コーヒーで描く画

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2011 [2011年12月15日 05時00分]
コーヒーに関する世界記録は、スピード部門だけではなかったようだ。先頃に、また
新たなコーヒー世界記録がギネス認定されたと報じられた…今度の記録は「絵画」。
 
  コーヒー絵空事  コーヒー絵空事 (1)
  「コーヒー豆だけで制作、最大のモザイク画としてギネス認定」
   アルバニアの芸術家サイミール・ストラティさんがコーヒー豆だけで作ったモザ
   イク画が12日、世界最大のコーヒー豆モザイク画としてギネス世界記録に
   認定された。…ギネスの認定員によると、ストラティさんには、公の場で制作
   すること、コーヒー豆だけで作ること、そして大きさを25平方メートル以上に
   することの3つの条件が提示されたという。 (2011年12月13日:ロイター)
 
Saimir Strati(サイミール・ストラティ)氏はこれまでにも、釘の最大モザイク画
(2006年9月4日にクギ約50万本で8㎡大のレオナルド・ダ・ヴィンチの肖像画を
描出)、楊枝の最大モザイク画(2007年9月4日につまようじ約150万本で8㎡の
アントニオ・ガウディに捧げる馬の画を描出)、コルクの最大モザイク画(2008年
9月4日にコルク約23万個で91㎡の地中海の太陽の下でギターを弾く若者の画
を描出)、絵筆の最大モザイク画(2009年11月13日に絵筆約23万本で26㎡の
歌うマイケル・ジャクソンの画を描出)、螺子の最大モザイク画(2010年11月18日
にネジ約23万5千本で11㎡の詩人ホメロス肖像のある紙幣の画を描出)によって
世界記録のギネス認定を受けた(但し、楊枝のモザイク画は2008年10月5日に
愛知県新城市の私立黄柳野高校生徒の学園祭催事によって記録を更新された)。
今回のストラティ氏は、コーヒー豆約100万個140㎏で、ブラジルのダンサー、日本
の太鼓奏者、アメリカのギター奏者、ヨーロッパのアコーディオン奏者、アフリカの
ドラム奏者の5人の画を描き、“One World, One Family, One Coffee”と題した。
 
  コーヒー絵空事 (2) コーヒー絵空事 (3) コーヒー絵空事 (4) コーヒー絵空事 (5)
今般のコーヒーモザイク画の世界記録はコーヒー豆によるものであるが、他にも
2009年7月22日にオーストラリアのシドニー‘The Rocks Aroma Festival’で
樹立された「3604杯のコーヒーカップで描かれた24㎡の『モナ・リザ』モザイク画」
がギネス認定の世界最大記録とされている。こうした液体のコーヒー(とミルク)で
描かれるモザイク画は世界各地で度々作られていて、例えば2010年3月19日に
アース・デイの前催事としてスターバックス社がニューヨークのフラットアイアンビル
前に約2万杯で巨大な木を、また2011年7月18日にネルソン・マンデラ93歳の
誕生日を祝って南アフリカのネルソン・マンデラ・スクエアに約2700杯でマディバの
顔を、いずれも紙コップのコーヒーで描出したようだ。こうした液体による一過性の
コーヒーモザイク画と異なり、ストラティ氏が素材にコーヒー「豆」を使用して作品を
描いたことは、モチーフも相まってメッセージ性の強い斬新な挑戦であるといえよう。
 
  コーヒー絵空事 (6)
さらに、珍奇なコーヒー画として、‘Kraft Foods Europe Coffee Category’が
ステークホルダー向けに配布した「インスタントコーヒーの粉をかけると絵が浮かび
上がる白い隠し画『カレンダー』(2011年版)」などがあげられようか、当に面白い。
 
また、当然にコーヒー液を「絵の具」として使用する画家は世界中で多数にのぼり、
観るに耐えうるところではKaren Eland(カレン・エランド)氏、Sunshine Plata
(サンシャイン・プラタ)氏ら、日本では真壁孝雄氏や渡辺哲也氏などが、いずれも
インスタントコーヒーやエスプレッソの液を使用して細緻なコーヒー画を描いている。
 
このように、画題としてコーヒー「を」描くコーヒー画(例えば珈琲版画で著名な奥山
儀八郎・奥山義人の親子両氏など)以外にも、画材としてコーヒー「で」描くコーヒー
画も多様性に満ちていて、まだまだ新たな素材や技法が見出されそうで興味深い。
 
「ほにゃららキャンペーン」やら「なんとかチャンピオンシップ」などという凝り固まり
飽きを感じざるを得ない日本コーヒー界の企画や催事ばかりであると嘆く昨今に、
コーヒー「で」描いたコーヒー画を一同に集めて「コーヒー画の展覧会」を開催する
気の利いた起案など湧いてきても良さそうなものであるが、私の耳には届かない。
 
  コーヒー絵空事 (7)
もしも仮に、コーヒー「を」描いたコーヒー画も加える展覧会を企画するのであれば、
(私自身は好みの画風では全く無いが)藤田嗣治の大壁画「大地」を主に据えたい。
1933(昭和8)年12月に竣工した教文館・聖書館ビルの1階に「ブラジルコーヒー
宣伝室」が置かれた際に、その壁を1934年10月頃から飾ったのが藤田嗣治の
「大地」である。この壁画は「ブラジルコーヒー宣伝室」の責任者A・A・Asumpcao
(アッスムソン)によって後にブラジルに持ち帰られてその部分を欠失しているが、
現在は再び日本国内に戻り所蔵されている。日本のコーヒー史において「コーヒー
がある時代」を形成した真中に、製作背景と変転を物語る壁画「大地」が存在する。 
 
「大地」の物語を紐解きながら、そこにストラティ氏らのコーヒー「で」描いた多様な
コーヒー画を並べて展観する「コーヒー展覧会」、さらに会期中に‘Japan Coffee
Aroma Festival’でも開いて、そこに新たなコーヒーモザイク画を描出させたならば、
面白味に欠けた既存のコーヒー催事を超えて、スペシャルティイベントになろうか?
絵画の風趣を解すに薄い私ではあるが、コーヒーで絵空事を描いてみたくもある。
 
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JCS風発記(3)

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2011 [2011年12月07日 05時00分]
惣流・アスカ・ラングレーが、みやむー(宮村優子)に遅れること29年で設定パラドックスを無視して誕生した2001年12月4日。それから10年後、セカンドチルドレン満10歳の誕生日をヱヴァ缶コーヒーで祝うつもりなど微塵もリリンも無いが、宿の共用洗面所でコーヒーを淹れ、次いでLSDで散走する、2011年12月4日の帰山人「あんたバカぁ?」
  JCS風発
 
【Baraka: JCS年次集会翌日】
 
宿を出て「カフェ・バッハ」でインディアを飲みバタートーストを食べママに見送られ始動。
 
  JCS風発 (1) JCS風発 (2) JCS風発 (3)
王電軌道時代から数えて開業100周年を迎えた都電荒川線に久方ぶりで乗ってみる。三ノ輪橋から全線12.2km、8500形の車窓から沿線風景をのんびり楽しむ1時間弱。
 
  JCS風発 (4) JCS風発 (5)
早稲田へ。予約してある早大通り沿いにある店で、待ち合わせた妹夫婦と会食する。「Ethiopian cafe LUCY」(エチオピアンカフェ ルーシー)で、コーヒーセレモニー付きプランの昼食。兄妹義弟3人で貸し切り状態だ、まずはビールを飲みつつ食事から。次々に運ばれる皿をバンバン平らげる、味付けは辛さをかなり抑えているようだが、アサンブサとドロワットが美味い。デザートを含め量も充分。次はコーヒーセレモニー。
  JCS風発 (6) JCS風発 (7) JCS風発 (8)
店の女性が水洗イルガチェフェを七輪で煎り始める。ハゼ音や煙に感動するべきか、私には焙煎が日常の延長なので(コーヒーセレモニーもこれまで何度か見ているし)興奮は薄いか? 店名は、エチオピアで発見されたヒト祖先(?)アウストラロピテクス・アファレンシスの愛称に由来かと訊けば(その愛称ルーシー自体がビートルズの曲LSD=‘Lucy in the Sky with Diamonds’にちなむ:現地語ではDinkinesh)、店のエチオピア女性当人もLucy/Dinkinesh名だそうで…ルーシーに質問攻め。
  JCS風発 (9) JCS風発 (10)
ルーシーはエチオピア南部地方の出身で、彼女の故郷ではコーヒーと紅茶を混ぜて飲んだり、またコーヒーの葉の飲料もある(庭に植えられたコーヒーノキの葉がやや黄色くなった頃に摘んで煮出し茶にして飲む)そうで、こうした極めて興味深い情報が、煎ったばかりで淹れたエチオピアコーヒーよりも私の気を昂揚させて、至福の談話。
  JCS風発 (11) JCS風発 (12)
 
新宿へ行って妹夫婦と別れた後、東京駅の「ドリップマニア」でブルボン・エリテ(エルサルバドル)を飲んで、のぞみに乗車。駅弁と共に、また旨くて濃い一日を味わった。
  JCS風発 (13) JCS風発 (14) JCS風発 (15)
今般のJCS絡み上京3日間、各日にイエメンとパナマとエチオピアの新たなコーヒーに出合い、話題が尽きないコーヒー人たちと出逢い、濃い目のコーヒー談論風発だ。
 
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JCS風発記(2)

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2011 [2011年12月06日 05時00分]
「来ル12月3日ヲ以テ明治6年1月1日ト被定候事」という明治政府の太政官達により日本が太陽暦の採用を発した明治5(1872)年、樋口奈津はこの年の春に生まれた。麻布風月堂が喫茶室「夏見世」を開設した明治26(1893)年、樋口奈津はいよいよ
貧窮して下谷龍泉寺町の細民街に移り住み、荒物駄菓子店を拙くも営んでいた…
 
【Tona: JCS年次集会当日】
 
  JCS放談 (2) JCS放談 (3)  JCS放談 (4)
宿「ほていや」を出て雨中を散策、今では傾城(けいせい)どころか張見世(はりみせ)も覗けない新吉原跡を抜け、「一葉記念館」へ。開館50周年記念特別展「樋口一葉ゆかりの人々」を貸切状態で観たが、「一葉」を号した樋口奈津のいかにも高慢かつ陰険な性根の印象は変わらなかった。生憎の雨にはやはり生憎の女が似合うのか? 「飛不動」(龍光山三高寺正寶院)に寄って飛行機マニアの義弟と南米旅行を控える妹に土産を買い、いろは会商店街のアーケード下を冷やかし歩き抜けるぶらり散歩。
 
「カフェ・バッハ」で合流予定の山内秀文さんを待つ間、バッハブレンドを飲みながら新聞を読み、ペルーのお供に昔風リンゴのケーキ(コレがメチャクチャ旨い! 珈琲をどうこう言う前にコレだけでも食べに行く価値があるナ)を食べ、ママ(田口文子)との談話を楽しみ…行動拠点にして憩いの場になる私の全く「正しく凡庸なカフェ」である。待ち人来る暫し歓談、パナマ・ドンパチ・ティピカを飲んで山内さんと学士会館へ向う。
 
 
2011年12月3日
「日本コーヒー文化学会(JCS) 第18回年次集会」 講演2題と報告1題と分科会
 
  JCS放談 (5)
◎講演 「戦前日本人移民によるコーヒー栽培 ―ハワイ、ブラジル、台湾を中心に―」
  飯島真里子氏
3所の日本人移民史を掻い摘んだだけ新奇な話は聴けず、講演眼目に掲げていたコーヒー栽培の持つ「帝国性」は掘り下げられず、単に「昔話」に終始して残念である。「移民自身の意識は出稼ぎ?移住?殖民?」、「汎東アジア圏他国のディアスポラと日本人のコーヒー移民との違いは?」の2項挙手質問、回答は得られず残念である。
 
◎報告 「ワールドカップテイスターズチャンピオンシップ2011に参加して」 田原照淳氏
2011年6月22-24日にオランダのマーストリヒトで開催されたWCTCにおいて予選と準決勝を共に1位通過したが4名決勝で3位に終わった田原氏の報告。隣席で山内さんは讃えていたが、「本当はオマエがチャンピオンだと駆け寄られた」とか「チャンピオンにならなくてよかった、とも思う」とかの田原氏の発言を、「自尊と自省、自励と自戒を分けて表現できない日本人がチャンピオンにならなくてよかった」と私は内心思い聴いていた。
 
◎講演 「カフェーパウリスタの意義と広告余聞」 佐々木靖章氏
ブラジルコーヒーの宣伝戦略研究の一環として登壇されたが、学術の著作権ばかり強調されて、佐々木氏独自のカフェーパウリスタの歴史的「意義」は何処へいった?
 
  JCS放談 (6) JCS放談 (7) JCS放談 (8)
◎焙煎・抽出委員会 「パナマコーヒー ―幻のゲイシャ・ナチュラル」
助手を言い付かった私は、山内委員長が解説する間に、バッハ中川さんに用意してもらったコーヒープレスでドンパチ農園の「芸者」2種を抽出する役目。容器を開封して挽き豆の香りが鼻腔に達した瞬間、「水洗芸者」と「天然芸者」とのアロマ差違に驚嘆。手前勝手式プレス抽出したコーヒーを参加者全員で飲み比べた。ゲイシャ種独特の酸味の強さは「水洗」と「天然」でほとんど差はないが、「天然芸者」には柑橘系の鋭い要素にスパイスやシェリーなどの香味がより加わって酸味の複雑さと拡がり様がスゴイ。もっとも「水洗芸者」に関しても、一昨年や昨年のドンパチよりも香味全体が野太い力強さを感じたので、「飲み比べで差を取るならばコレでも良いが、今年のドンパチはもう少し深く焙煎してもオイシイかも」と身勝手な感想を述べた。「ナチュラルは、四半世紀くらい前まで味わえたイエメン・モカのような感じ」とも。分科会参加者の好みは「水洗」「天然」で半半に分かれた。「サイフォンで淹れてみたい」という参加者にアーダコーダと談ずれば、ワールドサイフォニストチャンピオンシップ2011優勝の木次日向子氏であった。ベスト・オブ・パナマ2011ナチュラル部門トップの高額ドンパチ「天然芸者」もWSC2011トップの「サイフォン芸者」に惚れられるとは本望か? 「芸者実で助く」か?
 
 
JCS散会後、山内さんと「バッハ」に戻れば、マスター(田口護氏)と中川さんも加わり座談会。田口さんの芸者評を聴いて山内さんと顔を見合わせ大笑、さっきJCSで私がほとんど同じ評を言ったからネ。4人で歩いて夕食は「扇や」、ビールにカツ丼(煮カツと飯とキャベツが別盛り)他、たらふく食べつつ喋りっぱなし。日帰りの山内さんと別れ、「バッハ」でハワイ・コナ喫しつつ田口さん中川さんとコーヒーを超え時空を超えて鼎談。
 
宿に戻り、再び旨くて濃い一日、ベスト・オブ・パナマより貴重な談論風発を味わった。
 
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JCS風発記(1)

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2011 [2011年12月05日 05時00分]
キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観」が世界遺産(World Heritage)に登録された約1年前の1999年12月2日、同じキューバ共和国における世界遺産として「グランマ号上陸記念国立公園」(Desembarco del Granma National Park)が登録された。その43年前の1956年12月2日、通称チェ・ゲバラ(Ernesto Rafael Guevara de la Serna)は、フィデル・カストロらと共にグランマ号でキューバに上陸。それから55年後の2011年12月2日早朝、鳥目散帰山人はキラキラ号(バス)で上京。チェ・ゲバラは後年、「僕を待たないで欲しい。コーヒーカップはそのまま使って、僕の代わりに別の人にコーヒーを淹れてくれ」、と妻アレイダへの手紙で記し遺した。帰山人は、「雨よ邪魔しないで欲しい。私の代わりに別の人が淹れたコーヒーは飲めない」、と新宿の柏木公園で独り雨に濡れながら湯を沸かし豆を挽きネルでコーヒーを淹れていた…
  JCS放談
 
【Abol: JCS年次集会前日】
 
中野へ。前回上京時と同様に、駅ガード下で「Chapeau de paille」(シャポードパイユ:むぎわらぼうし)のバゲットサンドイッチを購入すれば、偶然にも出勤途中の義弟に遭遇。
 
表参道へ。「大坊珈琲店」へ開店と同時に入り、ブレンド1を喫し、持参のコーヒーも試飲。焙煎中の大坊さんと差し向かいで毎度のコーヒー談議。「見た目はオーバーロースト、飲むと『ニガマ』(苦甘)ポイントで味がしっかりある、そして喉越しはス~ッと消えていく」、(ここ最近贈った)私の焙煎したコーヒーへの大坊さん評。昨年前半位まではお互いに「サナマ」(酸甘)に挑んでいたが、その後は再び深煎り勝負、この評ならばシメシメか? 今般の大坊珈琲店内の壁は、没後20年を迎える画家を偲んで追悼個展状態であった。「展覧会で作品を目の前にすると、見えてなかったものがきちんと見えてくる」(平野遼)。「大坊珈琲店で焙煎を目の前にすると、見えていたものが煙で見えなくなる」(帰山人)。
 
  JCS放談 (1)
代官山へ。「Coffee House Mocha Coffee」(コーヒーハウス モカコーヒー)を訪ねる。店主の帰国を待たずして先に豆だけ来日した(?)ニュークロップのイッビを喫すれば、やはり酸味は広がりある特徴的な強い味わいだが、やや角が取れた円い口当たり好し。夫人と談議、生豆入手を断念せざるを得ない少量ハンティングの由、店飲みでガマンだ。今のところ、委託焙煎でも足を運んで味わう価値のある(日本の)珈琲店はココだけか? そして今般はギシル(qishr:al-qahwa al-qishriya)もあったので無論当然に喫する。《美味しいコーヒーを見極めるには、コーヒーチェリーの外皮であるギシルの味と香りで分かります》(Mocha Coffee Webページ)という謳いも肯んじざるを得ない、煮出した液体の濁った見た目に反して(?)香味はクリアで柔らかい甘酸っぱさ、このギシル好い。
 
山谷へ。「バッハ」のトレセンで待ち合わせた嶋中労さんと(既に電子交流?はあったが、膝を交えるべく私が望んで)初顔合わせ、バッハ中川さんも交えて鼎談。土産も交換して、「丸千葉」さらに「大林」と山谷の誇るべき居酒屋巡り、忘憂のモノを酌み交わすハズが(嶋中さんは呑んでいたが、中川さんと私はチビチビで)これじゃあ「話は憂いの玉箒」? 昼間から珈琲と酒と肴に話題の肴も事欠かず延々と毒にも薬にもなる6時間耐久鼎談。
 
宿に入り、齧りついたバゲットサンドと同様、旨くて濃い目の一日、談論風発を味わった。
 
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コーヒーを隆とせよ

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2011 [2011年11月26日 05時30分]
西洋の社会を語るにも拘らずバタ臭くは無い、むしろカサカサと乾いていて軽い感じ、「ロブスタの浅煎り」とでも喩えられようか、不思議な後味が残るコーヒー本を読んだ。
  コーヒーと巡遊伶人
 
『珈琲と吟遊詩人 不思議な楽器リュートを奏でる』(木村洋平:著/社会評論社:刊)は、大まかに言えばタイトル通りにコーヒーと吟遊詩人とリュートを並べ語る本である。
 
  コーヒーと巡遊伶人 (1)
「第一話 珈琲とカフェの文化史」において、著者木村洋平氏は、現代の日本における珈琲店を「四つくらいに分けて」その特徴を捉えて、登場人物の発言として評している。
  《一、まず、スペシャルティコーヒーの専門店。
      どれも均一にレベルの高い味がする。
   二、次に、シアトル系を始めとする良質なコーヒーチェーン。
      ここも安定して、わりと美味しい珈琲が手軽に飲める。
   三、自家焙煎の珈琲専門店。
      主人のやり方一つで、味ががらりと変わるので、バラエティーが豊か。
   四、珈琲よりも雰囲気や安さにこだわったカフェ。
      珈琲の味は、似たり寄ったり。》 (p.23)
この評に対して私は全く同意できない。一に関して、スペシャルティコーヒーの専門店であってもレベルの低い味がする店はかなり多い。むしろ、「スペシャルティコーヒーの専門店は、旧来の非スペシャルティコーヒー店よりも相対的にレベルが高いハズ」という予断自体すら誤っている、という実態であろう。二に関しても、シアトル系が良質(?)とする見解は私には度し難く思える。どのチェーンであっても訪店する都度に味は全く安定していないし、そのほとんどが「わりと美味しくない珈琲」を衒って出す店ばかりだ。三と四に関しては、異論はない。だが、この4分類の並べ順がおそらく著者の好みを示しているのであろうという臆断も含めて、著者と私とでは珈琲店を捉える認識自体がまるでズレていることは間違いない。どちらが正しいとか誤りとかいう問題ではないし、巷間では著者の認識の方がイマドキなのだろうが、私は私でハッキリと異を唱えたい。
 
  コーヒーと巡遊伶人 (2)
『珈琲と吟遊詩人』において、第一話とエピローグを除いた残りの章は、コーヒーに軸を置いた話ではないが、それでも興味深くも面白く読みとれる箇所もあり楽しい本だ。
  《…なんらかの訳語として「吟遊詩人」という言葉が発明されたのに、今度は、
   「吟遊詩人」に当たるヨーロッパの言葉を探して、逆に翻訳しようとすると、
   なにも見当たらないのですね…西洋の歴史と、西洋風のファンタジー世界に
   埋没していると思われた「吟遊詩人」が、まさか日本語の独創だったとは!》
   (「第二話 吟遊詩人の歴史」 p.84)
この「吟遊詩人」という言葉を取り巻く状況は、抽出技法や産地ブランドに象徴される日本の「コーヒー」にそっくりである。西洋の歴史と、西洋風のファンタジー世界に埋没していると思われた「ネルドリップ」や「ブルーマウンテン」は、まさに日本の独創だったのである。日本における「吟遊詩人」も「コーヒー」も、明治・大正期に概念を輸入し始めて、昭和初期に変転しつつ確立へ向いて、1960年代以降に一度は完全に固着し、1980年代以降にその固定概念が打ち破られる時期を迎えている相似、実に面白い。エピローグにおいて、《珈琲こそは、世界中を遍歴する異邦人ではないか》(p.235)と著者は語っているが、異邦を独創で解する日本の癖はコーヒーにも見出されるのだ。
 
  コーヒーと巡遊伶人 (3)
『珈琲と吟遊詩人』を著者は、《…ごくふつうのエッセイとも、教養書とも、物語ともつかない、少し風変わりな本になった》(「プレリュード」 p.2)と自評し《…本書の文章(会話)がリズミカルに、明快に読んでもらえたら、とてもうれしい》(「あとがき」 p.250)と望む。しかし、「吟遊詩人」「僕」「祖父」「小学校の先生」の4人を登場人物として対話形式で内容が展開されている本書は、著者の語りたい蘊蓄を「僕」だけでなく他の登場人物にも散らして喋らせているため、その蘊蓄を並べた話題のわざとらしさが交互に表れ、それが気に障って文章のリズム感が相殺されている。《…扱った話題の「珈琲豆」を充分な仕方で抽出できずに、どこか説明が浅煎りに過ぎたり、逆に、思想が深煎りで苦すぎたりしたかもしれない》(「あとがき」 p.251)とも著者は釈明しているが、私には説明も思想もどちらも浅煎りに過ぎて、違和感が後残る「ロブスタの浅煎り」に感じた。
 
  コーヒーと巡遊伶人 (4) コーヒーと巡遊伶人 (5)
「不思議な楽器リュート」に関しても、有棹弦鳴楽器であるリュート属の紹介をBarbat(バルバット)やKora(コラ)あるいは琵琶にまで言及すれば、「吟遊詩人」の絡みでもSogd(ソグド/粟特)人やGriot(グリオ)あるいは巡遊伶人や琵琶法師へ至当に触れることになったのであろうが、本書では紙面の都合か? 話題が拡がらず残念である。だが仮に本書の続編を期待するのであれば、まず珈琲狂としては、リュートはともあれコーヒー本としても隆(りゅう)とした内容を奏でてほしい、『珈琲と吟遊詩人』を超えて。
 
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波乗りのコーヒー

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2011 [2011年11月20日 06時00分]
『野性時代』創刊号(1974年)に掲載された短編で小説家デビューした片岡義男は、
その作品でハワイのオアフ島北海岸においてサーフィンを映画フィルムに収めようと
大波を待つサーファーたちを描いている。そして大波と同時にコーヒーも表している。
  《ボードに腹ばいとなり、一定の位置を保つように波と戦いながら、僕たちは波を
   待った。二度、僕たちは海岸に戻った。ジェニファーが持って来てくれている、
   マーマレード入りの熱いコーヒーをすすり、砂浜を飛び跳ねるように走っては、
   冷えた全身に体温をとり戻した。三度目に沖へ出たとき、その大きな波が来た》
   (片岡義男『白い波の荒野へ』 後に『波乗りの島』に収載、双葉文庫で改訂版)
そこでは、視覚や触覚に並んで聴覚でもサーファーがビッグウェイブを体感している。
  《飛沫のひとつひとつにさえエネルギーのありったけをつめこんで、海面から五十
   フィートの高さの空中にのしあがったその大波は、カワイロア海岸にエネルギー
   をぶちまけて解消すべく、持っている力のすべてを出しきって、いっせいに崩れ
   かかった。…そのときの音が、僕の耳の内部に聞こえて来た。砕け落ちる大波
   の内側に閉じこめられているのだから、音があらゆる方向から僕をめがけて
   おそいかかって来る》 (前掲書)
ならば音の無い世界にいるサーファーは、コーヒーや波をどう感じているのであろう…
  コーヒーと鉛筆  コーヒーと鉛筆 (1)
 
珈琲とエンピツ』は今村彩子氏が太田辰郎氏を対象に撮ったドキュメンタリー映画、
撮った今村監督は聾(ろう)者であり、撮られた太田氏も聾(ろう)者である。太田氏は
静岡県湖西市でサーフショップ&ハワイアン雑貨店を営んでいる。来店者にまずは
珈琲(店で販売しているLionやRoyal Konaであろうか?)をすすめ、次に紙とエンピツ
で筆談を始める、そのコミュニケーションツールが映画題名『珈琲とエンピツ』となる。
  コーヒーと鉛筆 (2)  コーヒーと鉛筆 (3)
 
2011年11月19日、愛知教育大学にて教育臨床総合センター講演会に参加した。
  テーマ「ろう者と聴者のこころのかけはし」
   第1部:映画上映と監督の小講演『珈琲とエンピツ』(監督:今村彩子)
   第2部:基調講演「きこえない人々の心に触れて」(神戸大学教授:河崎佳子)
   第3部:対談「こころのふれあい」(今村彩子氏と河崎佳子氏)
聴講参加した私の動機は「コーヒー映画として『珈琲とエンピツ』を無料で観賞する」
という不純なものだったが、この安直な観賞が大当たり、「娯楽映画」として大傑作。
  コーヒーと鉛筆 (4)  コーヒーと鉛筆 (5)
 
『珈琲とエンピツ』は、登場する人物の表情や風景といった「画」もなかなか良いが、
観賞中に私がもっとも魅かれた要素は「音」である。波の音(太田氏はサーファーで
ある)やボードブランクを削る音(太田氏はサーフボード職人である)はもとより、靴底
がキュッと鳴る、手振りにアロハシャツがサッと擦れる、つたない発声で口を開く度に
歯がカチッと舌がチュッという、音の無い世界にいる者が奏でて音の無い世界にいる
者が拾った音の存在感が強く優しい、アイロニカルというよりもユーモラスでさえある。
 
『珈琲とエンピツ』のナレーションは今村監督自身が担当している。第3部の対談中、
今村監督は「どうして(不完全な発音で聞き取り難い)聾(ろう)者の声をつかうのか?
という意見もあるかもしれない」という葛藤を吐露していたが、本作品のナレーション
は今村彩子氏で好かった、と私は思っている。太田氏をはじめ登場人物のやること
なすことがとてつもなく面白く、観ているうちに意識が作品の題材設定を離れていき、
群像コメディの中に没入してしまう。その観客の弾む娯楽意識を、聾(ろう)の世界を
描いた作品として唯一惹き止める成分、それが今村監督のナレーションなのである。
 
『珈琲とエンピツ』に描かれた太田氏を観ると、聾(ろう)者における情動の振れ幅は
聴者(健常者?)よりもはるかに大きいのではないか、と私には感じ取れた。だから、
心理臨床で聾(ろう)者に接している河崎佳子氏の話も興味深くはあったが、河崎氏
の話題や表現に反応する今村彩子氏の情動を忖度している方がもっと面白かった。
もしかして聾(ろう)者がウマイと感じた珈琲は、私がウマイと感じる珈琲の何万倍も
ウマイと感じられているのではないか?トロ厚い波に巻かれてもブイでしかいられぬ
丘サーファーのようだな、身勝手な羨望に捉われながら自分を笑って会場を去った。
  コーヒーと鉛筆 (6)
 
  《…なににしろ存在するものは消えていく。消えていくにあたっては、どこかになん
   らかのかたちで、それは痕跡を残す。たとえば一度だけの大波は、それを撮影
   した映画フィルムのなかに、痕跡として残る。その痕跡を受け渡された次の人
   たちが、痕跡のなかからなんらかのクリエイティヴな力を引き出して、それを
   自分たちのものとしていく…》
   (片岡義男「改訂文庫版のためのあとがき」 『波乗りの島』双葉文庫1998年)
 
スバラシイ珈琲も、喫して消えていくにあたって、どこかになんらかのかたちで痕跡を
残すのであろうか?その痕跡を受け渡されたコーヒー愛好家は、クリエイティブな力を
引き出して、その新たな香味に波乗ることができるのだろうか?そこに音は無くても…
 
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カカオで考えるコーヒー

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2011 [2011年11月17日 06時00分]
コーヒーについて考えるに有益なワイン本が存在するのであれば、コーヒーについて考えるに有益なカカオ/チョコレート本があっても好い…そうも感受できる本を読了。
  カカオロマン
 
『カカオとチョコレートのサイエンス・ロマン 神の食べ物の不思議』
 (佐藤清隆・古谷野哲夫:著/幸書房:刊)
 
 《…チョコレートの味が生まれる仕組みも変わっている。生のカカオ豆が渋
  くて食べられないので、ローストしなければならないのはコーヒーと同じ
  である。しかしコーヒーと違って、カカオ豆だけを取り出してローストして
  も、チョコレートの味は生まれない。では、どのようにしてあの味が生ま
  れるのであろうか?
  …本書では、「神の食べ物」であるカカオがチョコレートになるまでの長
  い歴史を振り返りながら、その中で重要な役割を果してきたさまざまな
  サイエンスに光を当てたい。》 (「はじめに」)
 
本書の好様は、カカオやそれを原料とする飲料(ココアなど)や食品(チョコレート)に関する総体や網羅から、かけ離れたところにある。読みやすい一般書の体裁であるにもかかわらず、「オール・アバウト・カカオ」でも「チョコレート大全」でも「ココア事典」でもない、全体として均衡を欠いた過不足の多いある意味で偏った内容が語られる。だが、「神の食べ物の不思議」を、農学・生物学・物理学・工学といった著者2人の専門或いは近縁分野の「サイエンス」で説こうとする気迫が感じられて、好様である。
 
 《…ここで、「チョコレートの南北問題」について考えたい。カカオ豆の生産
  者は熱帯の人々であり、消費者は温帯に住む人々である。…「チョコレ
  ート」の形でカカオの利用が普及した現在では、生産者と消費者が完
  全に分断されている。その第一の理由は、チョコレートは熱帯では必
  ず融けてしまうので成立しない食品だからである。…チョコレートを固
  めているココアバターはカカオ豆の発芽のエネルギー源であり、ココア
  バターが固まったら、豆は発芽しない。つまり、カカオの生育する環境
  においてココアバターは固まってはならないのである。》 (「第四章 カ
  カオ豆の発酵と乾燥」 p.70)
 
このカカオ豆に含有する脂肪分の融点によって生ずる課題を、「チョコレートの南北問題」と呼んでいることは、私にとって斬新であり興味深い。例えば巷で「コーヒーの南北問題」といえば、フードシステム論やフェアトレード問題でいうところの価格の差、経済格差を指すもの、と捉えられているだろう。しかし、本書が語る「南北問題」は、なるほどカカオ/チョコレート特有の課題であり、それを「南北問題」と表現すべきか否かには異論も出そうであるが、逆に、価格や経済から離れた観点でコーヒー特有の「南北問題」が隠れていないか?という進取の思考を促されて面白い、と私は思う。
 
本書『カカオとチョコレートのサイエンス・ロマン 神の食べ物の不思議』の後段、特に「第七章 ヨーロッパ人がカカオと遭遇」のあたりでは、歴史認識として「サイエンス」というより「ロマン」を煽ることを優先したかのような粗い論考を含み、違和感を覚える。だが、本書全体を通じては、脂肪や油脂を軸に「神の食べ物の不思議」を解き明かそうとする試みが、それ自体が成功していることに加えて、他の嗜好飲食品(コーヒーや茶など)との差異として、カカオ/チョコレートという存在を浮かび上がらせている。
 
私から見て、気迫と挑戦に満ちた本が登場するカカオ/チョコレート界は羨ましい。同時に、本書に相対するコーヒー本一冊すら出せぬ日本のコーヒー業界に対して、「スペシャルティコーヒー特有のチョコレート様の香りが云々」だとか請け売り唱えている無学の輩ばかりが跋扈していること、「バカの飲み物の不思議」と誡告を与える。いずれにしろ『カカオとチョコレートのサイエンス・ロマン 神の食べ物の不思議』は、コーヒーと同時にチョコレートを喫し、ココアやショコラショーも飲みたくなる佳作だ。
 
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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