、障がいを社会モデル化する近年の福祉
  の理念に逆行する行為といえる。障がい者がアウトサイダーなので
  はない。美術に外側があるということの証左のひとつとして、障がい
  のある人の創作物があり、その内と外を隔てているものに対して私
  たちは常に敏感でなければならない。》 (服部正 「障がい者の創作
  行為を個人モデル化しないために」/前掲『REAR』38号 pp.28-29)
 
 《こうした、社会的排除に抵抗していながらも、単にマジョリティの価値
  観で「包摂」しようとすることで、新自由主義的な社会で再び排除の
  構造を作ってしまうという現象に対し、芸術の分野で言われている
  「社会包摂」はいかにも表面的だ。(略) 自分とは関係のないものと
  して他者化し、無自覚なマジョリティとしての視点から眺めているの
  では、結局のところ排除の構造から逃れることができない。》 (長津
  結一郎 「アール・ブリュットの先へ──「社会包摂」を手がかりに」/
  前掲『REAR』38号 p.32/p.34)
 
おかしくないか? 《作家が社会的、身体的にどうであったかは興味がない。審美的な価値が第一》というマルティーヌ・リュザルディの言は、《美術に外側があるということ》自体を否定する鈍感を示していないか? 《作家を巡る副次的な情報にはとらわれず》という高橋綾子の言は、《無自覚なマジョリティとしての視点から眺めている》に過ぎず、《結局のところ排除の構造から逃れることができない》のではないか? おかしいだろ、これ。
 
「障害と創造」を特集した『REAR』(リア)38号を読んで、私がもっとも好いと感じた話は、草間彌生に対する立岩真也の評だった。
 気狂いヴェルフリ再考 (3)
 
 《彼女は、あきらかにアタマが普通におかしいですよ。ブツブツの変に
  気持のいいカボチャとか、アタマがおかしいから創れているところが
  ある。それに感動する人がいて、それでいいなと思う。才能として、
  世に言うある種の障害が作用して出来ていることには、事実として
  認めざるを得なくて、それがよい作品を創っている限りにおいては、
  よいと言えば良い。》 (立岩真也/対談 「障害と創造をめぐって」/
  前掲『REAR』38号 p.18)
 
これは、おかしくない。《アタマがおかしいから創れているところがある》、それは草間彌生でもアドルフ・ヴェルフリでも同じだ。ところが、学芸員だの館長だの研究者だのという連中は、そこを曖昧にして遠ざける。連中はアタマがおかしいのではなくて、あきらかにアタマが普通に悪い。いったい、アドルフ・ヴェルフリが描いた「二萬五千頁の王国」は、《内と外を隔てているものに対して…》と言った場合に‘外’に位置付けられるべきなのか? そもそも、「アール・ブリュット」は、《障がいを社会モデル化する近年の福祉の理念》に従って捉えるべきなのか? 独り善がりの大きなお世話だ。
 気狂いヴェルフリ再考 (4)
 
《人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず》…芸術の関係者だか美術の専門家だか知らないが、愚かな連中の言説に耳を貸す謂れはない。こうした連中が《新自由主義的な社会で再び排除の構造を作ってしまうという現象に対し》、聖アドルフ2世が治める「二萬五千頁の王国」が狂気で芸術の分野を包摂することを私は望む。虐待も凌辱も蔑視も差別も排除も白日の下に晒して‘Zorn’(ツォルン/怒り)を撒き散らす気狂いが治める社会、その狂気に包摂された社会が具現した時にこそ、真の「アール・ブリュット」(生の芸術)が成される。
 
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パンティ、苦渋の声

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:観の記:美面 [2017年03月23日 01時30分]
《1960年代から日本の女性が頻繁に着用し、70年代に入るとテレビや雑誌などを通じて社会的に流行した「パンティ」。ありとあらゆる文化がパンティに染まったこの現象は、ズロースとショーツの隙間に開花した徒花であったのか?》…「右も左もパンティづくし!」とかいう‘鼻血ブー’な展覧会が東京駅丸の内駅舎内の美術館で開かれているらしい…何か違うようにも思ったが、まぁ気にしないで、東京でコーヒー遊びのついでに観てみよう!
 パンティ、苦渋の声 (2)
 
「パロディ、二重の声 日本の一九七〇年代前後左右」 (東京ステーションギャラリー)
 
入館。プロローグは、山縣旭(レオ・ヤマガタ)による〈モナリザ〉が40点余も並んでいる(上半身ばかりでパンティがない!)。第一部「国産パンティの流行前夜」には、吉村益信の〈豚〉がいた(上半身だけでパンティが穿けない!)。第二部「肥大するパンティ」には、赤瀬川原平の〈おざ式〉や長谷邦夫の〈バカ式〉〈アホ式〉〈マヌケ式〉があったし、〈伊丹十三のアートレポート〉も映していた(伊丹十三なのにパンチラもパンモロもない!)。第三部「いわゆるパンティ裁判」には判決文が並んでいる(結局パンティがない!)。退館。‘鼻血ブー’どころか「くそっ、騙された」と苦渋の声を呻き漏らす。
 パンティ、苦渋の声 (3) パンティ、苦渋の声 (4)
 
パンティの展覧会なのにパンティが一つもない…何か違うようにも思ったが、会場のあちらこちらに立て掛けてあった解説が好かった。抄出しておく。
 
《「パンティー」という言葉は、戦後はもちろん、戦前にもふつうに使われていなかったが、一九七〇年代に入ってから、ひろく週刊誌やマンガ雑誌で使われるようになり、日常の日本語の一部となった。》 (鶴目俊輔)
《したがって位置エネルギーのない言葉にパンティは成立しない。》 (青瀬川原平)
《したがって文体模写や語り手による叙述においては可能であった二つの声の融合という現象は、パンティでは不可能なのである。》 (身入馬夫珍)
《パンティは或る意味で多義性発生装置であるから、その未来は洋々たるものであると思います。》 (山田昌男)
《(パンティは)別の定義をすれば、類似よりも差異を際立たせる批評的距離を置いた反復である。》 (林田八音)
《むしろ、正・反がシステム化し、固定化した認識の枠組みそのものを批判することがパンティではないか。》 (本村恒久)
《わたしたちのまわりで時めいている〈偉大なもの〉とその亜流はすべてパンティの原料にするのがよい。》 (井上のき)
《不自由のなかでこそ、パンティーはいきいきするのかも知れないが、一方では、芸術の自由を獲得し拡げるためにもパンティーの力が必要なのだ。》 (赤塚不二家)
《とり・みきさんが「元ネタがばれると困るのが盗作で、ばれなきゃ困るのがパンティなんだ」と、言ったんですけど、これは至言だと思いました。》 (松熊健太郎)
《もともとパンティというのは他人の褌で角力をとり、しかもそれを汚してから相手の顔に投げつけるようなもので、相手は当然怒り心頭に発し、またそうでなくてはパンティは面白くない》 (和口誠)
《「パンティは著作権法の世界における〈鬼っ子〉のような存在である」と言われる。》 (小泉曲樹)
《「イエス」と「ノー」と両方をもっているのがパンティであって、そのようなかたちで次の作品が生まれてくる。》 (清水蟻範)
《パンティーは、もともと批評的なものである。だが、いま、パンティーといわれるものは少しも批評的ではない。》 (下野昴志)
《だからこそ、私たちは、パンティを通して、その共通の約束事、それぞれの文化や時代にとっての「当たり前」を確認できるのです。》 (津辺棚栗捨輪)
 
 パンティ、苦渋の声 (1) パンティ、苦渋の声 (5)
解説には首肯すべきものもあったが、展覧会の意図には違和感も残る。《日本の一九七〇年代前後左右》を‘回顧’や‘懐古’するために並べても面白味は薄い。当時のパンティは、そのために作られていないから。パンティを切り口に《日本の一九七〇年代前後左右》という時代を照射するためならば、あまりに踏み込みが浅い。むしろ、現在と近未来の苦渋を直截に問うべきだから。「パンティ、苦渋の声 日本の二〇二〇年代前後左右」…そう展覧会を《相手の顔に投げつけるようなもの》に捉える、《またそうでなくてはパンティは面白くない》のである。
 
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気狂いヴェルフリ

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2017年03月14日 05時30分]
気狂い(キチガイ)による芸術作品を「アール・ブリュット」(Art Brut/生の芸術)と呼ぶ。美術界における伝統や因習を徹底して忌み嫌ったジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet/1901-1985)が1945年頃に担ぎあげた概念である。これをロジャー・カーディナル(Roger Cardinal/1940-)は1972年頃に「アウトサイダー・アート」(Outsider Art)と訳した。要は伝統破壊や因習打破を叫ぶ者たちが、その旗幟として‘キチガイ芸術’を賛美したのである。その定義の恣意は実に生臭く、また解釈の混乱は実に生生しいので、まさに「生の芸術」と呼ぶに相応しい。そして、気狂い画家アドルフ・ヴェルフリ(Adolf Wölfli/1864-1930)の展覧会が名古屋に巡回してきた…観てみよう。
 気狂いヴェルフリ (1)
 
「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」 (名古屋市美術館)
 
 《その感想を一言で述べると、やはり「圧巻」の一言。妄想的イマジネー
  ションによるディープな物語世界が、凄まじい強度と執拗さで展開され
  ており、画面を埋め尽くす図柄、文字、楽譜から目が離せなくなる。一
  方、彼の作品にはある種の中毒性があり、没入するのは危険だとも
  思った。現在日本では、アール・ブリュットを単に障害者アートとして取
  り上げることが多い。そこでしばしば語られるのはSMAPの楽曲『世界
  に一つだけの花』的な心あたたまる世界だが、そんな価値観を持つ人
  にこそ、本展を見てもらいたい。アール・ブリュット(生の芸術)とは本
  来どういうものかが分かるはずだ。》 (小吹隆文 artscapeレビュー
  2017年1月11日/Webマガジン『artscape』 2017年2月1日号)
 気狂いヴェルフリ (2)
 《さまざまなことを考えさせられるヴェルフリの生涯と画業だが、名古屋
  市美術館で本展を担当する笠木日南子学芸員は「ヴェルフリがどん
  な人だったか、アール・ブリュットとは何か、そうしたことを知った上で
  作品を見ることにも意義があると思いますが、まず作品そのものを
  じっくり見てほしい」と語る。「粗末な紙に鉛筆や色鉛筆で手描きして
  いるのに、線や色がものすごく美しい。何を描いたものか理解しよう
  とするより、子どものように理屈抜きで見る方が楽しめるかもしれま
  せん」》 (三品信/「中日新聞」 2017年3月1日)
 気狂いヴェルフリ (3)
アドルフ・ヴェルフリには、《圧巻》を誤用する小吹隆文のようなワードサラダ(言語障害)がみられない。笠木日南子は《子どものように理屈抜き》というが、ヴェルフリに犯された幼女や少女の惨憺には理屈を抜けない。だが、確かに「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」は、《粗末な紙に鉛筆や色鉛筆で手描きしているのに、線や色がものすごく美しい》し、《ディープな物語世界が、凄まじい強度と執拗さで展開されており》、観て気圧された。ヤァさすが気狂いの連想はスゴイ、という感じ。いただけないのは、ネジ止め丸出しの貧相な額装で抑揚なく延延と並べた陳列。狂気の美術には狂気の展示で応えるべきだろう。
 気狂いヴェルフリ (4)
展覧会の副題は「二萬五千頁の王国」と仰仰しいが、「2億4千万の瞳」ほどまばゆいくらいエキゾチックではない。また、予想ほどには《ある種の中毒性があり、没入するのは危険》という感じがしない。怪異や奇矯の破綻が小さくて猟奇の不気味さが淡いので、常軌を逸した胆力というよりも伝統工芸の職人気質みたいな依怙地がみえて、違和感が足りない違和感。本当にスキゾフレニア(いわゆる‘糖質’)だったのか? 気狂いにおける分裂と偏執を読み誤っていないか? エルカ・シュペリによる「ヴェルフリの形態語彙」なども悪くはないが、もっと精神医学で細密に解き明かしたヴェルフリ論も欲しい。
 気狂いヴェルフリ (5)
面白かったのは、アドルフ・ヴェルフリの遺作「葬送行進曲」を朗読したヴィデオ。「ヴィーガ…ギーガ…スティーガ…スチーガ…」という真言は、例えば夢野久作の「キチガイ地獄外道祭文」などよりもバンビーノの「ドゥヴィザ、ウィザキソウザ、シュヴィナ、ウィザキコウザ…」という呪文に近い。聴きながら、気狂い画家ヴェルフリのタチの悪さは、虚栄心と顕示欲にまみれた芸人の長すぎるネタと大差ないことだ、と笑う。
 
 《人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず。されども、おのづから
  正直の人、などかなからん。己れすなほならねど、人の賢を見て羨
  むは尋常(よのつね)なり。(略) 狂人の真似とて大路を走らば、即
  ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥
  の類ひ、舜を学ぶは舜の徒(ともがら)なり。偽りても賢を学ばんを、
  賢といふべし。》 (卜部兼好 『徒然草』 第八十五段)
 
悪人の真似とて人を犯さば、即ち悪人なり。狂人の真似とて画を描けば、即ちアール・ブリュットなり。偽り飾りて賢を学ぶは、愚かといふべし。《アール・ブリュット(生の芸術)とは本来どういうものか》…さっぱりわからない。《人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず》…それは「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」を観てわかった。
 
 ※本稿の「気狂い(キチガイ)」という表現については、精神障害及び精神遅滞にある人を蔑視する悪意はない。
  但し、「キチガイ」という表現を良識ぶって軽々しく厭う者には存分に悪意を向ける。偽善者の顔見てご覧なさい、
  目はつり上がってるしね、顔がぼうっと浮いているでしょ、これキチガイの顔ですわ。

 
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迷骨スーダラ

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2017年02月20日 05時30分]
展覧会のチラシに曰く、《平成29年は、三重県出身の昭和を代表するスター植木等の生誕90年、没後10年という節目の年にあたります。(略)一流のミュージシャンであり、映画「無責任男」で一世を風靡した喜劇俳優でもあった彼の活躍を回顧するとともに、映画やテレビでは決して見ることのできなかった素顔の植木等にも迫ります》…テナコト言われてその気になって MieMu(みえむ)とよばれる会場へ 音の鳴る詞があるじゃなし 講演録は序の口で インタビュー聴き座り込み 見入ったあげくが ハイそれまでョ フザケヤガッテ フザケヤガッテ フザケヤガッテ コノヤロー!
 迷骨スーダラ (1) 迷骨スーダラ (2)
 
「植木等と昭和の時代」 (三重県立総合博物館)
 
 《植木等だけ、出てこないのである。じりじりしているうちに、ゆっくり、
  客席の入りを眺めながら、階段をおりてくる。色悪というか、遊び人
  というか、そういうタイプで、女から血をしぼりとっている男としか見
  えなかった。容貌も、たいへん通俗的な二枚目である。(略)〈クレー
  ジー・キャッツ〉が本当にスターになるのは、三十六年秋からだが、
  私はすでにこの珍バンドに熱中していた。(略)一杯八十円(だった
  と思う)のコーヒーは、失業保険で生きている男にはつらかったが、
  そんなことも、まあどうでもよかった。(略)のちに、植木等にきくと、
  植木が必ず遅れて現れたのは、舞台のベルが鳴ると手洗いにゆく
  くせがあり、そのために遅れたということで、不敵なウス笑いと見え
  たのは、実はテレていたらしい。だが、そのヤクザっぽいムードは、
  いまの植木等からは想像すべくもなく、のちに〈無責任〉というイメー
  ジができる下地は十分にあった。(略)
  こういった人物の総仕上げが、『ニッポン無責任時代』(三十七年
  七月二十九日封切)であった。(略)それは、一歩ふみ出せば、マッ
  カーサー司令部によって温存された天皇の戦争責任と、天皇が責
  任をとらなかったために始まった、だれにも責任がないフシギな国
  のあり方へのメスとなったかもしれない。(略)
  植木等は実生活では陽気によく笑ったが、苦しんでもいた。もともと
  古風な性格の彼に、ドライな役を演じさせるためには、わるのりを
  納得させる必要があった。いったん納得すると、無類に明るく、やや
  ニヒルな彼の個性はケンランと輝いた。(略)戦中派である彼の心
  情と役柄(ドライ人間)のギャップは一作ごとに大きくなっていった。
  植木等さえ出れば商売は安全、というひどい作り方に、もっとも苦
  しんだのは植木本人だったと思う。(略)昭和四十年七月、東京宝
  塚劇場で上演されたクレージー・キャッツ結成十周年記念公演──
  ここまでが、クレージー全盛時代であったという記憶が私にはある。
  (略) 戦後の混乱から高度成長期にかけて大衆に迎えられたのは、
  悪(ピカロ)を演じた初期の森繁、初期のフランキー堺、初期の植木
  等であった。こつこつやる奴ぁご苦労さん!──と歌いながら、植木
  等が走り抜けて行ったあとに残されたのは、高度成長以後の、飢
  えの感覚を知らず、とはいえ、俄か成金の悲しさで、豊かさの中で
  のたのしみの見つけ方、ハングリーでなくなった時の文化のありよ
  うがわからずに、呆然としている大衆であった。》
  (小林信彦 『日本の喜劇人』 新潮社:刊 1982年/中原弓彦名義
   の原著を増補した定本版にさらに加筆修正)
 
 迷骨スーダラ (3) 迷骨スーダラ (4)
三重県立総合博物館の企画展第14弾「植木等と昭和の時代」は、《其れは去年の事だった 星のきれいな宵だった ウソツケ》と植木等が落書きした「小さな喫茶店」のスコアなど面白い品々が陳列されていたし、植木等を語る稲垣次郎や砂田実や小松政夫のインタビュー映像なども聞き応えがあった。だが、星野源による《実は物静かな、内気で真面目な方だということがわかりました》などというたいへん通俗的な解釈は腹立たしかった…それは寄稿の事だった 星野きれいな酔いだった ウソツケ。
 
 《…この円熟期のポスターが、映画「無責任シリーズ」の頃と大きく異
  なる点は、日本たばこ産業株式会社のポスターに代表されるよう
  に、「無責任」から一転して、植木等が「無責任」を否定し、「責任」
  ある行動を促すという内容になっていることです。これは、ポスター
  を見るユーザー側が、既に植木等が「無責任男」ではないことを
  理解している表れなのではないでしょうか。》
  (「植木等と昭和の時代」 第4章 円熟する新たな魅力 解説)
 
 《高度な科学技術の進歩、物質文明の繁栄は、どんどん自然を破壊
  して居る。地球的規模で環境破壊が進んで居る。此れは矢張り人
  間の精神をどこかで荒廃させて居る。残酷な事件が起きるのは精
  神の荒廃の表れだと思う。》
  (植木等/岡山大学三朝医療センター吸入日課表メモ)
 
この展覧会の訴えが大きく間違っている点は、《既に植木等が「無責任男」ではないこと》が植木等の実相ではなくて、《クレージー全盛時代》以後の《呆然としている大衆》の視点の変節を示している、そこを理解していないことである。《だれにも責任がないフシギな国のあり方》の中で苦しんだ植木等は、その後も真面目に無責任だった。わかっちゃいるけど やめられない…そうした理解を促すという内容になっていない展覧会は、本当に無責任であり《精神の荒廃の表れだと思う》。
 迷骨スーダラ (5) 迷骨スーダラ (6)
「植木等と昭和の時代」は、植木等の父である植木徹誠(俗名:徹之助/1895-1978)の誕辰、生まれて122年後の1月21日に奇しくも始まった。そして、私が訪ねたのは徹誠の祥月命日、死んで40回忌となる2月19日だった。企画展の展示でもっとも好かったのは植木徹誠の書、その揮毫には「迷骨」の落款があった。「人間は骨になっても迷うほど俗なものだということらしい」(藤元康史ブログ 「植木等考 およみでない?」)…人生で大事なことは タイミングにC調に無責任 とかくこの世は無責任 迷骨なる奴ァごくろうさん!
 
 迷骨スーダラ (7)
植木徹誠と植木等、支離滅裂な父子の心情と役柄を探る旅、「迷骨スーダラ」とでも名付けようか? それはまだ始まったばかりだ。帰途に買った蜂蜜まんを食べながら、栗谷の常念寺(聞徳寺/聞得山常念寺)や朝熊の三宝寺などを訪ねたいと思った…そのうちなんとか なァるだァろォ~。
 
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VGAG

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2017年01月15日 01時30分]
「我ら何処より来るや 我ら何者なるや 我ら何処へ行くや」(D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?)
問い:どこから来たのか? 答え:東京から巡って来た。
問い:どこへ行くのか? 答え:他に巡る地はない。
問い:何者か? 答え:VGAG。
 VGAG (1) VGAG (2) VGAG (3)
「ゴーギャン展」(2009年 名古屋ボストン美術館)を右手に、「ゴッホ展」(2011年 名古屋市美術館)左手に、ンッと左右を合わせて「ゴッホとゴーギャン展」(Van Gogh and Gauguin: Reality and Imagination/2017年 愛知県美術館)、つまり‘VGAG’。棟方志功は「わだば、バン・ゴッホのようになりたい」と言って墓だけ似せたが、私は気が違うのでファン・ゴッホを好かない。ゴッホより普通にゴーギャンが好き。わだば、VGAGさ観に行ぐ。
 
「ゴッホとゴーギャン展」 (愛知県美術館:愛知芸術文化センター10階)
 
 VGAG (4)
「第1章 近代絵画のパイオニア誕生」で挙げるべきは、「夢を見る子供(習作)」(1881)。ゴーギャンがこれを出品した1882年の第7回印象派展は、事前よりグループの内部抗争があって最少の9名で催された。パリ画壇の保守たるサロン側も前年に政府の後援を失って‘官展’ではなくなっていた。作品に描かれた手前の赤い人形や壁紙の鳥は、画壇の騒動が夢から現出しているようにみえる。ファン・ゴッホはこの騒動の埒外にあり、《パイオニア》などではない。
 VGAG (5)
「第2章 新しい絵画、新たな刺激と仲間との出会い」で挙げるべきは、「マルティニク島の風景」(1887)。この作品は‘怪談’である。1886年にゴーギャンが訪ねたブルターニュ地方のポン・タヴェンは、アメリカ人を多数とする‘国際芸術家村’と化していた。翌年に質朴を求めてパナマへ行くも破産、帰途に寄ったマルティニク島のサン・ピエールにはパトリック・ラフカディオ・ハーンも滞在していた。ゴーギャンが死ぬ1年前、火山の噴火でサン・ピエールは壊滅した。
 VGAG (6)
「第3章 ポン=タヴェンのゴーギャン、アルルのファン・ゴッホ、そして共同生活へ」で挙げるべきは、「ブドウの収穫、人間の悲惨」(1888)。《完全な記憶によって描いているのだが、やりそこなわず途中で投げてしまわなければ、きっととても美しく変った絵になるだろう。(略)ゴーガンはここで辛抱強く仕事をしてはいるが、相変らず熱帯の国々への郷愁を持っているのだからね》(『ゴッホの手紙』 テオドル宛 第五五九信/硲伊之助:訳)。ゴーギャンの‘悲惨’はファン・ゴッホ自体にある。
 VGAG (7)
「第4章 共同生活後のファン・ゴッホとゴーギャン」で挙げるべきは、「ハム」(1889)。この作品は‘予見’である。ゴーギャンの画は、着想の元であるエドゥアール・マネの「ハム」(1875?)のように‘à table’(ごはんだよ)と語りかけてこない。宙に浮いたように不安定に置かれた物体は、食品ではなくて死体である。生々しいが死んでいるという矛盾は、約1年後のファン・ゴッホの死、その約半年後のテオドルスの死を予見している。
 VGAG (8)
「第5章 タヒチのゴーギャン」で挙げるべきは、「タヒチの牧歌」(1901)。いや、遺作であるべき「我ら何処より来るや 我ら何者なるや 我ら何処へ行くや」(1897-1898)よりも後の作品は、死後の余興としてどれも大差ない。但し、同時期に描かれた「肘掛け椅子のひまわり」(1901)だけは別。ミイラからキリストまで想像で表現してきたゴーギャンは、自分が座った椅子の記憶を描き出しているが、その椅子を用意したファン・ゴッホの姿はまるで念頭にない。
 
 《このふたりの共同生活は、ゴッホの伝記においては決定的な意味を持つ
  が、ゴーギャンにとっては初期の1エピソードにすぎない。そもそも共同
  生活を提案し、熱烈にラブコールを送ったのはゴッホであり、終止符を
  打ったのもゴッホであって、ゴーギャンにとってはいい迷惑だったはず。
  そんなふたりの関係だから、この2人展も当然ゴッホに焦点が当てられ、
  ゴーギャンは脇役だ。(略)最大の見せ場はもちろんアルルでの共同生
  活の期間で、それを象徴するのがゴッホによる〈ゴーギャンの椅子〉だ。
  しかしそれ以外に、例えばゴーギャンによる〈ひまわりを描くフィンセント・
  ファン・ゴッホ〉とか、ふたりが同じモチーフを描いた作品(ジヌー夫人や
  ルーラン夫人の肖像、アリスカンの風景など)がないのが残念。いわば
  アリバイが少なく、説得力に欠けるのだ。》 (村田真 artscapeレビュー
  2016年10月7日/Webマガジン『artscape』 2016年11月15日号)
 
今般のVGAGは、貧相だった。フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホとウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャンの展覧会は、《日本初の二人展、世界中から代表作が集結》などと謳うが、2002年にシカゴ美術館が催した2人展に網羅で劣る。また、展示自体に2人の関係性を解く工夫が足りない。画題や画風の相互の作用や社会背景に踏み込みきれていないので、ファン・ゴッホ展とゴーギャン展を同じ展示空間に押し込めるに等しい粗略で《説得力に欠けるのだ》。これでは、ゴーギャンが存命中の1893年3月に妻メットの出身地コペンハーゲンで開かれた売り立て目的の2人展より意義が薄い。ファン・ゴッホの耳切り事件(耳垂の一部を切ったのであって耳介はほとんど残存)と不審死(ほぼ自殺)が巷間の耳に残っていたであろう時期と異なり、1世紀を超え経ての貧相、《ゴーギャンにとってはいい迷惑》だろう。
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《ゴッホに焦点が当てられ、ゴーギャンは脇役》という扱いも、画壇的というよりも日本的で気色が悪い。より人との紐帯を望んで苦悩するファン・ゴッホに誤った詩的正義を見出し、対して野への解放を欲して憂思するゴーギャンに誤った眼高手低を汲む、その挙句が《固い友情》を連呼するVGAG、実にクダラナイ。ファン・ゴッホについては、涼川りんの『ゴッホちゃん』(スクウェア・エニックス:刊)と穂積の『さよならソルシエ』(小学館:刊)、そして谷口ジローと関川夏央による「ヴィンセントの青春」(『戦士同盟』 Trip12/竹書房:刊)さえあれば好い。「我ら何処より来るや 我ら何者なるや 我ら何処へ行くや」という問いが欠如しているVGAGを観て想う…わだば、ゴーギャンのようになりたい。
 
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かわたれ日和

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2016年12月06日 05時30分]
栃井村(現:美濃加茂市下米田町東栃井)に生まれて名誉市民第1号を美濃加茂市より贈られた歴史学者の津田左右吉(1873-1961)は、‘芸術と社会’に関する言を津田黄昏の名で遺している。
 
 《芸術のための芸術と一口にいってしまえば、社会との関係などは初から
  論にならないかも知れぬ。けれども芸術を人生の表現だとすれば、そう
  して、人が到底社会的動物であるとすれば、少くとも芸術の内部におの
  ずから社会の反映が現われることは争われまい。芸術の時代的、また
  は国民的特色というのも畢竟ここから生ずるのである。まして、芸術の
  行われる行われない、発達する発達しないというような点となると一般
  社会の風俗や思潮やに支配せられないはずはない。》
  (津田黄昏 「芸術と社会」/『みづゑ』一〇四 1913年10月)
 
津田左右吉の忌日からちょうど55年後にあたる2016年12月4日、初冬の昼下がり、美濃加茂の太田宿へ「きそがわ日和」のアート催事を観に行こう!
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駐車して展示会場(山田時計印章店隣の古家)を覗くも、「ミノカモ学生演劇祭」の取材合宿中に訪れた学生諸君で立錐の余地もないので、観るのは後回し。260m東の「ヴォールヒュッテ」で同時開催中の「THERE WAS IT THERE.」を先に観る。渡辺純氏の襤褸(ぼろ)と渡辺奈穂氏のテキスタイル、暖炉の温かみと布の温かみが溶け合った空間で遊ぶ。その隣の「コクウ珈琲」で集会の準備を邪魔したり手伝ったり、催事関係者に混じって談話して遊ぶ。
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「きそがわ日和2016冬 時の指紋」 (主催:特定非営利活動法人きそがわ日和)
 
「時の指紋」の展示会場へ行き、田中藍衣氏と箱山朋実氏の作品を観る。外はもう黄昏、古家の中も薄暗くなって作品の微妙な反射や陰影は捉え難いが、増感モード(?)で目を凝らす。自然光が失われた分だけ古家の傷痕と作品の傷痕が溶け合って、最後はどこに作品があるのか探す始末。まぁ、これはこれで面白い…いわば「黄昏の指紋」だ(笑)。
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さて、「コクウ珈琲」へ戻り、内藤美和氏(オフィスマッチングモウル代表)による講演会「アートとまちの関係性」を聴こう! 内藤美和氏が過去に呟いた「アートの貪欲」発言を事前に読んで、私は聴講を欲したのだ。講演は佐久島を‘アートの島’にした仕掛けの話が大半、《学生や素人のヘッポコ作品はやらない》とか《アートをやればイイわけじゃない》などの辛辣な発言が好い。篠田康雄氏も「きそがわ日和」に関して《常に異物でありたい》と宣言して、NPO法人化記念を兼ねた交流会へ突入。茶やおでんを飲み食いしながら歓談、集会の片付けを邪魔したり手伝ったりしながら最後まで談話して遊ぶ。
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夜半に車を走らせる帰途、現代アートと地域と人の関係性を考える。内藤美和氏の「アートの貪欲」発言は、「文化庁長官と語る会 文化芸術は社会に役に立つか?」(2013年2月 東京藝術大学「白熱教室」第2弾)で近藤誠一氏が掲げた言説に端を発したものだが、私が捉えたところでは近藤誠一文化庁長官(当時)の表意は津田黄昏の言に通底する。
 
 《だから一心不乱に自己を表出しようとする芸術家は即ち無意識の間に
  国民の要求を実現させつつあるものである。知識として国民性を云々し
  ないでも、生きた芸術として国民性を形づくってゆくのが芸術家である。》
  (津田黄昏 「芸術と国民性」/『みづゑ』一二六 1915年8月)
 
こういう‘芸術と国民性’云々という意の表し方は、《常に異物でありたい》側にはイヤな感じだ。しかし、《自分の「正義」や「善意」を疑ってみたり、過去を振り返ってちょぃと赤面するくらいの良識はあってしかるべき》という内藤美和氏の示唆に照らせば、NPO法人化で改めて始動する「きそがわ日和」に向けて津田左右吉の言は託宣にもなろう。
 
 《トルストイの芸術論のように芸術の俗衆化を主張するのではないが、ま
  たもとより天才的芸術家の特殊の官能を尊重することを否むものでは
  ないが、芸術の基礎は普通人の心理的事実の上に据えなくてはならな
  いものではあると思う。》
  (津田左右吉 「偶言」三/『みづゑ』一二四 1915年6月)
 
美濃加茂に生まれた津田左右吉が黄昏、つまり‘誰そ彼’(たそかれ)を名乗ったのであれば、美濃加茂に生まれた「きそがわ日和」は木曽川と人へ‘彼は誰’(かわたれ)と問い続けても好いのではないか? 同じ薄明でも「きそがわ日和」は黄昏でなしに黎明にある…いわば「かわたれ日和」だ。
 
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やっとかぶき

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2016年11月23日 23時30分]
2016年11月20日、遅い朝に2杯目のコーヒー(‘Ambigu’と名付けた雑多ブレンド)を喫しながら、同月5日12日に観た「やっとかめ文化祭」の「芸どころまちなか披露」を想い返す。そして、同月13日に「いびがわマラソン」で観た景色は「走どころかわぞい披露」であったし、翌14日に高橋徹・由紀夫妻宅のステイオーヴァーで長屋幸代氏が贈った「フレーバーホイールケーキ」は「珈琲どころいえなか披露」であったことも想い返した。
 やっとかぶき (1) やっとかぶき (2)
文化祭もマラソン大会もパーティも演芸であり、狂言も歌舞伎もケーキもコーヒーも芸能である。今20日は「やっとかめ文化祭」の最終日…じゃ、ストリート歌舞伎を再び観に行こう!
 
昼過ぎに自宅を出て、寄り道しながら走り、名古屋の大須商店街ふれあい広場に到着。なごやうたと尾張万歳と箏曲は聴き逃し観外したが、仮設ステージの裏側(に常設されている喫煙場)で煙草を喫しながら出演者やスタッフが慌ただしく支度をしている様子を眺める…正に‘舞台裏’がまる見えで大変によろしい。
 
 《平針に木遣り音頭があるのは「名古屋城築城のさい、資材運搬にかり出
  された農民が景気づけに歌ったのが最初」という言い伝えがある。しかし、
  一般的には山林地方からの旅人によって伝えられ、当地の人がそれを
  覚えたことに始まったものであろう。それがたびたび氾濫した天白川の
  築堤工事の作業歌として歌われるようになり、さらに家屋の建築などの
  祝い事の席でも歌われるようになったのであろう。ルーツは名古屋城築
  城以前にさかのぼるであろう。》 (平成18年度 市民研究報告書 「飯田
  街道沿いの魅力資産再発見と活用アイディア」p.21/財団法人名古屋
  都市センター 2007年3月)
 やっとかぶき (3)
まずは、平針木遣り音頭保存会による「平針木遣り音頭」。《名古屋城築城の際、木材や石を運ぶときに景気づけに唄った作業歌・労働歌が今に伝わります》という譎詭を「やっとかめ文化祭」が唱えることはよろしくないが、滅びゆく木遣り唄を街中で聴く機会はよろしい。
 
 やっとかぶき (4) やっとかぶき (5)
そして、ストリート歌舞伎。《遠からん者は音にも聞け、近からん者は目にも見たまへ》…「悪七兵衛景清」を観る、8日ぶり2度目。《悪七兵衛といっても悪人ではなく、勇猛さを表した異名とされています》…それは違うな。伊藤景清の虚構は、中世‘悪党’の中でも偏執のダメ‘悪人’として描かれるから面白いのである。《源氏の不道理、許すまじ》と現れる伊藤景清、だが、このストリート歌舞伎では阿古屋の存在を捨てて名古屋に都合のよいところしか取り上げない…井沢元彦氏と西川千雅氏の不道理、許すまじ? 本作の那須与一vs伊藤景清よりも、他の景清物の阿古屋vs小野姫の女の戦いとか、宇治加賀掾・井原西鶴vs竹本義太夫・近松門左衛門のタッグチームマッチとかを追ってみたい、と観劇しながら思う…「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」。「悪七兵衛景清」がハネた後、名古屋ナモ締めは嫌いなので会場を離れ、松屋コーヒー本店でコーヒー(パナマ・エスメラルダ・ゲイシャ)を松下和義会長に淹れていただき談話。
 
 《東京や大阪など主要8都市との比較で名古屋市が「行きたくない街1位」
  となった調査について、約8割の市民が容認していることが分かった。市
  が21日、インターネットによるアンケート結果を発表した。(略)「残念だ
  が仕方がない」が60.4%、「当然」が21.1%だった。(略)魅力向上に
  は、まずは市民の意識改革から? (三上剛輝)》 (「毎日新聞」 2016年
  11月22日)
 やっとかぶき (6) やっとかぶき (7)
名古屋市は、いわゆるシティプロモーションに係る戦略を根本から間違えている。他所と比べてどうのこうのと考えても、魅力のあるまちづくりはできない。魅力は向上させるものではなくて、見出すものなのだ。例えば、「やっとかめ文化祭」があるじゃないか。私は名古屋市民ではないが、今年の「芸どころまちなか披露」を3回観た。円頓寺商店街では苦情を大声で喚くクソジジイが邪魔だった。KITTE名古屋では居眠りし続けるクソオヤジが邪魔だった。大須商店街では前列でも座らないクソババアが邪魔だった。その不道理、許すまじ。だが、そうした悪人の跋扈も《行きたくない街1位》における演芸であり芸能である。「やっとかめ文化祭」という催事それ自体が狂言回しであり、その「芸どころまちなか披露」が傾奇(かぶき)者の集まりなのだから…さては「やっとかめ」じゃなくて「やっとかぶき」か?
 
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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