誰の性でもない雨が

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2018 [2018年06月16日 01時00分]
♪ 誰のせいでもない雨が降っている しかたのない雨が降っている…と、中島みゆきは歌った(「誰のせいでもない雨が」/『予感』 1983)。そして、コーヒーの世界にも、誰の性(せい)でもない雨が降っている。
 
 誰の性でもない雨が (1) 誰の性でもない雨が (2)
 《…カフェと政治規制という話題ですと、私の公式の研究分野である20世
  紀初頭のカフェにもある特徴的な現象があります。ベルリンのカフェ・デ
  ス・ヴェステンスやミュンのシュテファニーといった世間一般から誇大妄
  想狂のアナーキストたちの集まりという風評の立ったカフェには、LGBT
  の存在が顕著です。彼らは当時の刑法175条撤廃の運動を起こしてい
  ました。175条は同性愛を不埒な行為として処罰することを定めた条項
  です。こうした不埒な撤廃要求を掲げるアナーキスト達に対して、政治当
  局は罰則の適用を強化します。同性愛者を罰する傾向はヒトラー・ナチ
  ズムの時代に頂点に達します。SA(ナチス突撃隊)の長官エルンスト・
  レームやグレゴール・シュトラッサーを同性愛者として粛正する「長いナ
  イフの友」という事件です。三島由紀夫が『わが友ヒットラー』で描いた事
  件ですね。ナチ時代、同性愛者は強制収容所に送られました。しかし現
  代ともなれば、カフェに見受けられるLGBTは、国際的人権活動に擁護
  された、民主主義的リベラリズムの定着度を示すバロメータだと言える
  のではないでしょうか。》 (臼井隆一郎:談 「嗜好品と政治学 討論」 第
  15回嗜好品文化フォーラム/『嗜好品文化研究』第3号 嗜好品文化
  研究会 2018)
 
LGBTが見受けられるのはカフェだけではない。ベルリンの写真家レナ・ムハは、それをコーヒー生産国で探した。そこでは、黒い枝の先ぽつりぽつり血のように、コーヒーが自分の重さで落ちてゆくのではないか?
 
 誰の性でもない雨が (3) 誰の性でもない雨が (4) 誰の性でもない雨が (5)
 《エヘ・カフェテロは、南米コロンビア西部にあるコーヒーの一大産地。緑豊
  かな山々の奥深くにコーヒー農園が密集しているが、そのなかのいくつ
  かの農園に、ほかで見かけないユニークな人々が働いている。彼らは、
  農園での1日の仕事が終わると、寮に戻って化粧をし、アクセサリーを
  身につけ、女性らしい服を着る。(略) ムハ氏はトランスジェンダー女性
  を見つけ、彼女たちの物語を伝えようと、この地方をバイクで探し回った。
  最初はかなり苦戦した。女性たちはなるべく人目につかないように暮ら
  しているうえ、仕事を求めて農園から農園へと渡り歩いているからだ。
  (略) トランスジェンダー女性のほとんどが、コーヒー農園の周辺地域や
  隣の県から来ている。コーヒー農園での仕事は、彼女たちがありつける
  唯一の仕事であることが多いが、農園には寮があり、食事も出る。》
  (「トランスジェンダー女性たち、コーヒー農園で自分らしく働く」/Web
  サイト『National Geographic』日本版 撮影ストーリー 2018年4月
  16日)
 
コーヒー農園に見受けられるLGBTは、《民主主義的リベラリズムの定着度を示すバロメータだと言える》だろうか? そこにも、誰の性でもない雨が降っている。日々の暮らしが降っている。もう誰ひとり気にしてないよね…《農園から農園へと渡り歩いているからだ》。
 
 《今、僕は人類がそもそも何で定住を始めたのかということが気になってい
  ます。どうも問題の本質は人類の定住文化の成立にあるようにしか思え
  ない。直ちにやめて、そこから始めましょうよって思うんです。》 (臼井隆
  一郎:談/前掲『嗜好品文化研究』第3号)
 
 誰の性でもない雨が (6)
Latte Art(ラテアート)とGeisha(ゲイシャ)とBarista(バリスタ)とThird Wave(サードウェイブ)…コーヒーの世界にも、LGBTがある。コーヒーの世界にも、誰の性でもない雨が降っている。早く、月日すべての悲しみを癒せ。月日すべての悲しみを癒せ。
 
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線引きは俗

ジャンル:映画 / テーマ:映画感想 / カテゴリ:観の記:映面 [2018年06月11日 04時30分]
カンヌ国際映画祭は新たな線引きで2018年(第71回)のコンペティション部門からNetflix(ネットフリックス)作品を締め出した。この線引きにネットフリックスは反発してカンヌ国際映画祭から撤退した。そもそも‘映画’とは何か? 劇場公開の映画とネット配信の動画の間に線引きをするべきなのか否か? そんなことで揉めているうちに‘線引き’ではなくて‘万引き’を描いた映画がパルムドールを受賞した。…拾ったんです。捨てた人ってのは他にいるんじゃないですか?
 線引きは俗 (1) 線引きは俗 (2)
 
『万引き家族』 観賞後記
 
柴田初枝(樹木希林:演)・信代(安藤サクラ:演)・亜紀(松岡茉優:演)・りん(ゆり/じゅり/佐々木みゆ:演)ら「万引き家族」が住む家は、「富士珈機 東京支店」から50mにある空き古家だった。柴田治(リリー・フランキー:演)・祥太(城桧吏:演)の父子がコロッケを買ったのは、「カフェ・バッハ」から1kmにあるジョイフル三ノ輪商店街の「肉の富士屋」だった。コロッケは万引きされない。「肉の富士屋」でコロッケは不可視だからだ。…盗んだのは、絆でした。
 線引きは俗 (3)
 
 《…特に震災以降、世間で家族の絆が連呼されることに居心地の悪さを感
  じていました。絆って何だろうなと。だから犯罪でつながった家族の姿を
  描くことによって、あらためて絆について考えてみたいと思いました。》
  (是枝裕和:談/『万引き家族』Webサイト Director's Interview)
 
映画『万引き家族』を観たのは、監督(原案・脚本・編集)である是枝裕和の言に惹かれたからだ。私は《「絆(きずな)」を無闇に口にする直接に罹災されていない者者にも言っておこう、津波に流されてしまえ!》と思い、また《「絆」(きずな)の語を見ると反射的に「いいね!」ボタンを押す日本人は、国賊である》と思っていたし、今でもそう思っている。万引きは‘賊’であるが、安っぽい線引きも‘賊’である。
 
 《作品内にわかりやすく可視化されている監督のメッセージなど正直大した
  ものではないと僕は考えている。映像は監督の意図を超えて気付かな
  い形で「映ってしまっている」ものの方がメッセージよりも遥かに豊かで
  本質的だということは実感として持っている。》 (是枝裕和 「「invisible」
  という言葉を巡って 第71回カンヌ国際映画祭に参加して考えたこと」/
  Webサイト『KORE-EDA.com』 2018年6月5日)
 線引きは俗 (4)
 《「あなたにとって映画とは何ですか?」(それにしても愚かな質問ですね)
  と聞かれたら「知らないね」と答える人。「あなたはこの映画をつうじて
  何を訴えたいのですか?」と聞かれたら「べつに」と答える人。こういう
  人の映画を見ましょう。》 (内田樹 「黒澤明監督ご逝去」/Webサイト
  『おとぼけ映画批評』 1998/後に『うほほいシネクラブ 街場の映画論』
  文藝春秋:刊 2011 に収載)
 
 線引きは俗 (5)
是枝裕和監督の作品を今まで劇場で観たことが私は一度もなかったのだが、ともかく今般の『万引き家族』は観た。そして、「《犯罪でつながった家族の姿を描く》映画はどうでしたか?」と訊かれたら、私は「知らないね」と答える。「この映画を通じて何を感じたのですか?」と訊かれたら、私は「べつに」と答える。演者の芝居は悪くないけれど、映画としては《正直大したものではない》小さな物語だから。「ナントカ家族」の映画ならば、石井聰互監督の『逆噴射家族』(1984)とか周防正行監督の『変態家族 兄貴の嫁さん』(1984)とかの方がずっと面白い。こういう線引きは‘俗’?
 
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ゴムゴムの宝もの

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2018年06月10日 05時30分]
2018年6月6日に雨ざあざあ降ってきて、三河の幸田(こうた)の深溝(ふこうず)のアジサイ寺で有名な瑞雲山本光寺(ほんこうじ)、あっという間に滴る四葩(よひら)の香、梅雨入りの遊び。
 ゴムゴムの宝もの (1) ゴムゴムの宝もの (2) ゴムゴムの宝もの (3)
 
2018年6月9日、尾張の一宮へ行き、家具インテリア店の「LUFT」(ルフト)を初訪、3周年記念イベントを覘く。
 ゴムゴムの宝もの (6)
 《その小さな物体の底には、その人の想いの断片がひっそりと沈んでいる。
  ふとしたきっかけで、あなたがそれを手にした時、その沈殿物は、音も
  たてずにゆっくりと浮遊しはじめる。ラテックス(天然ゴム)や木材を主な
  素材とする伊藤千帆さんの作品には、経年とともに歩みを進める表層
  と記憶とが、琥珀色の透明感の中で共存している。》 (「treasure/宝
  もの」展 案内)
 ゴムゴムの宝もの (4) ゴムゴムの宝もの (5)
伊藤千帆氏がいつ‘ゴムゴムの実’を食べたのか、私は知らない。だが以前に、得意技を郡上で観たし、各務原美濃加茂では一緒に遊んだこともあるし、展覧会「treasure/宝もの」(Studio Riverbed:企画)の作戦会議にも居合わせた。つまり、伊藤さんは私と同様に‘きそがわ(日和)の一味’である。そして今般は、サイトスペシフィックインスタレーションというよりも宝探しな感じ。「LUFT」店内のあちこちで琥珀色に輝く作品…財宝か? 観たけりゃ並べてやるぜ…探してみろ、想いの断片をそこに置いてきた。
 
 ゴムゴムの宝もの (7) ゴムゴムの宝もの (8)
「コクウ珈琲」の出張カフェでイタリアンブレンドを飲みマロンケーキ(Petit Paris)を食べながら談議。あ、強風で飲みかけの紙コップが吹っとんだ。「ちょっとドライブしてくる」と車で西進、濃尾大橋を渡って木曽川右岸を行ったり来たり、川景色を味わう。
 
 ゴムゴムの宝もの (9) ゴムゴムの宝もの (10) ゴムゴムの宝もの (11)
木曽川左岸へ戻って散策。木曽川尾西緑地を進み、堤治(つつみはり)神社の三位の銀杏を見上げ、起(おこし)の渡船場跡や湊屋など寂れた美濃路を歩いて遊ぶ。「LUFT」へ戻って、コクウブレンドを飲みながら来場者と談話、展覧会で再び宝探し。
 
 ゴムゴムの宝もの (12)
帰った後も美濃路で観たアジサイに‘ゴムゴムの宝もの’を想い重ねて、栗花落晴れ(つゆりばれ)の遊び。
 
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珈琲屋の人々

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2018 [2018年06月06日 01時00分]
テレビドラマ『プレミアムドラマ 珈琲屋の人々』(全5話/NHK BSプレミアム)の最終回(2014年5月4日)が放送された2日後、嶋中労氏より電子メールで問い合わせがあった…森光宗男氏と大坊勝次氏が対談した本について。存知ないと私が返すと嶋中さんはその日のうちに森光さんから聞き出して、《新潮社から秋口に出版されるらしい》と教えてくれた。だが、1年が過ぎ、2年が過ぎ、3年が経っても森光さんと大坊さんが《対談した本》は出なかった。二人が本にするために最初の対談をしてから1689日が過ぎて、ようやく『珈琲屋』という名で上梓された。その間に、大坊さんは店を失い、森光さんは命を失った。
 珈琲屋の人々 (1)
 
 《クールな森光さんと、キュートな大坊さん。ふたりの楽しそうな姿を思い
  浮かべるほどに、センチメンタルな気持ちがぐわっとこみ上げてきたり
  も、する。周知のことだけれど、「美美」のカウンターに森光さんが立つ
  ことはもうなくて、「大坊」のカウンターで大坊さんの手廻し焙煎を目に
  することも、もうない。》 (江部拓弥 「月のない真夜中のようなブラック
  さ」/『波』 2018年6月号 新潮社:刊)
 
『珈琲屋』 (大坊勝次・森光宗男:著 小坂章子:取材/新潮社:刊 2018)
 珈琲屋の人々 (2)
  
『珈琲屋』の特大帯には、《珈琲という共通語でつながるすべての人に贈る》と背文字がある。しかし、江部拓弥氏は《旧知の仲だというふたりが語り合うのは、珈琲のことじゃなくて、珈琲屋をめぐること》(前掲「月のない真夜中のようなブラックさ」)と捉える。どちらにしても、森光さんと充子夫人と大坊さんと惠子夫人、「珈琲屋の人々が珈琲の話をしている」本である。そして、《…ふたりは大いに意気投合したかと思えば、まったく嚙み合わない話をずんずん進めたり、ときには押し黙ったり…》(江部/前掲同)する。私には、この《まったく嚙み合わない》ところが面白い。
 
 《以前、カウンターに集った常連と、「森光さんは素数が好きだった」とい
  う話で盛り上がった。「焙煎でも素数が大事なんですよ。不思議とそう
  なっているんです」と充子さんが言うので、目が点になった。》 (「森光
  充子さんのこと」/『珈琲屋』)
 
 《ただね、この人は自分の中に持っている核の部分を常に出さないんで
  す。出さないでじっと持っているから、誰もわからないってだけなんで
  すよ。》 (大坊惠子:談 対談3「終日「珈琲美美」にて」/『珈琲屋』)
 
 《森光さんには世界がありました。その先に珈琲の神がありました。世界
  中でそこをめざそうというビジョンがありました。(略) 森光さんは出掛
  ける、私は残る、ということが向き不向きだったのかなあ。(略) 社会
  の風は通り過ぎる。私は取り残される。そうとばかりは言えないけれど、
  結果として、そういう面はあったかもしれません。》 (大坊勝次:巻頭言
  /『珈琲屋』)
 
 珈琲屋の人々 (3) 珈琲屋の人々 (4)
今般に『珈琲屋』を読んで二人の楽しそうな姿が思い浮かびはしたが、私には《センチメンタルな気持ちがぐわっとこみ上げてきたり》はしない。森光さんは『モカに始まり』(手の間:刊 2012)の森光さんのままであり、大坊さんは『大坊珈琲店』(私家版 2013)の大坊さんのままである。キュートな森光さんと、クールな大坊さん。私に‘珈琲の神’は見えないし要らない。私は取り残されることが不向きだとは思わない。刊行記念写真展「珈琲屋 大坊さんと森光さんと」を観ても、その私の想いは変わらなかった。『珈琲屋』は、「珈琲屋の人々が珈琲の話をしている」本である。
 
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向夏愉談JCS

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2018 [2018年06月04日 23時00分]
「明治150年」を掲げ祝う者は滅されるべきである。「戊辰150周年」を掲げる者へ惻隠の心を寄せたい。そんなことを想いながら、高速バスを降りた新宿で昼飯を摂る。奥羽越の嘆願が却下されて内戦続行が不可避となった1868年6月(慶長4年閏4月)、それから150年後に私は向夏の東京でコーヒーを愉しく談ずる。
 向夏愉談JCS (1)
 
【JCS総会前日】 2018年6月2日
 
 向夏愉談JCS (2) 向夏愉談JCS (3)
「一日大坊珈琲店」へ。表参道の山陽堂書店を訪ねる。2階で受付を済ませて写真展「珈琲屋 大坊さんと森光さんと」を観ていると、意外と早くに3階の喫茶営業へ案内された。大坊勝次・恵子夫妻の所作をぼんやりと眺めながらブレンドを4番(25g50cc)で喫する。4日前に自宅へ届いたブレンドと同じ豆だろうか、(「大坊珈琲店」の再現としては軽やか過ぎるんじゃないか、と思える程に)実に軽やか。
 
 向夏愉談JCS (4) 向夏愉談JCS (5)
「Tram」(トラム)へ。古屋達也氏に「表参道からですか」と苦笑で迎えられる(まぁバレるわな:笑)。おまかせ注文、黒板に「やけに明るい夜」と‘mood’が表されたブラジル・アララが出てきた、好く甘苦し。「(この前まで‘一本焼き’に挑んでたと聞いて)そりゃやり過ぎじゃねぇの?」と古屋さんと焙煎を愉しく談ずる。‘mood’が「夜明け前」のエチオピア・イリガチェフェ・アリーシャも喫して、香味は強いが気分はスッキリ。
 
 向夏愉談JCS (6) 向夏愉談JCS (7)
「café Bach」(カフェ・バッハ)へ。宵の訪店でキルシュクーヘンもカルディナールシュニッテンもない…う~む、お菓子なコーヒーにしよう。シナモンコーヒーを飲んでいると、中川文彦氏が、続いて田口護氏が登場。ノイハウスのチョコと緑茶で談議、パナマ・ドンパチ・ゲイシャ・ナチュラルも喫して談議、店が閉まって3階へ席を移して夜食を摂りながら談議…結局、田口さん中川さんと午前3時まで8時間ぶっ続けで喋りっ放し。
 
【JCS総会当日】 2018年6月3日
 
宿が隣りでよかった(笑)、と「ほていや」のベッドで寝る。3時間後、「ほていや」の部屋でネルドリップしたマンデリンを喫する。バッハが隣りでよかった(笑)、と開店を待って訪ねる。
 
 向夏愉談JCS (8) 向夏愉談JCS (9)
「café Bach」(カフェ・バッハ)へ。イタリアンブレンドを飲みながら、新聞を読んで過ごす。キルシュクーヘンが出来上がってきたので、当然に食べる。メチャ旨で目が覚めた、と思わず笑う。ママ(田口文子氏)に見送られ、トレセンに寄って中川さんと再び談議。
 
 愉談大滴
今年の素盞雄神社の天王祭は本祭、宮出し宮入りは観られなかったが、カフェ・バッハ界隈の氏子区域で何度も神輿の渡りを観る、イイねぇ。町歩き後、神保町へ移って昼飯を摂る。
 
「日本コーヒー文化学会 第25回総会&記念行事」 (学士会館)
 向夏愉談JCS (10)
廣瀬幸雄副会長が新会長(小林章夫前会長は名誉顧問)となる役員改選を含めた総会議事の後、講演2題とシンポジウムの記念行事「コーヒー文化進化論 1968/2018」。講演1つ目は小山伸二氏の「コーヒーとメディアの過去・現在・未来」。1968年から現在までの50年を「月刊喫茶店経営」や「blend(ブレンド)」など柴田書店の雑誌と井上誠・森尻純夫・臼井隆一郎・旦部幸博(以上、敬称略)らの著作の紹介で振り返る小山さんの話、私には身近過ぎる?(笑) 講演2つ目は室本寿和氏の「コーヒーをただの流行りで終わらせないために。~Standart Japanの挑戦~」。「コーヒーに物語と意味を与えたい」という熱意は感じたが、どんな物語と意味を与えたいのか判然としない室本さんの話、私には頓狂過ぎる?(笑)
 向夏愉談JCS (11)
コーヒーブレイク(休憩)を挟んで、パネルディスカッション「クロストーク:コーヒー文化 1968/2018」。小山伸二・山内秀文・室本寿和・大槻佑二の4氏による対談、山内さんは「新旧で喧嘩しないほうがいい」と宥和を唱えたが、年齢や世代の違いよりも見識や知性の差は如何ともしがたいと感得、私には厄介過ぎる?(笑)
 向夏愉談JCS (12)
分科会は焙煎・抽出委員会に参加。「新たに登場したナチュラル・コーヒーの焙煎を考える」、つまり前回の分科会催事の振り返り。山内秀文委員長を軸に私も含めて討議はあったが、特に新たな知見は出てこない。それでも山内さんは「次はハニーをやりたい」と主張、私には屈託過ぎる?(笑) 皆と談議を続けた後に、散会。
 
 向夏愉談JCS (13) 向夏愉談JCS (14)
「Gentle Belief」(ジェントル・ビリーフ)へ。夕飯にパスタセットを食べつつ、隣りのパーティーテーブルから発泡ワインを分けられ、コーヒーはインドとイタリアンブレンドを喫しながら、浅野嘉之氏と喋りまくり。JCS(日本コーヒー文化学会)の振り返りからコーヒー業界や関係者の動静まで愉しく談じた後に店を出て、新幹線に乗って帰途へ。
 
 向夏愉談JCS (15)
帰宅して一夜明けると、ママから「カフェ・バッハ」の焼き菓子とコーヒーの詰め合わせが宅配便で届いた。「トラム」古屋さんのコーヒー豆や木野照代氏・堀直樹氏の菓子など持ち帰った土産と並べて、「さて、どれから味わうかな」。にんまりとしながら、向夏の東京でコーヒーを愉しく談じた二日間を想い返す…1868年から150年間の日本国のあり方に油断は大敵だが、1968年から50年間の日本のコーヒーのあり様には愉談(ゆだん)が大滴(たいてき)だったのかもしれない、と。
 
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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