かわたれ日和

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2016年12月06日 05時30分]
栃井村(現:美濃加茂市下米田町東栃井)に生まれて名誉市民第1号を美濃加茂市より贈られた歴史学者の津田左右吉(1873-1961)は、‘芸術と社会’に関する言を津田黄昏の名で遺している。
 
 《芸術のための芸術と一口にいってしまえば、社会との関係などは初から
  論にならないかも知れぬ。けれども芸術を人生の表現だとすれば、そう
  して、人が到底社会的動物であるとすれば、少くとも芸術の内部におの
  ずから社会の反映が現われることは争われまい。芸術の時代的、また
  は国民的特色というのも畢竟ここから生ずるのである。まして、芸術の
  行われる行われない、発達する発達しないというような点となると一般
  社会の風俗や思潮やに支配せられないはずはない。》
  (津田黄昏 「芸術と社会」/『みづゑ』一〇四 1913年10月)
 
津田左右吉の忌日からちょうど55年後にあたる2016年12月4日、初冬の昼下がり、美濃加茂の太田宿へ「きそがわ日和」のアート催事を観に行こう!
 かわたれ日和 (1)
 
駐車して展示会場(山田時計印章店隣の古家)を覗くも、「ミノカモ学生演劇祭」の取材合宿中に訪れた学生諸君で立錐の余地もないので、観るのは後回し。260m東の「ヴォールヒュッテ」で同時開催中の「THERE WAS IT THERE.」を先に観る。渡辺純氏の襤褸(ぼろ)と渡辺奈穂氏のテキスタイル、暖炉の温かみと布の温かみが溶け合った空間で遊ぶ。その隣の「コクウ珈琲」で集会の準備を邪魔したり手伝ったり、催事関係者に混じって談話して遊ぶ。
 かわたれ日和 (2) かわたれ日和 (3) かわたれ日和 (4)
 
「きそがわ日和2016冬 時の指紋」 (主催:特定非営利活動法人きそがわ日和)
 
「時の指紋」の展示会場へ行き、田中藍衣氏と箱山朋実氏の作品を観る。外はもう黄昏、古家の中も薄暗くなって作品の微妙な反射や陰影は捉え難いが、増感モード(?)で目を凝らす。自然光が失われた分だけ古家の傷痕と作品の傷痕が溶け合って、最後はどこに作品があるのか探す始末。まぁ、これはこれで面白い…いわば「黄昏の指紋」だ(笑)。
 かわたれ日和 (5) かわたれ日和 (6) かわたれ日和 (7)
  
さて、「コクウ珈琲」へ戻り、内藤美和氏(オフィスマッチングモウル代表)による講演会「アートとまちの関係性」を聴こう! 内藤美和氏が過去に呟いた「アートの貪欲」発言を事前に読んで、私は聴講を欲したのだ。講演は佐久島を‘アートの島’にした仕掛けの話が大半、《学生や素人のヘッポコ作品はやらない》とか《アートをやればイイわけじゃない》などの辛辣な発言が好い。篠田康雄氏も「きそがわ日和」に関して《常に異物でありたい》と宣言して、NPO法人化記念を兼ねた交流会へ突入。茶やおでんを飲み食いしながら歓談、集会の片付けを邪魔したり手伝ったりしながら最後まで談話して遊ぶ。
 かわたれ日和 (8) かわたれ日和 (9) かわたれ日和 (10)
 
夜半に車を走らせる帰途、現代アートと地域と人の関係性を考える。内藤美和氏の「アートの貪欲」発言は、「文化庁長官と語る会 文化芸術は社会に役に立つか?」(2013年2月 東京藝術大学「白熱教室」第2弾)で近藤誠一氏が掲げた言説に端を発したものだが、私が捉えたところでは近藤誠一文化庁長官(当時)の表意は津田黄昏の言に通底する。
 
 《だから一心不乱に自己を表出しようとする芸術家は即ち無意識の間に
  国民の要求を実現させつつあるものである。知識として国民性を云々し
  ないでも、生きた芸術として国民性を形づくってゆくのが芸術家である。》
  (津田黄昏 「芸術と国民性」/『みづゑ』一二六 1915年8月)
 
こういう‘芸術と国民性’云々という意の表し方は、《常に異物でありたい》側にはイヤな感じだ。しかし、《自分の「正義」や「善意」を疑ってみたり、過去を振り返ってちょぃと赤面するくらいの良識はあってしかるべき》という内藤美和氏の示唆に照らせば、NPO法人化で改めて始動する「きそがわ日和」に向けて津田左右吉の言は託宣にもなろう。
 
 《トルストイの芸術論のように芸術の俗衆化を主張するのではないが、ま
  たもとより天才的芸術家の特殊の官能を尊重することを否むものでは
  ないが、芸術の基礎は普通人の心理的事実の上に据えなくてはならな
  いものではあると思う。》
  (津田左右吉 「偶言」三/『みづゑ』一二四 1915年6月)
 
美濃加茂に生まれた津田左右吉が黄昏、つまり‘誰そ彼’(たそかれ)を名乗ったのであれば、美濃加茂に生まれた「きそがわ日和」は木曽川と人へ‘彼は誰’(かわたれ)と問い続けても好いのではないか? 同じ薄明でも「きそがわ日和」は黄昏でなしに黎明にある…いわば「かわたれ日和」だ。
 
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何が物語だ

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2016 [2016年12月04日 01時00分]
富士コーヒー物語。富士コーヒー株式会社の代表取締役である塩澤敏明氏は若き日にブラジルへ渡り、日本人初のクラシフィカドール小室博昭氏(1937-2002)の薫陶を受けた「名古屋の三羽烏」の一人である。その塩澤敏明氏が、2016年11月2日に69歳で歿した。私が氏を目の当たりにしたのは、日本コーヒー文化学会(JCS)第22回総会後のシンポジウム「愛知県・岐阜県を中心とする喫茶店のモーニングサービスの文化とその変遷」でパネラーとして登壇した2015年6月7日が最後となった。そして、設立10周年記念と銘打った2003年6月22日の日本コーヒー文化学会(JCS)第10回総会後の三遊亭圓窓(六代目)氏の講演も思い出深い。私にとっての富士コーヒーは、東海ラジオから流れてくるコマーシャル、圓窓師匠が語る「富士コーヒー物語」だから…何が物語だ。
 何が物語だ (1) 何が物語だ (2) 何が物語だ (3)

 「末期のコーヒー」 (珈琲小咄 12)
 沢田家のおじいちゃんは一徹者。外国の流行にしっぽを振って喜ぶ日本
 の国情を憂い、横文字を一切嫌った。家族の者が、食後、コーヒーを飲ん
 でも、おじいちゃんだけは番茶を飲み、そして必ずこう言った。
 「コーヒーなんざ、日本人の飲むものじゃあない。日本には昔からお茶が
 あるじゃあねえか」
 そんなおじいちゃんも年令(とし)には勝てず、米寿を祝った翌年、病床に
 臥し、今日か明日かの命となった。おじいちゃんもそれと知ったか、家族
 の者を枕許に呼び、か細い声で言った。
 「あたしの命も、もうこれまで……生まれてこの方、頑としてコーヒーは飲
 まなかったが……みんなが旨そうに飲んでいるのを見て……本当はあた
 しも飲みたかった……末期のコーヒーを飲ましてくれ……」
 家族の者はみな涙を流して、おじいちゃんの言葉を聞いた。すぐに、老妻
 はコーヒーを沸かし、スプーンでコーヒーを口に含ませてやった。すると、
 どうだろう! おじいちゃんは、目をパッチリとあけ、ムックリ起き上がると、
 床から離れて歩き出すではないか! 家族一同が唖然としている中で、老
 妻がつぶやいた。
 「コーヒーは眠気をさますというが、永遠の眠りをさますとは……」
 (三遊亭圓窓 『圓窓五百珈琲小咄を読む本』 pp.30-31)
 
 「菩薩のコーヒー」 (珈琲小咄 866)
 極楽物語。ある日、第二極楽園の池の畔をお釈迦さまがお一人で散歩を
 なさっていました。と、土産売り場から地蔵菩薩が声を掛けました。
 「お釈迦さま。お寄り下さい。コーヒーをご馳走いたしましょう」
 「甘茶はよくいただきますが、コーヒーは初めてですよ」
 お釈迦さまが縁台に腰を下ろすと、すぐに缶コーヒーが運ばれてきた。
 「お地蔵さんは、こんな物まで売ってんですか?」
 「地蔵(自動)販売機を置いてますから」
 お釈迦さまがそこを出て、しばらく歩いていると、虚空蔵菩薩が声を掛け
 て来ました。
 「お釈迦さま。我がカフェーでコーヒーなぞはいかがですか、ご馳走しま
 しょう」
 「さっき地蔵菩薩に声を掛けられて、いただきましたがね」
 「あそこより、ここのコーヒーのほうが美味しいですよ。どうぞ」
 「なるほど、味が違う。コクがありますね」
 「いれたのは虚空(コク)蔵菩薩ですもの」
 (三遊亭圓窓 「コーヒーこばなし」/『FUJI COFFEE NEWS』Vol.444
  2016年7月号)
 
富士コーヒー物語。直営の喫茶店群を整理して「カフェ・ラシュール」1店と「カフェ・セレージャ」2店のみを運営していた富士コーヒーが、新たな喫茶店舗「珈琲元年」を清須市に出したのは2013年4月のことだった。それから約3年半後、名古屋市中川区にある営業本部から運河を挟んで向かいという至近に「珈琲元年」を開いた。富士コーヒーは、この2号店を「珈琲元年」の中川‘本店’と称して、今後に多店舗化とフランチャイズチェーンの展開も視野に入れている。だが、この旗艦店の船出を見届けることなく、オープン2日前に塩澤敏明氏は逝ってしまった…何が物語だ。
 
 《「笑い」と「珈琲」とは、人生にとって必要不可欠なものであり、また脳を
  刺激して身体にとても良い効果をもたらすものであります。したがって、
  どちらが欠けても、人生がとてもつまらないものになってしまうと、私ど
  もは考えております。師匠と私どもが創り出す「笑い」と「珈琲」が皆様
  の人生を豊かにすることを願ってやみません。》
  (塩澤敏明 「『圓窓五百珈琲小咄を読む本』発刊に際して」/『圓窓五
   百珈琲小咄を読む本』 p.557)
 
 何が物語だ (4) 何が物語だ (5) 何が物語だ (6)
富士コーヒー物語。2016年12月3日、私は東谷山フルーツパークへ行き、くだもの館の展示室で富士コーヒーが協賛(実質は出展)しているコーヒー展を訪ねた。私なりの哀悼だ。毎年に東谷山フルーツパークで講習会や展示会を開いていた塩澤敏明氏は、来場者とコーヒーについて語ることを楽しみにしていたという。だが、今般に氏の姿はもうない。帰宅後、フジスペシャルと銘打たれたペルーのコーヒーを淹れて喫しながら、故人を偲んで無理に笑った。《どちらが欠けても、人生がとてもつまらないものになってしまう》から…何が物語だ。
 
 ※富士コーヒーのラジオCMを存知ないと「何が物語だ」が無礼に聞こえるかもしれませんが、圓窓師匠以外には謝りません。
 
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赤いレトロな媒染記

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2016 [2016年11月29日 01時00分]
玉川裕子氏が著した『赤いレトロな焙煎機 遥かなる南米大陸をめざして』(春風社:刊)という歌文集は2016年の春に出版された。だが、詩歌の類が苦手な私は読んでいなかった。先般、映画『函館珈琲』を名古屋シネマテークへ観に行く途でチクショウ(ちくさ正文館書店)を覘くと、『大坊珈琲店』(誠文堂新光社:刊)の隣に『赤いレトロな焙煎機 遥かなる南米大陸をめざして』が平積みされていた。で、発売から約半年遅れで何となく買って、のんびりと読んでみた。岡井隆氏が跋文を寄せていた。
 赤いレトロな媒染記
 
 《(略)アイリッシュコーヒーの項は、「イギリスを旅したとき、北アイルランド
  とイングランド共和国の歴史をよく知らなかった」とか、「珈琲商社で働い
  ていたというのに、コーヒーへの想いが足りなかった」というような正直な、
  私歴にもかかわる告白がある。フィクションではなく私歴を入れるという
  のも、いいではないか。 (略)コーヒーものがたりの中に、今すこし、私性
  を、作者の私生活や家族の匂いを出してみるのもわるくないのではない
  かと思ったりもする。 (略)短歌と散文(詩)とを結びつけて、それをいく
  つもつなげて、歌文集をつくる。この試みは、まことに魅力的だが、やは
  りその話題の主が、コーヒーという嗜好品だったということがこの場合大
  きいのだろう。 (略)しかし、ここもふつうの旅行詠にはなっていない。旅
  人よりも、旅人を呼びよせているコーヒー、あるいはコーヒー豆の方が
  主役である。 (略)玉川裕子さんの歌文集は、あきらかに、反私性の方
  向を目指している。しかし、その底に、作者の孤独や、自己認識を読み
  とろうとすれば、それも可能なのだ。》 (岡井隆 「跋文」/『赤いレトロな
  焙煎機 遥かなる南米大陸をめざして』 pp.159-164)
 
この岡井隆氏の跋文は魅力的だが、どうも二重の違和感を覚える。《あきらかに、反私性の方向を目指している》という評は本の腰巻(帯)にも惹句として引かれているし、《詩人の岡井隆さんは跋文の中で、「私性を超越してしかも魅力に富んでいる」と評価》という解釈の書評(『ニッケイ新聞』Webサイト 2016年6月2日)も見られるが、そうなのか? 《私歴を入れるというのも、いいではないか》と言い、《今すこし、私性を、作者の私生活や家族の匂いを出してみるのもわるくないのではないか》と言い、2016年度の文化功労者に選ばれて《「人としていかに生きるか、その『私性』の探求こそ詩歌に最も大切なもの」》(「毎日新聞」 2016年10月28日)と言う岡井隆氏が、《反私性の方向を目指している》玉川裕子氏を好評しているとは思えない。褒めてねぇだろ、コレ。これが一つ目の違和感。だが、私は岡井隆氏と違って、玉川裕子氏の歌文集が《反私性の方向を目指している》などとは到底思えない。そもそも、「第一章 カフェの逸品ものがたり」を軸に説くから空想や虚構の‘騙り’に目を奪われてしまうのであって、「第二章 カフェの街から」・「第三章 その後」・「第四章 ブラジル again」に目を向ければ‘私性’がそこここに転がっている。《話題の主が、コーヒーという嗜好品》で《コーヒー豆の方が主役》と言う岡井隆氏には、‘反私性’の象徴としてコーヒーを過剰に遠い場所へ置いて捉える恣意がみえる。私には、‘反私性’どころか著者の自己顕示が皮相に浮かんでいる歌文集としか思えない。捉え違えてるだろ、コレ。これが二つ目の違和感。
 
 《一枚ガラスの小さな出窓に、オブジェのように置かれていた赤いレトロな
  焙煎機。道行く人を眺めているようで、わたしは思わず歩みを止めた。》
  (『赤いレトロな焙煎機 遥かなる南米大陸をめざして』 p.37)
 
 《途方もない構想を追ういつからか迂回してゆく赤い実の夢》
  (ひかりの海/前掲書 p.60)
 
 《肥沃なる赤い土壌に降るシューバ大地を湿らす冬の夕立》
  (コーヒー農園〈ファゼンダ〉/前掲書 p.94)
  
 《赤土の遥かなる道バスがゆくパンタナールの風わたるなか》
  (大湿原〈パンタナール〉/前掲書 p.148)
 
『赤いレトロな焙煎機 遥かなる南米大陸をめざして』から1文3首を抄出して並べた。そう、ブラジルは赤い。ブラジルの国号は、蘇芳と同属のブラジルボク(パウ・ブラジル)の‘赤い木’の意に由来するように。そして、ブラジル高原の間帯土壌であるテラ・ローシャの‘赤い土’の意が象徴するように。だから、玉川裕子氏が赤い焙煎機を欲して、赤いコーヒーの実の夢を追ったことに不思議はない。けれども、ファゼンダが拡がる赤い土壌、テラ・ローシャは肥沃ではない。むしろ、元来は荒蕪な痩地である。また、パンタナールの縦断道路が通る台地部は赤土のテラ・ローシャだが、低湿地自体は氾濫原土壌であまり赤くない。玉川裕子氏は《コーヒーを表現したいと思い続けてきました。コーヒーから文学へ》と、ブラジル移民100周年・ブラジル民族文化研究センター創設30周年記念図書『愛するブラジル 愛する日本』(金壽堂出版:刊 2008年)への寄稿で記していた(同書p.107)。そういう点も含めて、『赤いレトロな焙煎機 遥かなる南米大陸をめざして』は、著者の体験と依怙による‘私性’を結実させた作品であろう。いや、この歌文集をブラジルで《赤い実の夢》を追って自身を蘇芳のように染めた回想、赤いレトロな媒染記と読みとろうとすれば、それも可能なのだ。
 
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隧道とモミヂ2016

ジャンル:ライフ / テーマ:ひとりごと / カテゴリ:あ・論廻 [2016年11月27日 05時30分]
今秋の愛岐トンネル群の特別公開は、《国・登録文化財指定記念》と銘打たれていたので驚いた。NPO法人愛岐トンネル群保存再生委員会によれば、《2016年7月、愛岐トンネル群の3施設が国の登録有形文化財に認定されました。東海3県下では「鉄道トンネルとして初めて」の文化財指定です》として、旧中央線の玉野第三隧道と玉野第四隧道と笠石洞暗渠の《3件が指定を受けました》と掲げている(愛岐トンネル群保存再生委員会Webサイト/2016年11月27日閲覧)。しかし、現行の文化財保護関連の法制度下では(指定でも選定でもない)‘登録’文化財が‘指定’されることはありえない。ここは「国・有形文化財登録記念」とでも銘するべきであって、仮に‘指定’されたならば‘登録’は抹消されるのである。
 隧道とモミヂ (1) 隧道とモミヂ (2)
尚、上記3件が東海3県下では鉄道用隧道(トンネル)として初めての文化財‘登録’であるが、静岡県も含めて東海4県下では天竜浜名湖鉄道の神田隧道(旧光明電鉄)と利木隧道(旧省線二俣線)が現在でも供用されたまま先んじて2011年1月に‘登録’されている。但し、天浜線の隧道は2件共に昭和期のコンクリート造であって、明治期の煉瓦造である愛岐トンネル群の価値を圧するものではない。…とブツブツ言っているよりも、久しぶりに愛岐トンネル群へ行ってみよう! そして、モミヂ狩りだ!
 
 隧道とモミヂ (3) 隧道とモミヂ (4) 隧道とモミヂ (5)
2016年11月26日、定光寺駅で降りて、愛岐トンネル群の第18回特別公開(9日間限定)を初日に訪ねる。特別公開時では第8回以来の約5年ぶり、「荒野ノヒカリ」から約3年ぶり。入場料100円を払って、「再現することが容易でないもの」を登録基準にして国の登録有形文化財となった玉野第三隧道(延長約76m)と玉野第四隧道(延長約75m)を通り抜ける。玉野川(庄内川)の水面に映るモミヂが美しい。
 
 隧道とモミヂ (6) 隧道とモミヂ (7) 隧道とモミヂ (8)
腹減った。持参のパンを食べながら、玉野渓谷(愛岐渓谷)の紅葉や黄葉を眺める。水車の横から森の中のシングルトラックに入り、散策路を見下ろしながら進む。「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で文化財登録を追加で狙っている隠山第一隧道(延長約99m)と隠山第二隧道(延長約333m)を通り抜ける。途中のレンガ広場ではトランペットやクラリネットの音が響く(感想はNo comment.)。
 
 隧道とモミヂ (9) 隧道とモミヂ (10) 隧道とモミヂ (11)
県境で折り返して、3つの隧道を潜り戻る(玉野第三隧道は往路の通行のみ)。三四五(みよい)の大モミジのぼんやりした紅葉も悪くはないが、隠山第二隧道の南側坑門工近くのモミヂが好い。会場を出て、玉野川を城嶺橋で渡って定光寺川(御手洗川)沿いに歩いて、定光寺公園の正伝池の景色を眺める。
 
 隧道とモミヂ (12) 隧道とモミヂ (13) 隧道とモミヂ (14)
応夢山定光寺へ。参道の階段を上って山門を通り…さすがモミヂの名所、カメラやスマホを構える人人人。境内のあちらこちらに拡がる紅葉に目を喜ばせながら、ゆっくり散策。
 
 隧道とモミヂ (15) 隧道とモミヂ (16) 隧道とモミヂ (17)
展望台にも人人人。眺望と紅葉に目を喜ばせながら、ゆっくり喫煙。傾き始めた陽射しが葉の色づきを際立たせて、これぞ今秋で最好のモミヂ狩り。風が冷たくなってきた。さぁ、帰ろう。
 
 隧道とモミヂ (18) 隧道とモミヂ (19)
隧道の中から見たモミヂには明治期の産業遺構の色が映っていた。「国土の歴史的景観に寄与しているもの」かどうかは、わからなかった。定光寺の切り株の上に落ち葉を並べてヘッポコ即席アートを楽しんだ。「再現することが容易でないもの」というのは、こんなものだろう。2016年の晩秋、隧道とモミヂに遊んだ。
 
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街を走ろう もみぢ篇

ジャンル:スポーツ / テーマ:ジョギング・ランニング / カテゴリ:走の記:日常編 [2016年11月25日 01時30分]
《時は秋、日は真昼、大気澄み、紅葉色づき、百舌鳴きて、神々そらに知らしめし、すべて世は事もなし。かつてはそういった時代もあったのだ。けれども、いまは、すべてがただ、束の間のうちに過ぎてゆく》と長田弘は言う(「いちばん静かな秋」/『奇跡 ─ミラクル─』 みすず書房:刊)。秋の葉の色づきを確かめながら、自分の足で街へ行こう。街へ走り、街を走ろう
 
 街を走ろうもみぢ (1) 街を走ろうもみぢ (2) 街を走ろうもみぢ (3)
2016年11月20日、昼過ぎに自宅を出て、薄曇りの秋空の下を南南西へ走る。庄内川を水分橋で渡り、矢田川を三階橋で渡り、御用水跡街園の並木道の落ち葉を踏み、名城公園の北園へ。ところどころの紅葉・黄葉を眺めながら園内のジョギングコースを一周(約1.3km)、途中で御深井(おふけ)池を挟んで名古屋城を見る。南へ進み、テレビ塔を見上げながら久屋大通公園の枯れ葉を踏んで駆け抜ける。大須商店街ふれあい広場まで走って、約15kmを約2時間(信号待ちと撮影を含む)の‘街走り’を終了。「やっとかめ文化祭」の演芸を観て、松屋コーヒー本店に寄って、帰路は地下鉄と名鉄電車で。
 
 《日の光が薄柿色に降ってくる 秋の日の午後三時。街の公園のベンチに、
  幼女のような老女が二人、ならんで座って、楽しげに、ラッパを吹く小天
  使みたいに 空に、シャボン玉を飛ばしていた。天までとどけシャボン玉。
  悲しみは窮まるほど明るくなる。秋の空はそのことを教える。》
  (長田弘 「空色の街を歩く」/『奇跡 ─ミラクル─』 みすず書房:刊)
 
 街を走ろうもみぢ (4) 街を走ろうもみぢ (5) 街を走ろうもみぢ (6)
2016年11月23日、昼過ぎに自宅を出て、快晴の秋空の下を南南東へ走る。国道302号線を庄内川大橋を渡り、茶臼前から翠松園の住宅地を北へ駆け抜けて、小幡緑地の本園へ。走行を停止して、ところどころの紅葉・黄葉を眺めながら園内を歩いて散策、途中で緑ヶ池のカモを相手に遊び、芝生広場の老人を相手に話す。
 
 街を走ろうもみぢ (7) 街を走ろうもみぢ (8) 街を走ろうもみぢ (9)
再始動、南へ進み、矢田川を小原橋で渡り、香流川を新屋敷橋で渡り、銀杏並木の落ち葉を踏んで平和が丘を駆け抜ける。星ヶ丘交差点まで走って、約17kmを約2時間20分(信号待ちと撮影を含む。小幡緑地の園内散策は除く)の‘街走り’を終了。星が丘門から東山動植物園へ入る。園内でもみぢ狩り、いや、その前に移動販売車でオムそばを買って噴水ショウを見ながら食べる。
 
 街を走ろうもみぢ (10) 街を走ろうもみぢ (11) 街を走ろうもみぢ (12)
陽が沈んで夜来たり、2013年から始まり今年で4回目となる「紅葉ライトアップ」を初めて観る。夜風に揺れる紅葉は照明で輝いて、妖しく美しい。《一つ一つがおそろしいほど精細なすべての、かけらの、いっさい間然するところがない集合が、秋なのだ。一つ一つのうつくしいかけらがつくる秋のうつくしさ》と長田弘は言う(「いちばん静かな秋」)。だが、街の中の夜の植物園で輝く‘もみぢ’がつくる美しさは、イルミネーション(電飾)のそれと同じで、《いまは、すべてがただ、束の間のうちに過ぎてゆく》間然するところばかりの集合の秋なのだ。帰路は地下鉄と名鉄電車で。
 街を走ろうもみぢ (13) 街を走ろうもみぢ (14) 街を走ろうもみぢ (15)
 
街を走る、ゆえに街あり。人は走る、ゆえに人あり。そういう思いをなくしたくない。街走りを楽しむことができるなら、そういう自分はまだ信じるに足るかもしれない。秋の葉の色づきを確かめながら空を見あげると、気持ちが開けてゆく。そういう秋が街に来ていた。
 
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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