音と場所 PiM

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2017年08月13日 05時30分]
IAMAS(イアマス)は岐阜県が1996年に設立して2012年に廃止した国際情報科学芸術アカデミーの略称だったが、今は2001年に併設した情報科学芸術大学院大学の無理な英名‘Institute of Advanced Media Arts and Sciences’の略称としてすり替え残されている。芸術がハコモノ行政に弄ばれた典型として墓碑銘の感がいやます。岐阜県美術館は情報科学芸術大学院大学との連携企画事業「IAMAS ARTIST FILE」を2013年から催して、今般は第5弾をやっている。2017年8月11日には関連のトークイベントもあるし、AiMの公開演奏もまたある。なんやろーね、行かなかんわ。
 
IAMAS ARTIST FILE #05 前林明次 「場所をつくる旅」 (岐阜県美術館:展示室3)
 音と場所PiM (1)
 《四つのパートから成る作品の中心になっているのは、岐阜県美術館が
  所蔵する山本芳翠の《琉球漁夫釣之図》と、前林が沖縄で採録してき
  た音源を混ぜ合わせた音響のインスタレーション。油絵が暗闇から浮
  かび上がる空間には4chサラウンドシステムから波の音が響き渡り、
  そこに沖縄のさまざまな場所の環境音が重なっている。(略) 明治20、
  21年ごろに描かれたという油絵と、現在の音の間には130年近い隔
  たりがある。その間に沖縄は、日本が地政学的に抱えてきた問題を
  象徴的に示す場となった。だがその「問題」は作品では前景化されな
  い。 130年前と現在、絵画と音、観ると聴く、美術館と外、ここ・岐阜
  と遠い場所・沖縄。それらの間にある膨大な情報とさまざまな関係性
  への想像は、体験者自身にゆだねられている。》 (千葉恵理子 「過去
  を見て 今を聴く」/『朝日新聞』愛知版 2017年8月2日) 
 音と場所PiM (2) 音と場所PiM (3)
前林明次氏の「場所をつくる旅」は《風景画の音によるアップデート》だそうだが、私の《関係性への想像》では保守王国という場所で琉球処分の画に占領軍の音が聴こえる。山本芳翠の〈琉球漁夫釣之図〉を葛飾北斎の〈琉球八景〉にすり替えたならば、《関係性への想像》では冊封使録の挿絵に己酉の乱の音が聴こえるのだろうか? なんやろーね。
 
トークイベント 「音・場所・表象」 (岐阜県美術館:講堂)
 音と場所PiM (4) 音と場所PiM (5)
松井茂氏と柳沢英輔氏と前林明次氏による鼎談を聴く。以下、雑な聴講メモ。
〔松井茂〕 映画はトーキーになって何か重大なものを失った。 『ラ・シオタ駅への列車の到着』(リュミエール兄弟) 『セザンヌ』(ストローブ=ユイレ) 音と映像の同調の困難さ。 オスプレイの音が出たとき「出たぁ」という感じ、前林作品は極めて映画的な作り方。
〔柳沢英輔〕 美術館というモノを展示する場所で音を展示する難しさ。 超音波を可聴域に変換した「Ultrasonic Scapes」とエオリアンハープによる「Ferry Passing」の紹介。 絵画や映像にはフレームがあるが音にはフレームがない。
〔前林明次〕 感覚的な衝撃を直に受けないようにパッケージ化して映像を無害化する、ある種の耐性をつける。 二重の合成、沖縄の現実が合成されている。 音が持っている同期以外の意味、同位。 記録ではなくて記憶になった時に作品になる。
松井さんの音の話は、面白いが厭らしい。柳沢さんの音の話は、素直だが利己的。松林さんの音の話は、上品だが落ちない。鼎談の最後の方で出てきた「ウォークマン」の話を私なりに脳内処理する。‘聴くために録る’テープレコーダーと‘録ったものを聴く’ウォークマン、サウンドアートの展示とトークショウでの解説、いずれも音と場所の断絶を示している《関係性への想像》。なんやろーね。
 
「アーティスト・イン・ミュージアム AiM 2017」 (岐阜県美術館:実習棟)
 音と場所PiM (6) 音と場所PiM (7)
5日前と同様に永田砂知子氏が〈土の音〉を即興で演奏するが、今般は正村暢崇氏が舞踏で加わったことで、催しの焦点が変わった。寛ぎの時間は失われて緊張の雰囲気、演奏の聴衆(オーディエンス)が舞踏の観衆(スペクテーター)に変って、響く音までこうも変わるのか。その舞台としては(私が観逃がした13時からの)多目的ホールの方が相応しかっただろう、(私が観た16時半からの)実習棟での上演は前回の方が好かった。今般の「PiM」は、「パーティシパント(関与者)・イン・ミュージアム」ではなくて「パフォーマー(演者)・イン・ミュージアム」だ。作家(渡辺泰幸氏)らと少談して会場を去る。サウンドとインスタレーションとパフォーマンス、音と場所と表象、それらの連関と断絶とすり替えを5日ぶりに再訪した岐阜県美術館で味わい楽しんだ。
 
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土の音 PiM

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2017年08月11日 01時30分]
岐阜県美術館は2015年度より日比野克彦氏が館長になって、翌2016年度から「ナンヤローネ プロジェクト」を始めたんやって、なんやろーね。その一環として「アーティスト・イン・ミュージアム」(AiM)の第一弾(鈴木一太郎氏)が昨夏に開かれたんやけど、わっちは見ーへんかったんやて。でも、今夏は「AiM」の第二弾を、見知っている渡辺泰幸氏がやっとるところやよ。公開演奏もあるんやて。なんやろーね、行かなかんわ。
 土の音PiM (1) 土の音PiM (2)
 
「アーティスト・イン・ミュージアム AiM 2017」 (岐阜県美術館:実習棟)
 
 土の音PiM (3) 土の音PiM (4)
1996年2月11日に「鯉江良二展」を観て以来の7847日ぶり、2017年8月6日に岐阜県美術館へ。おぉ、30日前に「みのかも文化の森」でも聴いた音がする。その木々の緑に白い陶鈴が鳴る〈風の音〉を私が纏い遊ぶと…ん? 作家(渡辺泰幸氏)が登場。渡辺さんと公開制作やコーヒー話を少談してから、実習棟の床に並べられた〈土の音〉を眺めて触って打って遊ぶ。ここには鑑賞者(ヴューアー)はいない、誰もが関与者(パーティシパント)だ。やがて、窓際に置かれた椅子に座って、公開演奏の聴衆(オーディエンス)になる。
 
 《まず、土の音が並んだ庭の中を、時々音をポコ、ポコ、と鳴らしながら散
  歩。天井から吊り下げられた鈴の作品を鳴らしながら、次の筒状の茶
  色い作品群のところへ移動。この筒状を木の球で鳴らすと高くてかわ
  いい音が鳴ります。次に壁際の船形の作品に移動。ここでは音の密度
  が高い演奏をする。音程の組み合わせも現代音楽的な不協和音まで、
  ヒビの入った作品で出るノイズ音も敢えて使う。最後に白い器を擦る音
  で、5人の音の重なりを出し、その後、白い器の美しくのびやかな音の
  ソロで、場を沈め終わり。》 (永田砂知子 Facebook 2017年8月7日)
 土の音PiM (5) 土の音PiM (6)
 
トンペティは波紋(はもん)使いだが、トム・ペティは1950年生まれのミュージシャンであり、永田砂知子は1950年生まれの波紋音(はもん)使いである、なんやろーね。永田砂知子氏が登場して、〈土の音〉で即興演奏。おぉ、予想より素直に響く〈土の音〉が心地好い。永田さんがシャラシャラと頭上の〈実の音〉を鳴らした時、何故か富樫雅彦氏の「SPIRTUAL NATURE」(1974)のイントロを想い出して、しばらく私の頭の中では富樫さんと永田さんの2人のパーカッショニストの奏でる音が混じって響いていた。富樫さんは「紀元二千六百年記念日本万国博覧会」が催されるはずだった1940年に生まれ、「日本万国博覧会」(大阪万博)が催された1970年に妻に刺されて下半身不随になり、2007年に死んだ。‘コーヒーの鬼’「もか」の標交紀氏も1940年に生まれて2007年に死んだ。永田さんは「日本万国博覧会」の鉄鋼館に遺されたバシェ兄弟(ベルナール・バシェ:1917-2015/フランソワ・バシェ:1920-2014)の音響彫刻を蘇生する活動をはじめて、バシェ協会の会長を務めている。永田さんの奏でる〈土の音〉を聴きながら、なんやろーね、想いを巡らす。
 
 土の音PiM (7) 土の音PiM (8)
聴衆(オーディエンス)の後は、来場者の多くが〈土の音〉を触って叩いて打ち鳴らす関与者(パーティシパント)になった。おぉ、関与する意義や正解は求めない、美術と音楽の混交に遊ぶ時間は小さくても短くても「芸術祭」だ。つまり、「パーティシパント・イン・ミュージアム」(PiM)だな…その好ましい味わいを笑いながら会場を去った。
 
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徐徐に奇妙な暴言

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2017年07月23日 05時30分]
昨2016年9月10日、東京で展覧会を覘きに行ったものの入場待ちの長蛇の列を見て、背を向けてしまった。だが、《見たい! 刺激される…好奇心がツンツン刺激される…どうしても 見てやりたくなるじゃあないか!》(岸辺露伴) …ドオォオォオオォ…東京・大阪・福岡と巡って名古屋へ来た…観よう!
 徐徐に奇妙な暴言 (1)
 
ルーヴル美術館特別展「ルーヴルNo.9 漫画、9番目の芸術」 (松坂屋美術館)
 
「ルーヴル美術館BDプロジェクト」の展覧会は、2009年にルーヴル美術館で企画展‘Le Louvre invite la bande dessinée’(小さなデッサン展 漫画の世界でルーヴル)が開かれた。2010年には京都と横浜で「マンガ・ミーツ・ルーヴル 美術館に迷い込んだ5人の作家たち」が催された。その本質は、漫画出版社フュチュロポリスとファブリス・ドゥアール(ルーヴル美術館文化制作局出版部副部長)との共謀で生み出されたショウビジネスである。だが、旧展から約6年を経た今般の展覧会「ルーヴルNo.9」では、そうしたBDプロジェクトの商業面はひた隠しにされていた。徐徐に奇妙だ。
 徐徐に奇妙な暴言 (2) 徐徐に奇妙な暴言 (7)
 
 《まだまだ芸術として浸透していない漫画文化を、芸術に興味のあるお客
  さんに見てもらい、逆に漫画は好きだけど古典芸術に興味のない若者
  たちが、ルーヴルに足を運ぶきっかけにもなれば》 《漫画はパラパラと
  めくってしまい、あまり絵をじっくり見る機会は少ないと思います。この
  展覧会をきっかけに芸術作品として漫画を鑑賞してほしいと思います》
  (ファブリス・ドゥアール:談/「芸術の最高峰ルーヴルが手掛けた漫画
  の展覧会!」/Webサイト『J-WAVE NEWS』 2016年8月9日)
 
ファブリス・ドゥアールは何が何でもBD(バンドデシネ≒漫画)を《芸術作品として》捉えて、その認識を他者に呑ませたいらしい。だが断る。この鳥目散帰山人が最も好きな事のひとつは自分が正しいと思ってるやつに「NO」(ノー)と断わってやる事だ。哲学芸人アラン・フィンケルクロートがBDをマイナー芸術と酷評したこと、これをファブリス・ドゥアールは展覧会図録で酷評していたが、こうした思い上がりと驕傲に溺れているドゥアールの姿勢こそ酷評されるべきだ。「ルーヴルNo.9」(ナンバーナイン)ではなくて、「ルーヴルNO足りん」(脳タリン)だ。そもそも、フランスには「アングレーム国際漫画祭」があり、サンフランシスコやブリュッセルやニューヨークやロンドンなどにも漫画の博物館や催事拠点が先んじてあり、ルーヴルなんぞに威を借りるほど漫画の世界は落ちていない。徐徐に奇妙だ。
 
 徐徐に奇妙な暴言 (3) 徐徐に奇妙な暴言 (4)
「ルーヴルNo.9」の展示は小綺麗だった。《でも漫画の原画って小さいうえに枚数が多いから、美術館での展示には向いていないんだよね。だからここでは一部しか見せておらず、ストーリーを追っていくと不満が残る》(村田真 artscapeレビュー 2016年9月18日/Webマガジン『artscape』)作品が多かったし、伊藤遊の「9つの違い 日本マンガ/バンド・デシネの特徴」も切れ味鋭いとはいえない。《好奇心がツンツン刺激される》展示は、エンキ・ビラルの「ルーヴルの亡霊たち」だけだった。畢竟するに、「ルーヴルNo.9」は何を展観させたかったのだろう? ルーヴル美術館? BDプロジェクト? 漫画? どれでもあるようでどれにも収斂しない散漫…いわば、演技や造作は頑張っているが、脚本や構造が拙劣な「9番目の芸術」展だ。徐徐に奇妙だ。
 
 徐徐に奇妙な暴言 (5) 徐徐に奇妙な暴言 (6)
松坂屋美術館で観終えて、大須まで散策。松屋コーヒー本店のカフェ・ルパンで「フローズンクリーム珈琲ぜんざい」を味わいながら、『世界まんがる記』を読み返す。曰く、《小雨に煙る、観て歩いたパリからはしかし、目新しい感激は得られなかった。以前に何度か訪れて、ふたたび観て歩いているような、そんな気持ちがした》。「ルーヴルNo.9 漫画、9番目の芸術」を観た私も、《目新しい感激は得られなかった》。著者の石森章太郎が世界旅行に出かけた頃(1963年)、フランスではBD(バンドデシネ≒漫画)を娯楽から芸術へと「正当」化する論が始まった。正当化という「不当」に気付かないまま今日に至った「9番目の芸術」がBD(バンドデシネ≒漫画)である。だが、岸辺露伴のような漫画家は「正当」に背を向けるだろう。私はそう捉える…ドオォオォオオォ…徐徐に奇妙な暴言だ。
 
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夏と修羅

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2017年07月18日 05時30分]
「尾張名古屋は城でもつ」…それゆえかそれなのにか、1959年にSRC造で再建された名古屋城の天守は怪獣によって何度も破壊される。1967年に大映のギャオスが、1992年に東宝のバトラが壊し、2019年には市長の河村たかしが壊す。許せん。だが、再建天守を最初に破壊したのはゴジラで、1964年に堀で足を滑らせた不慮による。許す。この時(映画『モスラ対ゴジラ』)のゴジラは、名古屋城の南南東に位置する名古屋テレビ塔を先に壊してから、城の北西側に回り込んで近付いた。熱田台地の上にある城下町から台地の西側へ一度下りて台地の北西端を確かめに行ったゴジラは、「ブラタモリ」名古屋編でのタモリよりも丁寧な足跡を印した。褒める。そして、そのゴジラが53年ぶりに…名古屋、上陸。
 夏と修羅 (1) 夏と修羅 (2)
 
「ゴジラ展」 (名古屋市博物館:特別展)
 
 夏と修羅 (3) 夏と修羅 (4)
この「ゴジラ展」は北海道立近代美術館(当時)の中村聖司が生み出したもので、福岡と札幌を巡ってから名古屋へ上陸した。他にも、川北紘一が監修して東京・大阪・金沢を巡った「大ゴジラ特撮展」、これを使い回した「大ゴジラ特撮王国」も横浜・広島を巡って鹿児島へ上陸している。また、「特撮のDNA」展は福島を巡って佐賀へ上陸する。山根恭平が《あのゴジラが最後の一匹とは思えない》(映画『ゴジラ』)と言っていた通り、ゴジラは同時にいくらでも存在する。富山省吾が《人間が生み出したゴジラなのに、人間が制御できない》(「怪獣王に迫る」上/『中日新聞』 2017年7月13日)と言っていた通り、特にここ4年くらいはゴジラもドサ回りに忙しい。
 
 夏と修羅 (5)
第1形態「ゴジラの誕生」…誰も見たことのない水棲生物の新種。それ以上は現物を調査しないと何にも言えません。
 夏と修羅 (6)
第2形態「これがゴジラ映画の「ものづくり」だ 『東京SOS』の特撮美術・デザイン・造形」…そう、生物です。ですから人の力で駆除することができます。同じ自然災害と区分しても、地震や台風とは違います。
 夏と修羅 (7)
第3形態「昭和~平成~ミレニアムの特美・デザイン・造形」…そもそも出世に無縁な霞ヶ関のはぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児、そういった人間の集まりだ。気にせず好きにやってくれ。
 夏と修羅 (8)
第4形態「ゴジラ、スクリーンの外へ ヴィジョンの広がり」…これでゴジラがこの星で最も進化した生物という事実が確定しました。
 夏と修羅 (9)
 
筆踊るデザイン画や詳細な指示が書き込まれたセット図面には思わず見入ってしまうが、展示の構成と見せ方は能が無くて楽しくもなんともない。ふ~ん、あぁそう、で終わり。つまらん。会場を熱焔と内閣総辞職ビームで破壊したくなる。もっと、声出しOK!コスプレOK!サイリウム持ちこみOK!の絶叫発声可能応援展示とか、ブッとんだ面白さを工夫して「すごい、まるで進化だ」と言わせてほしかった。
 
 夏と修羅 (10)
心象の灰色鋼から 琥珀の欠片が注ぐ時 怒りの苦さまた青さ 唾し歯軋り行き来する 俺は独りの修羅なのだ 真の言葉は失われ 雲は千切れて空を飛ぶ 歯軋り燃えて行き来する 俺は独りの修羅なのだ 新しく空に息つけば ほの白く肺は縮まり 雲の火花は降り注ぐ…「ゴジラ展」に夏と修羅をスケッチする。私は好きに観た、君らも好きに観ろ。
 
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あじしりげ

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2017年06月13日 05時30分]
B6判の月刊タウン誌は、大阪に『あまカラ』(甘辛社:刊/1951年8月創刊-1968年5月終刊)があったし、東京には『銀座百点』(銀座百店会:刊/1955年1月創刊~)があるが、名古屋にも『あじくりげ』(東海志にせの会:刊/1956年6月創刊-2016年5月終刊)があった。いずれも定期購読などしなかったが、ふと入った飲食店で注文した品が出てくるのを待つ間に冊子を手にとり、食や味の話題を読む楽しみは知っている。読んで味わった気になる…味知り気(あじしりげ)といったところか?
 あじしりげ (1)
 
 《名古屋の月刊小冊子「あじくりげ」が、今月下旬に発行する5月号を最
  後に、60年の歴史に幕を下ろす。(略) 東海3県の飲食店や食品会
  社の老舗が集まった「東海志にせの会」が発行してきた。定期購読
  者もいたが、ほとんどは会員店舗が無料で客に配った。90年代の
  会員48店、発行1万2千部がピークだった。インターネットやグルメ
  情報誌などの影響で最後は14店、4千部まで落ち込み、終刊が決
  まった。 元名古屋タイムズ記者の本田美保子さん(73)が92年か
  ら編集を務めてきた。「店に置くことがステータスであるような魅力的
  な冊子をめざしてきた。今は消費に直結する情報が好まれる時代。
  60周年がちょうど潮時だと思う」。(佐藤雄二)》 (「月刊「あじくりげ」
  終刊」/「朝日新聞」 2016年4月13日)
 
 《昨年五月に通算六百九十三号で終刊した名古屋の食文化誌『あじくり
  げ』を語るトークイベントが、名古屋市東区橦木町の文化のみち二葉
  館であった。同誌に執筆していた俳人で名古屋ボストン美術館長の
  馬場駿吉さんと、東海学園大特任教授の安田文吉さんが思い出を
  語った。(略) 馬場さんは「原稿依頼が来るのは名誉だった」と評し
  「初めて書いたのは食卓から季節感が失われているという話題。季
  語を使う俳句をやっているので印象深かった」と振り返った。連載を
  持っていた安田さんは「ういろう、助六ずしなど名古屋の食について
  書けてよかった。自分の専門分野の歌舞伎とつながる食べ物も多く、
  書くのが楽しみだった」と話した。 同館では、終刊後に寄贈されたバ
  ックナンバーなどからなる「食の文化誌『あじくりげ』展」を、二十一日
  まで開いている。(川原田喜子)》 (「『あじくりげ』執筆者が講演 名古
  屋の食文化誌」/「中日新聞」 2017年6月10日)
 
 あじしりげ (2) あじしりげ (3)
2017年6月11日、名古屋の街へ走り街を歩く‘ブラナゴヤ’の途で、「文化のみち二葉館」(名古屋市旧川上貞奴邸)で催されている「食の文化誌 「あじくりげ」展」を観る。‘二葉御殿’を500mほど南東へ移築復元した建物の2階、浴室・洗面所・化粧室だった展示室5で、『あじくりげ』のバックナンバーがガラスケースの中に並んでいた。社会風俗や都市開発の変遷などを絡めた解説が足りない粗雑な展示、味気ない。催展としては、昨年に観た「『散歩の達人』とともに振り返る千代田の街の20年」の方がずっとマシ。支那室だった展示室8で、『あじくりげ』のバックナンバーがダンボール箱の中に並んでいた。持ち帰り自由なので、8冊ほど頂戴して去った。以下、2冊から抄出。
 
 《私の住んでいるマンションの坂を下りて大通りに出る角に、カフェが出
  来た。パリやローマの街角によくあるカフェそっくりである。冬はガラ
  ス戸をしめるが、春~秋は、開け放って、道路にはみ出してテーブル
  と椅子を並べ、飲物や軽食を楽しめる。(略) のんびりとカフェで楽し
  く食事する……なあに、それは日本人のヨーロッパかぶれさという人
  がいるかもしれないが、江戸時代の茶店も考えてみればオープンで、
  外に腰かける台があり、結構楽しいカフェだったのではなかろうか。》
  (下重暁子 「カフェの人気」/『あじくりげ』458号 1994年7月)
 
 《夕暮れどきの地下街。友人との待ち合わせ場所に早く着きすぎた私は、
  近くにあった小綺麗なカフェでしばらく時間をつぶすことにした。客は
  二十代前半らしき女性二人と私だけ。こじんまりした店なので一人で
  アイスティーを飲んでいる私の耳に、いやが応でも二人の会話が聞
  こえてくる。(略) 「でね、ユウコ言ってた。もしこのまま結婚っていうこ
  とになったら『私は死ぬまでパートナーに認められない可哀相な女だ
  よ。そんなの耐えられない』って。だから、早めに別れようと思ってる
  んだって」(略) 「可哀相な女」の名言が出たあたりで、私は後ろ髪を
  引かれる思いでカフェをあとにしたのだが、あのあと二人は『平成版・
  金の斧と銀の斧論』をどう展開させ、どう分析し、どんな考察を重ね
  たのだろうか。》 (内藤洋子 「カフェから哲学」/『あじくりげ』569号
  2003年12月)
 
『あじくりげ』のような冊子に収まった小文は、展示室や図書館の中で資料として読むよりも、やはり古びた店の小上がりなどで蕎麦でも手繰りながら味わうのが相応しい。その方が登場する食べ物や飲み物を味わった気になる…味知り気といったところか?
 
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気狂いヴェルフリ再考

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2017年03月26日 23時30分]
気狂い(キチガイ)画家の作品展「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」を訪ねた時、私は笠木日南子の言に逆らって《ヴェルフリがどんな人だったか、アール・ブリュットとは何か》を考えながら観た。その後、「中日新聞」は「アールブリュットって何? 名古屋で代表的な作家の作品展」という記事を掲げた。
 気狂いヴェルフリ再考 (1)
 
 《専門的な教育を受けたわけではないのに、何かを作らずにはいられ
  ない。しかも他者からの称賛や報酬などをまるで求めずに─ そんな
  人たちによる創作を総称するのがアールブリュットといえようか。日
  本では「障害者のアート」という位置づけもされるが、リュザルディさ
  んは「まず作品を見てほしい。作家が社会的、身体的にどうであった
  かは興味がない。審美的な価値が第一」と指摘した。 美術批評を手
  がける名古屋芸術大の高橋綾子教授も、ヴェルフリが性犯罪者だっ
  たことなど作家を巡る副次的な情報にはとらわれず、作品自体と向
  き合うことを勧める。》 (三品信/「中日新聞」 2017年3月24日)
 
笠木日南子もマルティーヌ・リュザルディも高橋綾子も、《作家を巡る副次的な情報にはとらわれず、作品自体と向き合うことを勧める》。独り善がりの大きなお世話だ。
 気狂いヴェルフリ再考 (2)
 
 《デュビュッフェの定義する「アール・ブリュット」は、知的でない何か、
  制度的でない何か、という否定的な部分のかたちを既にとっている
  のであり、フーコーが『狂気の歴史』のなかで用いた言葉で言えば、
  理性の「消極性」(ネガティヴィテ)としてのかたちを既に成している。》
  (松井裕美 「狂気がかたちを成すとき ─二〇世紀初頭の芸術と図
  式的実現─」/芸術批評誌『REAR』(リア)38号 特集「障害と創造」
  p.45/リア制作室:刊 2016年11月)
 
 《(1972年)同年、ヴェルフリの作品がヴァルダウからベルン美術館
  に移管され、1975年には美術館内にアドルフ・ヴェルフリ財団が設
  立された。美術という制度の「アウトサイダー」として評価されたヴェ
  ルフリの作品は、その美術という制度の「インサイダー」の側に組み
  入れられたのだ。》 (笠木日南子 「アドルフ・ヴェルフリの作品とその
  受容」/前掲『REAR』38号 p.59)
 
おかしくないか? 笠木日南子もマルティーヌ・リュザルディも高橋綾子も、誰から何を守ろうとしているのだろう? ジャン・デュビュッフェが反知性・非理性の狂気を再発見する意で道具立てにした「アール・ブリュット」、その《消極性》から目を背けよというのか? それは、《美術という制度の「アウトサイダー」として評価されたヴェルフリの作品》を、《美術という制度の「インサイダー」の側に組み入れられた》視座に限らせようというのか? おかしいだろ、これ。
 
 《しかし、アール・ブリュットやアウトサイダー・アートを障がい者の創作
  のことだと考えること(より正確に言えば、政策的ミッションのために
  意図的に誤読すること)は、障がいを社会モデル化する近年の福祉
  の理念に逆行する行為といえる。障がい者がアウトサイダーなので
  はない。美術に外側があるということの証左のひとつとして、障がい
  のある人の創作物があり、その内と外を隔てているものに対して私
  たちは常に敏感でなければならない。》 (服部正 「障がい者の創作
  行為を個人モデル化しないために」/前掲『REAR』38号 pp.28-29)
 
 《こうした、社会的排除に抵抗していながらも、単にマジョリティの価値
  観で「包摂」しようとすることで、新自由主義的な社会で再び排除の
  構造を作ってしまうという現象に対し、芸術の分野で言われている
  「社会包摂」はいかにも表面的だ。(略) 自分とは関係のないものと
  して他者化し、無自覚なマジョリティとしての視点から眺めているの
  では、結局のところ排除の構造から逃れることができない。》 (長津
  結一郎 「アール・ブリュットの先へ──「社会包摂」を手がかりに」/
  前掲『REAR』38号 p.32/p.34)
 
おかしくないか? 《作家が社会的、身体的にどうであったかは興味がない。審美的な価値が第一》というマルティーヌ・リュザルディの言は、《美術に外側があるということ》自体を否定する鈍感を示していないか? 《作家を巡る副次的な情報にはとらわれず》という高橋綾子の言は、《無自覚なマジョリティとしての視点から眺めている》に過ぎず、《結局のところ排除の構造から逃れることができない》のではないか? おかしいだろ、これ。
 
「障害と創造」を特集した『REAR』(リア)38号を読んで、私がもっとも好いと感じた話は、草間彌生に対する立岩真也の評だった。
 気狂いヴェルフリ再考 (3)
 
 《彼女は、あきらかにアタマが普通におかしいですよ。ブツブツの変に
  気持のいいカボチャとか、アタマがおかしいから創れているところが
  ある。それに感動する人がいて、それでいいなと思う。才能として、
  世に言うある種の障害が作用して出来ていることには、事実として
  認めざるを得なくて、それがよい作品を創っている限りにおいては、
  よいと言えば良い。》 (立岩真也/対談 「障害と創造をめぐって」/
  前掲『REAR』38号 p.18)
 
これは、おかしくない。《アタマがおかしいから創れているところがある》、それは草間彌生でもアドルフ・ヴェルフリでも同じだ。ところが、学芸員だの館長だの研究者だのという連中は、そこを曖昧にして遠ざける。連中はアタマがおかしいのではなくて、あきらかにアタマが普通に悪い。いったい、アドルフ・ヴェルフリが描いた「二萬五千頁の王国」は、《内と外を隔てているものに対して…》と言った場合に‘外’に位置付けられるべきなのか? そもそも、「アール・ブリュット」は、《障がいを社会モデル化する近年の福祉の理念》に従って捉えるべきなのか? 独り善がりの大きなお世話だ。
 気狂いヴェルフリ再考 (4)
 
《人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず》…芸術の関係者だか美術の専門家だか知らないが、愚かな連中の言説に耳を貸す謂れはない。こうした連中が《新自由主義的な社会で再び排除の構造を作ってしまうという現象に対し》、聖アドルフ2世が治める「二萬五千頁の王国」が狂気で芸術の分野を包摂することを私は望む。虐待も凌辱も蔑視も差別も排除も白日の下に晒して‘Zorn’(ツォルン/怒り)を撒き散らす気狂いが治める社会、その狂気に包摂された社会が具現した時にこそ、真の「アール・ブリュット」(生の芸術)が成される。
 
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パンティ、苦渋の声

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:観の記:美面 [2017年03月23日 01時30分]
《1960年代から日本の女性が頻繁に着用し、70年代に入るとテレビや雑誌などを通じて社会的に流行した「パンティ」。ありとあらゆる文化がパンティに染まったこの現象は、ズロースとショーツの隙間に開花した徒花であったのか?》…「右も左もパンティづくし!」とかいう‘鼻血ブー’な展覧会が東京駅丸の内駅舎内の美術館で開かれているらしい…何か違うようにも思ったが、まぁ気にしないで、東京でコーヒー遊びのついでに観てみよう!
 パンティ、苦渋の声 (2)
 
「パロディ、二重の声 日本の一九七〇年代前後左右」 (東京ステーションギャラリー)
 
入館。プロローグは、山縣旭(レオ・ヤマガタ)による〈モナリザ〉が40点余も並んでいる(上半身ばかりでパンティがない!)。第一部「国産パンティの流行前夜」には、吉村益信の〈豚〉がいた(上半身だけでパンティが穿けない!)。第二部「肥大するパンティ」には、赤瀬川原平の〈おざ式〉や長谷邦夫の〈バカ式〉〈アホ式〉〈マヌケ式〉があったし、〈伊丹十三のアートレポート〉も映していた(伊丹十三なのにパンチラもパンモロもない!)。第三部「いわゆるパンティ裁判」には判決文が並んでいる(結局パンティがない!)。退館。‘鼻血ブー’どころか「くそっ、騙された」と苦渋の声を呻き漏らす。
 パンティ、苦渋の声 (3) パンティ、苦渋の声 (4)
 
パンティの展覧会なのにパンティが一つもない…何か違うようにも思ったが、会場のあちらこちらに立て掛けてあった解説が好かった。抄出しておく。
 
《「パンティー」という言葉は、戦後はもちろん、戦前にもふつうに使われていなかったが、一九七〇年代に入ってから、ひろく週刊誌やマンガ雑誌で使われるようになり、日常の日本語の一部となった。》 (鶴目俊輔)
《したがって位置エネルギーのない言葉にパンティは成立しない。》 (青瀬川原平)
《したがって文体模写や語り手による叙述においては可能であった二つの声の融合という現象は、パンティでは不可能なのである。》 (身入馬夫珍)
《パンティは或る意味で多義性発生装置であるから、その未来は洋々たるものであると思います。》 (山田昌男)
《(パンティは)別の定義をすれば、類似よりも差異を際立たせる批評的距離を置いた反復である。》 (林田八音)
《むしろ、正・反がシステム化し、固定化した認識の枠組みそのものを批判することがパンティではないか。》 (本村恒久)
《わたしたちのまわりで時めいている〈偉大なもの〉とその亜流はすべてパンティの原料にするのがよい。》 (井上のき)
《不自由のなかでこそ、パンティーはいきいきするのかも知れないが、一方では、芸術の自由を獲得し拡げるためにもパンティーの力が必要なのだ。》 (赤塚不二家)
《とり・みきさんが「元ネタがばれると困るのが盗作で、ばれなきゃ困るのがパンティなんだ」と、言ったんですけど、これは至言だと思いました。》 (松熊健太郎)
《もともとパンティというのは他人の褌で角力をとり、しかもそれを汚してから相手の顔に投げつけるようなもので、相手は当然怒り心頭に発し、またそうでなくてはパンティは面白くない》 (和口誠)
《「パンティは著作権法の世界における〈鬼っ子〉のような存在である」と言われる。》 (小泉曲樹)
《「イエス」と「ノー」と両方をもっているのがパンティであって、そのようなかたちで次の作品が生まれてくる。》 (清水蟻範)
《パンティーは、もともと批評的なものである。だが、いま、パンティーといわれるものは少しも批評的ではない。》 (下野昴志)
《だからこそ、私たちは、パンティを通して、その共通の約束事、それぞれの文化や時代にとっての「当たり前」を確認できるのです。》 (津辺棚栗捨輪)
 
 パンティ、苦渋の声 (1) パンティ、苦渋の声 (5)
解説には首肯すべきものもあったが、展覧会の意図には違和感も残る。《日本の一九七〇年代前後左右》を‘回顧’や‘懐古’するために並べても面白味は薄い。当時のパンティは、そのために作られていないから。パンティを切り口に《日本の一九七〇年代前後左右》という時代を照射するためならば、あまりに踏み込みが浅い。むしろ、現在と近未来の苦渋を直截に問うべきだから。「パンティ、苦渋の声 日本の二〇二〇年代前後左右」…そう展覧会を《相手の顔に投げつけるようなもの》に捉える、《またそうでなくてはパンティは面白くない》のである。
 
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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