カフェとナゴヤ人

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2014 [2014年12月24日 23時00分]
『カフェと日本人』(高井尚之:著/講談社:刊/2014年10月16日発売)には、約40種の現存するカフェが登場しているが、そのうち約3分の1以上はナゴヤ圏(名古屋及び周辺地域)に発して存する店である。高井氏は、「なぜ名古屋人は喫茶好きなのか」という章を立ててまで、なぜナゴヤを推すのか?…著者が名古屋市に生まれ春日井市で育ったからである。『カフェと日本人』は、「カフェとナゴヤ人」について考えさせられるコーヒー本…
 
 カフェとナゴヤ人 (1)    カフェとナゴヤ人 (2) カフェとナゴヤ人 (3)
2014年12月23日。電車の中で読み返していた『カフェと日本人』を閉じて、鶴舞駅で降りる。ここから、忘年会で集う名古屋駅近辺まで、休日の散策。まず、「喫茶クロカワ」へ、初訪。インドを飲む。メニューに‘バイオダイナミック’と記されていたことはともあれ(私は、シュタイナーとかアントロポゾフィーとかホメオパシーとかを嫌っている)、乾式精製(ナチュラル)といえども、インドらしいスパイシーとモカっぽい臭みやワイニーが共存している香味が吃驚だ。店のツクリも‘イマドキ’だが面白い、コーヒー自体も悪くない、寄ってよかった。
 
 カフェとナゴヤ人 (4) カフェとナゴヤ人 (5) カフェとナゴヤ人 (6)
北へ歩いて、久屋広場で催されている「名古屋クリスマスマーケット2014」を覘く。「カフェ タンネンヴァルト」のホットチョコレート(ショコラショーでなくてチョコリキュールの牛乳割り)を飲みながら、「キンダーコール鳩笛の会」の合唱を聴く(リハだけど)。う~ん、Xmasだ。
 
 カフェとナゴヤ人 (7) カフェとナゴヤ人 (8) カフェとナゴヤ人 (9)
 《「栄」の交差点に近い中日ビル二階にあるのが「サンモリッツ」だ。(略)高度成
  長期は「サンモリッツでケーキとお茶を楽しむことがトレンドだった」(当時を知
  る女性)という大型店。(略)「場所と広さ、眺めで持つ店」(地元のメディア関
  係者)という声もあるが、使い勝手はいい。》 (『カフェと日本人』pp.110-111)
その「サンモリッツ 名古屋中日ビル店」を覗いてみるとジジイが溢れている、入店を断念。
 《…かつて名古屋には「広ブラ」があった。この場合の広ブラとは、広小路の栄
  町(中区)から柳橋(中村区)まで歩くこと(栄⇔納屋橋とする説もある)。(略)
  一九五七(昭和三二年)に名古屋に地下鉄・東山線が開通し、栄や名駅に巨
  大地下街ができてから、広ブラは衰退していったという。ビルが立ち並び、ク
  ルマの行きかう広小路通りを歩いても風情に乏しいが、それでも時折見かけ
  る昔ながらの建物で往時をしのぶことができる。》 (前掲書 pp.106-107)
ムコウにカフェーライオンがあって、ソッチにカフェーパウリスタがあって、コッチに明治製菓と森永製菓の、アッチには不二家の喫茶店があった…と幻視で「広ブラ」遊び。「広ぶら芸ぶらHISTORY」とかいうイラスト看板を観ながら広小路通りを歩いて、納屋橋まで進む。
 
 カフェとナゴヤ人 (10) カフェとナゴヤ人 (11) カフェとナゴヤ人 (12)
 《従来型の喫茶店が元気な名古屋圏にも、新しい波が押し寄せる。その代表が
  「猿カフェ」だ。(略)名古屋中心部の店では深夜まで営業しており、夜はアル
  コールも提供するカフェバーだ。》 (前掲書 p.127)
堀川沿いのオープンテラスがウリの「猿カフェ 納屋橋店」なんて素通りして、も少し歩いて、「KAKO(かこ) 柳橋店」へ。さつまいものガレットとブレンドを…え? ガレット売り切れぇ…じゃ、チョコレートケーキで。変わらぬ焦げ焦げ深煎りコーヒーだけど昔より焦げ味が減ったか? 砂糖とフレッシュ入れてちょうどイイ泥汁になる仕立て、‘新しい波’なんて糞食らえ。
 
 カフェとナゴヤ人 (13) カフェとナゴヤ人 (14) カフェとナゴヤ人 (15)
日も暮れて「広ブラ」終了。人通りの無い静かに眠る柳橋中央市場を突っ切り、名駅方面へ。ミッドランドスクエアの屋外広場で、電飾されたトヨタの新型クルーザーPONAM-31を見る。「名古屋YMCAクリスマスキャロル in JRセントラルタワーズ」のサンタ合唱を聴く(リハだけど)。タワーズの15階に上がり、窓の外の夜景を眺めて遊ぶ。う~ん、Xmasだ。
 
 カフェとナゴヤ人 (16) カフェとナゴヤ人 (17) カフェとナゴヤ人 (18)
「きんぼし 名駅キャッスルプラザ店」に、「珈琲工房ひぐち」の樋口精一・美枝子夫妻と「フレーバーコーヒー」の中川正志氏と「Direct Fire Roast 環」の長屋幸代氏と私が集結し、忘年会。コースで出てくる串物をバンバン食べつつ、焼酎を呷(あお)りつつ、歴史的に思想的に技術的に経営的にコーヒー世界のサスティナビリティ問題を語り合う(真面目か!)。「江南 JRセントラルタワーズ店」へ場を移し、ラーメンをズルズルと、餃子をポイポイと食べながら、コーヒー世界の過去と未来を社会的に哲学的に語り合い続ける(真面目か!)。
 《二一世紀の日本で暮らす生活者(日本人に限らない)にとって、もはやカフェ
  は「人と場所の代名詞」なのだ。》 (前掲書 p.214)
カフェの機能を語るときに、時代や在住地の差異で、‘もはや’などと強弁する必要は無い。電車の中で読み返していた『カフェと日本人』を閉じて、在住地の最寄駅で降りる。贈られたコーヒーと菓子を帰宅後に味わいながら、「カフェとナゴヤ人」について考え続けていた…
 
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調法な人を悼む3

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2014 [2014年12月20日 01時00分]
2013年に、「コーヒーがゆっくりと近づいてくる。」を読んで『ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡展』を観た2014年10月26日、赤瀬川原平(本名:赤瀬川克彦)が死去した。
 
 《コーヒーをみんなブラックで飲みはじめたのは、いつごろからだろうか。自
  分も同調しようとしたが、やはり何も入れないとちょっと苦すぎてつらい。
  砂糖をほんの少しでも入れた方が、コーヒーの苦みがすなおに味わえる。
  そう気がついてからは、ブラックで飲むのはスタイルではなく、味わうため
  だと自覚して、ブラックには砂糖を少し入れてしまう。》 (赤瀬川原平 「コー
  ヒーがゆっくりと近づいてくる。」/全日本コーヒー協会『Coffee Break』
  〈コーヒーブレイク〉vol.75/2013年5月31日)
 
 《ボクの先生の赤瀬川原平さんは、コーヒーに砂糖を入れないのは「ガイジ
  ンである」と思っている。イギリスなまりで英語をしゃべるようなことだ、と
  思っているのである。実際にボクが見たガイジンは、コーヒーに砂糖を入
  れる、しかもムヤミに大量に入れることが多いんだけど。(略)赤瀬川原平
  さんとは、大勢で名曲喫茶などに入り、競争で「汚ない話」をしあったりし
  た。逸脱に逸脱を重ねるダジャレ大会も、脳ミソの訓練になっていたと思
  う。毎回、お酒を飲んで終電で帰っていたが、出来のいい冗談は喫茶店
  でしていたものの方に多いようだった。》 (南伸坊 「喫茶店に関してあれ
  これ」/『ユリイカ』1987年4月号:特集*喫茶店 滅びゆくメディア装置
  /青土社:刊)
 
《コーヒーに砂糖を入れないのは「ガイジンである」と思っている》赤瀬川原平は、コーヒーに砂糖を入れるので「ガイジンではない」。だが、実際のガイジンは《コーヒーに砂糖を入れる》ので、赤瀬川原平もまた「ガイジンである」。いや、《ムヤミに大量に入れる》のではなくて、《砂糖を少し入れてしまう》赤瀬川原平は、少しだけガイジンだったのかもしれない。ゲーリー・トマソンはガイジンなので、超芸術トマソンを発見した赤瀬川原平にもガイジンが伝染(うつ)ったのだろう。そもそも、伝統や慢性に反する前衛美術家はガイジンである。少しガイジンだった赤瀬川原平は、重宝にも、時代の悪役であり、日常の助っ人であった。
 
 調法な人3 (1)
 《そこで棒渦巻きギャラクシーの問題であるが、私はそれまでアンドロメダ星
  雲のようなふつうの渦巻きギャラクシーについては納得していた。前にも
  二、三書いたことだが、その実験装置はコーヒーである。コーヒーにまず
  砂糖を入れて(最近は知的な人々の間で砂糖やミルクを入れない飲み方
  が流行っているが、あれではギャラクシーが見えない)、そしてスプーンで
  ゆっくりとかき回す。それからそのあと、ミルクを一滴、スロン……。みなさ
  ん当然ながら目撃していることでしょう。黒褐色のコーヒー宇宙に白いミル
  クが何本も尾を引きながら、くるくる回転して渦巻きギャラクシーを形成し
  ていく。それは私たちが夜空に仰ぎ見るアンドロメダ星雲にそっくりであり、
  私たちの銀河系もほぼそれと同じ形状だと説明されている。(略)だから
  棒渦巻きギャラクシーの存在は不可解だった。渦巻きの中心がどうすれ
  ば棒状になるのか。コーヒーとスプーンとミルクの関係をどう加減しても、
  渦巻きの中心に棒状のものはあらわれなかったし、だいいち考えてみて
  も湯の全体が回転しているのだから、その中心が円形にこそなれ、棒状
  になるはずがないと思う。(略)にもかかわらず、宇宙には棒渦巻きギャラ
  クシーが数多く発見され、その形状がちゃんと撮影されている。(略)やは
  りコーヒーカップの考えでは及ばぬような力が巨大宇宙にはあるのだろう
  かと、いささかがっかりした気持になったのである。でも間違いだった。そ
  れは単にコーヒーカップの限界なのだった。(略)しかし私は朝のお茶を玉
  露園の梅昆布茶に変えたのである。その第一日の一杯目だったか二杯
  目だったか、そのカップの中に棒状渦巻きを見たのだった。(略)あっと思っ
  た。棒状渦巻きギャラクシー。特殊ではなかった。目の前にある。(略)ま
  ず湯呑みを揺すって梅昆布茶の回転を引き起こすのであるが、棒状のあ
  らわれ方というのは、球状に固まる梅昆布質が伸びて棒状になるというよ
  り、球状のそれに白湯が双方から食い込んできた結果棒状になる、いわ
  ば球状の物質群に周囲の空間が食い込んできて物質が棒状になる、と
  いう印象である。これにはハッとした。空間の力というものを感じたからだ。
  というのも、宇宙の構成が空間の力によっているらしい、との発見がある
  からである。》 (赤瀬川原平 「空虚に沿って物質は分布する」/『ユリイカ』
  1987年3月号/『科学と抒情』青土社:刊 に収載、後に新潮文庫で刊行)
 調法な人3 (2)
赤瀬川原平の関心は、一見すると、コーヒーではなくて、砂糖やミルクに向いているようだ。特に、《黒褐色のコーヒー宇宙》に‘スロン’と入れた《白いミルクが何本も尾を引きながら、くるくる回転して渦巻きギャラクシーを形成》する様に執心した。その考察には問題もある。実は、《私たちの銀河系》も《棒状渦巻きギャラクシー》であるという、《特殊ではなかった。目の前にある》ことを見逃していた。また、アルベルト・アインシュタインの「茶葉パラドックス」(ティーカップ問題)にも連関する、回転流体の境界層の作用に触れていない。ここで見出すべきは、‘トマソン’ではなくて‘エクマン’だったのだが…。それでも尚、容器の中で回転するコーヒーや梅昆布茶を観察して、まるで銀河系の境界層ともいうべきハローに在るダークマターを示唆するかのように、《空間の力というものを感じた》赤瀬川原平は凄い。
 
 《科学と抒情というのはコドモ心の二大勢力である。あるいはコドモ心のコド
  モをシロート、アマチュアといい替えてもいい。(略)科学と抒情といった場
  合、科学というのは必要側に属し、抒情というのは必要以上側に属する。
  つまり必要線という基準があるとして、その線までが科学の分野で、その
  線以上のはみ出しが抒情の分野だ、ともいえる。》
  (赤瀬川原平 「文庫版のためのあとがき」/『科学と抒情』 新潮文庫
  1992年)
 調法な人3 (3)
赤瀬川原平はコーヒーについては《シロート、アマチュア》であったが、その驚異の観察眼と面白味で、コーヒーの本質へと迫っていた。如何にすれば《コーヒーの苦みがすなおに味わえる》か…という本質へ。赤瀬川原平の関心は、実は、砂糖やミルクだけではなくて、コーヒー自体へも向いていた。赤瀬川原平が「《科学と抒情》の人」であるのかは関知しないが、「洞察と諧謔にはみ出した人」とでも称するべき異才であったと想える。それはコーヒーに関しても例外でない。2012年に死した西尾忠久、2013年に死した大河内昭爾、彼らに追じて、コーヒーを追究する者にとって調法な「文化人」の死に、哀惜の意を表する。
 
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JCS漫歩記 後篇

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2014 [2014年12月10日 23時00分]
山谷の朝は寒いが清爽でもある。白い息を吐きながら、湯を沸かし、豆を挽き、ネル布で淹れる。宿「ほていや」の部屋でコーヒーを喫する。身支度して…シマッタ、髭剃り忘れた!
 
【JCS年次集会当日】 2014年12月7日
 
「café Bach」(カフェ・バッハ)
 JCS漫歩記 (10)
注文「おはよ~、バッハブレンドとバタートースト」…宿の隣の「カフェ・バッハ」の店内は朝から客で賑わう、その雰囲気も味わいだ。トレセンへ寄り、旦部幸博氏への土産を預ける。
 
 JCS漫歩記 (11) JCS漫歩記 (12)
黄葉が舞い落ちる上野恩賜公園を散策。入場待ちの群集がモブキャラみたいな「進撃の巨人展」、‘悔天憎人’である私に合わない「西郷隆盛生誕祭」…横目に見ながら漫ろ歩き。
 JCS漫歩記 (13) JCS漫歩記 (14)
上野Breakステーションギャラリーにて、「Re:construction2 鉄道部品の再生」を観る。会場は上野駅正面玄関口のガレリア2階だが、私以外に誰もいない。鉄道車両の廃材を再構成したインテリアは面白いが、リコンストラクションするべきは、公共施設の人流れ…。
 
「Drip Mania」(ドリップマニア グランスタ店)
 JCS漫歩記 (15) JCS漫歩記 (16) JCS漫歩記 (17)
注文「サンミゲル・ダークのSを」…ハンターズ3種に迷ったが、ココは(珈琲工房ひぐちで)飲みなれたグァテマラ産を選ぶ。ホセ(川島良彰氏)には悪いが、圧倒で「ひぐち」の勝ち。グランスタを出て、動輪の広場で喫煙の後、丸ビルに移ってクリスマスツリーを見下ろす。 
 
「CAFE LEXCEL」(カフェ レクセル 丸の内ビルディング店)
 JCS漫歩記 (18) JCS漫歩記 (19) JCS漫歩記 (20)
注文「プロシュートとタルタルソースのサンドを全粒粉で、ん~、オホデアグアをドリップで」…初訪。サンドの味は悪くないが、所詮腹ふさぎ。ニカラグアのCoEコーヒーを飲んでみる…おぉ、意外と(?)美味い。「オホデアグアって、ロットとスコアは?」に、「え? ロットって何ですか」と応じられ…おぉ、やっぱり(?)拙い。惜しいのは、業態ではなくて運営かねぇ。
 
 
「日本コーヒー文化学会(JCS) 第21回年次集会」 (学士会館)
 
 JCS漫歩記 (21) JCS漫歩記 (22) JCS漫歩記 (23)
対談 「ネルドリップ珈琲の秘密」 大坊勝次・森光宗男・星田宏司・青山知架夫
秘密?…大坊さん曰く、「低めの温度で、ゆっくりゆっくり、湯を落とす、それだけです」、と。…森光さん曰く、「コーヒーが自分で自分を漉してくれる、そこじゃないかな」、と。歴史を道具を音楽を色彩を絵画を使ってコーヒーを表したい森光さんは、‘言葉の力’でツッコむ。コーヒーをコーヒーとして表したい大坊さんは、‘沈黙の力’でボケる。桜井美佐子(ダフニ)・浅野嘉之(ジェントルビリーフ)・藤原隆夫(折り鶴)・江崎正憲(江崎珈琲)という豪華(?)な抽出スタッフのコーヒーが配られて、それを(あんまり旨くなかったけれど)味わいながら、壇上の漫才を聴く。話の半分は「熊谷守一」だった…ま、この顔ぶれなので、それもよし?
 JCS漫歩記 (24) JCS漫歩記 (25)
その後、大坊・森光両氏による抽出の実演。私は抽出を見ないで、参加者がかぶりつきに殺到する姿を見届けて、勝手に喫煙休憩へ。それにしても、熱心なのか浅ましいのか?
 
座談会 「日本の喫茶店の歴史を語る」 狹間寛・堀口俊英・平湯正信・中根光敏
語る?…4人バラバラの放談で座談ではない。中根さんにあまり時間が与えられず残念。狹間さんが「サードウェイブは産業形態。(ブルーボトル上陸直前の今は)スタバ前夜と同じ雰囲気を感じる」と(役割上で)言ったのに対して、「サードウェイブを日本にあてはめるには無理がある。基本的にスペシャルティコーヒーのムーブメントと同じ。クオリティの追求が繰り返されて10年遅れできた。日本のはサードウィブでも何でもなくて、ただサードウェイブに影響を受けた人が‘トレンド’として注目されているだけ」と斬って捨てた堀口さん。おぉ、お見事、拍手!…コーヒーも人間もゆっくりゆっくりと進化するんだなぁ、と感慨。
 
 JCS漫歩記 (26) JCS漫歩記 (27)
焙煎・抽出委員会 「小型焙煎機・ディスカバリー ~開発・設計の考え方~」 福島達男
ディスカバリー開発過程が映写され、デザインvs能力vs機能の葛藤話は存外面白い。富士珈琲機械製作所と富士珈機との絡み話はゴニョゴニョしたが(当然か?:笑)、質疑で「私の手廻し釜(1kg容量)と同じものを作ってくれますか」と福島さんへ迫る大坊さんを全員で拍手(笑)。年明け2月予定でディスカバリー焙煎の実践を打ち合わせて、散会。
 
 
「Gentle Belief」(ジェントル・ビリーフ)
 JCS漫歩記 (28)
注文「何と2回も食べられるとは!」…浅野さん「先に着替えさせて!」(笑)。山内秀文氏と共に、浅野嘉之氏を自らの店へ強制連行して夕飯を作らせる…最後まで得手勝手か? 茸のクリームパスタを食す、旨い。食後はイタリアンブレンド、旨い。3人でコーヒー談議…これがイチバン旨い?(笑)…店を辞し、東京駅で山内さんとも別れ、新幹線で帰途に就く。
 
 
 JCS漫歩記 (29)
《…絵にも流行があって、その時の群衆心理で流行りに合ったものがよく見えるらしいですね。新しいものが出きるという点では認めるにしてもそのものの価値とはちがう。やっぱり自分を出すより手はないのです。何故なら自分は生まれかわれない限り自分の中に居るのだから》(熊谷守一『へたも絵のうち』)。…珈琲にも流行があって、その時の群衆心理で流行りに合ったものがよく見えるらしい。新しいものができるという点では認めるにしても、そのものの価値とは違う。やっぱり自分を出すより手はない。何故なら人間は生まれ変われないし、珈琲もまた生まれ変われないのだから。…結局、私みたいなものは、珈琲さえあれば、漫(そぞ)ろ歩きもする。JCS絡みで漫ろ歩いた翌日に、カフェ・バッハから届いたシュトレンを食べながら想う…私の人生が漫ろ歩きだ! 珈琲は、じつにいい。
 
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JCS漫歩記 前篇

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2014 [2014年12月09日 23時00分]
《…結局、私みたいなものは、食べ物さえあれば、何もしないでしょう。犬もそうだ。食べ物さえあれば、寝そべっているだけで何もしない。あれは、じつにいい》(熊谷守一『へたも絵のうち』)。…結局、私みたいなものは、珈琲さえあれば何かするだろう。私は犬ではない。珈琲があると、気も漫(そぞ)ろで寝ていられないし、漫ろ歩きもする。珈琲は、じつにいい。
 
 
【JCS年次集会前日】 2014年12月6日
 
 JCS漫歩記 (1) JCS漫歩記 (2)
夜行バスで東京へ。冬空が美しい。白い息を吐きながらラジオ体操をする人人を横目で見つつ、湯を沸かし、豆を挽き、ネル布で淹れる。清澄公園のベンチでコーヒーを喫する。
 
ブルーボトル コーヒー」が進出する予定の清澄白河エリアを、木場公園まで散策。「アライズコーヒー エンタングル」、「サンデーズー」、「マンマカフェ151A」、「オールプレスエスプレッソ 東京ロースタリー&カフェ」、「アライズコーヒー ロースターズ」、「フカダソウカフェ」、「こふく」を横目に見る…どのカフェも営業時間前、それは先刻承知、今は飲む気が無い。
 
 《日本1号店の場所は、銀座でも、青山でも、渋谷でもない…。それはとて
  も感覚的なものです。出店初日から大騒ぎになって、数年後には忘れ去
  られる。そういうブランドにはなってほしくないし、してはいけないという思
  いはありました。だから、東京中を歩き、様々な場所を見ました。最もブ
  ルーボトルらしい空気があったのが清澄白河です。静かで、道が広くて、
  建物が高くなくて、空気がゆったり流れている。ちょっと歩けば、清澄庭
  園や現代美術館があって、門前仲町に囲まれている文化的な場所でも
  ある。もちろん建物そのものにもこだわりました。焙煎工場とカフェを並
  列できる面積を有することも必要です。》
  (石渡康嗣:談/「話題沸騰の『ブルーボトルコーヒー』 日本進出の地に
  なぜ“清澄白河”を選んだのか?」 Webサイト『しらべぇ』 2014年7月
  19日)
 JCS漫歩記 (3) JCS漫歩記 (4) JCS漫歩記 (5)
 《ところでなぜブルーボトルは渋谷でも新宿でもなく、清澄白河を選んだの
  でしょうか。正直センスあると思います。元々、昔、清澄白河は特になん
  てことない下町でした。が、突然『現代美術館』が出来て、アートフォロ
  ワー達により、どんどんアートな街になっていきました。 下町×アートの
  なんともいえない雰囲気に対しては賛否両論あったのですが、だんだん
  とアートを中心に街が栄えていきました。オシャレなお店と昔ながらの商
  店街 そんな清澄白河、実はおいしいコーヒースタンド・カフェが増えて
  きています。》
  (「ブルーボトルだけじゃない!コーヒーの街と化す清澄白河」 Webサ
  イト『the coffee brothers』 2014年7月17日)
 
違うね。清澄白河エリアが《コーヒーの街と化す》(?)理由は、《感覚的なもの》でもなければ、《センスある》わけでも無い。かつての第二次世界大戦前までは‘深川’の中心域だったが、戦後に深川区が(江東区新設時に城東区と合併して)消滅した後は、賑わいを失った清澄白河エリア。他の都心域ほどには大規模な再開発も進まず、相対的に地価が低く安定しているので、参入しやすいのである。「粗大ゴミ」(磯崎新:評)である東京都現代美術館、「かかしコンクール」しかウリがない深川資料館通り商店街…取り残された市街地を《空気がゆったり流れている》とか《文化的な場所》とか、軽々しくも寝惚けた喧伝をするな! 阿呆なメディアに踊らされて、《アートな街》や《コーヒーの街》などと呼ぶべきではない。‘日本のサードウェイブコーヒーの『聖地』’として改めて扱われるであろう2ヵ月後(ブルーボトル開店時)のバカ騒ぎを、清澄白河の地元住民はどう感じるのだろうか? その2年後、20年後の街には、どれだけのカフェが残っているのだろうか?…そう想いながら漫ろ歩く。
 
「café Bach」(カフェ・バッハ)
 JCS漫歩記 (6)
注文「ドイツ風リンゴのタルト、コーヒーはまかせる」…ん? エチオピア・シダモWで来たか! で、結局、私みたいなものは、‘朝のおめざ’(?)のタルトもコーヒーも美味しければ、ゴキゲンだ。もっとも、バッハでは常にそうだ。荷を預け、トレセンへ寄って少談…傍若無人か?
 
「Tram」(トラム)
 JCS漫歩記 (7)
注文「ブレンドをデミで」…半年振りの再訪。「燻った焦げ味は減った、やや渋みがある」と評して、古屋達也氏とコーヒー談議。苦味と酸味と甘みの関係とか、新旧の手廻し釜の素材による違いとか、話題は尽きない。古屋さんの追究、大坊勝次氏の焙煎を追ったり、大坊さんから離れたり、今はまだまだあれこれやってみてイイと思う、と放言…傲岸不遜か?
 
「Gentle Belief」(ジェントル・ビリーフ)
 JCS漫歩記 (8) JCS漫歩記 (9)
注文「腹減った、何か食わせて!」…店自体は初訪(浅野嘉之氏とは半年振りの再会)である。バジルのクリームパスタを食す、旨い。食後はスマトラ・タイガー…ん? 抽出が帰山人仕様だ、絶妙に美味い。浅野さんは、焙煎も抽出も飲み手に合わせる勘どころが傑出している、コレは天稟。わかっちゃいるが、実際に食らうと改めて感嘆。高橋徹・由紀夫妻も加わって談議を延延。ブルーインパルスが出され、マンデリン飲み比べ…得手勝手か?
 
「café Bach」(カフェ・バッハ)
注文「荷物取りにきただけ…やっぱ飲む、エチオピア以外でまかせる」…先刻に浅野さんから「どうしてバッハでそこまで傍若無人に振る舞える?」と窘められたにも拘わらず(笑)。ドミニカを飲む。ママ(田口文子氏)が出てきて少談。え、シュトレンは別送…放辟邪侈か?
 
「カフェ・バッハ」隣の定宿「ほていや」にチェックインして、外出。九州料理居酒屋「神屋流 博多道場 上野御徒町店」にて妹夫婦と晩餐。近況を伝え愚痴を零し…で、結局、私みたいなものは、酒に酔って憂さを晴らせば、ゴキゲンだ。そもそも、私の人生が漫ろ歩きだ!
 
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常軌を逸する

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2014 [2014年12月01日 01時00分]
やれやれ、同病相憐れむというべきか、或いは同属嫌悪というべきか…いや、ちょっと違う。中根光敏氏が著した『珈琲飲み 「コーヒー文化」私論』(洛北出版:刊)…常軌を逸している。
 常軌を逸する (1)
 
 「美味しさを探し求め」 評者 雑賀恵子=評論家
 《社会学者が珈琲の豆のことや飲み方、珈琲や喫茶店の文化や歴史につ
  いてなど、あれこれ四百ページもの本を書くのだから、よほど珈琲が好き
  なのだろう。と思ったら、珈琲好きとは公言しないそうだ。珈琲を勧められ
  たり貰ったりしてもほとんどの豆は腐っているので捨てざるを得ないから
  だという。微生物による腐敗ではなく酸化している豆を「腐る」というのは
  あんまりな気もするが、それほど市販の豆はダメらしいのに驚いた。ネッ
  ト販売の廉価豆をコーヒーメーカーで大量に作りおきし、一日に十杯近く
  飲む評者のようなバカ舌にはわからない。  だが、趣味が昂じて本を書
  いたのかというほど、通の蘊蓄を傾けて近寄りがたいものではない。むし
  ろ、珈琲というものを追いかけて古今の資料を蒐集、各地の名店を行脚
  し、居着いて修業し、はては海外の産地まで巡る姿に、ここまでするかと
  求道的なものさえ感じる。「嗜好品とは生存に不可欠ではないが、ないと
  淋しいもの」という定義があるが、そもそも著者は珈琲がない世界には生
  きていたくない、それほどまでのものが嗜好品だと考えているのだ。追い
  求めるほどに、至高の美味しさとはなにかという疑念が湧き、思索の森
  に迷い込む。  ページの余白に時折ちょろりと顔を出すジャコウネコの
  イラストの謎も読めばわかる、遊び心溢れる造りの本である。》
  (2014年10月19日 『中日新聞』 書評)
 
いやいや、『珈琲飲み』は、(雑賀恵子氏には済まないけれども)《評者のようなバカ舌にはわからない》のであろうが、《通の蘊蓄を傾けて近寄りがたい》臭いがかなりするコーヒー本。コーヒーの愛好家、研究者、そしてコーヒーで儲けている商売人にとって、(皆おもて向きや口先では何と言おうと)ある種の‘空恐ろしさ’が感じられるであろう。それは、《古今の資料を蒐集》している量以上に、その読み込んだ様(さま)が凄まじいから…《ここまでするか》という程、資料とされた本の著者や発言者ら自身ですら思ってもいないところを引きずり出し、徹底して論ずる中根氏の姿勢には‘嫌味’すら感じる。もっとも、『珈琲飲み』の文面自体は、社会学者らしい態(てい)を保っているので、鳥目散帰山人のような俗っぽい嗜虐丸出しの‘嫌味’を一読では感得できない。この点が、《バカ舌にはわからない》‘空恐ろしさ’なのだ。《常軌を逸するのはここからである》(『珈琲飲み』p.14)、《本書は、たまたま珈琲に魅了されたことによって、決して尋常とは思われないような羽目に陥った、極私的経験をもとに書かれた》(同p.15)と著者自身が言っている…だから、‘嫌味’も常軌を逸しているのである。
 常軌を逸する (2)
 
 《…いつも問題になることであるが、そばには「そば」「ソバ」「蕎麦」という三
  種類の表記法がある。本書では、植物としてのそばを「ソバ」とし、製麺段
  階での生地や麺となったそばを「そば」と表記し、引用などの特別な場合
  以外は「蕎麦」という漢字は充てていない。》
  (石川文康 『そば打ちの哲学』 ちくま新書 p.10/筑摩書房:刊/1996年)
 
 《まず、本文中で多用されている「珈琲」と「コーヒー」という語句の使い分け
  についてであるが、「カップに注がれた飲料としての珈琲」と「農作物とし
  てのコーヒー」とをイメージして使い分けている。》
  (中根光敏 『珈琲飲み 「コーヒー文化」私論』 p.26)
 
店をめぐり歩き、やがて職人が作り出す工程に手を出して、修練しつつ思いつめ、さらには原料生産にまで遡って追究する。それを、哲学者の石川文康氏は蕎麦でやり、社会学者の中根光敏氏は珈琲でやる…よく似ている、と私には思える。いちいち語用にまで‘ことわり’を入れてからでないと、論を披歴しないところもソックリ。コレが、学究肌の‘通’なのか? ‘通’とか‘マニア’とか‘オタク’とか‘狂’とか自らも好事家を気取る輩は、他にも掃いて捨てるほどいるが、自己顕示に強くて自家撞着に甘いという特徴は、『珈琲飲み』も逃れられない。
 常軌を逸する (3)
 
 《けれども、あるテレビ番組で、「コーヒーを飲むと肝斑(シミ)が消える」とい
  う類いの話を、日本のコーヒー業界を代表する某氏が、シミだらけの顔で
  力説している姿を見て、やっぱり見苦しいからやめようと思った。》
  (『珈琲飲み』p.17)
 《自家焙煎珈琲店巡りを始めて、先のラーメン屋と似たような事情で、珈琲
  の味が落ちている場面を何度も目の当たりにした。典型的な事例を一つ
  紹介しよう。(略)深煎りの焙煎で、湯を注ぐ際、ネルを上下しながら回転
  させるという抽出法だった。》 (同p.301)
 
中根光敏氏が著した『珈琲飲み』は、ここでは常軌を逸していない。批難の先を匿名にして逃げているところが、‘通’の珈琲飲みとしては半端であって、《やっぱり見苦しい》のである。「常軌を逸する」ということは、「常道を外れる」ということであり、つまり「外道」を覚悟するということなのである。中根光敏氏には「外道」を認める覚悟があるのか? つまらない半端だ。まぁ、それでも尚、稀有な切り口のコーヒー本としては、常軌を逸した存在か? ちょっと違う。
 
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夢幻のスペシャルティ3 セルフサービス篇

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2014 [2014年11月15日 01時00分]
某年某月某日、「スペシャルティコーヒーだけの店」と謳っている某コーヒー店を訪ねてみた。どうせ、《スペシャルティコーヒーのもつ本来の旨みや香りは、プレス式で味わえ》とかいう店だろうと、高をくくって暖簾をくぐってみると…そこには予想を超えた「スペシャルティ」が…
 
いや、予想を超えていたのは、暖簾をくぐる前からだった。業界誌にもガイド本にもWebにすら実在する形跡が無い。その筋(どの筋だ?)から聞き込んだ僅かな情報に従い、山道を1時間も進んだろうか。もう行き止まりそうだと思った途端に視界が開けて、山間の棚田の真ん中に巨大な看板が見えた。店名ではなくて、真っ赤な字で『セルフ』と書かれていた。
 
廃屋同然の一軒家の引き戸をガラガッガッガッと開けて、店内へ入る。煤けた壁に、「スペシャルティコーヒーだけの店」と「小350円」と 「大450円 」と「釜(予約)8000円」という貼り紙だけ。他には、何の案内も無い。カウンターに向かって並んでいる5人ほどの列につく。野良着の中年女性が「ディピルトの大ね」、作業着の初老男性が「グラナディラとガケンケ、どっちも小で」…割烹着姿の店のおばちゃんがカウンターの奥から差し出しているカップは、プリンの空き容器!…それにしても出てくるのが早い!…ん?あ!容器の中は、焙煎された豆だ!…「グァテマラ、ありますか?」に、「あるよ。サンセバスティアン。水洗のブルボンと乾式のパカマラ。どっち? 小? 大?」。「…じゃ、両方とも小で」、「ハイ、700万円ね~」。
 
カウンターの端に事務用の机が並んでいる。その机の上に、手前からミル(グラインダー)が機種違いで5台、山と積まれたネル布のドリッパー、コンロ上で沸き立つ大きなやかん、様々なドリップポット、ビーカーやサーバー、大・中・小のコーヒーカップ、その他にも温度計やら布巾やら…なるほど、客が自分で挽いて自分で淹れる『セルフ』の店か。作業着の男性客が声をかけてくる、「ココは初めてかい? ネルでいけるか? あのおばちゃんに言えば、ペーパードリップでもプレスでもサイフォンでも出してくれるぞ。エスプレッソマシンなら店の奥に3台あるし…」。と、カウンターの奥から店のおばちゃんが、「あ~、4台よ! ウチの人、先週また1台買っちゃったのよ、マッタク…あ、初めてのお客さん、砂糖はテーブルの上ね。ミルクは冷蔵庫の中のを使って。5分位歩くと牧場があるから、自分で搾りに行くお客さんもいるけど。シロップやお酒を入れたければ自分で持ってきて。お菓子や食べ物も持ち込み自由よ、但しお皿なんかも持ってきてね~」。…な、何じゃそりゃあ! 「あのぉ~、予約の釜っていうのは?」、「あれは持ち帰り用の豆売り。生豆1キロ単位で焼いた豆を予約販売しているの。ものによっては、8千円より高くなる豆もあるけれど、フフフ」…何じゃそりゃあ! つまり、ココはコーヒーの焙煎所に併設された『セルフ』の店飲み場だ。小が20グラム、大が30グラム、焙煎豆を先払いで買って、後は全て客まかせの『セルフ』ということらしいナ。2種類のグァテマラをネルドリップの一刀淹て。空いているテーブル席を探し、飲み始める。コレはウマい! 店の焙煎も相当に巧いし、自分で好きに淹れたので尚のこと美味い。向かいの席でディピルトを飲んでいる野良着の女性客から、農作業の合い間に焼いたというドゥミ・セックをいただいて、コーヒーの友。こんなにワクワクする「スペシャルティ」は、珍しいナ。
 
ウム、このコーヒー店、かなりイケるなぁ。「スペシャルティコーヒー」の高尚なあり方を観た。
 
     ダメスペ
 (※残念ながら、本記事の某店は私の脳内でしか営業していない夢幻の悪戯である)
 
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銀ブラと壁ドン

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2014 [2014年11月08日 05時00分]
「銀ブラ」とは何か?…日本のコーヒー界における‘不都合な真実’である「銀ブラ」語源問題に、また一石が投じられたか?…大きな声では言えないが、小さな脳で考えてみる。
 
 《…明治生まれのお袋は、いつもの入り口に近い席に座り、いつも決まって(最
  近では死語の)「銀ブラ」を話題にした。大正時代、流行の先端の「モボ・モガ」
  (モダンボーイ、モダンガール)は用事もないのに、銀座をブラブラ歩いた。
  「銀ブラ」である。でも、お袋の説は違う。銀座の「カフェーパウリスタ」で、ドー
  ナツ付きの1杯5銭のブラジルコーヒーを注文するのが「銀ブラ」だという。実
  家の料亭「柳橋・深川亭」のお座敷で、ごひいきの作家センセイから聞いた話
  らしい。1911(明治44)年にオープンしたこの店は、ブラジル政府からコー
  ヒーの宣伝販売権をもらって「鬼の如(ごと)く黒く、恋の如く甘く、地獄の如く
  熱き」のキャッチが話題に。菊池寛、芥川龍之介、久保田万太郎ら著名文化
  人が集まっていた。(作家・小島政二郎の「甘肌」に、この「銀ブラ=銀座でブ
  ラジルコーヒー」説は詳しい。この店は、現在も東京都中央区銀座8丁目で
  営業中) お袋は「でも……5銭は私たちにはちょっぴり高根の花だったから
  ね」。お袋が亡くなって17年。今や、コンビニで100円のコーヒーが飲める。
  (略)》 (牧太郎「高根の花のコーヒー」/コラム「牧太郎の大きな声では言え
  ないが…」/毎日新聞 夕刊 2014年9月29日)
 
このコラムで、《作家・小島政二郎の「甘肌」に、この「銀ブラ=銀座でブラジルコーヒー」説は詳しい》という牧太郎氏の言説が、(掲載直後に飯間浩明氏がWeb上で正している通りに)誤認であることは紛れもない。だが、私は別の点に注目したい。牧太郎氏の母(牧ふみ:1907年生まれ)が、《実家の料亭「柳橋・深川亭」のお座敷で、ごひいきの作家センセイから聞いた話らしい》という、「銀ブラ=銀座でブラジルコーヒー」説の登場する時期と出処である。《お袋が亡くなって17年》というから、牧太郎氏が《お袋の説》を聞いたのは、1997年よりも以前ということになる。これは、『「銀ブラ」の語源を正す カフエーパウリスタと「銀ブラ」』(いなほ書房:刊/2014年)において、星田宏司氏が《珍説の出典となった本》(p.26)とする『日本で最初の喫茶店 「ブラジル移民の父」がはじめた カフエーパウリスタ物語』(長谷川泰三:著/文園社:刊)が発売された2008年11月や、岡本秀徳氏が阿部真士氏によるWebページ「かめかめ日記」を引いて、《既に同社では「銀座でブラジル珈琲説」を唱えていたことがこれで判明》(p.137)とする2003年12月よりも古く遡った1997年以前に、「銀ブラ=銀座でブラジルコーヒー」説が伝聞されたことを示す。その説の出処は、牧太郎氏、牧ふみ氏、そして深川亭を《ごひいきの作家センセイ》までしか遡れないが、‘カフエーパウリスタ’を営業する日東珈琲の元社長である長谷川泰三氏が発信源であると断定できない証言として、興味深い。ここに注目したい。
 
 銀ブラと壁ドン (1)
「銀ブラ」とは何か?…その語源が、銀座通りをぶらぶら散歩することなのか、銀座の無頼漢(ブライカン)なのか、未だハッキリとしていない。銀座でブラジルコーヒーを飲むことである可能性は無に等しいが、この説の根本は戯れや冗談としての‘洒落’(しゃれ)であろう、と私は憶測する。‘洒落’は‘洒落’として笑って聞き流すのか? ‘洒落’にならない、‘洒落’では済まされないとして誹謗するのか?…もし仮に、日東珈琲の宣伝文句とそれに踊らされた連中を‘洒落’では済まされないとして糾弾するのであれば、私は提案したい。星田宏司氏や岡本秀徳氏が属する「日本コーヒー文化学会」は、「日本スペシャルティコーヒー協会」に対して、現会長である長谷川勝彦氏(日東珈琲の現社長)と直前会長である田口護氏(カフェ・バッハの代表)の解任と除籍を求めるべきである。笑いを忘れて怒りを増長させて社会的責任を問いただすということは、そういうことなのである。私は、提案を‘洒落’として笑い続ける、銀座を散策してブラジルコーヒーを飲みながら…
 
 銀ブラと壁ドン (2)
「銀ブラ」とは何か?…「壁ドン」みたいなものだろう。集合住宅などで隣人が騒がしい時に壁を強く叩く「壁ドン」、男性が女性を壁際に追い詰めて手を壁に突く「壁ドン」、どちらが日本語として‘本来’であるのか、伝統性や広範性に照らしてハッキリさせるべきものだろうか? いずれの「壁ドン」も、根本は戯れや冗談としての‘洒落’であろう、と私は憶測する。それは、「銀ブラ」でも同じであろう。日本のコーヒー界は、「銀ブラ」語源問題に騒がしい。日本のコーヒー界は、「銀ブラ」語源問題が気になって仕方がない。「銀ブラ」に「壁ドン」したくなるのは、私だけであろうか? どちらの「壁ドン」か…巷間に一任したい。
 
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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