川は私を見ない

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2017年09月19日 23時30分]
ここから語るのは演劇についてだ。つまり、私には関係のない話だ。自宅の書棚にあった本を見つけて読み返す。鈴木忠志 『演劇とは何か』 岩波書店。私は147ページの6行目からを読む。
 
 《つまり一般の住居であろうと体育館であろうと、あるいはお寺であろうと野
  外であろうと、俳優と観客との関係が方法的にきちんと位置づけられた
  演出というものがあれば、劇が行われる場になると思います。ですから
  私は、つねに「劇場」というものは劇場になりうる空間と考えている。日
  常見慣れた光景のなかに、別な日常が入り込み、空間を構成する関係
  を組み変え、空間の印象を変容させるところに演劇性があり、演出とい
  う仕事があると思っています。》
 
私がこの本を初刷で読んだのは、1988年のことだ。今日にはテキスト群を美濃加茂市内の3ヵ所に置いた劇作家のKさんが元旦に生まれた年だ。それで一体何が痕跡として残っているのだろうか。しかし大丈夫だ。こんな風に演劇は始まる。いつもこんな風だ。目を上げ、町に出ろ。
 
「まち×演劇×アート 早稲田・美濃加茂交流まち演劇プロジェクト」
 
  川は私を見ない (1)
台風一過で秋日和の2017年9月18日、美濃加茂へ車を走らせる。特定非営利活動法人きそがわ日和と早稲田大学OBOGチームと美濃加茂市が組んだ早稲田大学・美濃加茂市学生演劇公演10周年記念の催事を観る。
 
 川は私を見ない (2)
まず、影山直文氏(カゲヤマ気象台)のプロジェクト「月はお前を見ない」を観る。美濃加茂市中央図書館、旧小松屋裏の土手のベンチ、コクウ珈琲…設置場所でテキストを読み巡る、約1km弱の小さな旅。木曽川の土手で涼風に吹かれながら、既に演劇の公演1回目を観てきた早大生と談話する。私は川を見る。川は私を見ない。
 
 川は私を見ない (3) 川は私を見ない (4)
次の催事会場、御代桜醸造へ。出張喫茶の「コクウ珈琲」のグァテマラを飲みながら、髙田裕大氏のドローイングファイルを捲り観たり、来場者と談話したり…夕陽が射す待合空間で遊ぶ。
 
 川は私を見ない (5) 川は私を見ない (6)
日暮れた頃、アムリタによる本日2回目の公演「みち・ひき」(脚本・演出:荻原永璃/出演:河合恵理子・藤原未歩・大矢文・金子美咲/音:白樺汐/ドラマトゥルク:吉田恭大)が始まる。前説で「第四の壁」を壊しそうな雰囲気が察せられ、酒蔵の奥に並べられた椅子に座って身構えたが、川にも道にも見立てた通路状の舞台に次第に馴染んで魅入られる。木曽川に太田宿に商店街に自転車に鳥に魚に…美濃加茂のご当地描写がてんこ盛りでサービス過剰気味の感。だが、甘言や媚態とまでは言えない《俳優と観客との関係が方法的にきちんと位置づけられた演出》が上手い。私は川を見る。川は私を見ない。
 
 川は私を見ない (7)
アムリタの劇「みち・ひき」に早稲田銅鑼魔(どらま)館の話が出てきた。私は暗闇でニヤリとし、「あんねて」で喫したコーヒーの香味を想起した。森尻純夫氏は芝居も珈琲もつくっていた。1982年 森尻純夫 「芝居も珈琲もぼくの祝祭」 月刊喫茶店経営別冊『blend ブレンド─No.1』 柴田書店 173ページの中段5行目から。
 
 《ぼくが書き、演出する芝居もそうだ。若い演劇を支える上昇思考、もしくは
  指向には、どっかで見切りがある。仮の宿、って感じ。芝居なんてもとも
  とそうしたものです、ってこととはちょっと違うことだ。ある名人の神楽び
  とが「たかが神楽ですから」といったことがある。あ、ぼくのいい方に似て
  いるなあ、とうれしかった。たかが珈琲、と常にいうのだ、そしてたかが
  芝居、その背後にある重さ、ついでにそういいきれる余裕、客観性、「醒
  め」みたいなものに生きることのできる強さ、が「文化」を紡ぎだす条件
  なんだ。 四年前、芝居と珈琲とをごちゃまぜにひとつの会社にして、自
  身の等身を投影したような建物をつくっちゃったのも、そんなところでぎ
  りぎりになっちまおうと決意したからだ。》
 
催事はお開きとなり、御代桜醸造の会場で撤収作業を手伝う。汗をかいた身体に夜風が涼しく吹いて、心地好い。「コクウ珈琲」へ移り、イタリアンブレンドのアイスコーヒーやタバコを喫して、店主らと談話する。私は美濃加茂に住んでいない。だがそれは大事なことではない。演劇とは何か? 私の言葉に重みはない。私は店を出る。車で木曽川を渡って帰る。帰る家の方角を一瞬見失ったような気がした。もう深夜かもしれない。私は川を見る。川は私を見ない。
 
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健康は疎ましい

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年09月15日 05時00分]
私に言わせれば、コーヒーに健康を紐付(ひもづ)けて語るとロクなことはない。コーヒーにとって健康は疎(うと)ましい。
 
 《日本コーヒー文化学会は、今年12月に25年目を迎えます。この間の出来
  事を振り返ると、1995年にはアジア初の国際コーヒー科学会議(ASIC)
  が京都で開催され、コーヒーと健康問題に正面から向き合う契機となりま
  した。これ以降、有意義な研究成果が相次いで発表されています。96年
  には、今や世界を席巻するシアトル系カフェチェーンが日本に上陸し…
  (以下略)》 (『日本コーヒー文化学会ニュース』第73号 「事務局だより」
  2017年9月10日)
 健康は疎ましい (1)
この「事務局だより」の回顧談に、私は強い違和を覚える。「第16回 国際コーヒー科学会議 京都大会」(ASIC'95)でのオーラル(口頭)プレゼンテーションは計78本、そのうち生理学分野は11本(14%)だった。ポスター(掲示)プレゼンテーションは計64本、そのうち生理学分野は7本(10%)だった。本数や割合だけで意義を計ることはできないが、それでも農学分野の発表が全体の過半数を占めていたことからも、1995年のASICを《コーヒーと健康問題に正面から向き合う契機》などと括って振り返ることが私にはできない。コーヒーの消費拡大のために健康への効果を喧伝する、という業界利益の作為を感じ得る。これでは日本コーヒー文化学会(JCS)までがまるで卑しい全日本コーヒー協会(AJCA)のようであり、疎ましい限りだ。
 
 《コーヒーなしには一日が始まらぬ、仕事もはかどらぬ…という人は多かろう
  が、実はミツバチもカフェインが大好きだという。 英国の研究者らによると、
  コーヒーノキやレモンなどは、花の蜜にカフェインを忍ばせている。それを
  吸ったミツバチは花の香りを覚える記憶力が倍増し、同じ香りを求め探し
  回るようになるという。 それだけではない。タバコなどは花の蜜にニコチン
  を含ませているが、その蜜を吸ったマルハナバチは花の色を素早く覚える
  ようになることも分かった。植物は、ハチに効率よく花粉を運んでもらうた
  め、カフェインとニコチンを巧みに使っているわけだ。 働き蜂が、コーヒー
  とタバコの虜…とは微苦笑せずにはいられない発見だが、笑いを消し去る
  ような報告もある。ニコチンとよく似た構造を持つネオニコチノイド系農薬
  が、ハチたちを薬物依存症にさせているかもしれぬというのだ。 ただの砂
  糖水とネオニコチノイド系農薬が入った砂糖水を一緒に置くと、ハチは農
  薬入りのものを選ぶ傾向があった。ミツバチの記憶力を害し、命を縮める
  とされる農薬を好んで吸うというのは、立派な中毒ではないか。 欧米では、
  この種の農薬の規制が強化されつつあるが、わが国では使用が広がって
  いると聞く。働き手に、禁煙ではなく、喫煙を勧める。ミツバチたちが働か
  されているのは、そんな職場なのだ。》 (『中日新聞』 「中日春秋」/『東京
  新聞』 「筆洗」/共に2017年9月3日)
 健康は疎ましい (2)
この新聞朝刊のコラムに、私は強い違和を覚える。花の蜜に含まれているカフェインでミツバチの記憶力が向上することを、ジェラルディン・ライト氏らが科学誌『Science』で2013年に発表した。ある種のネオニコチノイド系農薬を含む蜜をミツバチが選好することを、ジェラルディン・ライト氏らが科学誌『Nature』で2015年に発表した。コラムの筆者は、《実はミツバチもカフェインが大好き》などと植物や虫には好感を示し、《立派な中毒ではないか》などと農薬や喫煙には嫌悪を露わにしている。威を借りんと研究者の報告を半端に掲げておいて恣意的で粗略な解釈を吐くとは、私には《笑いを消し去るような》コラムである。これではまるで曲解と詭弁のこじつけ集だった岩田リョウコ氏の『シアトル発 ちょっとブラックなコーヒーの教科書』のようであり、疎ましい限りだ。
 
 《「コーヒーはヒトの健康にどう影響するのか」……コーヒーの科学の中でも、
  この疑問ほど人々の興味を集めてきたものは他にないかもしれません。》
 《また積極的なアピールも考えものです。(略) ちょっと悲観的かもしれませ
  んが、コーヒーが悪者扱いされなくなる日はまだまだ先なのかもしれませ
  ん。》
 《いろいろなデメリットとメリットを天秤にかけ、「自分にとって無理のない量を
  楽しく飲む」のがいちばん健康に良い飲み方ではないでしょうか。》
 (旦部幸博 『コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか』 第8章「コー
  ヒーと健康」/講談社:刊 2016年)
 健康は疎ましい (3)
コーヒーに健康を紐付けて考える時に目安とするべき著述は、前掲に抄出した『コーヒーの科学』である。だが、私がコーヒーを《自分にとって無理のない量を楽しく飲む》場合は、《いちばん健康に良い飲み方》など露ほども思い遣らない。旦部幸博氏が言う通りに、《コーヒーの科学の中》では「コーヒーと健康」に巷間の興味が集まるのかもしれない。しかし、《積極的なアピールも考えもの》であることも旦部氏が言う通りである。いや、それ以上に、コーヒーの全ての中で「コーヒーとは何か?」を追究する見地では、《コーヒーが悪者扱いされなくなる日》を望むこともないし、そもそも「コーヒーと健康」など瑣末な課題である、と私は捉えている。コーヒーは嗜好飲料である。コーヒーがヒトの健康に悪影響を及ぼすことをわざわざ望みもしないが、健康に良くないと飲みたくない程度の嗜好であるならば、コーヒーなんぞ全く飲まない方がよいだろう。もちろん、営利を背負ったコーヒー業界が健康を語ることに耳を貸す必要も全くないし、語るコーヒー屋は滅(めっ)されるべきである。コーヒーに健康を紐付けて無理に語ること自体が、コーヒーを楽しく飲めない疎ましい事態なのである。
 
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よそばか走談

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年09月10日 23時00分]
2017年9月10日、「吉岡コーヒー」が出張喫茶店を開くらしい。「BIO Mart & Kitchen」曰く、《ネパールのコーヒー生産者ボダさんの来日中に合わせ、桜山にある「吉岡コーヒー」さんがBIOで出張喫茶を開店♪(略)ボダさん、池島さんの来店は15時前後の予定しています。ネパールでの様子など直接お話を聞くことができる貴重なひととき》と…行ってみよう!
 
 よそばか走談 (1)
陽がじりじりと射して、気温は摂氏30度を超えている秋晴れの昼下がり、自宅からゆっくりと走り始める。庄内川と矢田川を渡り、市街見物しながら南へ進み、斜めに交差する飯田街道を突っ切り、目的地へ約13.5kmを約1時間50分(信号待ち含む)。…ん? バックパックに塩が吹いている。それで好い、ココは塩付通なのだから(笑)。喫煙しながら汗が引くのを待って、「BIO Mart & Kitchen」を訪ねる。
 
 よそばか走談 (2)
昨2016年のコーヒー催事以来435日ぶりの池島英総氏に「お久しぶり」、ボダラジ・アリヤル氏には「初めまして」。出張喫茶で吉岡知彦氏の淹れたネパール・カレンダーラ(パルプトナチュラル)は、コクありキレよい甘苦で上出来。これを飲みながら、ネパールの豪雨災害や隣国インドのダージリン地方の紛争などの近況も交えて、ボダさんと談議。池島さんとも、シャンジャでのコーヒー以外の産品の流通に関して意見を交わす。私自身のコーヒー探究にとっても、意義ある時間だ。
 よそばか走談 (3)
 
 《約10年前、ネパール、シャンジャ郡は植栽されていた多くのコーヒーの木が
  切り倒されようとしていました。コーヒーの木は病気になりやすく、収穫して
  も豆はなかなか売れないといった理由で、「コーヒードリーム」を諦め、多く
  の村人は村を出て都市部や海外に出稼ぎにいってしまう状況でした。 そ
  んなシャンジャの村で、農業で村おこしをしたいと考える村人ラズさんのも
  とに、世界のコーヒーを飲んで回っていた一人の日本人がたどり着きまし
  た。「村に残って農業をするなんて、ばか者だ」と言われたラズさんと日本
  から来たよそ者池島さんが出会った瞬間です。 二人で村を奔走し、今で
  は180軒の農家がコーヒー生産に加わるようになりました。村のばか者と
  日本からのよそ者によるコーヒー生産をきっかけに村が変わっていく、そ
  んな彼らの経験は、途上国でのコミュニティ開発や日本国内の村おこしを
  考える上で様々な示唆を与えてくれるでしょう。》 (「〈よそ者〉と〈ばか者〉
  が村を変えた!? ~ネパールのコーヒー作りから学ぶ村おこし」/「シャ
  プラニール=市民による海外協力の会」 2017年9月18日催事案内
 
 よそばか走談 (4)
「吉岡コーヒー」の出張喫茶店を去って地下鉄で帰る途に、「星屑珈琲」でほろ苦いコロンビア(22g85cc濃厚ネルドリップ)を喫しながら、コーヒーの「よそ者」と「ばか者」について考える。池島さんは「よそ者」だろうし、ボダさんは「ばか者」だろうが、「よそ者」も「ばか者」も彼らだけではあるまい。世界中のコーヒー生産地域の植生にとって、栽培されるコーヒーノキは「よそ者」である。そのコーヒーの香味を嗜好して、品質やら技法やらを喧喧と燥ぐ人間は「ばか者」である。「よそ者」結構、「ばか者」上等。私もコーヒー界を走って談じて、「よそ者」と「ばか者」であり続けたい…コーヒー「よそばか走談」の半日を想い返した。
 
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初秋愁心

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2017 [2017年09月01日 01時00分]
初秋の夜、虫の音を聞きながらコーヒーを独り静かに喫する。こうした夜には、「ばんぢろのおいしゃん」である耕八路こと井野耕八郎氏(1916-1989)が若き頃、秋に始まり秋に終わった一年余の悲恋話を読み返したくなる。例えば、「初秋愁心」の項には…
 
 初秋愁心 (1)
 《夏も終り近く、久し振りに吉若と待合で逢瀬を楽しむことができた。窓を開け
  て夜風を入れる。十二時を過ぎた静かな夜は涼しい。風鈴がチリンチリン
  と鳴っている。何という虫か知らぬが、早くも秋の気配を感じて鳴いている。
  いつものようにお銚子が二本、盃を時折とる。(略) 「しょうがないよ。かり
  そめの約束がいつの間にかおたがいをしばってしまった。今更どうしよう
  もない。せめてもの心意気にきれいな間の情人で通そうよ」(略) 泣きじゃ
  くりながら一つの布団に入ったが、とうとう朝まで二人とも眠れない。》
  (耕八路 「博多暮色」/『珈琲と私』 葦書房:刊 1973年)
 
1938(昭和13)年、川端商店街界隈でバーテンダーをしていた井野耕八郎氏は、中洲の芸者と逢瀬を重ねた。それから80年近くが経って、同じ街に新たな「ばんぢろ」が開店した。
 
 初秋愁心 (2)
 《戦後、まだ珍しかったコーヒーを福博に根付かせ、1998年に閉店した喫茶
  店「ばんぢろ」が28日、福岡市博多区の上川端商店街に復活する。店長
  は初代オーナーの井野耕八郎さん(故人)の孫、徳安善孝さん(38)。「祖
  父の技術を受け継ぎつつ、多種多様の豆や飲み方に合う入れ方を追究
  したい」と意気込む。(略) 26日に開いたプレオープンイベントには、かつ
  ての常連客が次々と来店。復活を望んでいたという近くの向衛さん(70)
  は「初代に比べるとまだ100%じゃないけど、若いのでこれから」と笑顔
  で味わっていた。 店名は「ブリュワーズコーヒー ばんぢろ」。祖父と同様、
  入れる(ブリュー)ことへのこだわりで名付けた。》
  (『西日本新聞』 2017年8月28日)
 
「Brewer's Coffee VAN DZILLO」(ブリュワーズコーヒー ばんぢろ)は、《祖父と同様、入れる(ブリュー)ことへのこだわり》を掲げるが、豆は祖父がこだわり続けた木村コーヒー(現:キーコーヒー)ではなくて、福岡市内の「Roaster's Coffee 焙煎屋」から仕入れるようだ。《初代に比べるとまだ100%じゃないけど、若いのでこれから》ということなのか…
 
 初秋愁心 (3)
 《朝夕、秋風がさわやかになるとコーヒーの味もさえてくる。読書の前の一杯
  は、さあしっかり読もうと気分を引き立ててくれる。コーヒーをいれるときは
  二杯か三杯いれておく。良くいれられたコーヒーは、ある程度時間がたっ
  ても温めれば結構いける。(略) コーヒーは砂糖抜きでもほんのりと甘み
  がある。コーヒーの持つ甘みを砂糖を入れて、も少し強める程度でいいは
  ずじゃないかとも感じる。(略) 秋は空気もさわやか。コーヒーも砂糖の量
  を少なくして飲んだほうがうまいはず。いかがなものでしょうか。》
  (耕八路 「珈琲の話」/『西日本新聞』 1980年9月14日/『究極のコー
  ヒー』 葦書房:刊 1987年 収載/『日本の名随筆 別巻3 珈琲』 作品社:
  刊 再録)
 
確かに、《良くいれられたコーヒーは、ある程度時間がたっても温めれば結構いける》し、《コーヒーは砂糖抜きでもほんのりと甘みがある》。だが、時には加える砂糖の量を多くして飲んだほうがうまいのではないだろうか? 例えば、「ばんぢろのおいしゃん」が語り遺した「博多暮色」を読むとき、そのほろ苦い話には少し甘みを強めたコーヒーが合うだろう。《朝夕、秋風がさわやかになるとコーヒーの味もさえてくる》…そのとき、「初秋愁心」のコーヒーはほろ苦くもあり、また苦甘くも味わえるはず、いかがなものだろう。
 
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しっとび伊吹3 晩夏応援篇

ジャンル:スポーツ / テーマ:ジョギング・ランニング / カテゴリ:走の記:日常編 [2017年08月28日 23時30分]
前回の伊吹山登山で酷い「苦敗け虫」(クマケムシ)となったので、その15日後に始まった『夢高原かっとび伊吹2017』のエントリーを私は諦めた。参加しても完走できないだろう、と。だが、挑み続けた晩夏を飾る大会から思いが離れたわけではない…そうだ、応援登山だ! 大会当日の朝、青空に浮かび聳える伊吹山が近づくのを見ながら、私は伊吹薬草の里文化センターへ車を走らせた。
 
2017年8月27日
伊吹山登山
 
 しっとび伊吹3 (1) しっとび伊吹3 (2) しっとび伊吹3 (3)
会場で合流した友人Mとしんろくさんに、「山頂まで登る自信もないけれど、応援登山をするよ」と告げる。会場の西端から東端へ移った新たな「かっとび」スタート地点から、大会より52分早く私の「しっとび伊吹」を始める。三之宮神社(0合目)まで約1.9kmを約13分でゆっくり走る。ここから歩き登り、今般は往復共に‘登山道’コースで。
 
 しっとび伊吹3 (4) しっとび伊吹3 (5) しっとび伊吹3 (6)
一合目を約32分で通過。…ん? 大会スタッフ曰く、「登山道の二合目先でスズメバチが出たので通行止めです。大会コースへ迂回してください」。げげっ! 二合目を約43分で通過。近くに蜻蛉が遠くにパラグライダーが飛ぶのを見て、さらに遠くから「かっとび」名物の太鼓の音を聴く。…ん? 「かっとべ~」の声が聞こえ、皆がスタートした会場を見下ろし眺める。
 
 しっとび伊吹3 (7) しっとび伊吹3 (8) しっとび伊吹3 (9)
三合目の休憩所に約1時間11分で到着。小用や喫煙で約10分休憩。…ん? 先導車の案内だ! 四合目まで進んで、ここまで約2km長い‘かっとび’コースを約37分で駆けてきたトップランナー、「ナイスラン!」と声援する私は約1時間29分が経過(笑)。五合目を約1時間39分で通過。次々に大会選手が山腹を駆け上っていく。
 
 しっとび伊吹3 (10) しっとび伊吹3 (11) しっとび伊吹3 (12)
さぁ、ここからは選手に道を譲りつつ、道脇に立ち止って「ファイト~!」を繰り返す本格的な応援登山だ。…ん? しんろくさんからケータイ着信、もしかして体調不良? 七合目を約2時間4分で通過。時季の割には吹く風は涼しいが、照りつける陽光と輻射に私も選手も汗だく。「さぁ、かっとびの醍醐味はここからだぞぉ~」と励ます。八合目で約2時間24分経過。九合目手前の急坂で後続の選手の列を見下ろして、「最後の上りだ、ファイト~!」と暫し拍手と声援を続ける。
 
 しっとび伊吹3 (13) しっとび伊吹3 (14) しっとび伊吹3 (15)
九合目を約2時間51分で通過。足がもつれて転びそうな選手を励ましながら尾根筋を進む。山頂に約2時間56分で到着…よし、クランプなしで登頂できた、今日の私は「苦敗け虫」(クマケムシ)じゃないぞ。山頂は恐ろしいほど混雑しているが、四囲の景色も吹く風も心地好い。
 
 しっとび伊吹3 (16) しっとび伊吹3 (17) しっとび伊吹3 (18)
暫し後に友人Mのフィニッシュを見届けてから、山頂売店「えびすや」へ。選手と登山客でごった返す店内の模様を眺めながら、生ビールをゴクゴク、煙草をプカプカ。そこに制限時間は僅かに逃したがフィニッシュしたしんろくさんが現れ、預け荷取りから戻った友人Mも加わって3人で談話。これぞ‘男たちの晩夏’だ! 家族と車で下りるしんろくさんと別れて、友人Mと絶えず喋りっ放しで山を下る。最後まで走らず談笑閑歩、約2時間30分かけて戻れば会場は撤収されていた(笑)。持参した氷出し珈琲とコーラを飲んで乾杯。応援登山と談笑下山で‘the shit!’(最好!)に美しい「しっと・美」の伊吹山を見上げながら、帰途についた。
 
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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