迷骨スーダラ

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2017年02月20日 05時30分]
展覧会のチラシに曰く、《平成29年は、三重県出身の昭和を代表するスター植木等の生誕90年、没後10年という節目の年にあたります。(略)一流のミュージシャンであり、映画「無責任男」で一世を風靡した喜劇俳優でもあった彼の活躍を回顧するとともに、映画やテレビでは決して見ることのできなかった素顔の植木等にも迫ります》…テナコト言われてその気になって MieMu(みえむ)とよばれる会場へ 音の鳴る詞があるじゃなし 講演録は序の口で インタビュー聴き座り込み 見入ったあげくが ハイそれまでョ フザケヤガッテ フザケヤガッテ フザケヤガッテ コノヤロー!
 迷骨スーダラ (1) 迷骨スーダラ (2)
 
「植木等と昭和の時代」 (三重県立総合博物館)
 
 《植木等だけ、出てこないのである。じりじりしているうちに、ゆっくり、
  客席の入りを眺めながら、階段をおりてくる。色悪というか、遊び人
  というか、そういうタイプで、女から血をしぼりとっている男としか見
  えなかった。容貌も、たいへん通俗的な二枚目である。(略)〈クレー
  ジー・キャッツ〉が本当にスターになるのは、三十六年秋からだが、
  私はすでにこの珍バンドに熱中していた。(略)一杯八十円(だった
  と思う)のコーヒーは、失業保険で生きている男にはつらかったが、
  そんなことも、まあどうでもよかった。(略)のちに、植木等にきくと、
  植木が必ず遅れて現れたのは、舞台のベルが鳴ると手洗いにゆく
  くせがあり、そのために遅れたということで、不敵なウス笑いと見え
  たのは、実はテレていたらしい。だが、そのヤクザっぽいムードは、
  いまの植木等からは想像すべくもなく、のちに〈無責任〉というイメー
  ジができる下地は十分にあった。(略)
  こういった人物の総仕上げが、『ニッポン無責任時代』(三十七年
  七月二十九日封切)であった。(略)それは、一歩ふみ出せば、マッ
  カーサー司令部によって温存された天皇の戦争責任と、天皇が責
  任をとらなかったために始まった、だれにも責任がないフシギな国
  のあり方へのメスとなったかもしれない。(略)
  植木等は実生活では陽気によく笑ったが、苦しんでもいた。もともと
  古風な性格の彼に、ドライな役を演じさせるためには、わるのりを
  納得させる必要があった。いったん納得すると、無類に明るく、やや
  ニヒルな彼の個性はケンランと輝いた。(略)戦中派である彼の心
  情と役柄(ドライ人間)のギャップは一作ごとに大きくなっていった。
  植木等さえ出れば商売は安全、というひどい作り方に、もっとも苦
  しんだのは植木本人だったと思う。(略)昭和四十年七月、東京宝
  塚劇場で上演されたクレージー・キャッツ結成十周年記念公演──
  ここまでが、クレージー全盛時代であったという記憶が私にはある。
  (略) 戦後の混乱から高度成長期にかけて大衆に迎えられたのは、
  悪(ピカロ)を演じた初期の森繁、初期のフランキー堺、初期の植木
  等であった。こつこつやる奴ぁご苦労さん!──と歌いながら、植木
  等が走り抜けて行ったあとに残されたのは、高度成長以後の、飢
  えの感覚を知らず、とはいえ、俄か成金の悲しさで、豊かさの中で
  のたのしみの見つけ方、ハングリーでなくなった時の文化のありよ
  うがわからずに、呆然としている大衆であった。》
  (小林信彦 『日本の喜劇人』 新潮社:刊 1982年/中原弓彦名義
   の原著を増補した定本版にさらに加筆修正)
 
 迷骨スーダラ (3) 迷骨スーダラ (4)
三重県立総合博物館の企画展第14弾「植木等と昭和の時代」は、《其れは去年の事だった 星のきれいな宵だった ウソツケ》と植木等が落書きした「小さな喫茶店」のスコアなど面白い品々が陳列されていたし、植木等を語る稲垣次郎や砂田実や小松政夫のインタビュー映像なども聞き応えがあった。だが、星野源による《実は物静かな、内気で真面目な方だということがわかりました》などというたいへん通俗的な解釈は腹立たしかった…それは寄稿の事だった 星野きれいな酔いだった ウソツケ。
 
 《…この円熟期のポスターが、映画「無責任シリーズ」の頃と大きく異
  なる点は、日本たばこ産業株式会社のポスターに代表されるよう
  に、「無責任」から一転して、植木等が「無責任」を否定し、「責任」
  ある行動を促すという内容になっていることです。これは、ポスター
  を見るユーザー側が、既に植木等が「無責任男」ではないことを
  理解している表れなのではないでしょうか。》
  (「植木等と昭和の時代」 第4章 円熟する新たな魅力 解説)
 
 《高度な科学技術の進歩、物質文明の繁栄は、どんどん自然を破壊
  して居る。地球的規模で環境破壊が進んで居る。此れは矢張り人
  間の精神をどこかで荒廃させて居る。残酷な事件が起きるのは精
  神の荒廃の表れだと思う。》
  (植木等/岡山大学三朝医療センター吸入日課表メモ)
 
この展覧会の訴えが大きく間違っている点は、《既に植木等が「無責任男」ではないこと》が植木等の実相ではなくて、《クレージー全盛時代》以後の《呆然としている大衆》の視点の変節を示している、そこを理解していないことである。《だれにも責任がないフシギな国のあり方》の中で苦しんだ植木等は、その後も真面目に無責任だった。わかっちゃいるけど やめられない…そうした理解を促すという内容になっていない展覧会は、本当に無責任であり《精神の荒廃の表れだと思う》。
 迷骨スーダラ (5) 迷骨スーダラ (6)
「植木等と昭和の時代」は、植木等の父である植木徹誠(俗名:徹之助/1895-1978)の誕辰、生まれて122年後の1月21日に奇しくも始まった。そして、私が訪ねたのは徹誠の祥月命日、死んで40回忌となる2月19日だった。企画展の展示でもっとも好かったのは植木徹誠の書、その揮毫には「迷骨」の落款があった。「人間は骨になっても迷うほど俗なものだということらしい」(藤元康史ブログ 「植木等考 およみでない?」)…人生で大事なことは タイミングにC調に無責任 とかくこの世は無責任 迷骨なる奴ァごくろうさん!
 
 迷骨スーダラ (7)
植木徹誠と植木等、支離滅裂な父子の心情と役柄を探る旅、「迷骨スーダラ」とでも名付けようか? それはまだ始まったばかりだ。帰途に買った蜂蜜まんを食べながら、栗谷の常念寺(聞徳寺/聞得山常念寺)や朝熊の三宝寺などを訪ねたいと思った…そのうちなんとか なァるだァろォ~。
 
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VGAG

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2017年01月15日 01時30分]
「我ら何処より来るや 我ら何者なるや 我ら何処へ行くや」(D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?)
問い:どこから来たのか? 答え:東京から巡って来た。
問い:どこへ行くのか? 答え:他に巡る地はない。
問い:何者か? 答え:VGAG。
 VGAG (1) VGAG (2) VGAG (3)
「ゴーギャン展」(2009年 名古屋ボストン美術館)を右手に、「ゴッホ展」(2011年 名古屋市美術館)左手に、ンッと左右を合わせて「ゴッホとゴーギャン展」(Van Gogh and Gauguin: Reality and Imagination/2017年 愛知県美術館)、つまり‘VGAG’。棟方志功は「わだば、バン・ゴッホのようになりたい」と言って墓だけ似せたが、私は気が違うのでファン・ゴッホを好かない。ゴッホより普通にゴーギャンが好き。わだば、VGAGさ観に行ぐ。
 
「ゴッホとゴーギャン展」 (愛知県美術館:愛知芸術文化センター10階)
 
 VGAG (4)
「第1章 近代絵画のパイオニア誕生」で挙げるべきは、「夢を見る子供(習作)」(1881)。ゴーギャンがこれを出品した1882年の第7回印象派展は、事前よりグループの内部抗争があって最少の9名で催された。パリ画壇の保守たるサロン側も前年に政府の後援を失って‘官展’ではなくなっていた。作品に描かれた手前の赤い人形や壁紙の鳥は、画壇の騒動が夢から現出しているようにみえる。ファン・ゴッホはこの騒動の埒外にあり、《パイオニア》などではない。
 VGAG (5)
「第2章 新しい絵画、新たな刺激と仲間との出会い」で挙げるべきは、「マルティニク島の風景」(1887)。この作品は‘怪談’である。1886年にゴーギャンが訪ねたブルターニュ地方のポン・タヴェンは、アメリカ人を多数とする‘国際芸術家村’と化していた。翌年に質朴を求めてパナマへ行くも破産、帰途に寄ったマルティニク島のサン・ピエールにはパトリック・ラフカディオ・ハーンも滞在していた。ゴーギャンが死ぬ1年前、火山の噴火でサン・ピエールは壊滅した。
 VGAG (6)
「第3章 ポン=タヴェンのゴーギャン、アルルのファン・ゴッホ、そして共同生活へ」で挙げるべきは、「ブドウの収穫、人間の悲惨」(1888)。《完全な記憶によって描いているのだが、やりそこなわず途中で投げてしまわなければ、きっととても美しく変った絵になるだろう。(略)ゴーガンはここで辛抱強く仕事をしてはいるが、相変らず熱帯の国々への郷愁を持っているのだからね》(『ゴッホの手紙』 テオドル宛 第五五九信/硲伊之助:訳)。ゴーギャンの‘悲惨’はファン・ゴッホ自体にある。
 VGAG (7)
「第4章 共同生活後のファン・ゴッホとゴーギャン」で挙げるべきは、「ハム」(1889)。この作品は‘予見’である。ゴーギャンの画は、着想の元であるエドゥアール・マネの「ハム」(1875?)のように‘à table’(ごはんだよ)と語りかけてこない。宙に浮いたように不安定に置かれた物体は、食品ではなくて死体である。生々しいが死んでいるという矛盾は、約1年後のファン・ゴッホの死、その約半年後のテオドルスの死を予見している。
 VGAG (8)
「第5章 タヒチのゴーギャン」で挙げるべきは、「タヒチの牧歌」(1901)。いや、遺作であるべき「我ら何処より来るや 我ら何者なるや 我ら何処へ行くや」(1897-1898)よりも後の作品は、死後の余興としてどれも大差ない。但し、同時期に描かれた「肘掛け椅子のひまわり」(1901)だけは別。ミイラからキリストまで想像で表現してきたゴーギャンは、自分が座った椅子の記憶を描き出しているが、その椅子を用意したファン・ゴッホの姿はまるで念頭にない。
 
 《このふたりの共同生活は、ゴッホの伝記においては決定的な意味を持つ
  が、ゴーギャンにとっては初期の1エピソードにすぎない。そもそも共同
  生活を提案し、熱烈にラブコールを送ったのはゴッホであり、終止符を
  打ったのもゴッホであって、ゴーギャンにとってはいい迷惑だったはず。
  そんなふたりの関係だから、この2人展も当然ゴッホに焦点が当てられ、
  ゴーギャンは脇役だ。(略)最大の見せ場はもちろんアルルでの共同生
  活の期間で、それを象徴するのがゴッホによる〈ゴーギャンの椅子〉だ。
  しかしそれ以外に、例えばゴーギャンによる〈ひまわりを描くフィンセント・
  ファン・ゴッホ〉とか、ふたりが同じモチーフを描いた作品(ジヌー夫人や
  ルーラン夫人の肖像、アリスカンの風景など)がないのが残念。いわば
  アリバイが少なく、説得力に欠けるのだ。》 (村田真 artscapeレビュー
  2016年10月7日/Webマガジン『artscape』 2016年11月15日号)
 
今般のVGAGは、貧相だった。フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホとウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャンの展覧会は、《日本初の二人展、世界中から代表作が集結》などと謳うが、2002年にシカゴ美術館が催した2人展に網羅で劣る。また、展示自体に2人の関係性を解く工夫が足りない。画題や画風の相互の作用や社会背景に踏み込みきれていないので、ファン・ゴッホ展とゴーギャン展を同じ展示空間に押し込めるに等しい粗略で《説得力に欠けるのだ》。これでは、ゴーギャンが存命中の1893年3月に妻メットの出身地コペンハーゲンで開かれた売り立て目的の2人展より意義が薄い。ファン・ゴッホの耳切り事件(耳垂の一部を切ったのであって耳介はほとんど残存)と不審死(ほぼ自殺)が巷間の耳に残っていたであろう時期と異なり、1世紀を超え経ての貧相、《ゴーギャンにとってはいい迷惑》だろう。
 VGAG (9) VGAG (10)
《ゴッホに焦点が当てられ、ゴーギャンは脇役》という扱いも、画壇的というよりも日本的で気色が悪い。より人との紐帯を望んで苦悩するファン・ゴッホに誤った詩的正義を見出し、対して野への解放を欲して憂思するゴーギャンに誤った眼高手低を汲む、その挙句が《固い友情》を連呼するVGAG、実にクダラナイ。ファン・ゴッホについては、涼川りんの『ゴッホちゃん』(スクウェア・エニックス:刊)と穂積の『さよならソルシエ』(小学館:刊)、そして谷口ジローと関川夏央による「ヴィンセントの青春」(『戦士同盟』 Trip12/竹書房:刊)さえあれば好い。「我ら何処より来るや 我ら何者なるや 我ら何処へ行くや」という問いが欠如しているVGAGを観て想う…わだば、ゴーギャンのようになりたい。
 
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かわたれ日和

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2016年12月06日 05時30分]
栃井村(現:美濃加茂市下米田町東栃井)に生まれて名誉市民第1号を美濃加茂市より贈られた歴史学者の津田左右吉(1873-1961)は、‘芸術と社会’に関する言を津田黄昏の名で遺している。
 
 《芸術のための芸術と一口にいってしまえば、社会との関係などは初から
  論にならないかも知れぬ。けれども芸術を人生の表現だとすれば、そう
  して、人が到底社会的動物であるとすれば、少くとも芸術の内部におの
  ずから社会の反映が現われることは争われまい。芸術の時代的、また
  は国民的特色というのも畢竟ここから生ずるのである。まして、芸術の
  行われる行われない、発達する発達しないというような点となると一般
  社会の風俗や思潮やに支配せられないはずはない。》
  (津田黄昏 「芸術と社会」/『みづゑ』一〇四 1913年10月)
 
津田左右吉の忌日からちょうど55年後にあたる2016年12月4日、初冬の昼下がり、美濃加茂の太田宿へ「きそがわ日和」のアート催事を観に行こう!
 かわたれ日和 (1)
 
駐車して展示会場(山田時計印章店隣の古家)を覗くも、「ミノカモ学生演劇祭」の取材合宿中に訪れた学生諸君で立錐の余地もないので、観るのは後回し。260m東の「ヴォールヒュッテ」で同時開催中の「THERE WAS IT THERE.」を先に観る。渡辺純氏の襤褸(ぼろ)と渡辺奈穂氏のテキスタイル、暖炉の温かみと布の温かみが溶け合った空間で遊ぶ。その隣の「コクウ珈琲」で集会の準備を邪魔したり手伝ったり、催事関係者に混じって談話して遊ぶ。
 かわたれ日和 (2) かわたれ日和 (3) かわたれ日和 (4)
 
「きそがわ日和2016冬 時の指紋」 (主催:特定非営利活動法人きそがわ日和)
 
「時の指紋」の展示会場へ行き、田中藍衣氏と箱山朋実氏の作品を観る。外はもう黄昏、古家の中も薄暗くなって作品の微妙な反射や陰影は捉え難いが、増感モード(?)で目を凝らす。自然光が失われた分だけ古家の傷痕と作品の傷痕が溶け合って、最後はどこに作品があるのか探す始末。まぁ、これはこれで面白い…いわば「黄昏の指紋」だ(笑)。
 かわたれ日和 (5) かわたれ日和 (6) かわたれ日和 (7)
  
さて、「コクウ珈琲」へ戻り、内藤美和氏(オフィスマッチングモウル代表)による講演会「アートとまちの関係性」を聴こう! 内藤美和氏が過去に呟いた「アートの貪欲」発言を事前に読んで、私は聴講を欲したのだ。講演は佐久島を‘アートの島’にした仕掛けの話が大半、《学生や素人のヘッポコ作品はやらない》とか《アートをやればイイわけじゃない》などの辛辣な発言が好い。篠田康雄氏も「きそがわ日和」に関して《常に異物でありたい》と宣言して、NPO法人化記念を兼ねた交流会へ突入。茶やおでんを飲み食いしながら歓談、集会の片付けを邪魔したり手伝ったりしながら最後まで談話して遊ぶ。
 かわたれ日和 (8) かわたれ日和 (9) かわたれ日和 (10)
 
夜半に車を走らせる帰途、現代アートと地域と人の関係性を考える。内藤美和氏の「アートの貪欲」発言は、「文化庁長官と語る会 文化芸術は社会に役に立つか?」(2013年2月 東京藝術大学「白熱教室」第2弾)で近藤誠一氏が掲げた言説に端を発したものだが、私が捉えたところでは近藤誠一文化庁長官(当時)の表意は津田黄昏の言に通底する。
 
 《だから一心不乱に自己を表出しようとする芸術家は即ち無意識の間に
  国民の要求を実現させつつあるものである。知識として国民性を云々し
  ないでも、生きた芸術として国民性を形づくってゆくのが芸術家である。》
  (津田黄昏 「芸術と国民性」/『みづゑ』一二六 1915年8月)
 
こういう‘芸術と国民性’云々という意の表し方は、《常に異物でありたい》側にはイヤな感じだ。しかし、《自分の「正義」や「善意」を疑ってみたり、過去を振り返ってちょぃと赤面するくらいの良識はあってしかるべき》という内藤美和氏の示唆に照らせば、NPO法人化で改めて始動する「きそがわ日和」に向けて津田左右吉の言は託宣にもなろう。
 
 《トルストイの芸術論のように芸術の俗衆化を主張するのではないが、ま
  たもとより天才的芸術家の特殊の官能を尊重することを否むものでは
  ないが、芸術の基礎は普通人の心理的事実の上に据えなくてはならな
  いものではあると思う。》
  (津田左右吉 「偶言」三/『みづゑ』一二四 1915年6月)
 
美濃加茂に生まれた津田左右吉が黄昏、つまり‘誰そ彼’(たそかれ)を名乗ったのであれば、美濃加茂に生まれた「きそがわ日和」は木曽川と人へ‘彼は誰’(かわたれ)と問い続けても好いのではないか? 同じ薄明でも「きそがわ日和」は黄昏でなしに黎明にある…いわば「かわたれ日和」だ。
 
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やっとかぶき

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2016年11月23日 23時30分]
2016年11月20日、遅い朝に2杯目のコーヒー(‘Ambigu’と名付けた雑多ブレンド)を喫しながら、同月5日12日に観た「やっとかめ文化祭」の「芸どころまちなか披露」を想い返す。そして、同月13日に「いびがわマラソン」で観た景色は「走どころかわぞい披露」であったし、翌14日に高橋徹・由紀夫妻宅のステイオーヴァーで長屋幸代氏が贈った「フレーバーホイールケーキ」は「珈琲どころいえなか披露」であったことも想い返した。
 やっとかぶき (1) やっとかぶき (2)
文化祭もマラソン大会もパーティも演芸であり、狂言も歌舞伎もケーキもコーヒーも芸能である。今20日は「やっとかめ文化祭」の最終日…じゃ、ストリート歌舞伎を再び観に行こう!
 
昼過ぎに自宅を出て、寄り道しながら走り、名古屋の大須商店街ふれあい広場に到着。なごやうたと尾張万歳と箏曲は聴き逃し観外したが、仮設ステージの裏側(に常設されている喫煙場)で煙草を喫しながら出演者やスタッフが慌ただしく支度をしている様子を眺める…正に‘舞台裏’がまる見えで大変によろしい。
 
 《平針に木遣り音頭があるのは「名古屋城築城のさい、資材運搬にかり出
  された農民が景気づけに歌ったのが最初」という言い伝えがある。しかし、
  一般的には山林地方からの旅人によって伝えられ、当地の人がそれを
  覚えたことに始まったものであろう。それがたびたび氾濫した天白川の
  築堤工事の作業歌として歌われるようになり、さらに家屋の建築などの
  祝い事の席でも歌われるようになったのであろう。ルーツは名古屋城築
  城以前にさかのぼるであろう。》 (平成18年度 市民研究報告書 「飯田
  街道沿いの魅力資産再発見と活用アイディア」p.21/財団法人名古屋
  都市センター 2007年3月)
 やっとかぶき (3)
まずは、平針木遣り音頭保存会による「平針木遣り音頭」。《名古屋城築城の際、木材や石を運ぶときに景気づけに唄った作業歌・労働歌が今に伝わります》という譎詭を「やっとかめ文化祭」が唱えることはよろしくないが、滅びゆく木遣り唄を街中で聴く機会はよろしい。
 
 やっとかぶき (4) やっとかぶき (5)
そして、ストリート歌舞伎。《遠からん者は音にも聞け、近からん者は目にも見たまへ》…「悪七兵衛景清」を観る、8日ぶり2度目。《悪七兵衛といっても悪人ではなく、勇猛さを表した異名とされています》…それは違うな。伊藤景清の虚構は、中世‘悪党’の中でも偏執のダメ‘悪人’として描かれるから面白いのである。《源氏の不道理、許すまじ》と現れる伊藤景清、だが、このストリート歌舞伎では阿古屋の存在を捨てて名古屋に都合のよいところしか取り上げない…井沢元彦氏と西川千雅氏の不道理、許すまじ? 本作の那須与一vs伊藤景清よりも、他の景清物の阿古屋vs小野姫の女の戦いとか、宇治加賀掾・井原西鶴vs竹本義太夫・近松門左衛門のタッグチームマッチとかを追ってみたい、と観劇しながら思う…「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」。「悪七兵衛景清」がハネた後、名古屋ナモ締めは嫌いなので会場を離れ、松屋コーヒー本店でコーヒー(パナマ・エスメラルダ・ゲイシャ)を松下和義会長に淹れていただき談話。
 
 《東京や大阪など主要8都市との比較で名古屋市が「行きたくない街1位」
  となった調査について、約8割の市民が容認していることが分かった。市
  が21日、インターネットによるアンケート結果を発表した。(略)「残念だ
  が仕方がない」が60.4%、「当然」が21.1%だった。(略)魅力向上に
  は、まずは市民の意識改革から? (三上剛輝)》 (「毎日新聞」 2016年
  11月22日)
 やっとかぶき (6) やっとかぶき (7)
名古屋市は、いわゆるシティプロモーションに係る戦略を根本から間違えている。他所と比べてどうのこうのと考えても、魅力のあるまちづくりはできない。魅力は向上させるものではなくて、見出すものなのだ。例えば、「やっとかめ文化祭」があるじゃないか。私は名古屋市民ではないが、今年の「芸どころまちなか披露」を3回観た。円頓寺商店街では苦情を大声で喚くクソジジイが邪魔だった。KITTE名古屋では居眠りし続けるクソオヤジが邪魔だった。大須商店街では前列でも座らないクソババアが邪魔だった。その不道理、許すまじ。だが、そうした悪人の跋扈も《行きたくない街1位》における演芸であり芸能である。「やっとかめ文化祭」という催事それ自体が狂言回しであり、その「芸どころまちなか披露」が傾奇(かぶき)者の集まりなのだから…さては「やっとかめ」じゃなくて「やっとかぶき」か?
 
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やっとくっさめ

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2016年11月14日 23時30分]
前週に「やっとかめ文化祭」の「芸どころまちなか披露」を円頓寺商店街で観た者でござる。この度は名古屋駅近くで、やっとかめ(久しぶり)どころかまたも披露すると承ってござる。さては油断のならぬ事でござるによって、再び訪ねて観てみようと存ずる。
 
 やっとくっさめ (1) やっとくっさめ (2) やっとくっさめ (3)
2016年11月12日、KITTE名古屋の1階アトリウム、持参した毛布を敷いてどっかと座り、「芸どころまちなか披露」の開始を待つ。来る途に鶴重町の川口屋で買った和菓子(亥の子餅・紅葉狩り)を食べながら、工藤英記が隈取を施し衣裳を着て伊藤景清へと仕上がる様を見る。
 
 やっとくっさめ (4) やっとくっさめ (5) やっとくっさめ (6)
まずはストリート歌舞伎、演目は「悪七兵衛景清」。《平家没落後、縁あって熱田の地に隠れ住んだといわれる》(名古屋市教育委員会)などと譎詐を掲げている景清社が名古屋にあることからも、これを企画したのだろう。総じて俗っぽい演出、だが気楽でまぁまぁ。小野姫への拷問の段は、《はだかで拷問と井沢先生の台本に書いてあるのじゃ、観念せい》とショボい人形劇で会場の笑いを誘っていたが、ここは生身の上田愛が演じてほしかった。
 
 やっとくっさめ (7) やっとくっさめ (8) やっとくっさめ (9)
「悪七兵衛景清」がハネた後、企画・原案の井沢元彦氏と脚本・演出の西川千雅氏が登場。井沢氏は「はだかで拷問は原案にない」と弁明したが、これは‘逆説’であろう。次は端唄(華房流華の会/華房真子・華房小真)。さらになごやうた(水野詩都子・蟹江しほ・蟹江礼子)。足が痛くなってきたので座を離れて小用や喫煙、2階から見下ろしながら唄を聴いて座に戻る。
 
 やっとくっさめ (10) やっとくっさめ (11) やっとくっさめ (12)
最後は、和泉流山脇派(狂言共同社)による辻狂言。演目は「膏薬煉」、シテの都の者を佐藤友彦、アドの鎌倉者を今枝郁雄が演ずる。この演目は身どもが望むところじゃ、一段とよかろう。奉書紙を鼻に付けて互いに吸い戻しねじ歪めしゃくり引いたれば、観客一度にどっと笑わせられた。そうであろうとも、さらば「理屈と膏薬はどこへでも付く」という。「狂言プチ体験」のお題は「くっさめ」、観衆皆で声を合わせて「くっさめ」。
 
 やっとくっさめ (13) やっとくっさめ (14) やっとくっさめ (15)
歌舞伎・端唄・なごやうた・狂言と「芸どころまちなか披露」の4演を観終えて、ジェイアール名古屋タカシマヤの催事「おいしい毎日」に出店している「ミカフェート」のブースへ。ホセ(川島良彰氏)たちと少談しながらコーヒー(魔女の森の果実)を飲む。KITTE名古屋へ戻って、「エリックサウス」でミールスを手食する。帰宅後、自分で淹れたコーヒーと娘が焼いたマドレーヌを合わせて、再び川口屋の和菓子を味わいながら思う…「悪七兵衛景清」に「膏薬煉」、そのいずれも「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」。いや、もっと気楽に行こう。 ♪ そいつはどいつだ どどいつどいどい 浮世はさくさく ♪ ん? さては「やっとかめ」じゃなくて「やっとくっさめ」かな。
 
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やっとうさぎ

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2016年11月06日 01時30分]
2016年11月5日、遅い朝に2杯目のコーヒー(オーストラリア・マウンテントップ)を喫しながら新聞を読んでいると、知己の近藤マリコ氏が稿を寄せていた。氏がディレクターを務める「やっとかめ文化祭」の紹介だ。2013年に始まり今般で4回目の「やっとかめ文化祭」、過去3回の参加者数は30130人→45050人→54080人と、出演者数は550人→1050人→1280人と伸張している(開催報告による)。
 やっとうさぎ (1) やっとうさぎ (2)
 《中心になったのは、名古屋で育まれた和泉流狂言を都市の路上で公演す
  る「辻狂言」で、伝統と格式の芸能を民衆の雑踏のなかに降下させるとい
  う冒険をやっていただきました。都市の騒音と民衆の密接する視線に包囲
  された狭い空間で演じられた狂言師の芸は、逃げもごまかしも効かない緊
  張感のなかで演じられましたが、観衆から沸き起こった掛け値のない爆笑
  が、「名古屋は狂言のまちだ」という高らかな宣言に聞こえました。》 (茶谷
  幸治メッセージ/2013年「やっとかめ文化祭」開催報告)
催事の2回目まで総合プロデューサーだった茶谷幸治氏はこう言っていた…じゃ、辻狂言を観に行こう。いつ行くか? 今でしょ! どう行くか? 走ってでしょ!
 
 やっとうさぎ (3) やっとうさぎ (4) やっとうさぎ (5)
昼過ぎに自宅を出て、約12kmを約1時間25分(信号待ち含む)で走り、名古屋の円頓寺に到着。「ブクマ古本市」を覘きながら円頓寺商店街を散策。ナゴヤ座の東隣の路上が会場。辻狂言の前に、同じ「やっとかめ文化祭」の「芸どころまちなか披露」のプログラム、たなかつとむの三味線ライブ(兼漫談?)を立ち聴きしながら待つ。
 
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定刻を過ぎて、和泉流野村派(野村又三郎家)による辻狂言の始まり。演目は「寝音曲」、シテの太郎冠者を松田髙義、アドの主人を野村又三郎信行が演ずる。小さなステージを人垣が幾重にも囲む人混みで盛況(?)、その隙間から覗いて観る…当に辻狂言だ。松田髙義による寝声の謡いはやや枯れてはいるが音が好い。
 
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ん? 最後に太郎冠者は起きたまま謡うが、舞が無いまま叱られて終わり。野村派(野村又三郎家)の流儀はこうなのか? 演じた後のインタビューで感想を訊かれた野村信行曰く、「これほど劣悪な環境で演ずることもないし、慣れない」と…いや、辻狂言だし(笑)。「狂言プチ体験」のお題は「兎」、観衆皆で声を合わせて「ウサギじゃ」。商店街の東端から、約2kmを約14分(信号待ち含む)で走り、白川公園へ。
 
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催事「サイエンス&アートフェスティバル」に出店している「cafebus non」でナッティーキャラメルラテを飲むこと、2年連続。名古屋コミュニケーションアート専門学校の生徒による「Culy's Cafe」の出店スタンドにも寄って、ディスカバリー焙煎機で自校焙煎(?)したコーヒー(エチオピア・レケンプティ・ネゴショ)を飲む。栄まで歩いて、「やっとかめ文化祭」の「尾張の和菓子ものがたり」で限定復刻の竜田流しを求めて「両口屋是清」(栄店)を訪ねたが売り切れ、残念。
 
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地下鉄と名鉄を乗り継いで帰宅後、「ブクマ古本市」で300円で入手した『コーヒーの知識』(石光季男:著/海文堂:刊/第二版 280円 1958年)を読みながら謡う…「あの山からこの山へ 跳んできたるは何じゃるろ 頭に二つ ふっぷっと 細うて 長うて ぴんと跳ねたを ちゃっと推した ウサギじゃ」。ん? ちゃっと推した、さて「やっとカメ」じゃなくて「やっとウサギ」かな。《名古屋は狂言のまち》なのか存知ないが、「やっとかめ文化祭」という催事それ自体が狂言回しなのであろう。なかなか。
 
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精霊の守り人

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2016年10月17日 01時30分]
郡上八幡でアーティスト・イン・レジデンスの作品が公開される3日間の最終日、2016年10月16日、秋の日和に「きそがわ日和」のアート催事を観に行こう!
 精霊の守り人 (1) 精霊の守り人 (2) 精霊の守り人 (3)
城山公園に駐車して、郡上八幡城へ登る。日本最古である木造で再建された模擬天守、ここから見る城下町の眺めは好いが、《山内一豊の妻「千代」は郡上の生まれだった》などと見性院の出自を僻見した説明は悪い。退城。
 精霊の守り人 (4) 精霊の守り人 (5) 精霊の守り人 (6)
岸劒神社や安養寺や惣門坂や願蓮寺や慈恩禅寺や最勝寺や日吉神社など、城下の社寺を巡りながら町を散策。途中、乙姫川の橋のたもとや蕎麦屋の店内やカフェの角などで、アート催事の案内を目にする。鰻屋の店頭では「特定非営利活動法人きそがわ日和」理事長の篠田康雄氏(「コクウ珈琲」店主)にも出くわす、「じゃ観てくるよ」。
 
「郡上アーティスト・イン・レジデンス -郡上に棲む精霊たち-」
(主催:一般社団法人 郡上青年会議所/企画:きそがわ日和実行委員会)
 
 《小澤さんは壊れたり、役目を終えたりして、意味を失った物を集積させた作
  品を手掛ける。(略)…小澤さんは今回、滞在する町家の1階に花のカーテ
  ンのような大型作品を作り上げた。花は全て造花。地元住民や地元の花
  店の厚意で多くの花が寄せられた。小澤さんは「こんなに集まるとは思わ
  なかった。つながりや縁を感じる作品展」と話す。》 (「町家をアート空間に」
  佐名妙予/『岐阜新聞』 2016年10月2日)
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昔に大坂から来て銅山業を営んだ吉松惣兵衛が開いた大坂町で、元は駄菓子屋を営んでいたという小椋邸を会場にした小澤香織氏の作品を観る。日々の生活の匂いが残されたままのような空間、そのあちらこちらで違和なく造花が咲いている。
 
 《伊藤さんはラテックスというゴムと自然物を合わせて、時間や空気、記憶な
  ど見えない物の具現化をテーマに創作する。(略)…丸太にラテックスを塗
  り付け、乾燥してからはがし、木の表皮の風合いが再現された膜をいくつ
  も作る。この素材と蔵に運び込まれた5メートル超のアイダモの木を使って
  斬新な空間表現が行われるという。》 (前掲 『岐阜新聞』記事)
 精霊の守り人 (10) 精霊の守り人 (11) 精霊の守り人 (12)
新町で明治期から金物屋を営んで近来は約1年前まで骨董や服飾の土産物を扱っていた高橋家、その越前屋を会場にした伊藤千帆氏の作品を観る。旧家の奥の間に陽光が射しこんで作品を浮き立たせている。越前屋の表側の土間では渡辺泰幸氏が《郡上の町の人から集めた布を紐状にし、素焼きした白い陶の鈴につけて空間をつくるワークショップ》、「精霊の音をきこう」も公開されていた。
 
 精霊の守り人 (13) 精霊の守り人 (14) 精霊の守り人 (15)
古くから漢方医を営んだ稲葉家が所有していた新町の建物は町家玄麟として活用されている、その奥にある離れで「渡辺泰幸×きそがわ日和 講演会 まちをアートで楽しむ」を聴く。画像やトークで「きそがわ日和」のプロジェクトや「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の実績が紹介され、アーティストや企画者が何を思い何に悩み何を楽しみにしているのかを含めて、町(街・まち)とアートとの関係性を考えさせられた。切子灯籠に精霊が降りてくる「郡上おどり」、その精霊の守り人は誰だろう? そして、「郡上に棲む精霊たち」の守り人は誰だろう? 住民? アーティスト? 旅人? …想いを巡らせながら、会場を離れて帰途についた。
 
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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