不愉快は缶コーヒーの中に
缶コーヒーは、不可解な飲み物である。コーヒーなのか?清涼飲料なのか?訊ねるべき
「日本コーヒー飲料協会」は、全日本コーヒー協会や全日本コーヒー商工組合連合会には
属さず、全国清涼飲料工業会にも属していないが同会と所在同一…この曖昧この漠然。
《…いつでもどこでも手軽に飲める缶コーヒー。それを高度な技術革新が開発した
自動販売機で、まるで気を使わずに買って飲む。だが、そこには最高のコーヒー豆
を使った、最新の技術を駆使して製造したレギュラー・コーヒー、グルメ・コーヒーの
粋がパックされている。つまり缶コーヒーは、徹底した簡便さを追求する指向性と、
他方において味覚の高度化と多様化を求める指向性、これら相矛盾する二つの
要求に同時に応えようとする商品なのだといえるであろう。》 (高田公理「缶コーヒー
文化論」/『コーヒーという文化 ―国際コーヒー文化会議からの報告―』/1994年)
そう、缶コーヒーは矛盾に満ちた存在である。その不可解が満載の缶コーヒー本が出現?
『成功は缶コーヒーの中に』 (谷田利景:著/プレジデント社:刊)

本書の著者、谷田氏はポッカコーポレーション創業者、‘顔缶’といわれるポッカ缶コーヒー
の生みの親であるが、まず書名からして不可解。本書刊行の約1年前、昨2011年春に
『成功する人は缶コーヒーを飲まない』(姫野友美:著/講談社プラスアルファ新書)という
本も出ている。「成功する人は缶コーヒーを飲まない」が「成功は缶コーヒーの中にある」…
どちらが本当か?缶コーヒーを作ると成功するが、それを飲むと失敗するのであろうか?
『成功は缶コーヒーの中に』で谷田氏は、《起業するなら「株式上場」を果たせ!》(p.44)と
言っているが、1985年名証2部に1988年東証1部に上場したポッカコーポレーションは
2005年にMBO(マネジメント・バイアウト)で非上場となっているし、今やサッポログループ
に事実上吸収されている。非上場もサッポロ傘下も、本書では一言も触れられていない。
都合の悪い話は避けて、創業者の「成功は過去の中に」だけある?…不可解である(笑)。

本書の著者略歴には、《世界で初めて「缶入りコーヒー」および「冷温兼用の自動販売機」
を世に送り出す》、と記されている。缶コーヒーの歴史を顧みるに、その序開がChase &
Sanborn Coffee(1876年)か、外山食品「ダイヤモンドコーヒー」(1958年)か、三浦
義武「ミラコーヒー」(1965年)か、現況では不明不詳である。だが、商業ベースの量産品
では、「UCC上島珈琲が、缶コーヒーを世界で初めて開発・製造・販売した」と推認される。
《ある日、忠雄は駅のホームで飲みかけていたビン入りのコーヒー牛乳をあわてて
売店に戻した。電車の出発ベルが鳴り始めたからだった。「もったいないことをした」
という思いとともにあるヒントが頭に浮かんだ。缶入り飲料にすれば車内にも持ち込
めるからむだなことをせずに済む。そして世界で初めて、缶入りのコーヒーを開発
するプロジェクトがスタートした。製品化までの道のりは苦難の連続だった。夜通し
文献を読み漁りながら実験を繰り返し、一つひとつハードルを乗り越えていった。
当時普及しつつあった人口甘味料は使わず、砂糖とミルクの配合で風味にこだわっ
た。そして1969(昭和44)年4月、ついに世界初の缶コーヒーができあがった。》
(「世界初の缶コーヒーの誕生」<「日本のコーヒーの父」/UCC上島珈琲Webサイト)
これに対して、「UCCの缶コーヒーは分類上で乳飲料に該当し、コーヒー規格の初製品は
ポッカによる」という異論もあるが、これには首肯できない。 この規格が「コーヒー飲料等
の表示に関する公正競争規約」で認定されたのは1977年であり、ポッカが缶コーヒーを
発売した1972年の5年後にあたる。後付けの規約を適用して「世界初の缶入りコーヒー」
を谷田氏の栄誉とすることには無理があり不承である。本書『成功は缶コーヒーの中に』の
著者略歴に記された《世界で初めて…》という前口上は不適切な誇張であり、虚言である。

『成功は缶コーヒーの中に』、本書の中で最も刮目に値する谷田氏の証言は以下の部分。
《昭和四五年(一九七〇年)のことだ。その日、私は大阪へ出張した。いつもなら新幹
線を利用するところだが、当日は名神高速道路がどんなものかを確かめたくて社用
車で向かった。ドライブ途中で、運転手が「コーヒーを飲ませてほしい」といったので、
養老サービスエリアで車を止めて、コーヒーを飲み、三〇分後に再び車に戻った。
そのとき私は、ずいぶん時間を無駄にしたと思った。(車のなかで温かいコーヒーが
飲めたら、時間が節約できたのに)そのとき、温かいコーヒーを缶入りにして自販機
で売ることを考え、やがて実現にこぎつけるのだが…》(p.p.91-92)
《「夏だけでなく冬も売れる飲料はないか」と私が缶コーヒーの開発を発想するのは、
…昭和四四年(一九六九年)の冬である。》(p.200)
谷田氏が缶コーヒーの着想を得たのは、1969年?1970年?矛盾はこれで終わらない。
《「車の中でも手軽に飲めるコーヒーがあれば…」創業者の谷田利景が開通したばかり
の名神高速道路を走行中、ふと思いついたこのひとことをきっかけに誕生した「ポッ
カコーヒー」。》 (「190g缶コーヒーのパイオニア」<「事業案内」/ポッカWebサイト)
《ポッカは、昭和32年にレモン果汁飲料の製造販売からスタートした。創業から12年
ほど経ったある時、創業者の谷田利景さん(現・相談役)が、開通したばかりの名神
高速道路を走行中に、運転手が眠気覚ましに養老サービスエリアでコーヒーを飲もう
とした。ところが店は混んでいて、注文してからコーヒーが出てくるまでに相当な時間
がかかってしまった。その時、谷田さんはひらめいた。「コーヒーを缶に詰めれば、ど
こでも気軽に飲めて非常に便利になる」。》 (「愛知ブランド企業の舞台裏」<「もの
づくり王国・愛知」/愛知県産業労働部「愛知ブランド」Webサイト)
「開通したばかり」…名神高速道路(中央自動車道西宮線)の養老サービスエリアを含む
区間が開通したのは、1964(昭和39)年9月6日である。缶コーヒー着想はこの直後か?
否それはありえない。当時、養老サービスエリアでコーヒーを飲むことは不可能、なぜなら
売店の営業開始は1965(昭和40)年7月3日、名神高速道路全線開通の2日後だから。
温かいコーヒーを飲みたくなる冬季に、全線「開通したばかり」の名神高速道路を使用して
谷田氏が大阪へ出張したのであれば、それは1965年の冬ということになる。だが、本書
の述懐では、「どんなものかを確かめたくて」通ったのは1969年〜1970年の冬だという。
実に開通4年後である。どちらが本当か?…ポッカが缶コーヒーを発売したのは1972年、
翌1973年にサンデンと共同開発した冷温切り替え可能の飲料自動販売機で販売開始、
《その第一号機を設置した場所は、いうまでもなく、発想するきっかけを得た養老サービス
エリアだった。》(p.201)という。…奇聞に感じられる逸話に、ある疑念を抱かざるを得ない。
冷温切り替え可能の缶コーヒー自動販売機の第1号機を設置した養老サービスエリアから
遡って、そこを着想の地と偽装したのではないか?その時期が矛盾を孕んだまま、過去へ
過去へと遡りがちとなるは、UCCの1969(昭和44)年4月「世界初の缶コーヒー」開発に
先んずる着想と思わせたいからではないのか?UCC上島忠雄氏が鉄道で発想した頃に、
ポッカ谷田利景氏は高速道路で着想した、という潜在した対抗心で潤色が交えられたか?
谷田氏の缶コーヒー着想話は矛盾に満ち、整合を欠いた記述に錯誤以上の邪心が覗く。
「成功は過去の中に」だけある缶コーヒー話、その過去も不可解が満載の缶コーヒー本…
コーヒーを真に愛好していない者のコーヒーか、そう、缶コーヒーは不愉快な存在である。
「日本コーヒー飲料協会」は、全日本コーヒー協会や全日本コーヒー商工組合連合会には
属さず、全国清涼飲料工業会にも属していないが同会と所在同一…この曖昧この漠然。
《…いつでもどこでも手軽に飲める缶コーヒー。それを高度な技術革新が開発した
自動販売機で、まるで気を使わずに買って飲む。だが、そこには最高のコーヒー豆
を使った、最新の技術を駆使して製造したレギュラー・コーヒー、グルメ・コーヒーの
粋がパックされている。つまり缶コーヒーは、徹底した簡便さを追求する指向性と、
他方において味覚の高度化と多様化を求める指向性、これら相矛盾する二つの
要求に同時に応えようとする商品なのだといえるであろう。》 (高田公理「缶コーヒー
文化論」/『コーヒーという文化 ―国際コーヒー文化会議からの報告―』/1994年)
そう、缶コーヒーは矛盾に満ちた存在である。その不可解が満載の缶コーヒー本が出現?
『成功は缶コーヒーの中に』 (谷田利景:著/プレジデント社:刊)

本書の著者、谷田氏はポッカコーポレーション創業者、‘顔缶’といわれるポッカ缶コーヒー
の生みの親であるが、まず書名からして不可解。本書刊行の約1年前、昨2011年春に
『成功する人は缶コーヒーを飲まない』(姫野友美:著/講談社プラスアルファ新書)という
本も出ている。「成功する人は缶コーヒーを飲まない」が「成功は缶コーヒーの中にある」…
どちらが本当か?缶コーヒーを作ると成功するが、それを飲むと失敗するのであろうか?
『成功は缶コーヒーの中に』で谷田氏は、《起業するなら「株式上場」を果たせ!》(p.44)と
言っているが、1985年名証2部に1988年東証1部に上場したポッカコーポレーションは
2005年にMBO(マネジメント・バイアウト)で非上場となっているし、今やサッポログループ
に事実上吸収されている。非上場もサッポロ傘下も、本書では一言も触れられていない。
都合の悪い話は避けて、創業者の「成功は過去の中に」だけある?…不可解である(笑)。

本書の著者略歴には、《世界で初めて「缶入りコーヒー」および「冷温兼用の自動販売機」
を世に送り出す》、と記されている。缶コーヒーの歴史を顧みるに、その序開がChase &
Sanborn Coffee(1876年)か、外山食品「ダイヤモンドコーヒー」(1958年)か、三浦
義武「ミラコーヒー」(1965年)か、現況では不明不詳である。だが、商業ベースの量産品
では、「UCC上島珈琲が、缶コーヒーを世界で初めて開発・製造・販売した」と推認される。
《ある日、忠雄は駅のホームで飲みかけていたビン入りのコーヒー牛乳をあわてて
売店に戻した。電車の出発ベルが鳴り始めたからだった。「もったいないことをした」
という思いとともにあるヒントが頭に浮かんだ。缶入り飲料にすれば車内にも持ち込
めるからむだなことをせずに済む。そして世界で初めて、缶入りのコーヒーを開発
するプロジェクトがスタートした。製品化までの道のりは苦難の連続だった。夜通し
文献を読み漁りながら実験を繰り返し、一つひとつハードルを乗り越えていった。
当時普及しつつあった人口甘味料は使わず、砂糖とミルクの配合で風味にこだわっ
た。そして1969(昭和44)年4月、ついに世界初の缶コーヒーができあがった。》
(「世界初の缶コーヒーの誕生」<「日本のコーヒーの父」/UCC上島珈琲Webサイト)
これに対して、「UCCの缶コーヒーは分類上で乳飲料に該当し、コーヒー規格の初製品は
ポッカによる」という異論もあるが、これには首肯できない。 この規格が「コーヒー飲料等
の表示に関する公正競争規約」で認定されたのは1977年であり、ポッカが缶コーヒーを
発売した1972年の5年後にあたる。後付けの規約を適用して「世界初の缶入りコーヒー」
を谷田氏の栄誉とすることには無理があり不承である。本書『成功は缶コーヒーの中に』の
著者略歴に記された《世界で初めて…》という前口上は不適切な誇張であり、虚言である。

『成功は缶コーヒーの中に』、本書の中で最も刮目に値する谷田氏の証言は以下の部分。
《昭和四五年(一九七〇年)のことだ。その日、私は大阪へ出張した。いつもなら新幹
線を利用するところだが、当日は名神高速道路がどんなものかを確かめたくて社用
車で向かった。ドライブ途中で、運転手が「コーヒーを飲ませてほしい」といったので、
養老サービスエリアで車を止めて、コーヒーを飲み、三〇分後に再び車に戻った。
そのとき私は、ずいぶん時間を無駄にしたと思った。(車のなかで温かいコーヒーが
飲めたら、時間が節約できたのに)そのとき、温かいコーヒーを缶入りにして自販機
で売ることを考え、やがて実現にこぎつけるのだが…》(p.p.91-92)
《「夏だけでなく冬も売れる飲料はないか」と私が缶コーヒーの開発を発想するのは、
…昭和四四年(一九六九年)の冬である。》(p.200)
谷田氏が缶コーヒーの着想を得たのは、1969年?1970年?矛盾はこれで終わらない。
《「車の中でも手軽に飲めるコーヒーがあれば…」創業者の谷田利景が開通したばかり
の名神高速道路を走行中、ふと思いついたこのひとことをきっかけに誕生した「ポッ
カコーヒー」。》 (「190g缶コーヒーのパイオニア」<「事業案内」/ポッカWebサイト)
《ポッカは、昭和32年にレモン果汁飲料の製造販売からスタートした。創業から12年
ほど経ったある時、創業者の谷田利景さん(現・相談役)が、開通したばかりの名神
高速道路を走行中に、運転手が眠気覚ましに養老サービスエリアでコーヒーを飲もう
とした。ところが店は混んでいて、注文してからコーヒーが出てくるまでに相当な時間
がかかってしまった。その時、谷田さんはひらめいた。「コーヒーを缶に詰めれば、ど
こでも気軽に飲めて非常に便利になる」。》 (「愛知ブランド企業の舞台裏」<「もの
づくり王国・愛知」/愛知県産業労働部「愛知ブランド」Webサイト)
「開通したばかり」…名神高速道路(中央自動車道西宮線)の養老サービスエリアを含む
区間が開通したのは、1964(昭和39)年9月6日である。缶コーヒー着想はこの直後か?
否それはありえない。当時、養老サービスエリアでコーヒーを飲むことは不可能、なぜなら
売店の営業開始は1965(昭和40)年7月3日、名神高速道路全線開通の2日後だから。
温かいコーヒーを飲みたくなる冬季に、全線「開通したばかり」の名神高速道路を使用して
谷田氏が大阪へ出張したのであれば、それは1965年の冬ということになる。だが、本書
の述懐では、「どんなものかを確かめたくて」通ったのは1969年〜1970年の冬だという。
実に開通4年後である。どちらが本当か?…ポッカが缶コーヒーを発売したのは1972年、
翌1973年にサンデンと共同開発した冷温切り替え可能の飲料自動販売機で販売開始、
《その第一号機を設置した場所は、いうまでもなく、発想するきっかけを得た養老サービス
エリアだった。》(p.201)という。…奇聞に感じられる逸話に、ある疑念を抱かざるを得ない。
冷温切り替え可能の缶コーヒー自動販売機の第1号機を設置した養老サービスエリアから
遡って、そこを着想の地と偽装したのではないか?その時期が矛盾を孕んだまま、過去へ
過去へと遡りがちとなるは、UCCの1969(昭和44)年4月「世界初の缶コーヒー」開発に
先んずる着想と思わせたいからではないのか?UCC上島忠雄氏が鉄道で発想した頃に、
ポッカ谷田利景氏は高速道路で着想した、という潜在した対抗心で潤色が交えられたか?
谷田氏の缶コーヒー着想話は矛盾に満ち、整合を欠いた記述に錯誤以上の邪心が覗く。
「成功は過去の中に」だけある缶コーヒー話、その過去も不可解が満載の缶コーヒー本…
コーヒーを真に愛好していない者のコーヒーか、そう、缶コーヒーは不愉快な存在である。
















