ノアノア気分

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年01月20日 01時00分]
ゴッホとゴーギャン展」(Van Gogh and Gauguin: Reality and Imagination)を観てから、‘ノアノア’気分が抜けない。私の気分は‘ノアノア’だが、ポール・ゴーギャンやフィンセント・ファン・ゴッホが飲んだコーヒーは、‘ノアノア’(芳香)が匂ったのだろうか? ファン・ゴッホのコーヒーを追ってみよう。
 
 
【ファン・ゴッホ ニューネン時代のコーヒー】
 コーヒーノアノア VG (1) コーヒーノアノア VG (2) コーヒーノアノア VG (3)
オランダのニューネンでファン・ゴッホが描いたコーヒー関連の画には、「コーヒー挽き、パイプ入れと水差しのある静物」(1884)や「銅のコーヒーポットと2つの茶碗のある静物」(1885)がある。前者は恋仲になった隣家の女が服毒自殺を図って破局した直後に描かれ、後者は不仲だった実父が急死した翌月に描かれている。弟テオドルスへの手紙では《打ちのめされた》とか《いつものような仕事はできなかった》などと言っているが、ファン・ゴッホは画を描き続けたし、そしてコーヒーも飲み続けたのだろう。同時期の代表作「ジャガイモを食べる人々」(1885)にもコーヒーが登場している。
 
 《実は、貧しい一家にコーヒーはぜいたく品なので、この人々は実はコーヒー
  ではなく、チコリを飲んでいるのだ、という説があるのです。しかし、と私
  は考えます。そこまで、この一家を貧しさの象徴にするのは、可哀そうで
  はないでしょうか。コーヒーくらい、本物を飲ませてあげてもいいじゃない
  ですか。》 (ゴッホ「じゃがいもを食べる人々」 その②/Webサイト『(株)
  アートコーヒーのブログ』 コーヒーと絵画 2015年12月18日)
 
19世紀後半のオランダの貧農は、ジャガイモと(全量もしくは一部を)チコリで代用したコーヒーを、パンとワインの代わりに摂っていた。この蓋然性は充分に高く、アートコーヒーによる感傷の妄想には付き合えない。ファン・ゴッホが「ジャガイモを食べる人々」を描いた後、画のモデルとなった娘スティーン・デ・フロートの妊娠騒ぎが起きた。この騒動によってファン・ゴッホはニューネンを追われたが、《可哀そう》なのはファン・ゴッホの親族やニューネン村の人たちの方だろう。この時空のコーヒーに、‘ノアノア’はない。
 
 
【ファン・ゴッホ パリ時代のコーヒー】
 コーヒーノアノア VG (4) コーヒーノアノア VG (5) コーヒーノアノア VG (6)
ファン・ゴッホは画家になる以前にも、パリにいたことがある。オペラ座(ガルニエ宮)が完成する頃、1874年11月から1876年3月までの間に2度、美術商のグーピル商会の店員としてパリ本店に配属されていたのである。但し、オペラ座で落成式が催された1875年1月5日の3日前にファン・ゴッホは一度ロンドン店へ異動、同年5月にパリ本店へ戻されて翌年に解雇された。それから約10年後の1886年、画家を自称するファン・ゴッホがパリに現れる。この間に、パリのカフェの賑わいは、オペラ座の隣に「カフェ・ド・ラ・ペ」(1862年開業)が位置するグラン・ブルヴァール周辺からモンマルトルの丘(ビュット)界隈へ移っていた。
 
 《結局、「ラ・ペ」はグラン・ブルヴァールの最後のモニュメンタルなカフェに
  なった。一八七〇年、普仏戦争の敗北によって第三共和政に入ると、
  ブルジョワジーの足はイタリア通りから遠のきがちになり、「カフェ=レ
  ストラン」は徐々に衰退していく。 代わって世紀末からパリのカフェ文
  化の中心になったのは、モンマルトルの丘で、ルノワール、セザンヌ、
  ピカソ、ヴェルレーヌなど周辺に住む画家、文学者がたむろした。「ラ
  パン・アジール」「カフェ・ゲルボア」「ヌーヴェル=アテネ」「シャ・ノワー
  ル」。カフェというより、キャバレだが……。》 (山内秀文 「「カフェ・ド・
  ラ・ペ」から覗いたフランスのカフェ史」/『vesta』 第103号 2016夏
  特集:カフェという別世界 公益財団法人味の素食の文化センター:刊)
 
1888年2月19日にパリを去るまでの約2年間、ファン・ゴッホは主としてモンマルトルの界隈で過ごしていた。芸術家を気取ってモンマルトルに集まったクロシャール(浮浪者)やボヘミアン(放浪者)に類するファン・ゴッホは、「モンマルトルからのパリの眺め」(1886)、「モンマルトルのカフェのテラス(ギャンゲット)」(1886)、「アブサンのある静物」(1887)といった作品を描いている。正に、丘からパリの街を眺め、キャバレやガンゲットに出入りして、アブサンを飲んでいた。この時空のコーヒーにも、‘ノアノア’はない。
 
 
【ファン・ゴッホ アルル時代のコーヒー】
 コーヒーノアノア VG (7) コーヒーノアノア VG (8) コーヒーノアノア VG (9)
ファン・ゴッホは、ドガ、モネ、ルノアール、シスレー、ピサロをグラン・ブルヴァール(大通り)の画家と呼び、ベルナール、アンクタン、ロートレック、コーニング、ギヨマン、スーラ、ゴーギャンたちと自分をプチ・ブルヴァール(裏通り)の画家と称した。そして、両者による協同組合の設立をアルルへ移ってからも夢想した。ファン・ゴッホは、《カフェとは人が身を滅ぼし、狂人になり、罪を犯すような場所だ》などと弟テオドルスへの手紙に書いて、「夜のカフェテラス」(1888)を描いた。この後、自らが身を滅ぼして狂人になり罪を犯すのである。
 
 《手紙をありがとう、でも今度はずいぶんやきもきした、木曜日にすっから
  かんになって月曜までは滅法長かった。 その四日間を大体二十三杯の
  コーヒーとパンでつないだ、その分はこれから払わなければならない。》
  (『ゴッホの手紙』 テオドル宛 第五四六信/硲伊之助:訳 岩波文庫)
 
 《『タマネギの皿のある静物』には実に様々なものが力強いタッチで描かれ
  ています。愛用のパイプ、芽を伸ばす玉葱。火の灯ったろうそく、「健康
  年鑑」と記された自然療法の本、弟への手紙、満たされたコーヒーの
  ポット。オランダ人は、それはそれは1日に多くのコーヒーとタバコを嗜
  むと言われています。ゴッホもゴーギャンも当時は高級品であったはず
  のコーヒーを好み、食べ物がなくてもコーヒーを1日10杯くらい飲んだ、
  などと記録に残っているようです。よっぽど好きだったのでしょう。》
  (Webサイト「Soup Stock Tokyo MUSEUM」 音声ガイド6)
 
ゴーギャンとの共同生活を待ちわびながら描いた「青いエナメルコーヒーポット、陶器、および果物の静物」(1888)、その共同生活が破綻した翌月に描いた「タマネギの皿のある静物」(1889)。「耳切り事件」の前だろうが後だろうが、ファン・ゴッホは窮乏にあえぎ続け、弟に金銭や画材をせびり続け、カフェに金を使い続け、《それはそれは1日に多くのコーヒーとタバコを嗜む》生活を続けた。それらをして、《よっぽど好きだったのでしょう》とするスープストックトーキョーの暴論には付き合えない。この時空のコーヒーにもまた、‘ノアノア’はない。
 
 
 コーヒーノアノア VG (10) コーヒーノアノア VG (11)
ファン・ゴッホが飲んだコーヒーからは、‘ノアノア’が匂ってこない。確かにカフェやコーヒーに関連する作品や著述は多く見られるが、そこに芳香を放つ美味しいコーヒーは看取できない。無理に探せば、「コーヒーを挽く女性」(1881)や「シルクハットをかぶりコーヒーを飲む孤児の男」(1882)には、僅かに芳香が嗅ぎ取れる。しかし、19世紀の終盤を迎えてビスマルク体制下にあったヨーロッパに、‘ノアノア’などなかったのである。さて、コーヒーの‘ノアノア’はどこで漂っていたのだろうか?
 
♪ 月がおちるまで 太陽がのぼるまで ふたりノアノア気分 いつもノアノア気分 のんびり恋をする ♪ (「ノアノア気分」 歌:久我直子 詞:阿久悠 曲:三木たかし 編:萩田光雄 1978年)
 
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VGAG

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2017年01月15日 01時30分]
「我ら何処より来るや 我ら何者なるや 我ら何処へ行くや」(D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?)
問い:どこから来たのか? 答え:東京から巡って来た。
問い:どこへ行くのか? 答え:他に巡る地はない。
問い:何者か? 答え:VGAG。
 VGAG (1) VGAG (2) VGAG (3)
「ゴーギャン展」(2009年 名古屋ボストン美術館)を右手に、「ゴッホ展」(2011年 名古屋市美術館)左手に、ンッと左右を合わせて「ゴッホとゴーギャン展」(Van Gogh and Gauguin: Reality and Imagination/2017年 愛知県美術館)、つまり‘VGAG’。棟方志功は「わだば、バン・ゴッホのようになりたい」と言って墓だけ似せたが、私は気が違うのでファン・ゴッホを好かない。ゴッホより普通にゴーギャンが好き。わだば、VGAGさ観に行ぐ。
 
「ゴッホとゴーギャン展」 (愛知県美術館:愛知芸術文化センター10階)
 
 VGAG (4)
「第1章 近代絵画のパイオニア誕生」で挙げるべきは、「夢を見る子供(習作)」(1881)。ゴーギャンがこれを出品した1882年の第7回印象派展は、事前よりグループの内部抗争があって最少の9名で催された。パリ画壇の保守たるサロン側も前年に政府の後援を失って‘官展’ではなくなっていた。作品に描かれた手前の赤い人形や壁紙の鳥は、画壇の騒動が夢から現出しているようにみえる。ファン・ゴッホはこの騒動の埒外にあり、《パイオニア》などではない。
 VGAG (5)
「第2章 新しい絵画、新たな刺激と仲間との出会い」で挙げるべきは、「マルティニク島の風景」(1887)。この作品は‘怪談’である。1886年にゴーギャンが訪ねたブルターニュ地方のポン・タヴェンは、アメリカ人を多数とする‘国際芸術家村’と化していた。翌年に質朴を求めてパナマへ行くも破産、帰途に寄ったマルティニク島のサン・ピエールにはパトリック・ラフカディオ・ハーンも滞在していた。ゴーギャンが死ぬ1年前、火山の噴火でサン・ピエールは壊滅した。
 VGAG (6)
「第3章 ポン=タヴェンのゴーギャン、アルルのファン・ゴッホ、そして共同生活へ」で挙げるべきは、「ブドウの収穫、人間の悲惨」(1888)。《完全な記憶によって描いているのだが、やりそこなわず途中で投げてしまわなければ、きっととても美しく変った絵になるだろう。(略)ゴーガンはここで辛抱強く仕事をしてはいるが、相変らず熱帯の国々への郷愁を持っているのだからね》(『ゴッホの手紙』 テオドル宛 第五五九信/硲伊之助:訳)。ゴーギャンの‘悲惨’はファン・ゴッホ自体にある。
 VGAG (7)
「第4章 共同生活後のファン・ゴッホとゴーギャン」で挙げるべきは、「ハム」(1889)。この作品は‘予見’である。ゴーギャンの画は、着想の元であるエドゥアール・マネの「ハム」(1875?)のように‘à table’(ごはんだよ)と語りかけてこない。宙に浮いたように不安定に置かれた物体は、食品ではなくて死体である。生々しいが死んでいるという矛盾は、約1年後のファン・ゴッホの死、その約半年後のテオドルスの死を予見している。
 VGAG (8)
「第5章 タヒチのゴーギャン」で挙げるべきは、「タヒチの牧歌」(1901)。いや、遺作であるべき「我ら何処より来るや 我ら何者なるや 我ら何処へ行くや」(1897-1898)よりも後の作品は、死後の余興としてどれも大差ない。但し、同時期に描かれた「肘掛け椅子のひまわり」(1901)だけは別。ミイラからキリストまで想像で表現してきたゴーギャンは、自分が座った椅子の記憶を描き出しているが、その椅子を用意したファン・ゴッホの姿はまるで念頭にない。
 
 《このふたりの共同生活は、ゴッホの伝記においては決定的な意味を持つ
  が、ゴーギャンにとっては初期の1エピソードにすぎない。そもそも共同
  生活を提案し、熱烈にラブコールを送ったのはゴッホであり、終止符を
  打ったのもゴッホであって、ゴーギャンにとってはいい迷惑だったはず。
  そんなふたりの関係だから、この2人展も当然ゴッホに焦点が当てられ、
  ゴーギャンは脇役だ。(略)最大の見せ場はもちろんアルルでの共同生
  活の期間で、それを象徴するのがゴッホによる〈ゴーギャンの椅子〉だ。
  しかしそれ以外に、例えばゴーギャンによる〈ひまわりを描くフィンセント・
  ファン・ゴッホ〉とか、ふたりが同じモチーフを描いた作品(ジヌー夫人や
  ルーラン夫人の肖像、アリスカンの風景など)がないのが残念。いわば
  アリバイが少なく、説得力に欠けるのだ。》 (村田真 artscapeレビュー
  2016年10月7日/Webマガジン『artscape』 2016年11月15日号)
 
今般のVGAGは、貧相だった。フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホとウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャンの展覧会は、《日本初の二人展、世界中から代表作が集結》などと謳うが、2002年にシカゴ美術館が催した2人展に網羅で劣る。また、展示自体に2人の関係性を解く工夫が足りない。画題や画風の相互の作用や社会背景に踏み込みきれていないので、ファン・ゴッホ展とゴーギャン展を同じ展示空間に押し込めるに等しい粗略で《説得力に欠けるのだ》。これでは、ゴーギャンが存命中の1893年3月に妻メットの出身地コペンハーゲンで開かれた売り立て目的の2人展より意義が薄い。ファン・ゴッホの耳切り事件(耳垂の一部を切ったのであって耳介はほとんど残存)と不審死(ほぼ自殺)が巷間の耳に残っていたであろう時期と異なり、1世紀を超え経ての貧相、《ゴーギャンにとってはいい迷惑》だろう。
 VGAG (9) VGAG (10)
《ゴッホに焦点が当てられ、ゴーギャンは脇役》という扱いも、画壇的というよりも日本的で気色が悪い。より人との紐帯を望んで苦悩するファン・ゴッホに誤った詩的正義を見出し、対して野への解放を欲して憂思するゴーギャンに誤った眼高手低を汲む、その挙句が《固い友情》を連呼するVGAG、実にクダラナイ。ファン・ゴッホについては、涼川りんの『ゴッホちゃん』(スクウェア・エニックス:刊)と穂積の『さよならソルシエ』(小学館:刊)、そして谷口ジローと関川夏央による「ヴィンセントの青春」(『戦士同盟』 Trip12/竹書房:刊)さえあれば好い。「我ら何処より来るや 我ら何者なるや 我ら何処へ行くや」という問いが欠如しているVGAGを観て想う…わだば、ゴーギャンのようになりたい。
 
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塩コーヒーでドリカレ

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年01月11日 01時00分]
「ドリカレ」とは何か? 《好きなフレーバーをドリップしてつくるカレーメシ。それが、「ドリカレ」。コーヒーを淹れるように、カレーメシを楽しもう》(ドリップカレーメシWebサイト)…何だ、そりゃ? 日清食品は‘レンチン’(電子レンジ加熱)の商品だった「カレーメシ」を一新して、2016年8月29日発売からレンチン不可の湯かけ調理に変えた。これに批難の声があがる中で、「湯かけ調理の新バージョンだからこそ」を狙ったプロモーションが「ドリカレ」というワケだ。
 塩コーヒーでドリカレ (1) 塩コーヒーでドリカレ (2)
 《いよいよカレーにも“第3の波”が到来! バリスタが淹れるていねいな
  一品 “ドリップカレーメシ” を提供します (略)通常湯かけ調理で召し
  上がっていただく「カレーメシ」を、「DRIP CURRYMESHI TOKYO」
  ではコーヒーやかつお節、ジャスミン茶などを一品ずつ丁寧にドリッ
  プして提供します。》 (日清食品ホールディングス株式会社 プレスリ
  リース/Webサイト『PR TIMES』 2016年11月1日)
 
じゃあ、私も「ドリカレ」に挑もう。だが、《第3の波》っぽくコーヒーに拘るのは、まっぴらごめんだ。もっと面白くて美味しく挑みたい…そうだ! ドリップカレーメシにコーヒーだけでなく塩を使おう。エチオピアではコーヒーに塩を入れて飲む人がいるし、バルザックはもちろん、「定年退食」の主人公もコーヒーに塩を入れて飲んでいた。《コーヒーに塩を加えるカリブ地方の飲み方を再現》と称して「ソルティ アイス カリビアンスタイル」という缶コーヒーもあった。海水で洗ってから焙煎した「北前珈琲」ってのもあるらしい。コーヒーに塩の取り合わせは妙である。やってみよう!
 
 塩コーヒーでドリカレ (3) 塩コーヒーでドリカレ (4) 塩コーヒーでドリカレ (5)
コロンビアのコーヒー生豆を、摂氏約50度の食塩水(濃度3.5%)に浸して3日間放置、その後、半日間の天日干しをしてから3日間の陰干し。かなり塩分が含浸した状態でカラカラに乾いた風合い。これをポップコーンメーカーで熱風焙煎する。約3分15秒経過でサーモスタットが効いて焙煎終了。何故だか焙煎中はキャラメル香が強く匂ったし、焙煎の深度以上に色が濃く仕上がった。…ん? 焙煎した豆の表面にモコモコした腫瘤が多数できている。バケモノだ! バケモノを作っちまった!(笑) どうしてこうなるのか? また解くべき謎が増えた。豆ごとガリリと齧ってみる…しょっぱい。この時点で、もう塩コーヒーだ。
 
 塩コーヒーでドリカレ (6) 塩コーヒーでドリカレ (7) 塩コーヒーでドリカレ (8)
そうだ、コーヒー飯を炊こう! 約2年前に川島明がTwitterで缶コーヒーで炊く「コーヒーご飯」の件をつぶやいた時には仕上げにごま塩をかけていたが、私の焙煎した塩コーヒーで炊けば、きっとそのままイケる。焙煎した塩コーヒーの豆を挽いてペーパードリップで抽出した液を使い、石川県産の「ゆめみづほ」を炊く。炊き上がりの芳ばしさはすぐに消えていくが、うっすらとした塩味がコメの甘みとコーヒーの苦みをつなげていてイイ感じだ。握り飯にしてみる…ゲテモノにしては存外食える。以前に挑んだ「コーヒーと米と生卵」は‘無の味’だったが、もしかすると、このコーヒー飯を使えば…いかんいかん、本来の試行である「ドリカレ」に挑もう。
 
 塩コーヒーでドリカレ (9) 塩コーヒーでドリカレ (10) 塩コーヒーでドリカレ (11)
「ドリカレ」スタート! 《コリアンダーをはじめとしたスパイスに、ココアを隠し味に使用することで、深いコクが感じられるカレーに仕上げました》(日清食品グループWebサイト)という「カレーメシ ビーフ」のカップの上に、クリスタルドリッパーを置いてペーパードリップで抽出。塩コーヒーの豆はさらに粗挽きに、注湯の温度は高めにする。抽出液がドリップするにつれてカレーの臭いが強烈に漂ってきて、コーヒーの「ドリカレ」なのかどうかもわからない。大丈夫か?(笑) 3分近く時間をかけて抽出して、さらに蓋を閉めて3分半ほど待つ。ヨシ、食べよう。コーヒー豆から出た塩分で味は濃くなったが、おぉ、《隠し味》のハズのココアの香りを甘く引き立てながら、辛さにも調和しているコーヒーの香味…ゲテモノにしては存外食える。
 
 塩コーヒーでドリカレ (12) 塩コーヒーでドリカレ (13) 塩コーヒーでドリカレ (14)
「ドリカレ」を食した後、松屋コーヒー本店で買ってきたサンミッシェルのプチブールと自家焙煎したヤンニハラール・モカのカフェオレを味わいながら想う。日清食品がドリップスタンドでコーヒーを抽出して、ネスレ日本が木製ピタゴラ楽器でクリスマス催事をして、東京茶寮が日本茶をカウンターでハンドドリップする時代だよ。そのうち、和菓子屋がドリップスタンドで「コーヒーぜんざい」を作る店を出したり、コーヒーチェリーでジュースバーを開くコーヒー屋が現れたりするだろう。コーヒーを‘そういうもの’でしか捉えられない、不憫な連中だ。私は、存外食えるゲテモノで遊びながら、コーヒーは‘どういうもの’なのかを考え続けてみよう。
 
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ノマド、イェイ

ジャンル:映画 / テーマ:映画感想 / カテゴリ:観の記:映面 [2017年01月08日 01時30分]
「のーま、のーま、のーま、のーま」と《世界一に4度輝いたレストラン》として連呼されて「イェイ」と騒いでいる映画の予告編を見た。…む゛? コレ前にも見たゾ。映画『ノーマ、世界を変える料理』(NOMA my perfect storm/2015年)と同じじゃねぇか! 「のーま」で「イェイ」って、‘のまネコ’の「恋のマイアヒ」か、てぇの。もっとも、O-Zone(オゾン)が‘Dragostea Din Tei’(邦題「恋のマイアヒ」)をリリースした年、クラウス・マイヤーがレネ・レゼピと「ノーマ」を開業した年、いずれも2003年でかぶっているな。前の映画ではレネ・レゼピが《後がないんだ しっかりしてくれ》とか言っていたが、はてさて今般の映画はどうよ? ♪ Noma, Noma iei, Noma, Noma, Noma iei ♪
 ノマド、イェイ (1) ノマド、イェイ (2)
 
『ノーマ東京 世界一のレストランが日本にやって来た』(Ants on a Shrimp) 観賞後記
 
《世界初の試みとして「ノーマ・アット・マンダリン・オリエンタル・東京」を期間限定で開店するために来日》とか《6万2000人がウェイティングリストに名を連ねた》とか、フライヤーやWebサイトで意味不明のゴタクを並べた映画だ。ノーマは、2012年にロンドンのホテルで10日間の出店をしていた。その頃のコペンハーゲンのノーマは、月間約10万件の予約照会を受けていた。ノーマ東京では蟻が乗った「長野の森香るボタンエビ」を会期の途中からシバエビで誤魔化していたが、このドキュメンタリーでは惹句にならないゴタクを宣伝にして誤魔化している。新鮮な食材の探求を撮っても、それを配給する姿勢が腐っていたのだ。
 ノマド、イェイ (3) ノマド、イェイ (4)
そして、このドキュメンタリー自体も酷い。遠慮がちで工夫のないカメラワーク、質の悪い音録り、レネ・レゼピへの讃辞ばかりの採録、何が主題なのかもわからない構成…最低の部類に属する作品だ。前の映画ではノロウイルスが病因の集団食中毒をノーマで出したレネ・レゼピが《最悪だよ どうにもならない》とか言っていたが、今般の映画『ノーマ東京 世界一のレストランが日本にやって来た』こそ《最悪だよ どうにもならない》と私は断ずる。今作でレネ・レゼピが吐いている《作り直しだ、これじゃお客には出せない》や《失敗するなんてガッカリだ、全部やり直せ》という言は、監督モーリス・デッカーズへ向けられるべきだ。
 
 《「…次善のものに甘んじて満足せよなどといわれるのは、芸術家にとって
  は恐ろしいこと、耐えられぬことだとおっしゃったのです。芸術家が次善
  のもので喝采を受けるのは、恐ろしいことなのです。あのかたはおっしゃ
  いました。芸術家の心には、自分に最善をつくさせてほしい、その機会
  を与えてほしいという、世界じゅうに向けて出される長い悲願の叫びが
  あるのだと」》 (イサク・ディーネセン 『バベットの晩餐会』/桝田啓介:訳
  筑摩書房:刊)
 
 ノマド、イェイ (5) ノマド、イェイ (6)
概して20世紀のデンマーク料理は、クリスティーネ・マリエ・イェンセンの“Frk. Jensens Kogebog”(イェンセンの料理本/1901年)だけで《甘んじて満足せよなどといわれる》に等しい状況だった。そこへノーマが登場して、その躍進と影響は‘Nomanomics’(ノマノミクス/Webサイト“Roads & Kingdoms” 2012年10月)とまで評された。2013年2月に集団食中毒を起こしたレネ・レゼピは、《機会を与えてほしい》と願うバベットほど慎ましやかではないので、デンマークを離れて打って出た。2015年に東京で37日間の出店、2016年にシドニーで68日間の出店、2017年もメキシコのトゥルムで47日間の出店を予定。2016年末に閉めたコペンハーゲンの店は郊外へ移転して再開するらしいが、これもレネ・レゼピの‘コロニヘーヴ’程度に捉えるべきか? そして、既にシドニー出店のドキュメンタリーも発表されているが、おそらくメキシコ出店やコペンハーゲンでの移転の映像作品も作られるだろう。もう、ウンザリだ。ノーマは変わってしまった。以前に《レネ・レゼピの素顔はヴァイキングである》と言ったが、こう言い直そう…レネ・レゼピは遊牧民である。店の名は「ノーマ」(Noma/nordisk+mad)ではなくて、「ノマド」(Nomad)が相応しい。ノマド、イェイ!
 
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トリとめのない走

ジャンル:スポーツ / テーマ:ジョギング・ランニング / カテゴリ:走の記:日常編 [2017年01月04日 01時30分]
【鳥の社寺を巡る】
 トリとめのない走 (1) トリとめのない走 (2) トリとめのない走 (3)
昨2016年の12月9日、東京で冬の朝に遊び歩き、‘目黒三社’のうちの‘鳥’絡み2つへ寄る。まず、大鳥神社。《当社の社伝によると「尊の霊が当地に白鳥としてあらわれ給い、鳥明神として祀る」》…国常立尊(くにのとこたちのみこと)を配神に落としてまでヤマトタケルで嘯くとは笑止。大鳥神社の‘鳥’は、白鳥じゃなくてウソ? 次に、目黒不動(泰叡山瀧泉寺)。酉年の守り本尊が不動明王だから? いや、本堂を背にノウマクサマンダバザラダンカンと唱えながら男坂を下り、鶏のレリーフを見る。何故、鷹居(たかすえ)の松跡を塞ぐ場所に置いた? 目黒の不動尊の背後に居るのはグルルなのかもしれない。
 
 
【鶏旦に走る】
 トリとめのない走 (4) トリとめのない走 (5) トリとめのない走 (6)
2017年の鶏旦、正に初日の出の時刻より自宅から走り始める。ん? 前年まで7年連続で走った「みんなで走ろう!元日マラソン」はどうした? 酉年なので‘三歩歩けば忘れる’、いや、三歩走って忘れよう…今年は「一人で走ろう!元旦マラソン」だ(笑)。ケローナ通りで朝焼けの空を背にしたセイルのモニュメントを見る。朝宮公園を抜けて、ふれあい緑道を進む。歩く人や走る人が多く、新年の気合からだろう、皆速い。私は元朝の陽光を浴びながら緩く走ろう。落合公園で朝陽が水面に映り輝く池の周りを2周してから、来た道を走り戻る。約13.5kmを約1時間33分(信号待ちや撮影時間を含む)。寒過ぎず、風も無く、穏やかに晴れた鶏旦の‘走り初め’は、爽快!
 
 
【鶏の山を走る】
2017年1月2日、いわゆる箱根駅伝(第93回 東京箱根間往復大学駅伝競走)で‘花の2区’を走る關颯人(東海大学1年生)を看視、区間11位は不調? テレビ観戦を続けながら自作の雑煮を食べて、昼過ぎに車で岐阜県の大桑(おおが/1955年に高富町へ合併、現在は山県市の一部)へ。
 トリとめのない走 (7) トリとめのない走 (8) トリとめのない走 (9)
《落城の際に土岐氏が城内の井戸に沈めた家宝の金の鶏が、いまも元旦の朝に鳴くという伝説》(山県市教育委員会 「国取り合戦と金鶏伝説」 現地説明板)がある大桑城跡、つまり金鶏山の別名を持つ古城山へ登ろう。岐阜国体馬術会場跡地の北端に駐車して、スタート! 往路は西回りの旧登山道、椿野の登山口から入る。落ち葉で埋まった登山道は秋山成勲の反則状態、「滑る! 滑る!」の桜庭和志の気分(笑)。緩い上りは緩く走るが、ほとんど歩き登り。伝「岩門」・番所跡を通り、尾根筋で伝「馬場」へ寄り、堅堀・石垣・伝「臺所」・伝「天守臺」を見学しながら進む。
 トリとめのない走 (10) トリとめのない走 (11) トリとめのない走 (12)
金鶏山の頂部に到着。(1988年にヘリコプターで運ばれて)南端に置かれたミニ大桑城(棟高3.3m)を見て笑う。稲葉山(金華山)を望んで「国盗り物語」を想い笑う。すぐ北西にある「大桑城山」二等三角点(標高407.46m)を踏んで、スタートから約35分経過。鶏の城山をとったどぉ~。喫煙一服で少憩。
 トリとめのない走 (13) トリとめのない走 (14) トリとめのない走 (15)
復路は東回りで新登山道、はじかみ林道へ。緩い下りは落ち葉で滑るが構わず「ヒャッホ~」と走る。かと思えば、張ってあるロープが頼りの激下りもアリ、面白い。ん? 尾根筋が切れて道迷い…ガサガサと適当に斜面を下る。何とか登山道に戻り、開通碑がある登山口でトイレに寄ってから、はじかみ林道の舗装路を駆け下る。約1時間37分経過でスタート地点に戻り、フィニッシュ! 寒過ぎず、風も無く、穏やかに晴れた日の山走りは、爽快! 大桑の金鶏山、面白い場所だ…そう想いながら帰った。
 
年明ける前に鳥や鶏を絡めて遊び歩き、年明けた早早に鳥や鶏を絡めて遊び走って新年走走。酉年2017年、取り留めのない想いで走り、取り留めのない走りに想う、だからこそ面白い‘トリとめのない走’だ。
 
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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